〈第6葉〉女将・ドライアド

 *前回までのあらすじ*


 川釣りをしていた老人から植物学者・アンネ=フリージアに関する情報を得ることに成功したリンネ。日没が近くなり、リンネは宿を探しに向かおうとするが、そこで老人はようやく自身の身分を明かす。

「ラモザ=アドニス。ワゼットの宿屋王といえばこのわしのことよ」

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「おおい、今帰ったぞ! お偉い学者先生も一緒だ!」


 ワゼット唯一の宿屋だという「ローブ亭」のドアを開くや、ラモザ老人は橋での会話の調子に似合わない大声で自らの帰宅を叫んだ。その声の大きさたるや、リンネがドアの外で思わず後退りしたほどである。


「うるさいね、他のお客さんに迷惑だろう!」


 それにも勝る大声で、フロントの奥からは怒声が飛んだ。リンネが二度目の後退りをしたのは、その声量のためではない。そののためである。


「他の客なんていねえだろうによ」というラモザ老人の愚痴ぐちに耳を傾けていると、間もなく、ラモザ老人の妻であるはずの人物が現れた。


 露出度の高い純白のロングトルソーをまとった、長身のうら若き女性である。純白のボートネックから覗く褐色の肌に思わず視線が吸い寄せられるが、もっと目を惹くのは頭にたくわえられたあふれんばかりの緑髪だった。それが蔦のように、二の腕から腰に至るまで、彼女の身体中にっている、あるいは絡みついていると言った方が正確かもしれない。つんと釣り上がった目、形の整いすぎた顔立ちは、間違いなく普通の人間のものではない。


「いらっしゃい。あら、旅人さんかい?」


「ああ……どうも、はじめまして。リンネ=ライラックです」

 はっと我に返り、名前を告げる。あまりにも規格外な女性の登場に、流石のリンネも動揺を隠せなかった。


「ははは、流石のリンネ先生も驚いたみたいだな」

「ったく、あんたはどうして毎度毎度人をたぶらかすんだい。……すまないね、うちの人はいつもこんな具合なのさ」

「はあ」


 そうなだめられたところで、この状況をそう簡単に把握出来るはずもない。宿屋のフロントには、しばらくラモザ老人の押し殺した笑い声だけが反響していた。


「ほら、あんたもいい加減におし」

「ああいや、すまねえ。紹介するよ。わしの妻で、クレマチス=アドニスだ」

 説明不足だよ、とクレマチス夫人の手が――髪が伸びて老人の腹を小突く。リンネの思考がようやく落ち着いてきた頃になって、これまた衝撃的な一幕であった。


「見ての通り、こいつは普通の人間じゃない。先生も知っとるだろう、ニンフって種族のことは」

「ええ。自然界にむ精霊の総称ですね。……それじゃ、奥さんは」

「そ、あたしはニンフの中でもドライアドの仲間でね。元々はここから北の森に――ドライズの森に住んでたんだ。ほら、この村のローブ材なんかは全部そこから採ってきてるのさ」

「ドライアド……」

 ドライアドは樹棲じゅせいのニンフである。長い樹齢の大木に宿るとされる精霊で、普通の人間には姿形を見ることは出来ないとされている。

 中には顕現化の力を持つ者もいると聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。


 リンネが無遠慮にもまじまじと夫人の姿を眺めているのに、ラモザ老人はどこか慌てた風にせきばらいをした。

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