多摩丘陵

 車道の舗装も歩道の縁石もくたびれ果てた古い国道を都心から西に向かって30分ほど車を走らせた後、左折してやたら幅の広い新しい幹線道路へ入った。やがて急に視界が開けて、多摩川を渡る大きな橋に差し掛かった。橋を渡り終えてしばらくすると、いつのまにか車は、ロードサイド型のショップが道の両側に途切れることなく続くエリアを走っていた。

 複数の大型スーパーに、和洋中それぞれのファミリーレストラン、格安のファッションショップに雑貨屋、ディスカウントの酒屋と薬局、どれも皆ありふれた全国チェーンだった。この辺りに暮らす住民は、休日には家族とこの一角で終日過ごすのだろう。世界都市トーキョーの近郊に住んでいながら、名もない地方小都市の国道沿いの住民と全く変わらない暮らしを送っているのだ。

 道が大きくカーブするあたりで信号を右折して丘陵地帯に入り丘を回り込むように緩やかな坂を登ると、小綺麗な住宅地に出た。酔って帰ったら自分の家を間違えそうなほど同じ造りの一戸建てが並んでいるが、手入れの行き届いた街路樹の様子から、高級とは言えないがそこそこの価格帯の住宅地であることが伺えた。

 蛇行しながら、いくつかのバス停を通り過ぎ、住宅が途切れると、今度は荒涼とした風景が目の前に広がった。カーブを曲がるたびに現れる、何本もの送電線を支える巨大な鉄塔群、高い煙突の廃棄物処理場、窓が極端に少ない用途不明の建物、人の気配が感じられないサナトリウム、ガス施設、浄水場。やたら敷地の広いそうした施設の入口近くには大抵、誰も補充しないまま錆び付いた古いドリンクの自動販売機が放置されていた。私鉄の駅前から続く、華やかで未来への希望に満ちた表玄関から一本裏に回ると、首都の生活を底から支えるためのあらゆる歓迎されざる施設がひっそりと日々の営みを続けているのが、このあたりのニュータウンの共通した特徴だった。

 そうした一角を過ぎ、再び上り坂を登って丘の頂点に近づくと、ようやくコンクリートの塀に囲まれ、鉄の門に閉ざされたP大学理学研究センターの無機質な建物が視界に入ってきた。駐車場は守衛所のある正門の、道路を挟んだ反対側で、かなりのスペースを割いていたが、一台の車も停まっていなかった。入り口近くに、おそらく警備員のものなのだろう中型のオートバイが停められていた。私は、入り口から遠くない見通しの良い場所に車を停車させ、正門へ向かった。

 道路を渡って正門の左手にある守衛所のところまで歩いて行くと、鉄の門は守衛所の前で、人が通れるくらいのスペース分が開けられていた。守衛所の小窓のカウンターには、来訪者を記録する用紙が綴じられたバインダーが無造作に置かれていて、傍にキャップの付いていないボールペンが転がっていた。小窓から中をのぞくと、制服を着た警備員がこちらに背を向けて管理用のパソコンでオンラインゲームに興じているのが見えた。帽子の後ろから明るい茶色に染めた髪の毛をはみ出させた若い警備員は、私がこのままこっそり通り過ぎても、おそらく気づかないだろう。あまり褒められた管理体制の大学ではないようだった。

「ちょっといいかな?」

 声を掛けると、警備員はだるそうにゲームを一時停止させると、椅子ごと身体を回転させてこちらに顔を向けた。まだ二十代後半ぐらいで、片方の耳にだけ小さな銀色のピアスを埋め込んでいた。私が大学のお偉いさんでないことがわかると、「なに? 用事?」学生が煩わしい後輩に呼び止められた時のような、トゲのある口調で応えた。

「この間の事件のことで、教えてほしいことがあってね……」

 わざとゲームの画面の方に目をやりながら話したが意に介さず、「ああ、新しい刑事さん? もう話すことないんだけど」

「いや、警察じゃないんだ」

「じゃあ何? 新聞記者? 新聞記者には何も話すなってセンター長に言われてっから」

「センター長は、いつもここにいるの?」

「あいつが、こんなとこに来るわけないよ。上を狙うのに忙しいからね。ここは実質、火野先生と多田教授が見てたようなもんだから」

「そうそう、それなんだけどね」

「だから、あんた誰?」

 私は名刺を一枚取り出して渡した。彼は名刺を片手で受け取ると、しげしげと見つめ、急に笑い出した。

「あっはっは、探偵だってさ。おもしれー、探偵ってホントにこんなことするんだ。浮気調査とか猫探しとかばっかしてんだと思ってたよ。殺人事件の捜査するんだ」

 ピアスの警備員君は、私の職業に満足したようだった。

「この名刺もらっていいの?」

「どうぞ。僕だって猫探す方が気楽でいいさ。まあ、冬は辛いけどね」

「そうだろうな。アンタ、殺人事件ってガラじゃないもんな。やっぱ猫探しだよな」

 彼はますます上機嫌でピアスの耳を手で二、三回軽く引っ張ると、「よし、これからオレが現場を案内してやるよ」

 そう言って立ち上がり、小窓の横のドアを開けて外に出てきた。向かい合って立つと、彼は意外に背が高かった。胸の名札に鈴木と印字されていた。

「それはありがたいけど、許可を取らなくていいのかい?」

「許可? いいか探偵、オレをバカにすんなよ」みるみる不機嫌な顔になり、彼は続けた。「オレはな、警備会社から派遣されてるとかじゃなく、この大学の正規の職員なんだよ。ここの警備はオレが任されている。オレがいいって言ったらいいんだよ。わかったか探偵!」

 権限のない下っ端と思われたのが気に入らなかったのだろう。あるいは私がどこか彼を見下している態度をとっただろうか。どちらかといえば同じカテゴリーに属する仲間、といった思いの方が強いのだが。

「悪かった。キミに任せるよ」

私は素直に謝った。ここで争ったところで、得する人間は誰もいないのだ。


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