カウント9◇最後の学園(3)
◇ ◆ ◇
「――確保!」
白瀬さんの合図で控えていた武装警察が一気に教室内に雪崩れ込んだ。
教室の扉のところで僕と逸可は身を隠す。言われていた通り目を瞑り耳を塞いでいたので僕も逸可も思っていたよりも影響は少ない。それでも瞼の裏側まで白に眩んだ。
物音や足音がやがて止み、教室内に電気が点く。さきほどよりも柔らかに感じるその光の中、逸可と僕はそろりと教室内を覗き込んだ。
部屋の中央で取り押さえられた少年――彼が川津雄二。本当に自分たちと年の変わらない少年だった。
砂月はすぐ近くの椅子に縛り付けられていたけれど、白瀬さんが拘束を解いている。砂月の後方に居た人質も手早く開放され、外で待機している救急車へと促され教室内から足早に出ていく。
だけどこれで終わりではなかった。緊張は、まだ解けない。
「爆弾処理班、急いで!」
白瀬さんの叫び声に数人の武装警察が教室の中央にひとつだけある机の元へと駆け寄る。
そこには機械的なカウントダウンを刻む四角い箱がありパソコンと繋がっていた。それが時限爆弾であることは容易に想像できた。ここに来るまで至る所に、そしておそらくこの校舎中に設置されているのと同じもの。ただひとつだけ違うのは、カウントダウンを刻むデジタル式の箱が爆破時刻を予告しているということ。
「時間が…!」
捜査員の悲痛な叫びに、僕も逸可も思わず教室内に足を踏み入れる。ここまで来て逃げようという考えはなかった。今逃げてもムダであることは、解っていた。
絶えず響く機械音の先で、数字はカウントダウンを止めようとしない。
残り時間は1分を切っていた。
「止めなさい今すぐ…!」
白瀬さんが砂月を支えながら、床に押さえつけられたままの川津へ唸るように命令する。
川津は笑って応えた。
「停止コマンドを打てばいい。解除に必要なカードキーはもう無いけど」
「……!」
川津の言葉に白瀬さんはパソコンを操作していた捜査員の方に視線を向ける。捜査員が震える声で答えた。
「…事実のようです。カードキーの認証を求められます」
その場に緊張が走る。嫌な汗が滲んだ。指先から少しずつ感覚を失っていくようだ。カウントダウンの機械音だけがその場を支配する。
川津は余裕の笑みを浮かべていた。このままだと自分も死ぬというのに、おそれは全く感じられなかった。
「――篤人…!」
その場の空気をを裂くように突如響いたのは、砂月の声だった。死へのカウントダウンを遮って、まっすぐ僕に届いた声。
視線の先、白瀬さんに支えられたままの砂月がまっすぐ僕を見据えていた。わずかに息が上がっていて、疲弊した様子が見てとれる。頬も赤い。だけどその
「砂月…?」
「5分前までは、あったの…カードキーがここに、あったのよ…!」
ひかれるように無意識に、足を踏み出す。
砂月が僕を呼んでいた。
砂月は震える体を抑えながら、吐き出すように続ける。
「絶対に、外さない。信じて、だから――」
砂月が僕に向かって右手を差し伸べる。僕は無意識の内に駆け出していた。
手を伸ばす。その手をとるのは僕の義務だと思った。
「わかった。必ず、取ってくる」
指先が触れた瞬間、本日2回目のあの衝動。
そしていつものカウントを刻む音。おかしなことにそれは爆弾のカウントダウンの機械音と連動しているような気がした。
視界が一変する。
――6
足の裏に床の感触を感じて顔を上げる。薄暗い教室、パソコンの明かりよりも月明かりが眩しい。やけに冴えた頭で状況を瞬時に確認する。
中央の机には川津が居て、今まさにライターの炎をカードキーにかざしていた。
――5
突然の僕の出現に、川津の意識が僕へと向く。距離はさほど離れていない。視界の端に椅子に縛られたままの砂月の姿が映った。その
――4
向かってくる僕に、反射的に川津が身構える。かざしていたライターの火が、標的を僕に変えた。
