日下部探偵助手の怪奇譚

vol-8

SNOW WHITE

第0話 始まりは突然に

 その日はいつもより多い数の閑古鳥が鳴いていた。

 夏の訪れを目前に控えて穏やかな空気が俺の眠気を誘惑する。

 コーヒーを片手に新聞に目を通していると、かわいらしい字で「受付」と書かれた席の女性が口をあけた。


「ヒマねぇ」


 そんなことは百も承知なのだが、口に出されるとこちらにも感染してしまうと思ったので敢えて何も言わないでそのまま視線を下げる。


「何か言ったらどうなの?」


 独り言だと思っていたが、どうやら俺に話しかけていたつもりらしい。 新聞を折りたたみ、彼女の勝手に開始した会話をしようと試みる。


「しょうがないだろ、仕事がなければなにもできないんだから」


 都内の小さなテナントを借り探偵事務所なるものを設立するも、まったくと言っていいほど仕事の依頼がない。

 今までに来た仕事と言えば浮気調査や犬の捜索願といったようなものばかりでイメージしていたものと全然違っていた。


「せっかく事務所を立ち上げてあげたのに仕事放棄なんて、あんた私にそんな口聞けるの? だいたいあんたは呼び込みとかもろくにしないで毎日毎日ダラダラとして」


 耳にちょうど良いくらいの雑音が入ったところで説明しておかなければならないだろう。


 彼女の名前は月島 アリス。

 海外でも有名な会社の社長令嬢らしいのだが、親から放任されているらしく、お前の未来はお前が切り開けと言われ現在に至っている。

 放任する代わりにお金の問題は気にするなとも言われ好き勝手に暴れまわっているのだ。


 事務所を設立したきっかけは、俺が高校を卒業する際に仕事が見つからないと彼女に相談したことから始まった。

 彼女が社長令嬢だということはわかっていたので、あわよくば有名会社で働けるという俺の甘い考えがすべての原因だった。

 結果は先ほど説明したとおり、放任主義の彼女の親のおかげで俺は見事に彼女の部下一号という立場を手に入れることになったのだ。

 それでも無職という状況(ほとんど無職に近いが)にならなかったことには感謝しているので、できる限りの恩返しはしていこうと思っている。


 そして、俺の名前は日下部——、俺のことはどうでもいいか。

 特に説明することもないただのしがない探偵助手だ。


「ねぇってば!」


 いつの間にか月島が目の前にやってきて、机を思い切り叩いた。

 飲みかけのコーヒーがこぼれそうになるのを間一髪で防ぎ、月島に顔を向ける。


「やっぱりこの名前がいけないのよ、月島探偵事務所だと探偵業しか連想できないじゃない。」


 月島は元々なんでも屋というものをやろうとしていたのだが、そんな職業があるわけも無いので探偵事務所という形をとることにしたのだった。

 それにしても今更そんなことを言ったところでどうすることもできないし、俺なんかがこの状況を打破する術を持っているわけが無い。

 ぶつぶつと文句を言いながらドアの入り口にある受付に戻る。


 彼女は事務所の創設者でありながらなぜ受付なのかと前に聞いたことがあるが、月島曰く「事務所に入っていきなりあんたみたいな死んだ魚を見るより、私みたいな芍薬や牡丹、百合の花が似合う女性の方がいいじゃない」と、たしかに当たってはいるが納得のいかない返答をされてしまった。

 曲がりなりにも社長令嬢という立場上社交性もあるし、外見も学園のアイドルぐらいには整っているので、悔しいがそれは認めざるを得ない。


 俺が新聞を読み終え休憩でも取るかと伸びをすると、それを阻止するかのごとく電話が鳴り響いた。

 どうせまた勧誘の電話だろうと席を立つ。

 月島を俺と同じ考えだったようで生臭な態度で電話に出る。


「は~い、月島探偵事務所です~。勧誘なら間に合ってますよ~」


 接客態度のなってないことには目を瞑り、俺は事務所を後にした。

 階段を降りようと踏み出すと、背後から追い抜くように月島がやってきた。


「どうしたんだ? トイレなら逆方向だぞ?」

「私をあんたと一緒にしないで、それより早く行くわよ」

「どこにだよ! 買い出しならこの前行ったじゃないか」

「あぁ~!! もういいから早く!」


 俺の服を引っ張り、連れて行こうとするのを何とか食い止め、何処へ行くのか聞くと満面の笑みでこう言った。


「仕事よ!」



*****



 思えば俺の日常はここから変わったのかもしれない。

 世界というものが、かくも怪奇で満ち溢れていることを。

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