6.変態な変人とガラパゴスの王

「ただいまー…」


 ガラガラと玄関の引き戸を開け、なるべく音を立てないように中へと入る。こそこそとしているのは、清美に見つかると絡まれそうで面倒だからだ。

 居間の方から、楽しそうな声が聞こえてくる。どうやら、皆そろって居間で和気藹々と過ごしているようだ。

 俺はホッと一息吐くと、その輪に混ざろうと靴を脱ぎ家へと上がり、


「おーかーえーりー…」


 玄関に一番近い部屋から顔を半分恨めしそうに覗かせた清美と目が合った。なぜか清美の髪型がストレートのロングから、外国の女王のごとく後ろ編みへと変貌し、見た目ショートヘアーになっていたが、それに突っ込む余裕は今の俺にはなかった。


「怖っ! 驚かせるんじゃねえよ! そんな所でなにやってんだ?」

「義之が帰ってきそうな気がしたから、隠れて待ってたのよ」.


 なんという野生の勘。もはや超能力といって過言ではないほどである。


「出迎えご苦労。それじゃあ、中に入って―――――」

「どーこ行ってたのん?」


 朗らかな笑顔で、猫なで声を出しながら俺に清美はそう聞いた。気がつけば、距離もつめられている。俺は、笑顔と裏腹の逃がすつもりのない清美の行動に恐怖を覚えた。


「どこへって…鎌倉駅まで、だ」

「買い物?」

「そうだ。ちょいと必要なものがあってな」

「その割には、手ぶらだけど。何を買ったのかしら? うふふ」

(こっ…怖っ! なんだこの、得体の知れない追い詰められていくような、漠然とした恐怖は!? いや、前にも体感したことがある! あれは、向こうにいた時の…馬鹿な、同じな訳がない! しっかりしろ俺!)


 断言して言おう、俺は完全にビビっていた。かつて友人だと思っていた女子に、追い詰められた時のトラウマが再発しようとしていたのだ。

 だが、清美にかぎってそれは有り得ない。なぜなら、奴はレズだ。そう思うと、いくらか俺は冷静なれた。

 落ち着きを取り戻した俺は、清美をしっかりと観察する。表情は硬く、目は真剣味を帯びている。ああ、この表情は覚えがある。


「…心配かけてすまん」

「! …別に、言われるほど心配してないわ」


 気まずそうに顔を逸らす清美を見て、俺の謝罪は間違っていなかった事が証明される。

 俺はふと、自分が同じ状況に立たされた時の事を考えた。


(そりゃそうだ。心配するわな)


 清美に詰め寄る自分を想像し、思わず笑ってしまった。俺はもう少し周りに目を向けるべきなのだろう。

 そして、ユエとの会話で決めた事を今こそ実行すべきだと腹を決めた。


「ユエと…この前、萩と戦っていた黒髪の少女と会ってきた」


 俺が素直に自分のしてきた事を告げると、清美は、えっ、と短いが驚嘆を表す言葉を漏らし目を見開いた。


「うわぉ…驚いたわ。義之、意地でも隠すと思っていたから」

「隠すつもりだったさ。だが、思うところがあってな。もう少し、歩み寄るべきだと…なんだ…その…まあ、そういう事だ」


 言いたい事は多々あったが、ここぞと言う所で羞恥心が邪魔をする。しどろもどろになってしまったが、清美の事だニュアンスで感じ取ってくれ―――――、


「義之がデレたっ!!」


 感じ取ってくれたようだが、不可解な発言が飛び出してきた。


「デレた? 聞きなれない単語だな。何の事かは知らんが、恐らくはお前の勘違いだろう。お前はアレか? 散々話せだの言っておいて、素直に話せば奇妙なレッテルを貼り付けようとするのか不届き物め。何の事かしらんがな。不愉快だ、実に不愉快だ」

「うわぁおっ! デレっデレだわ! 何があったの義之!? 偽者!? 偽者なの!? 二十面相なの!?」

「人の話を聞かんか! やっ、やめろっ! 触れるな! 人の顔をこねくり回すんじゃない!」


 清美はその場で踊りだしそうなほど、手をアワアワと振り回すと、突然俺の顔に掴み掛かり、無礼なまでに顔をベタベタと触ってくる。

 この女、図に乗りやがって。俺は復讐すべく、清美の両頬を抓るとそのまま思いっきり引っ張り制裁をくわえる。


「あだだだだっ! ちょっ! 義之本当にどうしたの!?」

「どうしたもこうしたもない! お前こそ何のつもりだ!」

「だって、おかしいもの! 義之が家を出てからの短期間で、今までのわかり易い線引きがなくなってるじゃない!」

「えっ?」


 思いがけない言葉に、俺は清美の頬から手を離しよろけてしまう。


「…何の話だ? お前は妄言がすぎるぞ。少しは自重しろ」


 血の気が引いていくのが分かるが、ばれないようにと精一杯に虚勢を張ろうとして、


「あ、まずそれね。「お前」と「あんた」をしっかり使い分けているじゃない。まあ、今回は今まで突っ込みを入れる以外に、私に必要以上に触れていなかった事を言いたいんだけど…え? ちょっと、義之大丈夫!? 顔真っ青じゃない!?」


