天使は電磁波の夢を観る

白井鴉

第1話 捨てられ犬と金髪の少女

「オジサン、義孝よしたかやんね? キャノンボーラーの亘理義孝わたりよしたか?」


 喧騒に包まれたバーのなかで、とおりのよい若い女の声がした。

 カウンターで酒を呑んでいた男は、ふりかえりもしなかった。


「人ちがいだ」


 にべもなく切り捨てると、ふたたびジンの注がれたグラスに口づける。


「嘘いわんといて。聞いた話とそっくりやん。ついでに写真とも。ほら」


 相手は立体写真をとりだすと、男の眼前でひらつかせた。

 男はうろんな目つきでそれを見た。彼自身も記憶にある、五年前のスナップ写真だ。

 まだ彼が、誇りと栄光に包まれていた頃の。


「こっち向いてや。うちはオジサンに話してんねんで。そっぽ向いたまんまや、レディに失礼やん」


 義孝は二七歳だ。まだ「オジサン」といわれるほどの歳ではない。淑女レディとは思えぬ失礼な物いいに、義孝は気乗りしない態度で首をめぐらせた。


 ライダージャケットに身をつつんだ、若い女が立っていた。

 義孝と比べるとたしかに若い。まだ十代後半の顔立ちだ。こんなバーにいるのが、ひどく不釣り合いに見える。


 ただし、その容姿の整いぶりはかなりのものだ。


 ゆるくウェーブを描く金色の髪、白磁のようになめらかな頬。切りあがった気の強そうな眉、不敵な笑みを浮かべた淡色の唇。

 生気に満ちあふれ、挑戦的に輝く瞳が美しい。あと数年もすれば、驚くほどの美貌を花開かせることになるだろう。


 義孝の目に、かすかな光がともり――すぐに消えた。


「うちは番匠ばんしょうアーニャ。大阪から来てん。大阪やと、だぁれもうちに勝てへんかったからな」


 アーニャはとなりのスツールへ腰をおろした。

 バーテンダーにヴァージン・メアリノンアルカクテルを注文して、義孝に向きなおる。


「東京やったら、ちょっとはおもろい奴もおるかと思たけど、やっぱり誰もうちに勝たれへん。うち、つまらんわ」

「おまえ、キャノンボーラーか」

「そうや。昔のあんたとおんなじや」


 アーニャはにやりと笑ってみせた。まだ幼さを残した顔に、得意げな表情がひろがる。


「女の子やからって舐めんといてな。うちに勝った男なんて、いままでに一人もいてへんねんから。大阪の男があんまりふがいないんで東京に出てきたけど、こっちの男はよけいあかんわ。大阪やと小学生にも敗けるような阿呆ばっかりや。

 もっとも、小学生は“キャノンボール”には乗られへんけど」


 くくっと白いのどを鳴らして笑うと、身をのりだして、義孝の顔をのぞきこむ。


港外区みなとそとくのMM1でそうゆうたらな、敗けた相手がいいよってん。義孝なら絶対負けん、て。ちょっとは期待でけるか思て来たんやけど……」


 いったん言葉を切って、義孝の姿を上から下まで眺めまわす。


 あごには無精ひげが浮いている。身につけているのは薄汚れた革のジャンパーに、擦りきれたジーンズ。古い革靴は傷だらけで、手入れひとつしていない。


 全身から気だるそうな雰囲気を漂わせ、瞳は焦点が合っているのかどうかもわからない。オジサンと声はかけたものの本当にそうとは思っていなかったが、すでに人生を終えてしまったかのような顔つきだ。


 ありていにいって、ひどいなりだった。


「……まさか、オジサンみたいな腑抜けた相手とは思わんかったわ。何なん、そのやる気なさそうな態度。こんなヘンな男がうちより速いやなんて、人を馬鹿にするにもほどがあるわ。なあ、そう思わへん?」

「話はそれだけか」


 義孝は干したグラスを置いた。スツールから下りると、人を避けながら店の出口へ歩きだす。


「なんや、やっぱり腑抜けやん!」


 アーニャがその背に罵声を放った。


「古株のプレイヤーはたいていあんたのこと言うんや。ちょっとは歯応えのあるやつか思たのに、あっさり尻尾巻いて逃げるんか! 根性なし! おくびょうもん! 腰抜けの阿呆!……ちょっと、なんか返事しい!」


