その18 月夜

「ふぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~む」


 間延びした唸り声を上げながら、少女は思索に耽っていた。

 月の光が、“はじまりの世界”を優しく照らしている。


 この世界の夜は、かなり明るい。

 明かりがなくても、周囲を見渡せるほどだった。


 頑丈な木の枝を足場にして、光久は少女の隣へ駆け上がる。


「……よっ……と」


 木登りなんて、何年ぶりだろうか。

 《抗重力装具》のお陰で、ここまで登ってくるのは難しくなかった。シキナには感謝せねばなるまい。


「ウウム。ムムムム……」


 魔衣はというと、光久には気付いているだろうに、なんのリアクションもせず、ただ「ウーム」とか「フームフムフム」とか言いながら、一人、思い悩んでいた。

 なるべく足下を見ずに、一歩一歩慎重に歩いて、なんとか魔衣の隣に並ぶ。


「……どうかしたのか?」

「心地よい自己憐憫に浸ってるとこ」


 言って、少女は自嘲気味に笑った。


「そうか……」


 他になんと話しかけるべきか悩んでいると、魔衣が口を開く。


「ごめんね。あたしがもうちょっと気をつけていれば……」


 光久は驚いた。

 ちょうど、同じ言葉を口にしようとしていたからだ。


「俺こそ、すまん。なんか、足引っ張ってばっかで」


 素直に頭を下げる。


「ま、確かに。……一日に二度も死にかける人、始めて見たわ」


 その口調は冗談めいていたが、光久の方は、隙あらばくよくよし始める気分を押しとどめるのに必死だ。


「今朝も言ったがな。借りは返すぜ。絶対に」

「うん。期待しないで待ってる」

「男の意地だ。約束だぞ」


 憮然としていうと、魔衣が力なく笑う。


「……ねえ、光久。一つ、訊いて良い?」

「応えられる範囲内なら」

「君ってさ、練馬出身なんだっけ?」

「そうだけど」

「ってことはさ。都心の近く?」

「近くというより、東京都民だ」


 ほう、と、少女がため息をついた。少し羨ましそうに。


「それじゃあさ。君って、エリートなの?」


 その言葉に、ちょっとだけ驚く。


「いいや。首都に住んでるからって、エリートって訳じゃない」


 特別、偏差値の高い高校に通っていたわけでもなし。


「そうなんだ。やっぱ、同じ日本でも、いろいろ違うのねー」

「……どう違うんだ?」

「あたしの居たセカイって、個人の能力によって、住むところが分けられてるのよ」

「能力って?」

「もちろん、」


 魔衣が人さし指で空中に絵を描くと、宙を舞う木の葉が指先に集まり、ハート型を作る。


「“神力”よ。この力の大小は、生まれたときから決まってるの。あたしは、……十段階で、下から二つ目。“八等級”って言われてる能力者だった」


 光久は目を丸くした。


「魔衣で、八等なのか?」


 詳しい基準はわからないが、十段階で八番目なのだから、平均よりは下の数値に思える。

 その反応を見て、魔衣は力なく笑った。


「そーいうこと。黙ってたけどあたし、“劣等生”なんだ」

「へ、へえ……」

「昔っから器用貧乏でね。予知も安定しないし、念動力も出力が低い。瞬間移動に到っては、三回に一度は地面の中に出現するし、透視なんか、ほとんど成功した試しがないわ」

「それだけできれば、俺のいた世界では超人だけどな……」


 フォローのつもりだったが、それが慰めになったかどうか、怪しいものだ。


「もし、あたしに、三等……いえ。四等か五等級くらいの力があれば。君も死にかけることはなかった。そう考えるとね、どうにも……」


 なるほど。「自己憐憫に浸っている」とは、こういうことか。


「気に病むなよ。誰だって、配られたカードで勝負するしかないんだから」

「そうね。……良い言葉だわ、それ。お気に入りリストに登録する」

「そうだろ?」


 スヌーピーの台詞の引用だが。


「あたしね、子供のころから東京に住むのが夢だったんだ。でも、二等級以上の“神力”の持ち主なんて、それこそ一人握りのエリートだけだった。だから、都民にはコンプレックスがあるのかも」

