11 ほな×みず×ゆた!(アニメ『女神ラブ!』第三話より)
『決断主義』という考え方において、問題を先送りにすることは、決断を未来の自分に委ねることではないらしい。
それは、たった今【決断しない】という【重大な決断】をしたことになると。
決断を先送りにしたつもりが、実はその瞬間に決断をおこなってしまっている。この誤解がマズい事態に繋がると警告している。
「……つまり、〝思い立ったが吉日〟みたいな話かしら?」
みずほは呟いて、読んでいた本から正面の人物に視線を移す。
みずほに背を向けて、窓の外に広がる大空を眺めている彼女こそ、みずほが知る限り唯一にして最大の決断主義者——
「どうしたの?」
ぼんやりと空を見る彼女は珍しい気がした。彼女は理想主義者的な側面もあるが、決して夢想主義者ではなかった。上を見るわけでもなく、下を見るわけでもなく——ただ前を見ているだけなのだ。
みずほの呼びかけに気づき、穂波が振り返る。
「——待ってるんだ」
確信をたたえた表情だった。
「待ってる? 何を?」
「もちろん、四人目の部員をだよ」
「誰かと待ち合わせをしているってこと?」
「ううん、誰とも」
「どういうこと?」
「もう歯車は回ってるんだよ。うん、きっと私はそう信じてる」
彼女は自らの胸に問いかけるように言って、それから快活に笑った。みずほは発言の真意を計りかねた。
「穂波なら、またかけずり回って部員を集めに行くものだと思っていたけれど……」
勝手なことだと理解しながらも、みずほは内心で落胆していた。期待を裏切られたような気分になったのだ。
自分が信じている『有明穂波』像と違う行動を彼女が取ったから……それは、本当に勝手なことだ。みずほは分かっている。自分の都合で穂波をラベリングしている。それは本来、失礼極まりないことだ。
でもみずほは、穂波には『決断主義者』であって欲しかったのだ。部員を待つだなんて、結論を先送りにするようなことはして欲しくない。
——結論を先送りにすることは、【決断しないという決断】をしたことに他ならないのだから。
それはやはり、穂波には似合わない態度だ。何かを【待つ】だなんて、臆病なオトナみたいな態度を取って欲しくなかった。
「待っていたって、来ないわよ」
そんな想いからか、みずほの口調は刺々しいものとなった。
だが、いけない、これは理想の押し付けだ——とすぐに反省して、付け加える。
「
しかし穂波はゆっくりと首を振る。
「ううん、私は待つ。きっと、来るはずだから……」
みずほは顔がカッと熱くなるのを感じた。そうじゃない、あなたはそんな態度を取るべきじゃない!
「私は違うと思うわ。穂波、あなたはいつだって行動を起こすことを美徳としていたんじゃなかったの? 少なくとも私はそう思っていたわ。莉音を部に引き込むことに成功したのも、あなたが無茶なことをしたからでしょう? 私にテニス勝負をさせるなんて、あなた以外思いつきもしないわよ。でも結局成功した。私はあなたのそのメチャクチャな部分にホンット迷惑しているんだけど、それでもあなたには一目置いているのよ? だって、本当に莉音を入部させるという結果を持ち帰ってくるんだもの。そんなこと、穂波以外の誰にだって出来ることじゃないわ。しかも私をも巻き込んでくれて、そのことはとても感謝してる。私はあなたの行動力に惹かれているのよ。だから、ねえ、どうしちゃったのよ? あなたらしくもない。のんびり空を見て待っているだけで、いったい誰が来るって——」
と、つい強い口調でまくしたてた——その時だった。
ガララ、と。背後から教室のドアがスライドする音が聞こえた。
「あ、あのぉ……失礼します……」
おそるおそる、まるでお化け屋敷を歩くようにこちらに近づく一人の少女の姿がそこにあった。
「有明先輩と、
彼女は一定の距離を保ったまま立ち止まり、穂波とみずほを交互に見た。
「あなたは……!」
みずほは彼女の顔を知っていた。
小柄で、決して太っているわけではないが程よく丸みを帯びた体つき。落ち着いているが個性は確保されている、ギリギリのラインを攻めた黒髪ボブの髪もまた丸みを感じさせる。度の強そうな丸眼鏡の奥からこちらを窺う瞳。少し垂れた目尻は彼女に柔和な印象を与えている。小動物のようで、なんとなく癒される。
例えるなら——カピバラかしら?
