【エピローグ】



 薄闇がかかったシアターに、クロセは静かに足を踏み入れた。


 時刻は深夜二時。コーディは病院のベッドで眠っている頃だろう。彼女を送り届けると、疲れてベットに戻ってしまった彼女を置いて、その足で舞い戻った――誰もいない、劇場へと。


 チケットには『二十四時間営業中』の文字が、老人特有の達筆な文字で書かれていた。そのことを思い出したのだ。


 チケットブースには人気はなかった。だが、仕切り窓の向こうに金を送り込むと、うつむき加減の事務の女が、無言でチケットをよこした。夜勤のアルバイトは愛想がないらしい。


 劇場の中央で、シートへと腰を下ろす。静寂の中で、再び西部開拓を彩った男達の物語が始まった。


 辺りにこだまする、沈み込むような主人公の声や、女の悲痛な叫び、銃の炸裂音――血湧き肉躍る映像に、クロセの横顔が明滅する。相貌は、一時もスクリーンから離れない。劇場とフィルムの境目を乗り越えて、彼は物語の中へと、何も語らぬ傍観者として、吸い込まれていた。



『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』



 去っていく男の背に向けて、女が叫ぶ。馬の背で揺られる男が、背中で答える。



『この旅はもう、終ったんだ』


 

 この物語はフィクションだ。

 作り物の物語。ありもしない現実。愚にもつかない男の妄想話。



『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

 


 巻き取られたフィルムが、狂った調子で音声を引き戻す。ヘリウムでも吸った薬中ジャンキー戯言ざれごとのように、甲高い声がふにゃふにゃと劇場をあざ笑い、そして、もう一度。 

 


『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』


 

 クロセは台詞を見つめていた。



『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』


『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

 

『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

 

『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

 

『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

  

『永遠にさまようなんて、できないはずよ!』

 

『永遠にさまようなんて






 拍手の音が響き渡った。

 それはずいぶん、大仰な賞賛しょうさんだった。ゆっくりと、そしてわざとらしい程の大きな音で、拍手は繰り返される。


 意識が引き戻された。


 気がつくと、スクリーンの映像はエンディングへと向かっていた。軽やかなカントリーの曲と共に、男と馬が荒野を駆ける。オレンジの陽光に照らされた一人と一匹の影は、しかしすぐに、たった一匹の哀れな放浪へと姿を変える。



「いい映画じゃないか」



 ぶしつけな拍手の音へ振り返る。クロセの眉間には、皺が寄っていた。



「英雄の最後は、こうじゃないとな」



 一番後ろの列、中央の席で玉座のように腰掛ける男が、嘲笑じみた笑みを浮かべていた。

よれたスーツに身を包み、組んだ足からこぼれた微かな砂が、映写機の光に浮かんでいる。下卑た笑みを浮かべる口元。疲れが滲んでくまだらけになった、垂れ下がった目。クセのある赤髪に爪を立て、バリバリと頭をかく。

 バカンスついでに、怪しい商品でも売りつけに来た、詐欺師のような男だった。



「――初めまして、とは思えないなぁ。だろ?」



 馴れ馴れしい態度で、男はくっくと喉の奥で笑いを殺した。



「……お前、誰だ」



 話しかけられる理由もなければ、同意を求められるいわれもない。だがここは密閉された、逃げ場のない空間だった。袋小路に追い詰められたも同然で、クロセはただ、訊くことしかできない。

「ご挨拶だな」

 男は何もかも、わかったようなつらをしていた。




「父親だよ。お前の、な」





    

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