中心乱舞―importance of existence―

―― VIII ――

 ――――藤沼ふじぬま事件。

 それは、真が小学生だった頃に起きた、世間を震撼させた大事件である。

 事件の名前は、その当時の内閣総理大臣であった藤沼哲司てつじに由来する。そして、彼はこの事件で命を落とす結果となってしまった。

 主な原因は内閣総理大臣による集団的自衛権の行使の決定である。その決定により、アメリカに敵対意識を向けていた外国の目が、日本にも向けられる事となる。

 事件の内容は、藤沼総理の乗った航空機がハイジャックされ、そのまま日本アルプスに突っ込んだというもので、乗客は首謀者と一般人ひとりを残して全員死亡した。

 その跡地は、大きなクレーターのように土が抉られ、樹が爆発により殆ど焼失してしまった。その様子が爆心地のようであったことから、一部のメディアではグラウンド・ゼロと称され、一時期、ニュースを騒がせた。

 しかし、このテロ事件の犯人として捕まった、生存者の内の一人は外国人ではなく、どこにでもいるような一般的な日本人だった。

 中卒の無職の二十代半ばのその男は、ネットで知り合った外国人の男に指示されて行なったと証言しているが、その指示した組織がどこであるのかという特定は未だにできていないが、過激派で有名な海外組織であると、有力視されている。

 ただ日本中を震撼させた事実は、ネットを使って依頼されれば、テロを簡単に行なってしまう人物が国内にいるということ。

 事件についての裁判が行われ、幾つもの決定的な証拠が浮上し、日本人の犯人の死刑が確定した時、彼は一言こう言った。

「“すべての革命は、一人の人間の心に思い付かれた、ひとつの思想に他ならない”」

 思想家であるラルフ・ワルド・エマーソンの言葉をそのまま使ったのには、革命がまだ終わっていない事を含んでいるようみえたが、その事件以降に大きなテロは日本国内では起こっていない。

 しかし、一つの憲法解釈の変更によってテロを身近に感じるようになった状況に変わりはなく、今後一切テロが起こらない保障はどこにもない。






 火曜日の放課後。

 中間テストがいよいよ一週間後に迫り、勉強をしなければならないという使命感のようなものが、頭の中の片隅から徐々に姿を現してきていた。

「真っちぃ! 学園祭も終わった事だしさあ! 何かしなくちゃいけないことがあると思うんよー」

 隣にいる古井あらたが今、真が考えていた事を口にしようとしているのではないかと思ったが、その予想はあっさりと覆される。

「どっか遊びにいかねー?」

「断る」

 流石に、彼に断りを入れるのは、もう慣れた。

「なんでー? なんも用事ないんだろー? いこーぜ!」

 彼はいつものように、ため息を吐いてみせ、面倒くさそうに答える。

「あのなー。中間まで一週間だろ? 世界の中心で、勉強のできるお前とは違って、俺は勉強しなきゃいけねえの!」

「なんだよー! そんなつれないこと言ってるから真っちは友達いないんだよー?」

 大きなお世話だと口から出そうとする真。その横で歩いていた古井は、彼の前に出ると同時に、ある方向を指差した。

「しょうがないなぁ! オレっちがその勉強とやらに付き合ってあげよう! あそこの喫茶店ならできそうだよねー!」

 古井の発言は、勉強に付き合ってあげると言うよりは、勉強の邪魔をしてあげると訳した方が賢明だろう。そして、真自身もそれを心得ているが、古井は彼の同意を得る前にその腕を引っ張って、喫茶店の中にまで連れて来るのだった。

 しょうがなく席に着いた真は、古井と同じアイスコーヒーを頼んで辺りを見回してみた。

 すると、彼の予想通り、いつもこの喫茶店でコーヒーを飲んでいる眼鏡を掛けた白髪交じりの男性の姿を発見する。場所はいつもどおり、日の当たる席から大通りを見れる席だった。

 仕事場がこの喫茶店の近くなのか、家が近くなのか。それは聞いてみないことには分からない。

 特にそこまでの興味はまだないので、彼はすぐに視線を元に戻す。

 その視線が戻る道中に捉えたのは、何人もの同じ制服を着た、自分と同じ学校の生徒たちであった。その殆どが、イヤホンで音楽を聴きながらの者もいるが、シャープペンシルを握って、テスト勉強に励んでいた。

(なるほど……ここなら静かで集中できる……――――)

