第12貸 消えた少女

「こんばんは~。リュクルスちゃんはいますか?」

「あらあら~?セフィーさぁん。お忙し~のにいつもすみませんねぇ~」


 セフィーが魔具屋“リトルコルプス”に顔を出すと、この店の女主人であるリューネルが朗らかな笑顔で出迎えてくれる。

 鍔広の黒い三角帽子に同色の全身ローブを纏った彼女の姿は完全に魔導師の装いだ。

 店の中でそんな黒尽くめの恰好をしていると、陰気な雰囲気が漂いそうだが、妖精族である彼女の肌は他の妖精族に比べても色白で美人、その上、やや間延びしたのんびりとした口調の為か、まったくそんな雰囲気を感じさせない。

 見た目は30歳前後だが、妖精族は成長が遅いので実質は100歳を越えた年齢のはずである。

 彼女はリュクルスの母親であり、元冒険者でもある。

 レベルは30に届く程の高レベル魔導師だ。

 この店にある魔導書の多くは彼女が作製し、彼女が覚えていない魔法については、冒険者時代のコネを利用して手に入れているという事だった。

 残念な事に塔を探索中に不慮の事故で大怪我をしてしまい、冒険者を止めざるを得なかったという。

 その結果として愛する家族を手に入れた訳であり、小さいながらも自身の能力を生かした店を持てているので、今の生活に不満はあまり無いらしい。


「リュクルス~、セフィーさんがいらしたわよぉ~」


 リューネルが店の奥に声を掛けると、バタバタと忙しない足音が聞こえ、奥から輝くようなキラキラとした表情を浮かべたリュクルスが姿を現す。


「いらっしゃい♪セフィーお姉ちゃん!さっ、早く入って入って♪」


 リュクルスに促され、セフィーは笑顔を浮かべてその後ろに付いて行く。

 背後ではリューネルが手を振って見送っている。

 店の奥にある扉を開けると、そこはリビングに繋がっていた。

 セフィーの泊る宿もそうだったが、どうやらセブンスヘブンは店舗兼自宅という店が多いようだ。

 リダルマースの武器屋のような大きい店舗は別としても、ここの様な小さな店舗はその方が店と自宅の間の移動時間が少なくて済むし、別の場所の土地を入手する必要が無いので効率が良いのだろう。

 リビングに入ると、既に湯気の立った夕食が用意されていた。

 野菜とオーク肉を一緒に煮込んだスープとバッタ型モンスターのグライスキッパーから獲れる米から作った白いご飯が4人分。

 リュクルスと彼女の両親の分、そして最後の1つはセフィーの為に用意されたものだった。

 何故セフィーの分まで用意されているのか。

 それはここ数日、ほぼ毎日のようにリュクルスの元を訪れているからだ。

 塔の探索を終え、冒険者支援協会でラースと別れた後、リトルコルプスに寄ってリュクルスと地上の事についてお喋りする。

 それがここ数日のセフィーの日課になりつつある。

 その過程でリューネルが気を利かせて夕食を用意してくれるようになったのだ。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん。この間、言ってた滝ってどんな大きさなの?」

「砂漠って砂浜と何が違うの?」

「海には生き物が住んでるっていうけどどんな生き物が居るの?どうして海の中でも息が出来るの?」


 基本的にはリュクルスが質問をしてセフィーが答えるというスタイルだった。

 リュクルスの両親もアンダガイナス生まれである為か、セフィーの話を興味深そうに聞いている。

 時々、セフィーさえも知らないような事を聞かれたりもしたが、最初の空が何かと聞かれた時のようにうろ覚えの事を教えるのではなく、他の人に聞いて分かれば答え、もし分からなかったら素直に自分にも分からないと伝えるようにしている。

 そしてそういう時は必ずセフィーはこう言うのだ。


「この世界には分からない事、知らない事がいっぱい溢れてるの。だからいつか一緒に地上の世界を冒険しようね♪」


 そう言うとリュクルスはいつも曇りの無い満面の笑みで頷く。

 兄弟姉妹の居なかったセフィーにとってリュクルスは本当の妹のように思え、思わず抱き締めてしまう。

 リュクルスの方もセフィーを本当の姉のように思ってくれているのか、拒む事はしない。

 こうして幸せという温もりを感じながら、セフィーの1日は終わりを迎えるのだった。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