「君の目的は、……その、”造物主”になって、東京に住むことなのか?」


 魔衣は首を横に振る。


「そうしたい気持ちもちょっとだけあるけど。それだけじゃないわ」

「それじゃあ、どういう……」

「うーん……」


 魔衣は腕を組み……考え込む。


「ひょっとして、考えてない、とか?」


 少女は、唇を尖らせる。


「ただ……」

「ただ?」

「もっと、……世界を善にして、幸福な場所にするような方法が……それでいて、誰もが納得できるような方法が。……あるような気がするの。それが知りたくて」


 その気持ちは、――わからないでもない。

 かくいう光久も、似たようなことをときどき考える。

 退屈でしょうがない、化学の授業中とかに。


「他にも、動機はいろいろある。不幸な死に方をした母さんとまた一緒に暮らしたい、とか。……でも。“造物主”になりたいっていう一番の動機を挙げるなら。それね」


 言って、少女はパタパタと両足を動かす。


「なんつって。語っちゃった? あたし」

「いや……」


 そんな、魔衣の横顔を眺めていると、――

 不意に。


――結婚を申し込もう。


 そう思った。


 美しい月夜。

 あたりは、水を打ったような静けさで。

 不思議と、そうすることに何の畏れも感じなかった。

 感覚は麻痺していた。

 今日一日で色々なことが起こりすぎていたからかもしれない。


「なあ、魔衣……」


 息を呑んで、口を開く。


 と、同時に。

 ぐぅううううう……。

 ほとんど漫画のようなタイミングで、盛大に腹が鳴った。


「うぐ……」


 マジか。

 奇跡か。


――こういうことって、現実に起こっていいのか。


 魔衣は、一瞬だけきょとんとした後、


「ふふ。くふふ……」


 くすくすと笑い始める。


 同時に、シリアスなムードは完全に霧散してしまった。

 落胆する一方で、言い出さなくて良かった、という思いも生まれる。


――月夜をバックに告白、なんて。


 平凡な男子高校生には、敷居の高すぎる行為だ。


「……そういえば君、ご飯抜きだったね」

「そりゃそうだが。さっき腹を裂かれたばかりだぞ」


 どうしちまったんだ、自分の腹具合は。


「レミュエルの薬が効いたのよ」

「効き過ぎだろ。いくらなんでも……」


 軽く、刺されたあたりを撫でる。

 その返事とばかりに、もう一度腹の音が鳴った。

 どうやら、本格的に腹が減っているらしい。

 自分の神経の図太さに、思わず感心する。


「おむすびが残ってたけど。……食べる?」


 光久はうなずく。

 と、ほぼ同時に。

 魔衣の身体が、ひょい、と、夜空へ躍り出た。


「おいッ!」


 すわ投身自殺かと勘繰った光久は、慌てて魔衣の身体を掴もうとする。

 少女はするりと身を躱して、――星空をバックに、空中で静止した。


空中浮遊セルフ・テレキネシス。今朝も見せたでしょ?」


 言って、魔衣はその場でくるりと一回転してみせる。

 光久は嘆息して、


「つい、反射的にな」


 まだ、心臓が高鳴っている。

 元の世界の癖は、そうそう抜けきるものではない。


「先に戻って、夜食の準備をしとくわ。たしか、他にもいろいろ残ってたはずだから」

「……待て。また爆発させるつもりじゃないだろうな」

「だいじょーぶだいじょうぶ。しんぱいないって」


 話の結末で酷い目に遭う時ののび太くんみたいな台詞を残して、――少女は、闇の中へと溶けていく。


「やれやれ……」


 それを見送ってから、一人、月を見上げた。

 意味ありげにウインクを送るそれを無視して、人生最大級の嘆息を漏らす。


――やっぱ、ちゃんと告白しとくべきだったかな。


 心の何処かでは、まだ後悔している自分がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る