 と思いかけた真であったが、目の前の存在がそれを許さない事は分かっており、今度、一人で勉強しに来ようと決心した。

「ねえ真っち! オレっちはナニ勉強すればいいと思う?」

「そんなの自分で考えろよ……俺は化学やるから……」

「じゃあオレっちも化学やろ!」

 そう言って二人は化学の教科書と問題集を取り出して、アイスコーヒーが来てから勉強に取り組む事となった。

 意外にも古井は黙々とペンを走らせて、真もおかげで集中して勉強する事ができる。

 しかし、そんな彼の勉強を邪魔する“モノ”は唐突に姿を現した。


『全然分からない……もうやだ。化学なんて早く終わってしまえばいい……』


 その声に反応した真が真っ先に見たのは、目の前で化学の勉強をしている古井の姿であった。しかし、彼がノートに走らせているペンからは、何も宙に浮き出たりはしておらず、真は一瞬、胸を撫で下ろす。

 すぐさま、次の行動へと移る真は、店内を見回して前兆をその目に捉えた。

 喫茶店の天井に伸びる黒い文字列。だが、天井に伸びていくだけで、襲い掛かったりする事はなかった。

 文字を露わにしているのは、真と同じ制服を着た男子学生。真の知らない男子生徒だった。

 決着はいつもどおり、エレベーターの向こう側の世界。鞄の中には大量の文庫本が入っている。準備にぬかりはない。

 真はそれから五分も経たないうちにアイスコーヒーを飲み干し、荷物をまとめ始めた。

「もう帰っちゃうのー?」

「ちょっと用事思い出した」

「ならオレっちも帰るよ!」

 そう言って、会計を済ませて二人で一緒に喫茶店を出る。

 駅までの道のりは二人で一緒に歩き、そこで二人は分かれた。

 駅の中に入っていく山下真。駅を通り過ぎて、歩く古井新。

「そこの君は確か、古井 新くん……かな?」

 真と別れたそのタイミングを見計らっていたように、一人の男が古井に話しかけた。

 黒いスーツに青いネクタイ、黒いサングラスを掛けた、体の大きな男は、日本人ではないのか、サングラスを外すと、青い眼が現れた。

「そうですけど……?」

 彼が認める発言をすると、男は自らの口元を歪めた。

 その顔をどこかで見たことがある。

 古井はそう思った時点で、逃げるべきだった。

「“グラウンド・ゼロ”の景色は、どんなだった――――?」

 男の言葉に古井は、大きく目を見開かせた。

「なんで――――!?」


 ◇


 電車に揺られ、電車から降りて、駅を出ると、マンションまで歩く。マンションの下に着く頃には、真の表情は険悪なものになっていた。

「重い……」

 いっその事、本を持ってくる量を減らそうかとも考える真だったが、この前のようなこともあるので、妥協するのは気が引けた。

 郵便受けを見て、いつも入っているはずのチラシなどが入っていない事を確認する。彼の伯父である倉崎が、自分よりも早く帰宅したのだろう。

 左腕につけた時計を確認して、いつもよりも伯父の帰りが早い事に気を留めることもなく、エレベーターへと向かった。

 一階なので勿論、上向きしか選択の余地もなくそのボタンを押す。

 六階から降りてくるエレベーターが「ゴウン」と言うような音を繰り返し、段々とその音も近づいてくる。そして、その音が五回鳴った時、ボタンの上のデジタル表示が一の数字を示した。

 エレベーターは、ドアの目の前に立つ彼をいざなうように開かれる。

 黙ってエレベーターに乗り込むとすぐにドアは閉まり、デジタル表示が一つずつ七という数字に近づいていく。

 マンションの最上階である七階を通り過ぎたエレベーターは、八階でその動きを止めた。

 九階や十一階を相手にしてきた真からすれば八階はまだ楽であるが、油断は禁物。

 鞄の中から三百ページ前半の文庫本を三冊取り出して、鞄を地面に置き、開いたエレベーターのドアの先に進んでいく。すると彼の目の前には、ゲームの中の世界のような、雄大な自然の光景と、空を飛んでいく龍の姿が広がっており、その壮大さに口をぽかんと開けたまま、その場に突っ立ってしまった。