 森の様な11階層に進んでからは探索の速度は目に見えて遅くなっていた。

 初めて11階層に到達してから7日が経とうとしているが、未だ12階層に進めていなかった。

 とはいえ11階層での戦いにも慣れて来て、近々12階層に挑む事は出来そうではある。

 ほんの数日で11階層まで一気に駆け上がってきた事も異常だが、たった7日で1つの階層を踏破しようとしているというのも普通から考えればかなり異常な事態だ。

 塔は階層が1つ上がる毎にモンスターは強くなり、特に11階層以降は知恵がついて来ているのか、大抵は群れを成すようになる。

 群れの中には時々リーダーが存在し、そのリーダーが指示を出して組織的に襲い掛かってくる場合もある。

 10階層までに出て来ていたモンスターは例え群れを成していても、本能のままに攻撃してくるだけなので、動きも単純で読みやすい。

 だが11階層以降では例え10階層までと同じモンスターでもリーダーの指示で連携を取ったり、1人に集中攻撃をしたりと、行動も様々だ。

 その上。11階層からは塔の中とは思えないくらい木々が鬱蒼と生い茂る森のような状態になっている。

 知恵が回るようになったモンスターが隠れるにも待ち伏せするにも、これほど条件が良い場所も無い。

 11階層の冒険者支援協会が推奨する適正平均レベルは12。

 つまりは能力値的にそれくらい無ければ、この階層に出るモンスターには対応出来ず、死ぬ可能性が極めて高くなるという事を意味しているわけだが、セフィーもラースも11階層の探索を開始した時点では、ようやくレベル10になったばかり。

 一般的なレベル10の冒険者に比べれば2人の強さは際立っているので、11階層でもそれなりに戦う事は出来るのだが、数の不利はどうしようもない。

 モンスターと正面から1対1で戦うならばセフィーでも十分に渡り合えるのだが、2体以上同時となると流石に厳しくなるし、不意打ちや伏兵にも気を遣わなければならなくなる。

 ラースでもレンタル以外の付与魔法を総動員して、ようやく3体を足止めするのが限度という所だ。

 つまり4体以上のモンスターが現れた時点でギリギリ、いやかなり不利な戦いを強いられる事となり、その上、戦闘時間が経過すればするほど、戦いの音を聞き付けた新たなモンスターの群れが寄ってくるという悪循環も繰り返される。

 そうなれば全滅は必至だ。

 そうなってからでは遅いので、本来であれば、下層に降りてレベルアップに勤しむ。

 そして数ヶ月掛けてレベルアップをし、その間に新たなパーティーメンバーを募ったり、新たな武具を買い揃えて準備をする。

 それが普通の冒険者だ。

 だがセフィーにはレンタルの魔法があり、それを使えば効率良くレベル上げが行える方法がある。 

 貸し出したレベルに応じた取得経験値割合の検証なども行う必要性もある事から、積極的にラースにレベルを貸し出して、階層の推奨レベルを遥かに超えるレベルになって貰い、頑張って貰うという半分以上他人任せの方法だ。

 割合はまだ分かってはいないが、貸し出すレベルが多ければ多い程、利子として反映される経験値が多い事は分かっているから、最初は全レベルを貸し出し、ラースはレベル19、セフィーはレベル1で試してみたのだが、いくら基本値が底上げされたと言っても所詮はレベル1。

 魔力も殆ど無い為、魔法による支援も行えず、セフィーは足手纏いにしかならなかった。

 結局、ラースがセフィーを庇いながらの戦闘となり、レベルを貸していない時の方が幾分マシな戦いが出来たのではないかと思える戦闘となってしまった。

 もしラースに抱えて貰って空を飛んで逃げる事が出来なかったら、その戦闘でセフィーは死んでいたかもしれない。

 その教訓からある程度、魔法支援が出来て、1人でも少しの間なら持ち堪える事が可能であると判断したレベルとなるレベル5を基本として、モンスターの数や状況に応じて、都度レベルを遣り取りするようにしたのだった。

 結果、この試みは大成功。

 レベルの上がったラースは、その持ち前のスピードとオーガブレードのおかげもあり、3体を相手に押し勝つ事が出来るようになり、強いモンスターでなければレベル5のセフィーでも十分にラースが他のモンスターを殲滅するまでの間、耐える事が出来るようになった。

