みそかの白い炎

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

みそか

熨斗目花色の酒を買いに

第1/6話

 佐藤は思った。明日の休みだけは絶対に手に入れてやろうと。何をしてでも死守するのだと心に誓っていた。仮病を使ってでも同僚を欺いてでも俺のものにしようと決意を神に誓っていた。十二月の末はやはり誰もが休みたい。これは日本人として当然与えられるべき休日だとずっと思いこんできた。だが大学に入り、小遣い稼ぎのために始めたバイト場にはそのような常識は存在しなかった。渋りに渋って折れたやつが負けなのだということを今年残り二日にして初めて知った。

「いらっしゃいませー」

 やる気も希望も夢の欠片も失ったような学生だと鈴木は思った。明日大晦日は家で一日過ごしたいので、今日のうちに買い物を済ませようと来たのだがここは小さすぎた。弁当も惣菜も今一つパッとしない。一人暮らし向けの商品が勢ぞろいしているようで質が乏しすぎてつばでもかけたくなる。品ぞろえの悪さに悪態と溜息をついてしまった。

 年も暮れてもうすぐ明けるというのになんて辛気臭いおっさんだろうと高橋は思った。一人暮らしの高橋は明日友達と年越しのパーティーをしようと計画し、菓子類を買い込みに来たのだ。コンビニだと高くつくので大手スーパー系列の小規模スーパーまで来たのだ。やはりポテチが一袋百円以下で買えるというのは財布にやさしくて経済的だと満足気であった。人数を数えながら調達する量を計算し始めた。

 独り言のうるさい姉ちゃんだと鈴木は思った。友達の名前を言いながら指を折っているはずなのになぜか数が合わなくなり、何度も数えなおして確認する悪循環に陥っている。事前に買うものぐらい、物と種類を決めて来いと怒鳴りつけたくなったが、寸でのところで鼻息で済ませた。

「おい、酒はこれしかないのか」

 めんどうだなぁ、と佐藤は思った。こういう客の対応はホントにめんどくさい。お客様は神様だなんて言葉はすでに死語だと思っている佐藤にとって客は生活上のたん瘤である他にならなかった。客が来て忙しかろうが来ないで暇であろうが時給は変わらないのだ。それならば極力働かないで過ごしたいものだ。ここのように稼働率の悪い店ならなおさらだ。大体仕事を運んでくるのは客だ。だから客がいなくれ、帰れと佐藤は入店時の時点で呪っていた。いくら呪ってもうるさい叫び声は止みやしないので、裏で何か作業をしている店長に一声かけてからレジを離れた。あれくださいこれください言われても置いてないものを提供などできるわけないだろうが。バックにあるのは店頭商品の在庫がほとんどだ。聞くだけ無駄だ。買いたかったら他の店行け。くそったれが。

「なにかお探しでしょうか?」

 強盗犯田中はレジから店員が離れたのを注視し続けていた。これはタイミングだ、タイミング。重要なのはタイミングだ。状況把握は適切に判断ンは的確で完璧で臨機応変に。現状、人質となりそうな客は二人いる。でぶいおっさんと女子大生ぐらいの年齢の女。おっさんよりも女を狙ったほうがいいだろう。よしよしそうしよう。仲間と連絡を取る。段取りも遂行具合も完璧だ。あと重要なのはタイミングだ。念には念をとポケットに手を突っ込んで忍ばせた拳銃を確認した。

「あれだよ、あれ。青っぽいんだけ青じゃなくてさぁ、こうあんだろ。早く持って来いよ青い酒だよ青色の」

 バイト君がかわいそうだと高橋は思った。チョコレート菓子を漁り終えたのでこちらも酒とつまみを適当に搔い摘もうと思っていたのだが、おっさんとバイトくんが邪魔で向こう側に行けない。狭い店の狭い通路なのだから少しは気を使ってもらいたいものだが双方共に余裕はなさそうだ。では反対側に回って行こうか。しかしおっさんが探している酒はおそらくこの店にはもうない。値札だけあるがどうやら在庫切れしているのがここからちらりと見えるのだ。おっさんが折れるか、バイト君が上手く巻いてくれるかもしれない。わざわざ回り道をする必要がないかもしれない。少し様子を見ることにした。

