11.敗者無き戦い

「は? なんや? 旦那、何言うとるん?」


 ユエに立ち並ぶ俺を見て、柳は呆気に取られた顔をしながら、もっともな質問をしてくる。

 因みに、ユエは俺の隣で口をパクパクさせて言葉が出ないようだ。金魚かお前は、食い物なら後でくれてやるから、大人しくしていてくれ。


「俺も参戦すると言ったんだ」


 ふんぞり返ってこの戦いへの意思表示を行う。我ながらまるで阿呆のようだが、それこそが正解だろう。なにせ、決して正しい判断ではないのだから。


「あー、そうか参戦希望、と。アホか!! 何考えとんねん! 邪魔や邪魔! 旦那にちょこまかされたら、やり辛いやろが!! 一撃で死ぬくせに、殺してもうたらゲームオーバーな邪魔キャラが入ったようなもんやないか!! 引っ込んどれ!」

「ほう、いい事を聞いたな。何が出来るか分からんかったが、居るだけでこちらが有利と見た。いいぞ、実にいい。絶対に引くものか薄らトンカチめ。ものの見事に貴様の足を掬い上げてやる」

「辛辣ぅ! なんやの自分!? 命を軽く見すぎやろ! 事故ったら死ぬで!?」


 ああやはりと、思わず笑ってしまう。か。こいつは真っ直ぐ過ぎて、自分の考えやらを隠し切れないのだ。


「事故ったらだろ? 基本は殺す気がない、殺したくないって事だ。なら、赤信号を無視するのより安全だろうよ。その甘さ、付け入らせてもらう」

「ふむ、なるほどなるほど…救いようのないアホやな。ちょっと、ウサギちゃん!? なんとかしてーな! この旦那、頭の螺子軽く飛んどるんやけど!!」


 悲鳴にも似た訴えを受けて、ユエが正気に戻る。そして、正気に戻ったと同時に、


「だめ…だめ…」


 俺の腕を掴み震えながら、消え入りそうな声を出し首を横に振る。なるほど、お前の必死の訴え、しかと届いたぞ。


「安心しろ、一緒に戦う。お前一人にはしない」

「逆やろ!? 一人にせいっちゅうとんねん! なんなんそのポジティブさ!? 逆に感心するわ!」

「黙れ! 圧倒的能天気女にどうこう言われる筋合いはない! こんな怯えた子犬のようなユエを見捨てろというのか!? 畜生か貴様! 恥を知れ!」

「なんでウチが罵られるん!? あーもー話にならんわ! どないせいっちゅうねん!」


 俺は怒りに任せて柳に言葉を投げつけると同時に、俺の腕に掴まっていたユエを抱き寄せた。うむ、まだ震えているが徐々に収まってきているようだ。頭でも撫でてリラックスさせてやるとしよう。


「ほれ! ウサギちゃんもなんとか言ったってや!」

「ぬくい」

「めっちゃくつろいどるー!? ちょっ! なに旦那にすっぽり包まれて、カンガルーの子供みたいになっとんねん!? あんたはそれあかんやろ!? 旦那は一般人やから空気読めなくてもしゃあないけど、あんたは空気読んでしっかりせな!」

「空気を読めてないのはお前だ阿呆め。なに決闘気取ってんだ、ぬけさくが」

「決闘やから! おかしいんはそっちやからな!?」


 よし、いい感じに場が荒れてきた。上手くいったようでなによりである。ユエの奴が俺に抱きかかえられ、大人しくなるのは予想外だったが結果的によしとしよう。

 さて、どうにかして話を有耶無耶にしなければなるまい。参戦宣言をしておいてなんだが、無血こそこの世の正義なのだ。争いを起こさずしてこそ、真の勝利といえよう。


「はぁ…しゃあないなー。気持ちは分かるんやけど、勘弁してや」


 柳の心底困ったように吐き出された言葉に、俺は心臓を鷲づかみにされた気分を味わう。どうやら、企みはばれている可能性があるようだ。

 しかしながら、引くわけにはいかない。ゴリ押させてもらうとしよう。


「何の事か分からんが、勘弁してくれはこっちの台詞だと言っておこう。この際だからハッキリ言おう、その似非関西弁をなんとかしろ」

「…何のことでっしゃろか?」

「とぼけるな。あんた関西の出じゃないだろ? 妙にはずれてんだよ、あんたの関西弁。京都弁が混じるわ、散々だろうに。何が目的かは知らんが、耳障りだ止めろ」

「ほんま辛辣やな。まあなんや、出自がばれる様な真似は極力避けとるちゅうことだけ言っとくわ。そんで、誤魔化されんからな」


 上手く話題をそらしたつもりが、あちらの方が上手だったようだ。本題へと話を戻されてしまう。


「争いを避けようと道化になるちゅうんはな…なんや、正直好ましい行いや。けどなあ、いくら綺麗に事を済ませようとしても、出来ん事があるんや。旦那の不器用な優しさは受け取る。けど、それとこれとは話が別やねん」