 相手の心に火を点けようと、アーニャは悪口雑言なげつけた。品のない言葉でさんざんののしり、こきおろし、さも馬鹿にしたようにあざ笑ってみせる。

 だが義孝はそれをまるで無視したまま、扉を開けて店の外へと消えた。


 虚しく閉じていく扉をうらめしそうに見つめてから、アーニャはふん、と鼻を鳴らした。


「何なんアレ。見かけ倒しがカッコつけてるだけやんか……なんや、アンタらなに人のことじろじろ見てんの! 見せもんちがうわ!」






 義孝はバスを降りた。

 この停留所まで乗ってきたのは、彼だけだ。最後の客を降ろした都営バスが、モーターを唸らせながらあわただしく走り去っていく。あまり、このあたりに長居したくないのだろう。


 遠ざかるうす汚れたバスを無感動な瞳で見送ると、義孝は夕闇のせまる汚れた道を歩きはじめた。


 人気のない、さびれた街区だった。

 昔は、このあたりには古くからの建築文化財と土産物屋が軒をつらね、国内外から押し寄せる観光客でにぎわっていたそうだ。

 しかしそれも、三〇年前の第二次関東大震災で灰燼に帰し、復興の鎚音も過去のものとなったいまでは、錆びた鉄骨とひび割れたコンクリートの峡谷でしかない。


 かつて、東京復興の象徴とまでいわれた高層マンション群も、その後発覚した大規模な手抜き工事により、いまでは取り壊しの予算を待つばかりだ。


 正規の入居者が全員立ちのき、昏く冷たくそびえるその足元には、LEDの街灯が頭を垂れた葬列のように並んでいる。

 遊ぶものもいない公園では、遊具に錆が浮き、風にゆらいできしんだ音をたてていた。


 代わりに住みついた不法入居者たちが、歩いていく義孝を油断のない目つきで見やる。

 だが、すぐに同類とわかるのか、手をだすものはいなかった。


 うすら寒い夜道をしばらく歩いて、義孝はようやくねぐらに帰りついた。

 放置されたトレーラーハウス。本来の持ち主に不法投棄され、はしっこい近所の連中にタイヤやパーツを持ちさられた廃車が、いまの彼の住みかだった。


 真下を通る送電線からケーブルをつないで、最低限の家電品はそろえてある。キリンを冷やすための冷蔵庫、かつては「向こう側」にいたTVスクリーン。


 なかへ入り、後ろ手にドアを閉める。殺気立って乱暴に閉めたせいで、車体の壁がはでに鳴った。

 明かりをつけて、そのままベッドへ倒れこむ。


 そのまま、ふと、サイドテーブルに目をやった。

 小さな写真立てが置いてあった。

 古くさい平面写真だ。どこかの公園で撮ったものらしい。

 写っているのは義孝と、ひとりの女。やさしそうな笑みをたたえた、愛らしい女性である。

 明るい陽光に包まれたふたりは、肩を寄せあって笑っている。

 女は、どこかしらバーで接近してきた番匠アーニャに似ていた。


 義孝はのろのろと写真へ手をのばした。

 手は写真を行きすぎた。代わりに、となりへ置いてあったウィスキーのびんをつかむ。


 反対の手で、ポケットから薬剤入れタブレットケースを取りだした。十日ほど前に、先刻のバーの一隅で売人から仕入れたドラッグだ。

 もう数えるほどしかない錠剤をひとつつまみ、酒といっしょに飲み下す。

 しばらくのどを鳴らしてから、びんを乱暴に放りだした。


(なにが、キャノンボーラーだ……)


 心に呪咀がよどんだ。


(女め……てめえのせいで、売人を待ちきれなかった……)


 虚ろな目で、梁の入った鋼鉄製の天井を見上げる。

 まもなく薬が効いてきて、視界がぐにゃりと溶けはじめた。

 琥珀色の液体が、床へゆっくりと広がっていった。



    ☆



 かつて、人々の想像のなかで、夢と輝きに彩られていた未来。


 混沌の時代をついに終わらせ、人類に革新とゆるぎない栄光を提供するはずだった二一世紀は、これまでと何も変わらぬ痩せこけた正体を暴露し、人は幻滅と諦念のなかで適応を図るしかなかった。