僕の標的は川津の左手のカードキー。それだけだ。
地面を蹴って体ごと、川津に向かって飛び込む。
――3
鼻先にライターの炎がかすった。川津が何か叫んでいるけれどもう僕の耳には聞こえない。一瞬、皮膚を焼く痛みが意識を掠めたけれどすぐに押し込める。
――2
川津がバランスを崩しその体が傾く。左手に持っていたカードキーがその手を離れ宙に浮いた。いやにすべての光景が、ゆっくりとまるでコマ送りされているように感じた。
手を伸ばす。ふと懐かしい感覚がした。コートでボールを追いかけていた時の、あの感覚が。
――1
視界の端の砂月に僕は上手く笑えただろうか。届いただろうか。
大丈夫。約束したんだ。
君を死なせはしない、絶対に。
もう誰にも奪わせはしない。
「――……!!」
次の瞬間ドサリと
ついさっきまでの光景とは違い、すぐ目の前には砂月が居る。その背を白瀬さんが支えていた。
落ちてきた僕を、砂月が泣きそうな顔で見ている。だけど僕の焦点が定まらず、床に蹲って体を押さえた。体中の骨が、筋肉が軋んでいるような感覚に声も出ない。
「篤人!」
逸可が駆け寄り、僕は息を吐き出すのと同時に激しく咳き込んだ。胃の中の物が込み上がってくる衝動に口を押える。
上手く力が入らない。
「これ、を…!」
「…!」
白瀬さんが僕の手からカードキーを受け取り、そのまま捜査員に渡す。
カードキーを差し込んだパソコンから先ほどまでとは違う機械音が甲高く鳴った。
ごくりと誰かが唾を呑む。
無事解除できたのだろうか。
必死に耳を澄ませると、カウントダウンは止まっていなかった。
「解除は?!」
「…っ、キーの認証は、できたんですが…っ」
「じゃあどうして止まらないのよ…!」
「今度は、パスワードが…! カードキー用の4ケタの数字のパスワードがないと、解除できません…!」
その場に居た全員が、パソコンに向けていた視線を川津に向ける。
川津はその笑みを崩さない。きっと彼は死んでもパスワードを言わないだろう。
「ボクは嘘は言ってないよ」
「お前…!」
逸可が怒りで拳を握るのを布越しに感じる。
カウントダウンが止まない。
理不尽な世界が終わろうとしている。
「せっかくだから一緒にカウントダウンしようか。もうすぐやっと、全部終わる。ようやくボクはユリに会える…ホラ、あと10秒。9、8――」
床にあぐらをかき後ろ手で縛られた川津の顔には、子供のような無邪気な笑みが浮かんでいた。もしかしたら爆破自体がはったりなのではと、そうとさえ思えた。
でも違う。そうじゃない。川津はもう既に3人もの命を奪っている。殺す意志は明確だ。
今日ここで、一番殺したかったのは――
「7」
ゆらりと視界に影が動き、パソコンへと近づく。
砂月だった。
「さ、つき…?」
砂月が震える指先で、キーボードの数字を画面に打ち込む。
皆が固唾を呑んでその様子を見守った。
川津も口を噤み、怪訝そうに見つめている。
砂月が4つの数字を打ち込みエンターキーを押したその瞬間、ピーーーーという甲高い機械音が教室にも廊下にも響き、それが止まった時。
機械のカウントダウンも止まっていた。
数秒間の静寂と沈黙。
覚悟していた衝撃は訪れない。
「……うそだ…」
一番最初に口を開いたのは、川津だった。
先ほどまでとは打って変わって、その顔から余裕の表情が消えている。歪んだ顔には絶望の色。事態を呑み込めていない。
「ウソだ! そんなわけない…どうして…!」
「……〝〇月×日。この日、あたしは…あなたの言う通り、生まれ変われたのかもしれない〟」
砂月が川津の顔を見たまま、ゆっくりと言葉を発した。
その言い方はまるで棒読みから始まったけれど、川津の顔色がみるみる内に変わっていく。