 足元からガラガラと何かが崩れていくのを感じていた。俺の線引きは全部ばれていたのである。

 他人とのコミュニケーションにおいて、自分が深入りしないようにと定めたボーダーが完全に把握されていたのである。

 屈辱を通り越して、呆然であった。


「まさか…バレてないと思ってたの? 嘘でしょ? あんなに露骨にやっておいて? 義之の居ない間に、みんなでその事について話してたぐらいにはバレバレなのに?」

「お前達、俺の居ない間になにやってんだ!?」

「どうして義之は馬鹿みたいにお人よしで、情に厚いのに必死にそれを否定しようとしているのか、っていうのが今日の議題で―――――」

「待てっ! 俺が悪かった! もういい、精神が持たん! やめてくれっ!」


 どうやら家でも知らない間にヒソヒソされていたらしい。俺心はズタボロであった。有り体に言って死にたい。


「…よし、家を出よう」

「何とち狂ってるのよ!? ここ義之の家でしょ!? 逆よ、逆! 私達を追い出すほうを選びなさいよ!」


 肩を捕まれガクガクと揺すられる。


「うるさい馬鹿女。こちとら今すぐにでも出て行きたいんだよ…」

「うわーぉ、どんだけナイーブハートなの? こっちが情けなくなるから、しっかりしなさいよ」

「うっさいわ阿呆。ああくそっ! もういい! ウジウジしてどうなる事ではないしな! こうなりゃ自棄だ! お前ら覚悟しておけよ! 気になった事は何でも踏み込むからな!」

「義之、顔真っ赤よ」

「ほっとけ!」


 指摘され、顔が真っ赤である事に気がつき、俺は清美に背を向けた。一大決心から、とんだ大恥である。


「義之」

「…なんだよ」


 清美に呼ばれ、ぶっきら棒に返事をする。その後言葉が続かない事を考えると、自分の方を向けと言う事なのだろう。

 俺は死ぬほど嫌であったが、清美がそこからどこうとしない以上、居間に行くために顔を合わせる羽目になる事が分かっていたので、素直にまだ赤みが引かぬ顔を清美へと向けた。


「よろしくっ」


 俺と目が合った瞬間、清美は親指をピンと立ててサムズアップすると、俺に向かって不可解な言葉を投げかけた。


「なんのつもりだ?」

「挨拶よ。義之の隔たりがなくなった記念に、しっかりしておくべきかなーってね」


 ああ、そういえば、なし崩しに家に居つかれ、挨拶もろくにしていなかった事を思い出す。色々酷かったからな、こいつとの出会いは。

 それなら、こちらもしっかりと答えるべきだろう。


「まあ、なんだ、改まって言うのもなんだが、よろしくな。あまり面倒事をかけてくれるなよ」

「前向きに検討させていただきます」

「どこの政治家だ。まったく検討する気ねえだろお前」

「さあ? どうかしらね? どうかしらね~」


 この女、腹が立つほどご機嫌である。くるっと回転するように俺に背を向けると、鼻歌なぞ刻みながら、居間へと戻ろうとしているようだ。

 一連の出来事を終え、冷静を取り戻した俺は、自分が受けた仕打ちと清美の機嫌のよさを照らし合わせ、理不尽な怒りを覚えていた。


(気に食わん。何が一番気に食わないって、やられっぱなしのまま引き下がろうとしている今の状況が一番気に食わんぞ。今すぐにでも、同じだけの恥辱を清美にお見舞いせねば、収まりがつかん)