 エレベーターのドアが独りでに閉まった瞬間に、彼はその光景や龍が壁に映し出された映像だと気づく。

 他にも真のやった事のあるようなゲームや、世界でも有名なゲームの数々の景色が一緒の空間の壁に映し出され、何とも異様な光景を作り上げていた。

 ここは文字を宙に浮かばせた人物の心の中。つまり、その人物の心の中はゲームの事しかない。

「こんな頭の中じゃ……勉強してたら、ストレスが溜まるって……」

 真がそう呟いた時、彼の目の前に三十センチほどの大きさの黒い人形が現れる。その姿は何かのゲームに出てきていたような既視感を覚えさせる。

『遊ぼ』

 人形の口がカタカタと音を立てる。

 真はその姿に油断し、自らの文庫本から武器を創り忘れていた。

 両手を広げて一歩一歩近づいてくる木でできた黒い人形。

 真との距離が一メートル以内になった時、人形は真の目線の高さまでジャンプする。それと同時に、その右足を彼の胸に向けて振るった。

 人形の右足は彼の胸へと直撃し、彼の体は数メートル先の床に叩きつけられた。

 ゲーム上でのステータスがそのまま再現されているのか、人形は小さい体のわりにその力は大人以上だった。

 青空の広がる天井が彼の目に映り、完全に油断していた事を思い知らされる。

 手に持った文庫本から文字を出すべく、起き上がろうとする真の視界に、天井すれすれの高さまでジャンプした人形が入った。

『勉強嫌い』

 天井を蹴って落ちてくる人形を、横に転がって避けると、人形の右手が先ほどまで真の倒れていた床を貫いた。あのまま避けずにいたら真の体に穴が開いていただろう。

 立ち上がって、本のページで人差し指の指先を切る。そこから血が出ているのを確認すると、その血を文庫本のページに血を塗りつけて、そのページを含む三十ページほどを破り捨てた。

 破り捨てられたページから虫のようにうじゃうじゃと出てくる黒い文字。

 その黒い粒子は集まって、彼の右手に黒い刀を形成した。

 人形は真の方に顔を向けると、地面に突き刺さった手を抜く。その身軽な体を十分に生かすような形で再度、大きく飛び上がった。

『嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いきぇえええぇえええええええええ――――』

 奇声を発するのと同時に人形の拳が真に向けて振るわれる。

 リーチは圧倒的に刀の方が上。人形の拳が真に届くはずもなく、人形の動きに合わせて振るわれた刀は、容易に人形を上下真っ二つに切り裂いた。

 誰かは分からない人物の心の中が、一瞬だけ真の中に入ってくる。

 勉強はしたくない。ただ、ゲームがしたい。親に怒られようとも、ゲームの世界に入れば何もかもが忘れられる。

 それはただの――

「――現実逃避じゃないか」

 真っ二つになった人形が、ぐしゃりと音を立てて床に崩れ落ちた。

「そんな理由で俺を煩わせるなよ」

 自分の中から沸き起こる妙なイラつき。それはどこから湧き出て、それをどこにぶつければいいのか分からない。

 何に対してイラついているのか。それは勿論、彼の目下にある黒い人形。

 黒は、上半身と下半身がくっついて、ゆっくりと立ち上がる。

『ゲンジツ……トウヒ』

 片言で話す人形に彼はもう一度、刀を振るった。

 今度は左右真っ二つに切られると、床に落ちて、そのまま粉々に砕け散った。

 開かれるエレベーターのドアに一歩一歩足を動かして、エレベーターの中に入った時、先ほどまでイラついていた理由に気がつく。

「現実逃避って……現実から逃げてるのは、俺も同じじゃないか……」

 イラつきは自分に対する怒りを何かにぶつけようとした、ただの八つ当たり。

 そして、彼の逃避している現実というのは、彼の実の父親の事だった。

 エレベーターのドアが閉まるのと同時に七階に着き、エレベーターのドアが開く。

 エレベーターを出るといつもどおりのマンションの通路があり、彼もほっと胸を撫で下ろす。だが、胸の中に存在するイラつきは、拭えない。

 中間考査が終わった週末に、伯父が真を連れて行く場所は彼自身、大方の見当はついていた。

 鍵の掛かっていない玄関を開けると彼の予想通り、伯父の靴は既に存在していた。

 帰りが早いのに特段の理由は無いだろう。

 そして、これは伯父に対してちゃんとものを言うチャンスであると真は考える。

(伯父さんが連れて行きたい場所ってのは多分――――)

「おお! おかえり!」

「ただいま……」

 リビング横の自分の部屋に鞄を置いて、またリビングに戻ってくるとテレビを見ている伯父に向けて口を開く。

「伯父さん」

「ん……? なんか話でもあるのか?」

 口を開こうとした真だったが、ゆっくりとその口を閉じた。それはいつもの断れない性格から口を閉ざしたわけでなく、先のエレベーター内での出来事が影響していた。

 彼自身も向き合わなければならない現実が存在している。そして、伯父はその手助けをしようとしてくれているのだ。そんな伯父の提案を断るなんて、勉強から逃げてゲームをするのと同じだ。

「ごめん……何でもないや」

 彼がそう言うと伯父は訝しげな表情で彼を見たが、すぐにその表情も柔らかくなった。

 そして、翌日。古井新は学校に来ていなかった。

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