 破れた「夢」は、いつしか電子回路とアプリに変容し、メッキの禿げた「輝き」は、網膜に投影される計算しつくされた光学パターンに置き換えられていった。


 二〇世紀末からすすんだ情報通信革命と、経済や財貨を軸とする社会的な価値変換。夢と希望の代わりに人々が得たのは、脳髄へ送りこまれる無限のデジタル情報。人々は過剰な情報の海におぼれ、映像と音響との愛欲にふけった。


 西暦二〇四五年、アメリカに本社を置くアミューズメント企業、RAMテクニカル社が発表した画期的アーケードゲーム“キャノンボール”。アーケード用としては史上初のR指定を受けたこのゲームは、それまでのゲームの常識を完全に破壊した“究極の体感ゲーム”である。


 ワンプレイが日本円で六千円という破格の新鋭機はしかし、アメリカや日本のみならず、世界中で爆発的なヒットとなった。


 ゲーム構造は単純だ。一対一のスピードレース。

 対戦者は、特殊な静磁場を発生させるシェルに入り、脳内パルスの受信コイルを内蔵したヘッドセットを介して、ナビゲーションコンピュータと脳を直結する。

 そして、ナビコンと大量の情報をやりとりしながら、相手とのデッドヒートをくりひろげる。


 プレイヤーが駆るのは、電磁気で再構成された、プレイヤー自身の自我である。


 地球上の複数の照射源から放たれた指向性の高いマイクロ波やレーザーが、空中の一点で干渉しあって電磁気の塊を生みだす。そこに、肉体感覚から離れたプレイヤーの意識が一体化することになる。


 彼らの駆けるサーキットは、この世界そのものだ。

 筐体を基点にして、高度や方位、地域などの条件をランダムに設定。“指向する意志”をステアに、“集中力”をスロットルにして、地球上を駆け抜ける。


“キャノンボール”は、人間の「意識」を肉体から取りだし、電磁場に封じ込めた通称「電自我」として形成させることで、精神と現実世界の界面を打ち破ることに成功した“夢の”ゲームシステムだった。


 だがキャノンボールシステムは、プレイヤーによってはICBM並みの速度さえ容易に実現する。かつて、音速のの速度を体感した人間がいただろうか? それは完全に未知の領域であり、人が耐えるには、スピードへの認識があまりにも薄弱すぎた。


 むろん、開発中にテストはくり返されていたが、刺激に慣れすぎた企業内のテストプレイヤーたちとくらべ、この話題の新ゲームに挑戦した一般客は、あまりにも基礎能力や集中力に偏差がありすぎたのである。


 市場投入後の一ヵ月間で、ゲーム中のショック死者、神経障害受傷者の数は三百人をこえた。


 この事故を期に設立された、各国の電子遊具事故調査委員会は、それぞれの長い検証のあと、そろってこう結論を下した。


『実存物と電自我との高速連鎖衝突に精神が耐えきれず、ショック状態をひきおこす可能性大』


 巨額の賠償金を支払えず経営破綻したRAMテクニカル社は、連邦破産法の適用を申請したが、経営を立てなおすことはできずそのまま清算。“キャノンボール”は危険極まりないゲームシステムとして、アミューズメントシーンからは永久に追放された。


 そして十年。

 アーケードゲーム史上最悪の汚点といわれた“キャノンボール”は――



    ☆



 MM1は、熱気と歓声と怒号につつまれていた。

 すり鉢状の観客席に、ドームの天蓋をのせた多目的競技場、通称MM1。

 そのトラックの中央に、“キャノンボール”の巨大な筐体が設置されていた。


 両端にある殻のハッチが開き、勝者と敗者がまろびでてくる。

 勝者は胸をはって立ちあがり、誇らしげにスポットライトを浴びる。

 敗者は、彼に金を賭けた観衆の罵声を浴びながら、闘いの舞台から肩を落として去っていく。


 勝者は、敗者に一瞥もくれなかった。相手の実力は低すぎた。レース前から結果はわかっていたのだ。

 なさけない男たち。


「勝者、番匠アーニャ!」


 筐体へ駈けのぼった司会が高らかに宣言する。歓声のボルテージが最高潮に達し、わっと空気を震撼させる。

 アーニャは拳をふりあげ、客席を埋めつくした観衆の声援に応えた。


 天蓋のすべてを使った大アーチスクリーンに、彼女の輝かしい姿が映った。つづいて画面が分割され、彼女の戦績、新記録、彼女の電自我からフィードバックされたレース画像のリプレイ、日本列島を縦断した今回のレースコースなどがつぎつぎに投影される。


 正面のパネルには、このレースで変動した全キャノンボーラーの順位と、払い戻し金額の表示。

 空間へ投影されたホログラムの妖精たちが、アーニャの頭上を祝福するように旋回する。


(えへへ、どうや? これがうちの実力や!)