「あなたって、美術部の亀田
みずほ訊ねると、彼女は大きな目を丸く見開いた。見ていて羨ましくなるほどの大きな目だ。
「ど、どうして……知ってるんですか」
「そりゃあ、だって、広報誌に顔写真が載っていたもの」
「あっ。そうか……」
亀田豊歌は美術部の一年生であり、県の作品点において入選という輝かしい結果を残した才能ある人物だ。部活動の戦績が壊滅的な状況だった橙坂高校において、テニス部の花園莉音と並ぶたった二人の殊勲者のうちの一人であったため、穂波とみずほにとっては『知った顔』以上の存在だった。
端的に言って、ありがたい存在だったのだ。
「そうですか……そうですよね……写真が……全校生徒に……うぅ……」
彼女はほんの少し顔を伏せた。どうやら校内の広報誌に自分の顔写真が載ることを快く思っていないようだった。
彼女の入選作品は一枚の油絵だった。『一秒の孤独』と銘打たれたその抽象画は、ダークトーンの色がいくつも渦を巻くように塗り付けられた絵画だったが、渦のいくつかが弾けるように鮮烈なイエローで形成されているのが目を引いた。美術作品を批評する言葉をみずほは持ち合わせていなかったが、見ていると物悲しい気分の中に、ネガティブな印象以上の何かが存在することに希望のような感想を抱いたことは鮮明に覚えている。
『一秒の孤独』という絵画を描く彼女は孤独感を抱いている、と、そう捉えるのは邪推というものだろうか。作者と作品は切り離して考えるべきだろうか——でも、みずほはそう思わずにはいられなかった。
「来てくれて、ありがとね」
穂波が言う。
「あなたのこと、待ってたよ」
「私のことを……?」
驚きに再び目を開く豊歌だったが、それ以上にみずほの驚きが勝った。
「彼女が来ると知っていたって言うの!?」
そんなバカな。それじゃあまるで予知能力者だ。
「知ってはいないよ、みずほちゃん。ただ、私は信じていただけ。……いや、もっと正確に言うと、信じると『決めた』だけ」
微笑みをみずほに投げかけ、穂波はおもむろに豊歌に歩み寄る。
その速度は空を流れる薄い綿雲のようなゆったりとしたものだった。ただし、ここから見れば雲はゆっくりと流れているように見えるが、実際の速度は凄まじいものだろう。それと同じことが、今ここで、みずほの眼前で起こっているように思えた。
……つまり、穂波は決して決断を遅らせてなどおらず、みずほの隣で佇みながらも駆け回っていたのだ。空を眺めていたさっきまでも、彼女は歩みを止めてなどいなかった。
「それで、要件は何かな? 亀田豊歌ちゃん?」
穂波が訊ねる。豊歌は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに何かを決心したようにまっすぐに穂波を見た。
「私を……私をチア部に入れてください」
「なッ!」
みずほは声を上げた。
「なぜ? どうして? あなたがチア部に入る理由なんてどこに——」
混乱するみずほ。豊歌はそのみずほを見据える。
「小見川先輩のおかげです。……私、花園さんと先輩のテニスの試合、見てました。す、隅っこで」
「——!」
そうだったんだ。あの試合を、見てたんだ……。しかしみずほには理解できない。それが、豊歌の志望動機に繋がらない。
「こ、こう言ってはなんですけど……実力は明らかに花園さんが上でした……」
うん。それは誰もが認めるところだろう。他ならぬ私自身もそう思う。
「……でも、先輩は1セット奪ってみせた……その〝奇跡〟を見た瞬間に、チア部に入ろうって、決めました」
「……?」
やはりみずほには理解ができなかった。あの瞬間は確かに奇跡と呼んでいいものだろう。でもそれと、豊歌がチア部に入りたいと願うことと、何の因果関係が……?
目が回りそうなほど混乱したみずほの肩にポン、と手が置かれる。
穂波だった。
「本能が体を突き動かすことって、あるんじゃないかな? あの時のみずほちゃんみたいにさ!」
そう言って、にっこりと笑いかけた。その言葉を聞いた瞬間に、みずほは考えるのをやめた。
ああ、そうだ。私だってあのテニスの試合で、小見川みずほには絶対に打ち返せるはずのない球を打ち返したのだ。体が勝手に動くという経験をしたのだ。
それと同じことが、彼女の身に起こったとしたら? ……そう考えると、不思議と納得できた。
私が……他ならぬ小見川みずほが、この少しだけ内気そうで、自分の感情を伝えることが得意ではなさそうな少女——亀田豊歌を突き動かしたのだ。
「……そうだな。あなたの感情がそうさせたのなら、私たちは喜んで受け入れよう」
「そうそう♪ これからよろしくね! 豊歌ちゃん」
みずほ、穂波の言葉に、豊歌は嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「は、はい……! こちらこそ……ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
——嫁入りするんじゃないんだから。握手を交わしながらみずほは思ったが、こみ上げる嬉しさを喉の奥で押しとどめて平静を装うので手一杯だった。
『決断主義』という考え方において、問題を先送りにすることは、決断を未来の自分に委ねることではないらしい。
それは、たった今【決断しない】という【重大な決断】をしたことになると。
穂波は決断主義者だ。私の想像を軽く超えるレベルで、彼女は決断主義者だった。
——穂波は【決断しない】という【重大な決断】をもって、四人目の部員を引き込んで見せたのだった。
有明穂波。
小見川みずほ。
花園莉音。
亀田豊歌。
……こうして、四人の部員が集結し、チア部が正式に発足した。
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