 柳はしっかりとこちらを見据え、決して捻じ曲げぬ意思を持って言葉を口にする。


「そうかい、だったら少しぐらい意図を汲んでくれてもいいと思うんだがな。まったく、頑固者は始末に終えん。始末に終えんから、さっさと下がってくれるとありがたい」

「せやから無理やって言うとるやろが。旦那が争いを避けたいのと同じや。ウチにはウチの矜持がある。せやから引けん」


 そこまで言うと柳は大きく深呼吸し、


「そっちが下がれ」


 重圧を持った言葉と共に、淡く細かい光の粒が柳を包み込む。

 その光が消えたかと思うと、一陣の風が吹き、袴が消え、忍び装束のような衣服の上に、先ほどと変わらぬ鎧が乗っかっている服装に変わる。


「馬鹿な…」

「なんや、旦那は転身見た事ないんか? すごいやろー? こうな、バーっと服が変わって――――」

「服が変わるという事は、先ほどまでの珍奇な服装は普段着ということなのか? 何たることだ、正気の沙汰ではないぞ」

「そっちかいな!? いや、ちゃうからな!? あんなん普段から着とる訳ないやろ!? 待機モードやっちゅうねん! そっちのウサギちゃんかてそうやろ? 隙さえあれば話の腰を折ろうとしてきおるな。ほんま、勘弁やで」


 またもや失敗のようだ。いい加減、話を有耶無耶にしようとする事を諦めた方がいいかもしれんな。


「まったく、ほんまに勘弁やな。戦わずに済む方法はこっちから言うとるちゅうのに」

「は?」


 今こいつ何を言った? 戦わずに済む方法は言ってある?


「どういう事だ。説明しろ」

「言うたやろ? そっちが下がれって。つまりや、尻尾を巻いて逃げや言うとるんや」

「は?」


 なんだこいつ、意味が分からん。ここで仕留めると言いながら、逃げれば見逃すだと?


「あー、ちょいと説明不足やったか。ほんなら言うわ。逃げる言うたんは、今この場の事だけやない。全てから逃げるなら、命がけで互いの命を守るちゅうんなら見逃す言うことや」


 その言葉を聞き、俺は柳の言いたい事を瞬時に理解してしまった。

 全てとはつまり、


「名前も、土地も、縁も、あんたら二人の命以外全てや。そんだけするなら、こっちも折れるわ。愛か情か分からんが、命がけでそれだけ持っていくならやけどな」


 本当に全てを捨てろということなのだ。


「そうか、どういう心境の変化だ?」

「最初から決めとるだけや。ウチの信念より価値があると感じたら、自分をへし曲げるってな。ま、気にいらなせんけどな。さて、どないする? ウチは負けてやってもええ言うとるつもりなんやけど」


 つまり、このまま全てを保って生きるならば戦う、全て捨てるなら見逃がす、という事だ。なんて極端な奴だ。

 冗談のように聞こえるが、確実に本気だろう。


「あんたらの道は二つや、戦ってウサギちゃんが死ぬか、逃げて勝つか。あんたらが降参して、命だけ持って二人で生きてく言うなら見逃すわ。愛や友情や青臭くも、まっとうな人間らしい正しい営みや。あんたらは正直気にいっとるし、それはウチの信念曲げるだけの価値がある。ウチはな自分に正しくあらなあかんのや。決めたことはきっちりと、な。やると決めた以上、ウサギちゃんには死んでもらう。ウチの信念曲げたるだけの価値が見えな、それは絶対や」


