山田明日再び

 山田明日は、三日前と同じように事務所の一階の喫茶店で、三日前と同じテーブル席の同じ位置に座っていた。テーブルと椅子は三日前と同じようにダークブラウンで、吊り下げられた電灯は、三日前と同じようにちょうどいい明るさだった。違っていたのは山田明日の服装だった。土曜日の山田明日は、学生ではなかった。身体にフィットした白のニットにブラックのタイトなパンツ、既に脱いで椅子にかけてあるトレンチコートは明るいピンク色だった。コートと同じようにピンクに塗られた唇は、電灯の光を反射しそうなくらいにツヤを出していた。意外だったのは、ニットのVネックが、胸の谷間がのぞきそうなほどに、大きく開いていたことだった。しかし今日の私には、くだらない妄想をあれこれと膨らませている余裕はなかった。やらなければならない大事なことがあったからだ。

「この三日間で、いろいろなことが解ったよ」私は言った。

「えっ、何か進展があったんですね。犯人も解ったんでしょうか?」

「ああ、解ったよ。今回の事件の犯人は、やはり多田教授だった」

 山田明日の、アイラインの両目が、一瞬大きく開かれた。

「彼は、あの加速器室の中に作り出されたタイムマシンをつかってアリバイを成立させたんだ。君のところの加速器は、光速近くまで加速した素粒子を衝突させて、反応を調べるタイプの加速器だったよね。おそらく君の先生方は、その実験の最中に、偶然に極小のワームホールを生成する方法を見つけた。さらにいくつかの偶然が重なって、簡素なワームホール型のタイムマシンを作ることに成功したんだ。ワームホールを使ったタイムマシンの仮説は知っているね?」

 彼女が小さくうなずくのを確認して、私は続けた。「そして、男と女の事情か、研究にまつわる確執か、動機はわからないが、多田教授はそのタイムマシンを利用して、火野先生を殺害したんだ。あの日、多田教授は午前10時少し前に研究センターにやってきて、すぐにタイムマシンを稼働させ、タイムマシンを構成するワームホールの二つの出入り口のうち、一方を光速に近い速度で動かし、午後1時30分に同じところに戻ってくるように設定した。そうだな、例えば移動速度を光速の99.9パーセントぐらいまで出せたとすれば、外部の時間が3時間半近く、200分ちょっと経過しても、移動させた出入り口は時間が20倍ぐらい遅れて、10分ほどしか経過していないことになる。そして午後1時30分に火野先生をナイフで殺害したあと、時間が遅れている方の午前10時10分の出入り口からタイムマシンに飛び込んで、同時刻でつながっているはずのもう一方の出入り口から午前10時10分の世界にタイムワープしたんだ。あとはゲームに夢中の鈴木という警備員の目をごまかして研究センターを抜け出し、11時15分東京駅発の新幹線で仙台に向かったのさ。だから400キロも離れた場所の人間を同じ時間にナイフで刺すことができたし、被害者の爪の間に皮膚片を残すこともできた。数々の証拠を残した理由は、あえて矛盾をさらすことで、タイムマシンを使ったアリバイ工作を何らかの事情で誰かにアピールする必要があったからだ」

 山田明日は、少しのあいだ俯いて、何かを考えていたようだったが、やがておずおずと、それでも自信に裏打ちされた強い表情で口を開いた。

「いえ、その推理は違っていると思います。タイムマシンは、現段階ではまだ基礎理論も確立されていない状態ですし、まして人間が移動できるマシンなんて絶対に不可能だと断言できます。それに……」

「それに?」

「いえ……」彼女はそこで口をつぐんでしまったが、私の話にはまだ残りがあった。

「昨日、僕宛に、この事件から手を引け、と脅迫メールが届いた。まるで昔の刑事ドラマに出てくるような陳腐な内容だったが、脅迫状であることに違いはない。これを僕に送った人物が誰か、だいたいの見当は付いている。君のところの鈴木君だ。僕は彼に名刺を渡した。僕の名刺に書いてあるメールアドレスは、公表されているものとは違うアドレスが記載されているんだ。ではなぜ、鈴木君は僕を脅迫しようとしたのだろう。おそらく誰かを守ろうとしたのに違いない。その誰かが、事件に関わっていると勘違いしたからだ。その誰かは、山田さん、君じゃないかと僕は考えている。君はあの日の午前中、研究センターに行ったんだね」

 山田明日は、なおしばらくのあいだ、黙っていた。喫茶店のドアの開閉を知らせるチャイムが何回か鳴り、私はコーヒーをお代わりした。やがて、山田明日は観念したように話し出した。

「由名時さんのおっしゃるとおり、あの日午前11時頃、私は研究センターに行きました。テスト勉強にどうしても必要な教科書を、前の週に実験棟に忘れてきたのを思い出し、取りに戻ったんです。午後からメインキャンパスで講義もあったし、教科書だけ探してすぐに戻るつもりだったから、鈴木君がゲームに夢中で私が正門をくぐるのに気づかなかったけど、そのままセンター内に入りました。教科書はすぐに見つかりました。帰りにコントロール室の横を通るとき、なにげなくドアの小窓から中を見ました。そこにはこちらに背中を向けた火野先生が、椅子に座って、何か深刻な表情をしているのが見えました。そして手には、大きくて歯の鋭そうな、光るナイフを持っていました。その時は、あんな事件が起きるなんて思ってもいなかったわけですが、何か見てはいけないものを見たような気がして、私は逃げるようにその場を去りました。そして、なぜか鈴木君にも私が来たことを知られたくない気持ちがして、彼に分からないようにこっそりと研究センターを後にしました。……でも、私が来たこと、鈴木君にバレちゃってたんですね」

「……なるほど、その出来事も、探偵を雇う気になった理由のひとつだったわけだ。こっそり帰ってしまったことで、警察にも言えなくなってしまったんだね。教えてくれてありがとう。これでだいたいの辻褄は合った。タイムマシンを想定した僕の推理については、現役の君が断言するまでもなく、もちろんそんなことは不可能だ。僕のさっきの話は、多田教授が現実に見せかけようとした架空のシナリオだ。あえてそれを君に聞かせることで、君の反応が見たかった。そして、シナリオはもうひとつある。それが、おそらく真実だ」


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