 それに3体以下ならば全てラースが引き受ける事が出来るので、セフィーが完全に周囲への警戒や支援に徹する事が出来るようになったのも大きい。

 また戦闘をこなしている間に気付いたというか、これは当然の事なのだが、先にリーダーを倒してしまえば、指揮をするモンスターが居なくなる為、戦略的な動きが鈍るのだ。

 鈍るだけで完全に統制が取れなくならない辺りは、10階層までよりも知恵があるという事なのだろうが、完全に統制された動きをされるよりは幾分楽にはなる。

 そんな訳で、5体以上の大量のモンスターとの無謀な戦いをしなければ、11階層でも十分な戦果を得る事が出来た。

 丸1日の探索でラースが得た経験値の約3割増の経験値を得る事が出来、多い日は5割増という日もあった。

 そのおかげで11階層を探索し始めてから僅か3日目でセフィーはレベル11に上がり、そこからは上昇した分だけレベルを貸して、更に取得経験値の割合が増えた事もあり、5日目でレベル12に、7日目である今日の探索では、レベル13に上がりそうな程の経験値を既に得ていた。

 本来であれば1ヶ月近く掛けてようやく1レベル上がるかどうかなので、驚異的な速さと言えるだろう。

 そんな2人は今、12階層の階段の目前まで迫っていた。


「セフィーさん!こいつらは僕が引き付けておくから奥のゴブリンを!!多分、あいつがリーダーだ!!」


 2体のタウホーンを相手にしつつ、ラースが冷静にモンスターの群れを観察した結果を伝える。

 タウホーンはセフィーがアンダガイナスに落とされる切欠となったモンスターだ。

 あの時は逃げるしか出来なかったが、今ならば互角以上の戦いをする事が出来る。

 その2体のタウホーンに隠れるように、レザーアーマーとナイフに身を包んだ子鬼のようなモンスターが居た。

 それがゴブリンだ。

 総合的な能力ではタウホーンには全然及ばないが、意外と賢くて狡猾。

 中には魔法を使うゴブリンもいる程で、リーダーとしてモンスターを指揮している事も多い。


「分かりました。ラースさんも気を付けて!」


 セフィーはエンチャントパワーと、先日覚えたばかりの、攻撃を受けた個所を瞬間的に硬化させて1度だけダメージを抑えるガイアスブロックをラースに掛けてから、ゴブリンに向けて駆け出す。