 絶対に譲らないと、柳は意思表明するがごとく一歩前へ出る。あまりの威圧に、思わず体が逃げそうなるのを意地で押さえ込む。


「最後に言うたるわ。逃げる事は恥やない。この場に限っては勝ちや。逆に言えば、それ以外は負けや。さあ、どっちや?」


 俺は正直な話、どうすべきかと頭がわずかに混乱していた。

 選択肢を与えられてしまった故に、それに従わなければいけないという強制力が働いてしまっているからだ。それは有無を言わさぬ柳の言葉と威圧を携え、俺から思考の正常を奪っているのだ。


(どうすべきだ? 勿論、全てを捨てるなんて御免だ。だが、あの柳にユエは戦って勝てるのか? 勝負がどうなろうと、あいつはユエを殺しきるような嫌な予感すらある。なら、やはり戦わせる訳にはいかない。だが、どうする? 選択は…違う、柳の二択を頭に入れずに――――)


 なおも思考は混迷を極め、額に汗が滲む中、


「お兄ちゃんは逃げない。だから、戦う。私が戦う。お兄ちゃんからは何も奪わせない」


 俺の腕からユエはゆっくりと離れ、柳と同じく一歩前へと足を踏み出した。

 そして、ユエのも柳と同じく光に包まれたかと思うと、


「私が渡す。私が委ねる。与えるなら私。それだけは絶対だから」


 服装が変わっていく。

 光が消えるとそこには、さきほどまで着ていたの黒いレオタードに似た服装に、腕や足など全身に幾つもの白いベルトの様なものを巻きつけたユエが、今まで見たこともないほどの怒りに満ちた表情で立っていた。


「なんや、怒れるんかいな。こないだから、表情一つ変えんと、ほんまに作り物なんや思とったけど…はは、ほんまやり辛いわ。まったく、因果な商売やな!」

「どうでもいい。お兄ちゃんに近寄るな」


 その言葉は俺を思っての言葉だったのだろう。だが、


(何だ今の悪寒は!?)


 それは、どこか狂気染みたものであると俺は恐怖をもって感じ取っていた。


「出でなさい不炎『麗』」


 ユエが冷たい声で、吐き捨てるように何かを口にした瞬間、


「なんだ…あれ?」


 ユエの頭上に黒い虚ろな穴が出現する。

 それは黒く滲む様な輝きを放ちながら、主の命を待つように静かに佇む。

 そして、


「さあ――――空から月が降りてくる」


 ユエが冷たく言葉をつむぐと、


「兎…なのか?」


 それらは、ユエの頭上に空いた穴からポロポロといくらも産み落とされ始めた。

 大小無数の色とりどりの兎。小さいものは十センチほど、多きいものは一メートルをゆうに超えている。

 色は赤白青緑黄黒紫など、一メートルを超える兎はそれぞれ一種類ずつおり、同じ色の小さい兎を束ねるようにして、群れを成していく。

 奇妙な光景であった。いつの間にか空には黒い穴が開いており、そこから兎が生み出され、地面を埋め尽くさんばかりに、なおも増え続けているのだ。


「ひーふーみー…」


 柳はそんな異様な状況を慣れているとでも言うように、何一つ変わらぬ態度で兎を数え始める。


「七種か。残念やったなウサギちゃん。満月やったら、どう転ぶかわからんけど、そんだけやったらウチの勝ちやな。ほんなら――――」


 柳はそこで言葉を止め意地悪く笑うと、腰を低くし、まるで抜刀でも行うような体制をとり、


「ちょいと、試してみよか!!」


 何かを払いのけるように、腕を振りぬいた。

 音もなく、風なども吹かない。見たとおり腕を振りぬいただけ、だというのに、


「っ!」

 

 ユエを守るようにして、白い小さな兎が何匹も吹き飛び、そのまま光の粒子となって消えていった。


「なん…だ?」


 何が起こっているのか、まったく分からなかった。いや、意味すら分からない。

 ただ、目の前でユエの出した兎が吹き飛んだとした認識できなかったのだ。


「やっぱ、もろいな。せやったら、数が足りんのは致命傷やろ。もう一度言うで、そんなんやったら逃げや。次にウチが抜いたら、もうどうしようもないで? ほら、今のうちやて」


 抜いた…? 今、柳は抜いたといったのか? 何も見えなかったというのに、何かを使ったというのか?

