〈第9葉〉真相

 *前回までのあらすじ*


 ワゼット村唯一の宿屋「ローブ亭」で、リンネは宿主であるラモザ老人からアンネ=フリージアについての話を聴く。

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「……とまあ、ここまでは良かった。三年前の、ある冬の日のことだ。今でも覚えとる、酷く冷えた日だったよ。……ほれ、そこの窓に氷が張っとったくらいだ。寒い日は外に出んのがわしの信条なんだが、それでもかかあにつっつかれて夕方からリベットの奴に会いに行っとった」


「リベットさんってのは、この人のお友だちさ。村の端で小麦オルデ畑を経営しててね、うちで使うパンの仕入れをこの人にお願いしたんだ。帰りが随分と遅いもんだから心配したよ」


「奴は昔からどうも嘆き節の強い男でな、不作が続くからやってくのが大変だと聞きたくもない愚痴を散々零した上に、だから安くは売れんと、そう来るもんだからこっちも頭に来た。それでちょっと喧嘩してるうちに、気がついたら夜になってたって訳だ」

 まるで昨日のことのように、夫妻はその日の出来事を語った。それほど鮮明な出来事だったということだろう。老人の言葉は少しずつ、それでも確かに重みを増していた。


「わしがうちに帰り着いたのは夜半だ。身体が冷え切っちまったから、風呂に入ろうと湯を沸かしとる最中だったな――外がにわかに騒がしくなって、火事だ、火事だ、って大声が聞こえてきたのは。何事かと思って、慌てて表へ出た。水、水だと若い衆の叫ぶ声、石畳を駆ける音……切羽詰まった顔をした男が水の入ったバケツを持って走っていく方を見て、わしはようやく気づいた。フリージア先生の診療所がある山の上が、真っ赤な炎に包まれとったんだ。診療所も、薬草園の中も丸焼けだったよ。わしらが駆けつけたときにはとっくに手遅れで……酷い有様だった。フリージア先生が亡くなったことを知ったのは、すぐ後の話さ。消し炭みたいになった診療所の跡地を見て、直感で分かったとも。これは火の不注意なんかじゃない、殺しだ、ってな。事実、先生の死体には明らかに殺された跡が残っとったんだ」


「背中に四本、胸に一本首落とし」

 夫人が十字を切りながら、おざなりな調子でそう言った。


“植物”を恐れる村人、イリス共和国との国境に位置するワゼット村の地理、そしてアンネ=フリージアの殺害方法、それらの情報がようやくリンネの頭の中で一つに結びついた。


「ガーデナー真教会の罪人処刑のやり方ですね」


 リンネの言葉に、夫人は小さく頷いた。


「流石先生、博識だね。真教会じゃ罪人を裁くとき、その身体に十字を描くように鉄の釘を打ち込んでから首を落とすんだ。お清めか何なのか知らないけど、現世に悪い霊が蘇らないように、ってね。背中から順番に、最後は心臓さ。詳しいことは知らないけど……苦しいらしいよ」


 突然、ラモザ老人が立ち上がり、声を荒げた。

「あんなに多くの人間を救って下さったお医者様が、どうして罪人扱いを受けにゃならん!? あんなものは神のお咎めでもなんでもない! 先生をあやめた奴らは――真教会の連中は! ……くそっ、神の名を騙る悪党どもめ!」


 激昂げっこうする老人の肩をするするっと伸びてきた緑髪がなだめる。リンネは寄り添う夫妻の様子を黙って眺めていた。


「……すまねえ、少し取り乱した」


 クレマチス夫人が差し出した水を飲み干し、老人がため息をつきながら再び席に着く。


「――話が何度も逸れたな。先生を襲ったのが正教会の連中の仕業だと分かった後、村人の中に変に怯える奴が出てきちまった。もしこれ以上先生に関わることがあったら、自分たちも命を狙われるんじゃねえか、ってな。葬儀を執り行おうって段階になってそんな話が出たもんだから、わしらみたいな先生に恩義を感じてる人間とは大喧嘩さ。結局、葬儀も村のはずれの教会で細々とやっただけだ。……村の空気が変わっちまったのは、それからだよ」

「辛いお話をさせてしまって申し訳ありません」

「いいってことよ。わしらも忘れちゃならねえことだからな。一体これがどれほどの罪滅ぼしになるかは分かんねえが――」

 リンネが再び老人に礼を述べようとしたところで、広間の壁時計が夜半を告げた。鍛冶屋スミスでよく耳にするような鉄を打つ低い音が響く。


「なあ、あんた。そろそろリンネ先生にはお休みになって貰った方がいいんじゃないかい?」

 しばし部屋の空気を支配していた鐘の音が止み、最初に口火を切ったのはクレマチス夫人である。

「ああ。わしらもあらかた話せることは話したつもりだし、どうだい先生、今日はこのへんで」

「はい。貴重なお話をありがとうございました」

 リンネは立ち上がり、アドニス夫妻に向けて軽く頭を下げた。

「部屋へはあたしが案内するよ。ホントならどこでも好きな部屋をって言いたいとこなんだけど、生憎ちゃんと掃除してる部屋が少ないもんでね」


「あー、ああいや、わしが案内する」

 苦笑交じりに先導しようとする夫人をラモザ老人が奇妙なタイミングで制した。夫人は少し顔をしかめたが、特に何をとがめるでもなくその場を明け渡した。


「そうかい? じゃあ、あたしは先に寝かせて貰うよ。何かあったら遠慮なく言っとくれ」

「ええ。ありがとうございます」

「リンネ先生はこっちだ」

 片手で肩を揉みながらフロントへ消えていく夫人の姿を見送り、リンネも老人の後に続く。階段を上り終え、いよいよ201と札の掛かった部屋の前まで来たところで老人はリンネに正対した。


「さて、先生の部屋はここなんだが」


 二、三度周囲を見渡した後、老人は少し声を潜めた。


「もう一つ、話しておかんとならんことがあってな」

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