「〝ユウ、あたしは。あなたが思っているほど、強くない。だけど弱いところも決して、見せられなかった。だからこのメッセージは、あたしが生きている内はきっとあなたには届かない。ちゃんと消せるかも、分からない。それでも良いの。あたしの弱い部分は、あたしが持っていく。だから、ユウ。あたしの強い部分はあなたがずっと持っていて。あなたはあなたの未来を生きて。そうしていつかまた会ったときは…、いつもみたいにまた、聞かせてね〟…」
一度区切った砂月の言葉の、続きを継いだのは川津だった。
その目からは大粒の滴が零れて床に落ちた。
いくつもいくつも零れて消えた。
「大丈夫、ずっと、一緒だ――」
そして嗚咽を漏らしながら、がくりと頭を垂れる。
教室内には川津の泣き声だけが響いていた。
会話の内容も、砂月の意図も僕たちには分からない。
だけどそれが川津に宛てたメッセージだったということだけは、なんとなく推測がついた。おそらく、自殺した岩本ゆりからの。
届くはずのなかったメッセージを、砂月は届けたのだ。
それが正解だったのかは分からない。砂月自身もきっと、迷いながらもそうして手探りで、知られることのなかった岩本ゆりの心を、過去を手渡したのだろう。
川津の計画は、失敗に終わったのだ。
「…篤人」
ふと僕を支えていた逸可に潜めた声をかけられ、少し落ち着いてきた体でなんとか上半身だけ起こす。すべてが終わったはずなのに、逸可の声にも纏う空気にも、未だ緊張が滲んでいた。
「ハンカチか何か、ないかお前」
「え…っと、あった、かな…」
「なんでもいい、ポケットの中のもの全部寄越せ」
言われるがままに制服のポケットを探る。ハンカチぐらいは持ち歩いていたはずだ。理由は分からなかったけれど、逸可がこんな時に無意味なことを言うとも思えないので大人しく従う。
「あ、あった…」
僕の言葉の言い終わらない内に、僕の手の上のものをまるごと奪ったかと思うと、逸可は一直線に川津のもとへと駆け出した。そのまま川津を押し倒し馬乗りになったかと思ったら、その口に自分の手を押し込んだ。
呆気にとられる僕たちを置いて、真っ先に動いたのは白瀬さんだった。
「止血の布と、救急車を!」
鋭く叫んだ白瀬さんの言葉に、事態を把握した周りの警察の内のひとりが手近にあった布を勢いよく裂いて川津に駆け寄る。もうひとりが慌てて教室の外に飛び出していった。
逸可が川津の口に押し込んだのは、自分の手ではなく僕の手から奪ったハンカチだった。じわりとそこに、血の赤が滲んで広がっていく。
ようやくその時、川津が何をしたのかイヤでも理解した。
逸可がぐっと、追加の布を更に口の奥に押し込む。
川津は呻きながら、泣きながら逸可を睨みつけていた。
「死なせるかよ…!」
この事態を予測したのか、それとも視たのか。川津雄二の最後の希望を止めたのは逸可だった。
逸可の言葉を継ぐように、救急隊員が後の処置を引き継いだ。
川津のものか、それとも歯をたてられたのか。
逸可の手からは血が垂れて床に跳ねる。
砂月がその様子をすぐ正面で見つめていた。
それからかくんと糸が切れた人形のように倒れこんだ砂月を、傍に居た逸可が咄嗟に受け止める。
「…おい、さ、…」
受け止めた逸可の腕の中。
砂月が声もなく泣いていた。
逸可の腕に砂月の指がきつく食い込む。
その光景が、僕の胸にも爪をたてた。
今日この場で、失った命はひとつもなかい。
砂月が救ったんだ。この場に居た全員の命を。
だけどきっと砂月はそうは思わないだろう。
砂月の心は、届かなかった。自らの命を懸けてまで救いたかった相手に、最後まで。
砂月の流した涙の意味を、僕が本当に知ることはかなわないのかもしれない。
それはとても、寂しいことだと思った。
僕の意識もそこで限界を迎えた。
僕がポケットの中に何も残っていないことに気付いたのは、すべてが終わって目を覚ました後だった。
未来の逸可から今の逸可へと預かった、あの水色の手紙すらも。
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