 ここに来てようやく、柳が俺が戦う事は有り得ないと言った意味を理解する。


(こいつはどうにも…いや、弱気になるな)


 思わず弱気になった自分を叱咤し、前をしっかりと見る。


「引かない。絶対に」

「話にならんな。なんや、自分なんでそんなにブチ切れとるん?」

「お兄ちゃんから奪おうとしたから」

「ああ、そうかいな。はん、歪やな。そうせざるを得ないと作られた故に、か。哀れなもんやな」


 言葉とは裏腹に、喉を鳴らし笑いながらの言葉。どうしてか、俺はそんな柳の様子に腹が立って仕方なかった。


「分かるわ。前世もんは、多かれ少なかれ過去に引きずられる。まあ、ウチは完全な生まれかわりっちゅう訳やないから、薄いけどな。でないとはいえ、あんたはそう定められた生き物や。自身を犠牲にする事が優先事項のな。なあ――――」


 柳が薄っすらと悪戯を仕出かす悪がきのような笑顔を浮かべると、


月兎げつとちゃん」


 楽しそうに、そう口にした。そして、その途端、


―――――パリン


 ガラスの割れるような音が大きく当たりに響いた。


「どう…して」

「大当たり~、ってな。これで魂固定されてもうたな。ほんなら、もう逃げられへんで? 案の定、これが切り札やったか。肉体死んでも、魂が潰れな戦えるってか? これで、もうあかんけどな」


 この二人はいったい何を話しているんだ? いや、それよりもだ。


「なんだ…今のガラスが割れるような音は?」

「前世が当てられた音や。前世持ちはな、魂が揺らいどるさかい、死んでも魂のみで行動出来たりする場合があるねんな。修物なんてもの、そんな魂が原料やったりするんやで? せやから、後腐れないようにってしっかり相手の正体定めて、叩潰さなあかん。遺恨は残せば腐りよるからな」


 完全に理解したわけではないが、前世を当てなければ倒し切れないという事だろうか。しかも柳の言葉が真実であれば、それがユエの切り札だというのだ。それがなくなった今、ユエは益々不利になったということだ。


「本来は確実にいた人間が前世になり得るんやけどな、ウサギちゃんは特別なんや。無理やり型にはめられた、いわゆる人造前世持ちや。せやから人間でない御伽噺の生物が正体っちゅうわけや。他からは分からず、組織としては月兎なんて献身の塊みたいなもんやし、扱いやすいちゅう訳やな。つまり扱いきれんようなったら、全部他に教えてポイや。酷い話やと思わへん?」

「…そうか」


 求めてもない説明のおかげで、おおよその事は分かった。非常に気に食わないが、そういう事もあるのだろう。ああ、そうだとも。そう、そういう酷く最悪な事はあるのだ。

 そうだ、そして最悪な目にあった人間は、


「そう、私はどちらにしても人間じゃない。だから大丈夫。お兄ちゃんは気に病まないで」


 自分を慰めるように、こんな聞くほうがつらいような事を口にするのだ。

 ユエは善人だ。俺が確実に保障できる。だから、本気で自分が死ぬ事よりも俺がわずかでも傷つく事を嫌がるのだ。

 例えそれが、柳の言うように前世の性質に惹かれたものだったとしても、ユエから生まれたものである事には違いない。

 ならば俺は――――


「…ああそうだ。大丈夫だ」


 俺の低く掠れた言葉を聞き、ユエが微笑み柳が眉をしかめる。俺はその様子を見て、思わず微笑んでしまった。


「なんや、拍子抜けやな。ま、ええわ。やりやすくなっただけやし。ほんなら」

「うん、やろ――――え?」


 ユエの言葉を遮るように俺はゆっくりと、柳へと向かい前へ出た。


「なに、してるの?」


 ユエの唖然とした声が背後から聞こえてくる。

 だが立ち止まらない、立ち止まる訳にはいかない。


「なんや、またかいな」


 柳が心底嬉しそうに、文句をつけてくる。

 腹が立つことのこの上ないが、いいだろう今は許そう。色々と教えてくれたお礼だ。


「お兄ちゃん…なんで…」

「大丈夫だ、ユエ」


 消え入りそうな声だった。そんな声を出させてしまった事を俺は恥じよう。


「一緒に戦うなんざ言わん」


 だが、それを恥じてなお、


「俺が戦う」


 やらねばならない事がある。


「戦う…戦う、か。呆けんなや。その選択肢はあらひん」


 柳の言うとおりだ。俺が戦うことなど本来はできない。だが、


「いや、それが最善だ。勝てないかもしれないが、絶対に負けがない。これ以上の事はないだろうからな」

「へえ…なるほど、な。言われてみれば、その通りや。ウチは旦那を殺せない…ちゅうか殺さない。死ぬっちゅうんが絶対的な敗北と仮定した場合、確かに負けはない。けどなぁ、なんや燃えひんわ。つまりや、受ける理由がない。勝つ気のない勝負なんて、なにがおもろい―――――」

