第3話



「―― お話を、書いて。世界を救って」



 慌てて手を離し再び周囲を窺ったが、やはり誰も居ない。


(……あ、こういうの、テレビで見たことある! 一般人を騙す、ドッキリとかいうやつ。きっとそうに違いない)



 私はまた、そろりと手を伸ばし、指先でソレに触れた。瞬間、また声が響く。



「ドッキリじゃないよー。耳じゃなく、頭の中で聞こえるでしょ~?」



 ヒッ! と声が漏れそうな勢いで手を引っ込め、顎の下で両手を握った。様々な可能性が、目まぐるしく頭の中を巡る。


(いやいやいや、ほら、骨伝導イヤホンとかスピーカーとかあるし。あ、でもあれは頭に着けなきゃか。いやでも最先端の技術で指先からでも聞こえるとか)


 わずかな可能性に縋ろうとする私の祈りを遮断するみたいに、また声が響いた。


「触ってなくても聞こえるでしょ~ぉ? 諦めなって。ボクが話しかけてるんだよ~」




 思わず、目を閉じた。


 とうとう、来た。この時が、来た。

妄想癖をこじらせ過ぎて、ついに私は、気が狂ってしまった………




「ねえ、助けてよ。君に頼みがあるんだってばぁ。世界を、」

「ちょっと待って!」


 思わず、声が出た。

世界を救って、なんて壮大な言葉を再び聞くのが怖くて、遮りたかったのだ。


 素早く辺りを見回し、誰も居ないことを再び確認する。両手で口元を覆い咳き込んだふりなどして、なんとか取り繕ったりもした。



「わあ、よかった。やっぱ聞こえてたんだぁ。まあ、わかってたけどね~」


(ちょっとやめてよ、もうやめて。私に話しかけないで)


 今度は親指でこめかみを強く押さえながら、両目を覆う。自分の視界を遮断し、怯え混乱している表情を世間の視界から隠すために。



「君は狂ったりしてないよ、安心してよ。ツムギ」


(どうして?! ……私の名前を! あなたは誰?! どこにいるの?! いややっぱり、私の頭は)



「頭の心配はしなくていいってば。僕はここだよ、このペンだよ」


(……ペン? この、綺麗な万年筆……?)



 そろそろと目を開け、指の隙間から横に転がっている万年筆を盗み見る。木漏れ日を受けて、金色に飾られた縁がキラリと光った。



「そうだよー。これが見えるってことは、君には能力がある。資格持ちだよー」



 能力、と聞いて、心の片隅がざわめく。

特殊能力や超能力、魔法の力など……何度となく夢想し憧れた言葉、垂涎のシチュエーションだ。でも………


(待って、勘弁してよ。そんな急に言われても心の準備が)



 幾度も妄想した、もしくは映画やテレビ、小説、漫画で見た登場人物は、或る日突然能力を手にすると一様に、こんな風に慌てふためいていたものだ。

 本当にそうなるんだなー……などと、ほんの少し冷静な考えが頭を過る。


(だいたい、どんな能力が? 天才でもイケメンでも美少女でもない、よりによって、平凡な主婦のこの私に? それに普通こういうのって、年端もいかない少年少女とか、せいぜい高校生ぐらいまでってのが定番で)

「まあ、そういうのよくあるけどぉー」


(私なんかじゃ絵面が弱いんじゃないかな。やっぱこういう展開は、見目麗しき)

「ちょっとちょっとー、いいから一回聞いて? 脳内語りはその辺にしてさ、ボクと話してくれない?」


(あ、ごめん……じゃないって! えっと、待ってよいいのかなこれ、会話しちゃって……私、騙されてない? っていうかアンタ、何者?)


「おお、やっと対話できるー。もう、普段独り言が多い人って、こういうとき面倒だよねー」


(……悪かったわね)


「でも、妄想慣れしてるだけあって、こんな特殊な状況でも受け入れるのが早いから、それは楽かなぁ」


(まだ受け入れたわけじゃないんですけど! ……でもまあ、順応はし始めてるかも)


「はいはい、そうね。ジュンノージュンノー」

(イラっとしたわ!今なんかイラっと!)


 頭の中に直接語りかけてくるその声は、妙に気軽で能天気な響きを持っている。なんなら少しふざけているような口調だった。


「まあ聞いてよ。ボクは、物語の精霊……的な? えっとぉ……概念を具象化とかなんとか? 象徴? なんか、そういう感じのヤツでぇす」


(ざっくりだな! 自己紹介ざっくりだな! ザルの目が粗すぎて、なんにも情報が掬えないんだけど)


「だって、自分でもよくわかんない。前の人らにそう言われただけだから~。ってわけで、とりあえず名前つけてよ」


(前の人……? えっと、名前って、君の?)


「そう。ボクの名前」


(え、どうしよう……物に名前つけるの好きだけど………急に言われると焦るな。っていうか、物に話しかけられたの自体初めてだし………)


「早く、早くぅ」


(あ、ごめん。そうだね、じゃあ……ペン太で)


「オッケー!」



美しい翠と金の万年筆が滲んだかと思うと姿を変え、そこには小さなペンギンのぬいぐるみが立っていた。


「あっれえ? カタチ変わったぁ! ボク、初めて筆記具以外の形になったよ!」


(あー、ペン太って言った瞬間、ペンギンの絵が浮かんじゃったんだ。ごめん)


「別にボクはどっちでもいいよー。ボクの外見は、資格持ちによってその都度、羽ペンとか筆とかにも変わるから~」


(へえ、そうなんだ……)


少し毛羽立ったペンギンのぬいぐるみは、ぴょこぴょこと跳ねたり羽をばたつかせたりしながら愛嬌を振りまいている。


「たぶん、ツムギの好きな姿にだってなれると思うよ。芸能人とか……」

(えっ)


「……へえ、オダ◯リジョー? 西島◯俊? ◯浦春馬? ……ツムギ、メンクイなんだねぇ」


(ちょっと! 人の心を読むのやめてよ! そんで何よ! ぬいぐるみのくせにその目つき!)


「……変わろうか?」


ペンギンのぬいぐるみの、輪郭が僅かに滲んだ。


(いい、いい、いい! どうかそのままで! なんか恥ずかしいから! 平静を保てる自信が皆無! 絶対キョドるから!)


「女子でもいいよ? ……ガ⚪︎キー? 石原◯とみ? 長澤ま◯み?」

(……一瞬心が動いたけど、それもパス。どっちみち照れるし新たな扉が開きそうで……)


「新たな扉って?」

(なんでも無いです。掘り下げないで)


「よくわかんないけど、このままでいいんだね。じゃあ、ボクはペン太。よろしくね、ツムギ」


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