第5場:良い音楽・音質に必要な機器とは……

 オーディオラックの下の段に置かれているのはSACDプレーヤーと同じM社のプリメインアンプで、これもプレーヤーと同じ、癖が無く、中高域に抜けのいい音作りだ。こちらは35万円ほどで買ったが、素晴らしい鳴り響きで山本氏は満足していた。プリメインアンプともなればこれくらいの金額でも相当いいものを手に入れることが出来るのだ。氏も昔は一時こだわって、コントロールアンプとパワーアンプを別々に揃えたオーディオシステムを構築したりしたものだが、ふとした折に足を運んだ某CDチェーン店のオーディオ視聴会で、今氏が所有するのと同じM社のプリメインアンプが使用されるのを聴くと、特に考えることも無しにそれの購入を決め、それ以来セパレートアンプ方式とは離れている。世の本格的なオーディオマニアが多くセパレート方式を取り入れているのは氏も重々承知していたが、両方にいい機器を揃えるとなると金が何倍も必要になるし、置き場所もそれだけかさばる。組み合わせも考え出すときりがない。氏がプリメインアンプの導入を決めたのは全く衝動的な気まぐれによるものだったが、結果としてそういった諸々の頭を悩まされる問題から解放されることにつながりもした。それ以来、氏は機種を買い替えることはあっても、ずっとプリメインアンプ一つで通している。オーディオ誌やCD雑誌に載るオーディオ記事を見るたび、そこで紹介される、聴くことのないセパレート方式のコントロールアンプやパワーアンプの響きに思いをはせることはあっても、行きつくところは自分の今使用しているプリメインアンプの響きに割り切って満足していた。結局のところ氏は、愛するクラシック音楽をそれなりにいい機器のいい響きで聴きたいという欲求を強く持ってはいても、あくまで一般の音楽愛好家の枠内で、生粋のオーディオマニアまでは行かないのだった。


 黒のオーディオラックに上下に並ぶSACDプレーヤーとプリメインアンプの金属ボディは、いずれもそれらを生産しているM社の製品の特徴であるシャープな外観で、その表面がすらりとした筐体の表面に鮮やかな光沢を放つシルバー色は、木を中心とした部屋と調度の作りの、濃淡の茶系統色を基調とした室内の模様の中心にアクセントをつけて輝いていた。これだけ外観が違うと、どっしりとした室内の雰囲気から浮いてしまいそうなものだが、これらの二機は深く身を落ち着けた部屋や調度の重みに負けることなく、ごく自然に、それら周囲の風景と調和して、オーディオラックに並んで据え付けられていた。

 それもその通りで、名門オーディオメーカーに作られたこれら高価な二機は、筐体からその内部構造まで実にしっかりと設計、組み立てられており、それぞれSACDプレーヤーの方は20キロ弱、プリメインアンプの方は30キロ近い重さがあるのだ。いや、これらの機器の表す音質の効果も含めた存在感を考えれば重量という言葉を使ったほうがふさわしいかもしれない。この重さに反映された緻密で頑丈な作りこそがこれらの機器の素晴らしい音質を保証するのだ。


 氏は、トールボーイの両スピーカーの間のオーディオラック上に鎮座したこれらの機器を眺めてまたにんまりと笑いやった。スピーカーのまた外の両側にはるかに高くそびえ立つ、中身がぎっしり詰まった恐ろしい重量の二つの棚が視野に入っても、SACDプレーヤーとプリメインアンプの二つの機器の存在感はいっかな揺らがない。実際にこれらを据え付ける際に、下手にぶつけたり落としたりしないよう慎重に、しかし力を振り絞った氏は、その時触れた手と腕に伝わってきた両者の感触からその頑丈さと、安易に内部品がずれたりしない精巧さを知り、苦労とともに高揚感を感じたものだ。今でもその時の感激を味わいたくて、オーディオラックに据え付けたままながらも、時々表面を触れ撫でて、そのしっかりした感じを手で味わっている。


 子供達――こちらはクラシックを偏愛し、いつもこの部屋で鳴り響かせている父である氏に対する反発からか、およそこのジャンルに興味を示さず、もっぱら現代のロック、ポップスばかりだったが――や、時にお邪魔する会社の同僚や仕事仲間の家でもちょくちょく音楽の再生装置を見、時には触ったが、あれは駄目だ。ちっこいラジカセは論外として、よくセットで数万円で売っているオーディオコンポなど、CDのトレイ部分からして実に貧弱な作りで、指でちょっと押すと簡単にカチャカチャ揺れ動いてしまう。そしてやはり、弱い作りのものはそれ相応の音しか出せはしない。子供達――慧子と隆――にもそう言って、自分がこの書斎で鳴らすほどのものではないが、そこそこのものを買ってやろうかと言ったことがあるが、二人とも、それぞれ自分が持っているプレーヤーを悪く言われて――父が、口に出してはっきりと言いはしないものの、あからさまに彼らが好むロックやポップスに無関心を示すことに対する苛立ちもあるのだろうが――、不機嫌で迷惑そうに顔をしかめて、さっさと氏を追い出してしまった。そして氏はその度ごとに思ったのだ――仕方ない。声も楽器も電気を通してカシャカシャ鳴らした音楽では元から音域や音量の幅も狭く少なく、そこまでの高い音質に対する欲求も湧かないのだろう――と。

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