 アーニャは、得意の絶頂だった。

 今日のTV中継は一味ちがう。なにしろ衛星回線とネットを使った全世界同時中継である。

 キャノンボーラーとしての実力が、世界を相手に示されているのだ。


 難波でのデビュー戦以来、これで二一連勝。いまやマスコミはこぞってアーニャの不敗神話をうたいつつある。彼女はひどくハイになっていた。


(えへへ、やっぱりこれや、この感覚や! この歓声こそが、うちに送られてしかるべきもんやわ! ふがいない男なんて、みーんなうちの足元に跪かせるんやから!)


 アーニャはジャンプすると、くるりと一回転して地上へ降り立った。歓声がもりかえし、愛敬をふりまく彼女に拍手と声援が送られる。


 ふがいないといえば、おととい会いにいったヤツほどふがいない男もなかった。あの濁った無気力な目をした男が、五年前まで『最強のプレイヤー』などといわれていたなんて! きっと何かの間違いだ。さもなければ、昔のキャノンボール界はよほど人材不足だったのだろう。


(まあええわ。あんな変人、相手にしててもしょうがないもん。これからはうちの時代やしな。いずれ世界もうちが獲るから、みんな見てて!)


 うちはパイオニアや、とアーニャは誇らしく思った。まだ若い競技である“キャノンボール”が、大きく飛躍しはじめた時代のパイオニア。

 他の多くの国で、“キャノンボール”はプロ同士の競うレースゲームとして復活しつつある。いずれはワールドGPも開かれるだろう。初代ワールドGPチャンプ・番匠アーニャ……考えただけでわくわくするではないか!


 アーニャは観客に手をふりながら、トラック内の階段をおりていった。ほの暗い地下通路をぬけ、外周の回廊へでる。


 とたんにフラッシュの放列を浴びた。照明やカメラを抱えたTVクルーがどっと押しよせ、熱気とともに彼女をつつみこむ。差しだされたマイクやレコーダーの数も十本は下らない。

 なんぼでもい、と内心ほくそ笑んだ。すばやく“いい表情”をつくってみせる。


「番匠さん、二一連勝、おめでとうございます!」


 若い女性レポーターの声がはじけた。


「はい、ありがと」

「“キャノンボール”ファンの間では『天才』といわれていますが――」

「もっとゆうてもええよ」

「は、はあ?」

「すでに国内には敵無しといわれてますけれども」


 別のレポーターがひきついだ。


「今後、海外のキャノンボーラーとの対戦はありますか?」

「それは、うちが答えるのはむずかしい質問やわ」


 内心答えたくてうずうずしながら、アーニャはいった。


「“キャノンボール”が合法になった国とか地域も、だいぶ増えてはきてるけど……まだ、昔の規制法をそのまま抱えてる国も多いみたいやし。何やかやゆうてもまだ新しいゲームやから、レギュレーションの完全な統一かて、まだされてへん。いますぐには難しいんちがうかな」

「しかし、海外にも強力なプレイヤーはいますよね」


 とレポーターは食いさがる。


「とくにアメリカでは、中東やヨーロッパから大勢の若手が参加して激戦になっています。彼らと闘いたいとは思いませんか?」

「そら思うよ」


 アーニャは、にへっと照れたように笑った。

 アイドル並みの容姿をもつ自分がそんな風に笑ってみせれば、いま中継を見ている人々にどんな印象を与えられるか、もちろん計算している。


「せやけど、いまも言うたように、それはうちの考えることやない、て思う。うちは、もっと強いやつと当たらせてって、グランドマネージャーさんに頼むだけやから。

 でももし、その過程で世界規模の大会が開かれるんなら……」


 アーニャは、一拍おいた。


「……うちは、そこでも絶対勝つわ」






 彼女が、定宿にしているホテルへ帰ってきたのは、それから三時間ほど後のことだった。


 あまり上等のホテルではない……というより、ただのビジネスホテルである。それも、ホームページによると最大の売りは宿泊費の安さらしい。


 名前はありふれていて気取らず、サービスも行き届いているとはお世辞にもいいがたい。利用客は商用の者が大半で、寝泊りのためだけにここに宿泊して、みな契約先との共同事業に責任を負っていて、つまり“キャノンボール”に夢中になる暇も関心もない人種ばかりだ。