「セフィーさん!これを!!」


 ラースは左手で器用に腰に差した自身の刀を抜きながら、右手に持っていたオーガブレードを宙へ放る。

 放り投げられたオーガブレードをセフィーは減速する事無く右手で受け取り、その勢いのままゴブリンへと肉薄する。


「ありがとう。『天よ。その輝きでかの瞳の中を光ある世界に満たし給え』フラッシュアイズ!!」


 前に掲げた左手から、魔法の光がゴブリンの目へ向けて発せられる。

 光がその目に吸い込まれようとした瞬間、ゴブリンは目を瞑り、光が目の中に入る事を拒む。

 フラッシュアイズは魔法の光が目の中に入らなければ効果を発揮しない為、目さえ閉じてしまえば不発に終わるのだ。

 ゴブリン程の知能があれば、その対処法を知っていてもおかしくはない。

 だが、それは予想済み。

 セフィーとしては一瞬でも視界が閉ざされただけでも十分だった。

 その一瞬の間に間合いを一気に詰め、オーガブレードを一閃。

 ゴブリンはセフィーの気配を感じて危険を察知したのか、僅かに身体を逸らす。

 致命傷は与えられなかったが、ナイフを持った右手を斬り飛ばす事は出来た。

 更に1歩踏み込み、返す刀でその首を狙う。

 だがゴブリンもここで終わる訳にはいかないと、手を斬り落とされた腕を刃に振り下ろして、軌道を逸らす事に成功。

 右腕は肩口までスッパリと2枚下ろしになったが、首の方は皮1枚を斬り裂くだけにとどまる。

 人間族ならば激痛と出血多量で、勝負は決まっているのだろうが、相手は魔力で構成されたモンスターである。

 ダメージを受ければ叫んだりするので痛みは感じているかもしれないが、血は流れない為、出血多量で死を迎えるという事は無い。

 一定のダメージを与えれば動かなくなるが、頭を潰すか首を斬り落とす事で即座に行動不能にさせられるので、首から上を狙うのが定石だ。

 ラースのように手数でダメージを累積させる者もいるが、効率で考えれば、どちらが良いかは明白である。


「まったく。右腕が丸々無くなっても普通に動けるなんて、本当にモンスターって卑怯よね~」


 そんな軽口を叩く余裕がセフィーには生まれていた。

 普通に動けるとはいえ、武器を失ったゴブリンの脅威は格段に下がっている。

 その上、立て続けに攻撃を続けているので、リーダーであるゴブリンがタウホーンに指示を出している暇さえも与えていない。

 視界の隅では、ラースの目の前で1体のタウホーンが重たい音と共に崩れていく姿が見えたので、これで形勢は決まったようなものだ。

 オーガブレードによって残っていた左腕も斬り刻まれ、頭を守る術の無くなったゴブリンの頭を突き刺して止めを刺してから、ラースの援護へ回る。

 程無くして最後のタウホーンも倒れる。

 食用にも素材にもならないゴブリンからは武具や道具を剥ぎ取り、タウホーンからはオーク肉よりも高級なタウ肉を取り、素材となる角を切り落とす。

 残るは正面に見える12階層への階段のみとなった。


「11階層での戦いも余裕が見えてきたし、そろそろ上の階層に行ってみる?それともまだこの階層でレベル上げをする?」

「う~ん、やっぱりいつも通りに何度か、12階層で戦ってみて、どの程度なのかっていう確認はしたい所かな……」


 1つ下の階層でそれなりに戦えるからといって、次の階層でまともに戦えるかというと一概にそうとは言えない。

 ラースが7階層目で足止めされたように、例え適正レベルでも出てくる敵との相性で苦戦する事もある。


「そうだね。僕の方はそれほど問題は無いけど、セフィーさんが12階層でもレベル5を維持したままで大丈夫かとか、どっちの階層の方が取得経験値の効率が良いかとかも、調べないといけないし、取り合えず戦ってみようか」


 普通ならここまで細かく考える事は無い。

 だが2人の平均適正レベルは冒険者支援協会が推奨するレベルより低い。

 それをレンタルの魔法を使ってラースのレベルを底上げする事で、無理矢理戦える様にしているのだ。

 11階層ではセフィーの基本能力に補正が掛かっていたおかげもあり、レベル5という適正レベルの半分以下でもなんとか戦えるようだったが、12階層でも同じとは限らない。

 レベル5のままでも大丈夫なのか?

 それともレベル6や7に引き上げなければいけないのか?