「阿呆が」


 だらだらとくだらない事をしゃべり続ける柳の言葉を遮る。まったく、こいつは人の言葉を聞かん奴だ。


「誰が負け戦をすると言った?」

「は? ちょっ、何? まさか、勝つ気なん?」

「当然だ」


 目を見開き心底驚いている柳を、当たり前の事を聞くなと鼻で笑う。戦うといった以上、負ける事を考える馬鹿がどこにいるというのだろうか?


「嘘やろ…義之の旦那、本気でウチに勝つ気満々やん。どこをどうすれば、勝てるっちゅう発想になるんや…」

「こう見えて空手とボクシングを嗜んでいてな。それに、負けられん理由がある俺は、今まで一度も負けた事がない。故に勝つ」

「へえ…どういうことやろか?」


 俺の言葉に柳は興味を示す。どこか嬉しそうにしているの気に食わないが、自身に言い聞かせるためにも、俺は全てを言葉にすることを決めた。


「全てを捨てろと言ったな。それは不可能だ。俺には帰らなければいけない場所があるからな」


 清美、九音、萩の事を思う。ああそうだ、あそこには帰らなくてはならない。


「だが、戦えばユエが死ぬ。恐らく死ぬ。それも不可だ。死なせたくないと思った以上、対策をとらねばならない」


 ユエが死ぬなど持っての他である。従って、戦わせる訳にはいかない。


「ふむ、無茶苦茶やけど、それが旦那が負けれん訳か」

「それだけじゃねえよ。柳、あんたもだ」

「ウチ?」


 言うかどうか迷っていたが、この際である全てぶちまけてやろう。


「何度も警告して逃がそうとしやがって、殺したくないなら、殺すな阿呆が。よって、あんたにユエは殺させるわけにはいかない」

「は?」


 俺の言葉があまりにも予想外すぎたのか、唖然とする柳。してやったりである。


「え? なんや…それ? 殺すなって…ウチの事まで気にしたんか? そっかぁ…そうかぁ」


 どこか上の空な様子で一人首をこくこくと上下に動かし、納得したような動作をすると、


「敵も味方も、全部気持ちを拾いたいんやな。独善やでそれ。しかしまあ、素敵な話や」


 目を細め、本当に優しい微笑を俺に向けた。どうしてか、その表情に聖母なんて言葉を頭に浮かべてしまい、


「ふん、黙って聞いていれば、ぐだぐだと自分語りしおってからに、挙句それに縛られてちゃあ、世話ないってもんだろうよ。さっさと、その変幻自在な信念を捻じ曲げろ。今この場で俺が一番賢い判断をしているんだ、従えのろま」


 思わず悪態を吐いてしまう。

 我ながら不遜態度であると思う。だが、これぐらいでなければ、柳に啖呵を切る意味などない。


「っ――――はは。あはははははっ!!」


 押し黙っていた柳が突然笑い出す。気でも触れたかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。なにせ、


「縛られてちゃあ、世話ないか。まったくや。長い事やってるんで、そうでもせんと収集つかんくなるさかい、自分で決めたんやけど…ついに言われてもうたか」


 その目は優しく、どこか遠い日を眺めるように穏やかであったのだから。

 そして、その瞳の色がゆっくりと力強いものへと変わっていき、


「義之の旦那! ええわ曲げたる! やろか! 今すぐやろか!! 依頼も矜持も関係あるかい! 旦那みたいなドアホと戦う機会なんて、今後あるわけがない! せやから乗ったる! あんたの阿呆にはそれだけの価値がある! 全力で旦那の優しさに馬乗りでいかせてもらおか!!」


 ついに、ユエではなく俺をしっかりと見据え、腰を下ろし闘う構えをとる。

 俺は心の中で、一言柳に礼を述べると、拳を構え迎撃の態勢をとる。


「先に言っておくけど、殺さん言うても、戦うと口にしたんやから、しばらく再起不能にはさせてもらうで。加減はしたるさかい、骨の一本や二本は覚悟しいや!」

「こっちの台詞だ慢心女。女だからと加減はしない。肋骨をへし折ってやるよ」

「待って!」


 臨戦態勢に入った俺と柳をユエが必死の形相で止めに入る。


「意味が…意味が分からない! なんで兄ちゃんがそんな事!」

「じゃかしいわ!! なんでやないやろ! あんたを守りたい言うてるやんか! 男が意地も命も情も、なんもかんもかけて立とうちゅうんや! 黙って守られとけや!! 第一、もう止まる訳ないやろ!! 引っ込んどれ!!」