 そのおかげで、高級ホテルに泊まるよりは、かえって目立たない。


 もっとも、アーニャは近いうちにここを出ていくつもりだった。勝者には、それにふさわしい生活というものがある。


「はー、人気もんはつらいわぁ」


 誰もいない自分の部屋で、彼女はようやくほっと息をついた。猫のように、うぅんっと伸びをする。


「まあ、可愛くてスタイルも良くて、おまけに強いとくれば、人気もんになるのもしょうがないけど」


 そこまでいって、ぷっと吹きだす。


「よう、自分のことそこまで言うわ」


 なおもくすくすと笑いながら、上機嫌でいつものライダージャケットを脱いでいく。

 ひょい、と壁にかかった鏡をのぞくと、額にヘッドセットのあとが残っていた。

 軽く唇をとがらせて、指先でていねいに揉みほぐしていく。


「キャノンボール唯一の難点やんなぁ……女子の柔肌に痕ついたらどうすんのん。ええかげん改良したらええのに」


 ときおり指をとめて、あとが消えたかを確かめる。


「……うん、こんなもん」


 ようやく合点がいったらしく、顔に上機嫌な笑みが戻ってきた。

 ライダージャケットにつづいてレザーパンツも脱ぎ、ソファの背にかける。

 ふと、気がついたように廊下の先にある入り口のドアを見つめ、そのままとてて、と近づいた。

 きちんと鍵をかけてあるのを確かめてから、ほっとした表情でキャミソールを脱いでいく。

 最後に、先日女性下着専門店ランジェリーショップで買ったお気に入りのブラとショーツも脱いで、備えつけのランドリーに放りこむと、浴室へ入った。

 壁のパネルでシャワーの温度設定をしてから、コックをひねる。


 ザァッ――


 ほとばしる熱いシャワーに、ゆったりと若い肢体をさらした。

 心地よいぬくもりが、白くてなめらかな素肌をやさしく包みこむ。

 ほそい指先で金色の髪を梳きながすと、額へ当たるシャワーの熱っぽさが、脳幹に滞った疲労の芯をじんわりとほどいてゆく。

 むだなく引き締まった美少女のしなやかな裸身が、湯気のなかで艶めかしく揺らめいた。


(せやけど……なんか、肝心なとこでおもんないなぁ……)


 アーニャは目をつむってシャワーを浴びながら、不満げに淡色の唇をとがらせた。


(レースしてても、最初の三分の一でもう結果見えてまうもん。お客さんかて、あれじゃ楽しめんやろし。

 もっと強い相手、いてへんのかなあ? もっと燃えさせてくれるようなの、いてへんの? なんぼうちが天才や、ゆうても……)


 いらだたしげに髪をかきあげる。

 自分の強さがけた外れなのはわかる。うぬぼれるつもりはないが、自分は本当に強いのだ。

 だが、それ以上に他のキャノンボーラーが弱すぎるとも思う。もう少し速い相手はいないのだろうか?

 もっと楽しませてくれそうな相手は。


(あの義孝ゆう男も、期待はずれやったし……)


 はあ……と思わずため息がもれた。


 じつをいえば、義孝のことは以前、グランドマネージャーの仙崎せんざきから聞いたことがある。一九ヵ月間で五二勝をあげながら五年前にある対戦で敗北、その直後、姿を消した男。

 唯一の敗北ではなかった。勝率九二%。なのになぜ姿を消したのか? まったく別の理由からか?


 興味はおぼえたものの、それ以上のものではなかった。そのころすでに義孝の連勝記録は抜いていたし、なにより自分の勝率は百%である。ひとことでいえば、『過去の人』だったのだ。


 その後、対戦相手のあまりのふがいなさと、その捨てぜりふが気になって、義孝のいきつけと聞いたバーへ足を運んでみたのだが。


(とんだ無駄骨やったわ。……ま、うちほどのもんが、そうそうおるはずもないけど)


 口許がほころぶ。敗北を知らない彼女の、強烈な自負だった。


(うちを抜けるような男がおったら、そいつの女になったってもええわ)


 アーニャはシャワーを止めた。

 ぶんぶんと仔猫のように首をふって、髪の水滴を捨て散らせる。

 ちょっと考えてから、つけたした。


(もちろん、ええ男やったらやけど……)

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