 言ってしまえば逆切れのようなものだが、そんな正論は俺には通じないのである。清美の奴を火あぶりにせねば溜飲が下がる事などありえない。

 俺は必死に何かないかと清美の様子を探り、いったん横に置いて放置していた疑問をぶつけ、何かしらのアクションを期待する事にした。


「それより、その髪どうしたんだ?」

「あらやだ、強引な話題変更だけれど答えてあげるわ。九姉(ここねえ)にセットしてもらったのよ」

「ココネエ…? あっ! まさか九音の事か!?」

「うふふ、義之がいない間に女子勢は仲良くなってるのよ。それはもう、スールの誓いを立てるほどにね」

「ほう、それは結構。で? どんな魂胆だ?」

「うふふ、九姉はぽわぽわしているから妹という立場を利用して、生乳を揉むのよ。あの鉄壁長袖も、妹の頼みとあれば―――――」


 ご機嫌な様子で、自らの下心を晒し切った清美は、ふと我にかえると俺の顔を呆然とした表情で見つめ、


「…先っぽだけだから、セーフっ!!」


 真剣な顔で、俺に自身の潔白を言い放ったのだ。清々しいほどのゴミっぷりであった。


「何が先っぽか! 全部駄々漏れだレズ豚! アウトだ! アウト! お前は本当に気持ち悪いなぁ…。他人を姉だの妹だの突然呼び出すなんざ、狂気の沙汰だぜ?」


 ふと、何かいやな予感がしたが、俺は清美に素直な意見をぶつけた。自分の言葉に妙な胸騒ぎを感じたが、俺は何も責められるようなことはしていないはずなので、問題ないだろう。問題ないはずだ、多分。


「人の善意に付け込みやがってからに。お前という奴は、地獄に落ちる覚悟はあるんだろうな?」

「馬鹿ね義之。あるかどうかも分からない地獄に怯えるよりも、目の前のおっぱいよ。うへへ」


 この女、もはや手に負えん。口でなら何とでも言える人間はいるのだろうが、目の前の親父モドキのレズは口にするより先に行動しているのである。

 社会に出て生きる上では重要なスキルかもしれないが、いかんせん変態に与えてはいけないのが行動力というものだ。俺身に染みて、その事を理解するのであった。


「見ていなさい義之。この家に二輪の百合の花を飾ってあげるわ。うふふのふ~」

「おいやめろ! 風紀をみだそうとするな!」


 俺の注意も聞かずに、ご機嫌ステップで廊下を進みながら、ご満悦鼻歌を刻む清美。

 俺は自分の復讐もさる事ながら、この女の鼻っ柱をへし折り、無節操な勢いを止めねばならないと思った。


「ふ~んふ~~んGreensleeves was all my joy…Greensleeves was my delight…」


 だが、どうしたものかと頭を抱える俺を嘲り笑うように、清美の奴は鼻歌をついには口に出し、しっかりと歌いだすほどにご機嫌な様子をいっそう高めていく。


(何かないのか…! しかし、あの鼻歌…グリーンスリーブスとはどういう趣味だ? 鼻歌でご機嫌に刻むものじゃ…いやまて、なんだろうか気にかかるものがあるぞ。あれか? 妙に発音がいい事か? いや違う、違うぞ。…そうだっ!)


 あるではないか、あるではないか! 目の前の女の顔色を変えてしまうネタが!

 俺は静かに微笑むと、今日一番の笑顔を浮かべ、


「ハイ! メアリー! 調子はどうだい!?」


 英語の教科書よろしく、清美ことメアリーさんに話しかけたのだった。先ほどの仕入れた情報であったが、しかしてその威力やいかに。


「っ~~~~~~~~!!?」


 驚嘆と狼狽の色を浮かべた清美が、とんでもない勢いで俺へと振り返る。

 唇を震わせ硬く閉じた口をへの字気味に曲げ、顔を高潮させていく。体は小刻みに震え、今にも爆ぜそうな爆弾のようであった。

 効果絶大である。俺は報復のほどをしかと見届けると、満足とばかりに笑顔のまま頷いた。


「どこで…っ! 義之…どこで! どこでっ!?」


 必死の形相で、俺へと掴み掛かると、肩をこれでもかと揺さぶってくる。もはや主語を入れる余裕もないらしい。愉快だ、非常に愉快だ。完全なる優位とは、この事を言うのである。


「さあな、道を歩いていたら花が教えてくれたんだよ。お前の大好きな花がな」

「静流ーーっ! あの子ね! あの子なのね!? もうもうもう! どうしてあの子は、私を追い詰めることばかりするのよ!」

「愛だろ? 受け止めてやれよ。美少女からの愛なんだ、大好物だろお前」

「うっさいアホ! 苛烈すぎる愛は、毒と同じよ! 私はもっとライトなのがいいの! エロいのがいいのぉ!!」

「はっはっは、なんだこいつ本当にクズだな。愉快な奴め、実に結構なことだ」

「久々に出たわね! その上から目線! 腹立つ! 本当に腹立つ!」


 顔を真っ赤にして地団太を踏む清美。床が痛むからやめろと言いたいが、今日ばかりは許してやろう。負け犬の醜態ほど、心地よいものはないのだからな!