「戦いになんてならない!」


 ユエは焦りながらもグサリと全力で正論を放ってくる。わずかに傷ついたが、いいだろう。その認識はある意味正しい。目にものを見せてやる。


「んー…冷静になると、その通りやな。よし! そんならウチの前世を当てても勝ちでええわ!」

「はん! なめられたものだな! わざわざ墓穴を掘るとはな阿呆め! その余裕が命取りだ!」

「ぬかせ! 秒で心が折れてもうたら、つまらん言うことや! せいぜい気張れや!」

「どうし…て。なんでこんな…。こんな事に…」


 売り言葉に買い言葉。言葉の殴り合いの最中、ユエが絶望したように膝を突く。いつのまにか、ユエの頭上に出現していた黒い穴は消え、ウサギ達もいなくなっていた。


「私が…私が戦わないと…嫌だ…こんなの」


 放心したように途切れ途切れで言葉をつぶやくユエ。

 『月兎』と柳はユエの前世を呼んだ。さわり程度であるが、その昔話の顛末を俺は知っている。

 神の為に身を焼いた兎の物語。与えられるものがなかったから、体を差し出した自己犠牲の極地。だとすれば、その意思を受け継いでいるユエの今の心境は計り知れないものだろう。

 だが、ユエは一つだけ勘違いしている。


「ユエ、そんな顔をするな。俺は何一つ投げ出したりしていない。何一つ奪われることもない。ユエ、俺は――――」


 俺が柳に挑むのは、


「――――得る為に戦う」


 自身の願いを叶えるためなのだから。

 無くしたくないものがあった。無くせないものがあった。だから、俺は無謀を敢行した。

 家にいる者達への情を失いたくない。人のためにしか戦えない少女を守りたい。ついでに、本心を隠し続ける嫌悪すべき愚か者も助けてやりたい。

 全てなしとげようとするなど綺麗ごとだ。でも、それを求めて何が悪い。綺麗ごとを未来へ繋げて悪い事などあってたまるものか。

 だから、全ては俺の我侭なのだ。

 つまり、


「お前に何かを差し出せれたら、俺の願いは叶わない。頼む、見ていてくれ」


 これはもう俺の戦いなのである。


「よう言った。ウサギちゃんは手を出さんといてや。ウサギちゃんが何をしようとも、ウチは旦那と戦う。せやから、下手に茶々入れてみ? 万が一になってまうかもしれへんからな。ほんなら――――」


 ユエに手を出さないよう釘を刺すと同時に、


「―――あとは神仏にでも祈っとれ!!」


 腰に二メートル近い刀が出現する。


(あれが、ユエの兎を蹴散らしたものか!)


 視認できると、どうにかなるのでは思えてくるから不思議だ。

 しかし、隠していたものを出して来たという事は、


「さて…のらりくらりと、やってこか!」


 あちらが仕掛けてくるという事だ。

 刀に手をかけ抜刀の構えのままこちらへと走ってくる。

 

(思っていたよりも早くはない。やはり手を抜いているな)


 見えるし追える、明らかに俺が戦える範囲まで力を抑えているのだろう。

 だがしかし、


「ん?」


 俺は思わずそれを見て、ほくそ笑んでしまった。

 柳は俺の様子を見て、勘が働いたのか速度を緩める。

 恐らくは、こちらに何か策があるとにらんだのだろう。

 だがしかし、それはまったくの間違えである。

 何故ならば、最初から俺は真っ向勝負を行うつもりであったのだから。

 故に、俺は腕を組み漫然たる余裕を持って、


「宮本武蔵!!」


 俺の表情を見て怪訝そうな顔を浮かべながらせまりくる柳にそう言い放った。


―――――パリン


「は? え?」


 ガラスの割れたような音が盛大に鳴り響き時が止まる。

 柳も足を止め、何が起こったか分からない様子で仁王立ちしていた。

 そんな中、俺は一人勝ち誇ったように笑い、


「俺の勝ちだな」


 高らかに、自らの勝利を口した。

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