 そしてセフィーの最低必要レベルを引き上げるという事はその分、ラースへ貸し出す分のレベルも下がる事となる。

 セフィーが強くなった分、ラースが弱くなり、これによりもし相対的に弱くなってしまったら、12階層で戦うよりも11階層で戦った方が安全で効率も良い。

 そういうのを割り出す為にも12階層で何度か戦う必要はあるのだ。


「それじゃ、安全策をとって3レベル分の貸し出しからねっ……ん?あれ?」


 ラースの手を取り、レンタルの魔法を発動させようとした瞬間、ふと紫色の何かが視界の隅に入る。

 ふとそちらに注意を向けるが何も無い。

 いや、再び視界の隅に紫の紐のようなものが2本程過ぎり、慌てて視線を向ける。

 そこは12階層へ向かう階段。

 紫色の何かは階段を上がっていったように見えた気がした。

 気がしたというのは、彼女達が居る場所は階段に近い、見通しの良い場所だからだ。

 もしモンスターが居れば、すぐに気が付くし、それは冒険者だった場合も同じ。

 それにもし他の冒険者ならば、挨拶くらいはするのが普通であった。

 だからこの場にいる限り、もし誰かが階段を昇り降りすれば分かるはずなのだ。

 にも関わらず“階段を上っていったように見えた気がした”だけなのだ。


「セフィーさん、どうかした?」

「えっ?あ、ううん。なんでもない。気のせいだったみたい」


 目の前のセフィーが手を取ったまま魔法も使用せずに、キョロキョロと視線を巡らせている姿に疑問を抱いてラースが尋ねるが、セフィーは首を横に振る。

 背中を向けていたラースに先程の紫色の何かの事を聞いた所で分かるはずもないし、自分達に襲い掛かって来なかったという事はモンスターの類でもないのだろう。

 害が無いのであれば、セフィーは今の所は気にしない事にしておく。

 多くの冒険者が探索しているとはいえ、この塔は未知の部分が多い。

 その未知に興味を惹かれないと言えば嘘になるが、今は未知を追って危険を冒すよりも安全に生き残る事を優先する必要があるのだ。


「よっし!それじゃ、12階層に行ってみましょう」

「気合を入れるのはいいけど、無理はしないようにね」


 セフィーとラースは自らの状態と装備を確認した後、12階層の階段へと向かう。

 だが後で思い知る事となる。

 どうしてあの時、気のせいにしてしまったのかと。

 危険を冒してでも急いで確認するべきだったと。

 しかし今のセフィーに、それを知る術は無い。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




 リューネルは夕刻の鐘が鳴る中、家路を急いでいた。

 魔導書を書く為に必要なペンとインクのモンスター素材を冒険者支援協会に受け取りに行っただけなのだが、思いの他、時間が掛かってしまった。

 あそこには結婚前に冒険者をしていた頃からの知り合いが何人も居る。

 未だ冒険者を続けている者、リューネルと同じように様々な理由で冒険者を辞めてしまった者、あの頃から冒険者支援協会で働く者。

 特に冒険者仲間達とは久しぶりに会った為、彼ら彼女らとの近況を聞いたり、昔話に花を咲かせていたら、随分遅くなってしまったのだ。

 今夜もセフィーが来る予定になっている。

 冒険者である彼女は塔の探索を終えた後に、疲れをおして娘のリュクルスの為にわざわざ足を運んで来てくれる。

 元冒険者であるリューネルにはそれがどれだけ大変な事か良く分かる。

 死と隣り合わせの探索を終えて、精神的にも体力的にも相当疲れているはずである。

 にも関わらず、セフィーはいつも笑顔を崩さず、リュクルスの事を思いやって誠実に対応してくれている。

 その事に親として報いるには何が出来るかを考えた結果、疲労の回復になるような夕食を振る舞う事にしたのだ。

 普段の料理はリューネルが全て1人で作っている。

 なので当然、最初の日はリューネルが作った。

 お腹を空かせた育ち盛りがどれくらい食べるか分からず、作り過ぎてしまったが、それも今では笑い話の1つになっている。

 その翌日からはリュクルスも一緒に手伝うようになった。

 リュクルスは冒険者になるのが夢だと言っているが、女の子なのだから料理の1つくらいは出来た方が良いとは常々思っていただけに今回の事はリューネルとしても嬉しい誤算だった。

 恐らくリュクルス自身も言葉以外で何かしら礼がしたかったのだろう。

 といっても始めてまだ数日。

 今の所は皮剥きや火加減を見るだけで精一杯だ。

 一応、今夜の食事の下拵えは出掛ける前に済んでいるので、スープくらいならば火に掛けて味付けをすれば作れるだろう。

 夫も居るのでそれくらいはやってくれているだろうが、それ以外は作れるか不明だ。

 早く家に戻らなければセフィーが来る前に料理が完成しない。

 冒険者支援協会の受付に居るルーナによれば、ここ最近のセフィーは夕刻の鐘が鳴ってから少ししたら探索から戻ってくるということだ。

 きっとリュクルスに会う為に早めに探索を切り上げてくれているのだろう。

 だからリューネル急いでいた。

 彼女が来た時にすぐに食べられるように準備をするために。


「ただいまぁ~。ごめんねぇ~。今すぐに支度をするからぁ~」


 店に入るとカウンターには『ご用の方は呼び鈴を鳴らしてください』という札が乗せてある。

 店に誰も居ないというのは無用心ではあるが、あまり心配するほどではない。

 正直に言えばこの店にはあまり客が来ない。

 リダルマースの店主は提携先という事もあり、自分が気に入った魔導師にこの店を勧めているようだが、大通りにはもっと規模が大きい魔具屋が何軒もある。目を引くのでそっちの方に行く冒険者の方が多いのだ。