「ぐぬぬぬっ…! せっかくいい気分だったのに、最悪だわ! これはやっぱり、九姉に癒してもらうしかないわね。私のピュアハートを」

「あん? ピューターハート? 青灰色で、メタルなハートか。お前にぴったりだな」

「誰がスズが主成分の低融点合金だってのよ!? まあ、アンティークにすれば優れた美を誇る部分は、ぴったりかもだけどね。うふふ」


 ああ言えばこう言うな、この女は。メゲナイ精神は見事なものだと賞賛してやろう。それにしても、ふと思ったのだが、


「そういや、お前の出身って、もしかしてUKか?」

「!」


 俺の質問を聞いた途端、我が家の床を痛めつける行動を清美はピタリと止め、こちらの顔を驚いた表情で見た。清美の様子から、どうやら俺の予想が当たっていた事が分かる。


「…何で分かるのよ?」

「そりゃ、グリーンリーブス歌ってたしな。あれはUKの民謡だろ? ついでに、ピューターのアンティークと言えばイギリスだ。あて推量だがったが、どうやら大当たりのようだな」

「本当に抜け目ないわね。でも、あんまりあっちでの話はしたくないの。未だに差別激しいし、男はロリコンだし、食事に関心はないし、ろくなもんじゃないわよ」


 清美の愚痴からおおよそ何があったかを察し、俺はそれ以上は追及しない事にした。こいつも案外面倒な人生を送っているな。


「でも、本当に踏み込んでくるようになったわね。それじゃあ、私からも質問。義之はどこの国から来たの?」

「何のつもりか知らんが、弱味を見せる気はない」

「わお! とんだ疑心暗鬼ボウイね! 単純に興味あるだけなのだけど、それぐらいいじゃない。いいじゃな~い」


 どうやら清美の質問は俺へのカウンターを狙ったものではなく、純粋な興味から来るものであったようだ。ならば答えてやろうと、俺は静かに口を開いた。


「ガラパゴスだ」

「ガラパゴス!?」

「正式名称はコロン諸島。エクアドル領だが、ほぼ自治体として機能している。イグアナが闊歩し、大亀が島を支配している美しき島国だ」

「嘘でしょ!? イングランドをUKなんて呼ぶあたり、義之EU辺りに居たでしょ絶対!」


 おのれ清美のくせに、鋭い指摘をしやがるな。

 言うまでもないが、ガラパゴス諸島にいたなど、もちろん真っ赤な嘘である。どうも、俺が居たあの国の事は口にする気が起きないのだ。今となっては、別の意味でも口にするのがはばかられるので、ますます御免である。

 なので、


「嘘なものか。お前アレだぞ? 俺があの島の戻れば、亀どもは迎えに現れ、イグアナは二足歩行をし始めるからな? 鳥なんかは、口からバナナを撒き散らし、向こう半年ほど収穫祭だぞ」

「え? 義之その島の神か何かなのかしら?」


 支離滅裂であろうと、最後まで意地を貫き通させていただこう。


「ええー…流石に…うへぇー」

「なんだ? 言いたい事があるなら口に出せばいいだろう?」

「わお、なんて開き直りなの! もういいわよ、言いたくないならそれで。変な男よね、義之って」


 俺は清美の口から出た言葉に唖然とした。変人に呆れられた様子で、変人だなどと言われようとは。

 糸トンボに、君やせているね、といわれるようなものである。こんな馬鹿な話があるだろうか。


「お前がそれを言うのか!? 稀代の変人が他人を変人などと!」

「はぁ? なによ? 言うわよそりゃぁね! 変人だもの、義之は!」

「倒置法を使ってまで強調するな! 俺は今切り裂きジャックに、人殺しと罵られ気分だぞ!」

「はぁ? こっちだって、チュパカブラにビビッて逃げられた気分だわ!」


 こうして、俺達の不毛な争いが幕を開けた。この数分にわたり、不毛な言い合いが九音が止めに来るまで続くのだが、


「争いは、同じレベルのもの同士でしか起こりません! 二人とも同罪です! めっ!」


 と、九音に叱られたことが殊の外俺にショックを与えた事は言うまでもあるまい。

 我が家にいる連中と距離を縮めると決めたばかりだが、やはり限度は必要なのである。以後留意するとしよう。

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