「すいません、少々お待ちいただけますか」

 佐藤は音を上げた。この程度の客ならば俺一人で対処できるのが通常だが、しかし。しかし今日の客は異常だ。この店のシフトが俺に対して八連勤を要求しているのと同じぐらいに異常だ。大学生は学業が建前上は本分なのだからここまで要求するというのはおかしいことなのだ。いくら友達も彼女もいないからってこんな所で当てつけをしなくてもいいのだ。とにかく、とにかくだ。兎にも角にも異常に客がものすごい恐ろしいなまはげも慄くであろう形相でこちらを見ていた気がして、気が気でなくて動くに動けず、店長を声で呼んだ。見るからに関わらないほうがいいような人だ。きっとこいつは災厄をもたらす。そういう類のものだと思って目を合わせないように必死だった。

「てんちょー」

 渡辺は店長という立場ではあったがそれはもうただの名ばかりであった。店長だからという名目でバイトのスケジュール管理はすべて任せられてパートさんとの円滑なコミュニケーションに苦労し、愚痴と毒を浴びせられる客のクレーム対応はすべて俺に回ってくる。そのうえで日々の業務内容は低賃金のバイト・パートと変わらない。今日だって休みのはずがバイトの女子がバックレやがって佐藤からの電話によって休日出勤だ。予定外の勤務によって業務表が狂い、明日の勤務をどうしようかと悩み、胃を痛めて頭を抱えていた時にヘルプコールだ。くそっ、これじゃあ何のためにあの若造を雇ってるんだかわかりゃしない。あいつの仕事は結局すべて俺が片付ける羽目になるじゃないか。制服エプロンを結んでレジから店内へと仕方なく急いだ。

「お客様どうかされましたか」

 店長がレジから現れたのを凝視すると慌てて田中は顔を覆った。店長がが裏に潜んでいやがったのか危ない危ないと冷や汗を田中は拭った。事件を起こしたはいいが速攻で通報されたんでは意味がない。他の従業員を呼ばずに店長を直接呼び、さらには店長が直接駆け付けた。つまりこの店は規模から推察するにこの二人しか従業員はいないとみて間違いないだろう。とすると今がチャンスじゃないか。田中はにやりと笑った。

 店長が客の前に現れたのを確認した高橋はあきらめた。これは長いことかかりそうだ。それでは飲料のほうでも見てこようかしらと思った。冷蔵庫の中を思い出してみるが、お酒だけでなくソフトドリンクもあまりストックがなかったことに気付く。ふとそんなに買って大丈夫かな持って帰れるかという心配と不安に、足を止めたのだが、車で来たことを思い出して安心した。車で来たから大丈夫だろうと算段を踏んで反対方向へと動いた。

 店長が目の前に現れて鈴木はようやく酒が買えそうだと安心した。頼りない坊ちゃんよりよっぽど信頼がおける。さっきから目すら合わせないものだから、こいつはまともに話もできないのかと憤慨し怒鳴りつけるところだったが顔をしかめることで抑えた。店長さんが対応を始めたので鈴木は改めて酒の説明を始めた。

 女が棚の間から通路に出てきたのを見た田中は眼球を引ん剥いて目視した。なんと幸運なのだろう。敵の防御層が完全崩壊しているところに人質が自らやってきたではないか。これほどまでの幸運は旅に出るときにホウオウを見かけたマサラのサトシレベルだろう。仲間に合図を即座に出した田中は作戦を決行した。

 

 ぱぁーん。


「動くな、こっちに全員出てこい。そうだ。通信可能な物をすべて出せ。おら、さっさとしろ。出したか。隠して持ってたら承知しねえぞ。すぐ殺す。あ、ああ。こっちは順調。作戦開始だ」

 佐藤はフードの男が拳銃を持っているのを見てちびった。

 鈴木はひたすらに男たちにしたがってうろたえた。

 高橋は外から入ってきた仲間に身柄を渡されて、その男のナイフが首筋に当たった。

 田中は仲間に指示を送った。

 渡辺は泣きそうだったというか泣いていた。

 男たちはシャッターを閉めてドアをロックした。


 十二月三十日、とある小さなスーパーは複数の男たち強盗に遭った。

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