 一応、盗難防止の為に魔法石等が入っているショーケースと魔導書を保管した書棚には魔法でカギを掛けている。

 魔法の使用者が認めた者以外は絶対に開けられず、また壊せないようにしてあるので、もし何かあっても心配する事は無い。

 それに例え自身の店が閑古鳥が鳴いていようと、杖やローブなどは提携しているリダルマースの武具屋の方で扱って貰っているし、魔導書もこのセブンスヘブンでは写本を作成出来る魔導師が少ない為、自分の店以外の他の店にも卸しているので、収入は十分にあり、こちらに関しても問題は無かった。


「もしかして~、2人だけで頑張ってたのかなぁ~?」


 リューネルは夫と娘が仲良く並んであれこれ苦心している様子を想像しながらキッチンへと向かう。

 来客が少ない事で一家団欒の時間を多く過ごせるので、リューネルとしても嬉しい限りである。


「あれ?2人ともいないの~??」


 だが予想に反し、キッチンには誰も居なかったし、リューネルに答える声も無い。

 代わりに答えたのは火に掛けっ放しになっていたスープの鍋が吹き零れる音。

 鍋に火を掛けたまま目を離して誰もいなくなるという事はあり得ない事だ。

 客が来ているならまだしも、今通って来て分かるように店内には誰1人居なかった。

 つまり何かがあったという事だ。

 元冒険者としての勘がただならぬものを感じ取り、警戒しつつゆっくりと鍋の方へと向かう。

 そして鍋の手前で床に投げ出された足が見えた。


「あなたっ!」


 リューネルには一目でそれが誰の足かはすぐに分かった。

 床に倒れる夫の下に駆け寄る。

 見た目上、目立った外傷は無い。胸に手を当てて鼓動を確かめるが、それも正常。

 どうやら意識を失っているだけだというのが分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 だがそれも一瞬のこと。

 再び気を張り直して、今度は娘の姿を探す。


「リュクルス~!居たら返事をしてぇ~!!」


 夫の意識を失わせた存在が周囲には居ないようだと気配から察知出来たので声を出して娘を探す。

 だが返事は返ってこない。

 そんな広い家では無い。

 どこかに隠れているとしてもリューネルの声くらい聞こえるはずだ。

 それなのに返事がない。

 つまり夫のように気を失っているか、もしくは……。

 最悪の結末が過ぎり、それを頭を振って振り払いながらリューネルは周囲に魔力を張り巡らせていく。


「リュクルス…どうか無事でいて。『炎を宿し聖なる御霊よ。我が瞳に其の炎の輝きを映し給え』サモグラフサーチ」


 リューネルに瞳に炎の力が宿り、周囲の熱を見る事が出来るようになる。

 鍋を掛けた火が最も輝きを放ち、その傍の床には夫の体温が感じられる。

 しかしそれだけだ。

 家の中にそれ以外の熱は感じない。


「ああ、そんな……リュクルス……」


 どこかに遊びに行って、まだ帰っていないなんて都合の良い希望など持たない。

 リュクルスは毎日、セフィーが来る事を楽しみしていたのだ。

 どんなに外に出掛けていても夕刻の鐘が鳴る頃には何があろうと必ず帰宅し、料理の手伝いをしていた。

 だから帰宅しないなんて事はあり得ない。

 つまり今この家に居ないという事は……。


「誘拐?いえ、そんな事をしたらこんな小さな街ならすぐに犯人は分かってしまう」


 それに身代金目的なら小さな魔具屋の娘を攫った所でたかが知れているし、いくらリューネルが魔導書の写本が作成出来るからといっても、そこまでのリスクを冒してまで手に入れるような代物でも無い。

 確かに高位の魔導書になれば価値は高いが、それを書く為の魔導書用のペンとインクもかなりレベルの高いモンスターの素材が必要となるので、差し引くと見た目ほど利益は上がらない。

 それ以前の問題で、高位の魔法を使える者の数が少ないので、需要も少ない。

 一体何が目的なのかリューネルには見当もつかない。

 考えている内に店先で人の熱を感知する。

 リューナルは慌てて店へと向かう。


「リュクルスっ!!」

「え、えっと、こ、こんばんは」


 そこに居たのはリュクルスでは無く、セフィーだった。

 目に見えて肩を落とすリューナル。


「あ、あの…リュクルスちゃんがどうかしたんですか?」

「…セフィーさん……娘が…リュクルスが…………」


 リューナルは力無い声でセフィーに経緯を説明し始めるのだった。

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