第3貸 逃走の果て

 意味も分からずレベルは下がり、更に全く知らない場所にいるという現実。

 既に1度放心している為か、それとも脳の許容量を越えた事態に小難しく考える事を諦めた為か、セフィーはかなり冷静だった。


「とりあえず、ずっとここに居ても仕方ないよね」


 それなりの時間をここに座って過ごしていたが、誰の姿も見つける事が出来ない。

 こうなればこちらから動いた方が良いと思い、セフィーは立ち上がり、マントローブについた砂を払う。

 海側へは船も無ければ筏を造れるような木片も落ちていないので除外。

 砂浜を歩くべきか、塔のようなものを目指すべきか。

 砂浜は延々と続いているように見える。

 遥か先で途切れているようにも見えるが、移動の手段が徒歩しかないので、そこまで辿り着くのに何時間掛かるかは分からない。

 一方、塔の方は高さのせいで錯覚しがちだが、意外と近い場所に建っているようだ。

 流石に数分で辿り着けるような距離ではなさそうだが、1時間も歩けばその周辺くらいまでは近付けるだろう。


「なら選択肢は1つ!それにもしマトラさんやミルコさんも同じ場所に来ていたとしたら、一番目立つものを目指すと思うしね」


 そしてセフィーは歩き出す。

 駆け出しとはいえ彼女も冒険者だ。

 彼女は幼い頃からまだ見ぬ世界を探索するという夢を追い続けて冒険者になったのだ。

 そして今、目の前には夢にまで見た彼女の知らない未知の世界が広がっている。

 ここで足を踏み出さない理由は無い。


「それにしても本当にここはどこなんだろう?」


 砂浜を抜け、浜を囲うように立っていた防風林を越えると草原が広がっていた。

 所々に疎らに林のようなものがある。

 目指す塔はその林の中の1つに囲まれていた。規模は周囲の林に比べて大きいので森といった方が正しい表現だろう。

 しかしトマスの町の周囲にある森とは全く違うのは一目で分かる。


「やっぱりトマスの近くじゃないってことだよね、これは」


 トマスの町は山奥にあり、周囲は見渡す限り樹木の緑と山脈の青しかない場所だ。

 こんなに海岸は近くに無いし、広大な草原も存在しない。

 やはりここはどこか別の場所なのだと改めて実感する。

 そして彼女には何となくではあるがその事に心当たりがあった。


「う~ん、もしかしてあの時、何か転移魔方陣とかがあって偶然発動しちゃったとかかな~?」


 転移魔方陣はその名の通り、発動した魔方陣に乗ると別の場所に瞬時に移動出来るという便利なものだ。

 しかし既に失われて久しい魔法技術であり、古代遺跡とかダンジョンに稀に存在する事がある。

 だが転移魔方陣のせいだと考えれば今の状況も説明が付くような気がする。

 なのでセフィーはあの時の記憶を思い返す。

 それはレベルが下がった事に気付き、泣きそうになりながらトマスの町に戻る途中の事だった。



*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *



 セフィーは肩を落とし力無くトボトボとマトラの後ろを歩く。


「うぅぅ~、今日は朝から最悪~。朝からいきなり因縁つけられ、黒曜姫の前で変な事言って皆に笑われ、挙句にレベルまで下がるなんて……。私が一体、何悪い事したっていうのよ~!!!」


 森の中で仲間以外には周囲に誰もいないので、ついつい叫んでしまう。

 これまでの人生を真っ当に生きてきたし、素質も成長も人より未熟だった故、冒険者になる為に人の何倍も努力を重ねてきた。

 しかし冒険者になる事が出来て、ようやく少しは報われたと思った直後にこれである。

 どこかの偉い人が、神は乗り越えられない試練は与えないとか言っていたような気がするが、いくらなんでも過剰に与え過ぎである。

 もし下がったレベルを取り戻す機会があるのだとしても、こんなズタボロな精神状態では試練を乗り越える気力さえ湧いてこない。

 本当ならこの場にへたり込んで泣き出したい気分だが、それは宿に帰ってからだ。

 松明を手にしてマウラットからの襲撃は無いが、ここはまだモンスターが蔓延る地域なのだ。


(それに2人に迷惑を掛けたくも無いし。というかミルコにだけは絶対に泣き顔なんて見せたくないし!!)


 なので、なけなしの気力を振り絞って泣くのを我慢して、その代わりにぶつける対象の無い怒りや不満を叫びという形で表しているのだ。

 しかしセフィーがそんな叫び声を上げたのが悪かったのか、ただ単に運が悪かっただけなのか、彼女達の前にそれは現れた。

 いち早くそれに気付いたのは狩人のミルコだった。


「うわっ、もしかしてこれもセフィーちゃんの不幸パワーのせいかな。ヤバい奴の縄張りに入っちゃったみたい」


 ミルコが冷や汗と共に声を絞り出す。

 この森で能動的に襲ってくるモンスターはマウラットだけであるが、だからといってそれ以外のモンスターが生息していなわけでは無い。

 単純にこの森に生息するマウラット以外のモンスターは縄張り意識が強く、自身の縄張りに入らない限りは襲い掛かってくる事は無いのだ。

 そう。縄張りに入らなければ。


「……確かこの森にはタウホーンが居るはず……」

「えっと、そいつって確かレベル10が4人掛かりで戦っても勝てるかどうかって相手じゃなかったっけ?」


 マトラの呟きにセフィーの青白い顔が更に白くなる。

 役に立つと思って今現在で判明しているモンスターについても彼女は一通り調べていた。

 特に初心者の狩り場として有名なこの森についてはマウラット以外のモンスターの生態や強さ、能力といったものは入念に調べていた。

 縄張りに入り込まなければ問題無いとはいえ、その縄張りが明確に線引きされている訳でも無く、偶然足を踏み入れる可能性もあったからだ。

 タウホーンはこの森の中ではかなりの強さを持つモンスターだ。

 頭部に巨大で鋭い2本の角を持った小さいものでも体長2mはある猛牛だ。

 その突進はこの辺に生えている木など軽く薙ぎ倒すだけの力を持っている。

 マウラットも本能的に分かっているのか縄張りには近付かないので、マウラットの気配が全く無い場所に行かなければ、そうそう縄張りに踏み入れる事は無いのだが、今回はマウラットを遠ざける為に松明を掲げていたせいで、その事に気が付けなかったのだ。


「と、とりあえず走るよ!!」


 縄張りがどこまでで、タウホーンがどこにいるかは分からない。

 走った所でタウホーンが全力で追い掛けてきたらすぐに追いつかれるだろう。

 だからといって戦えるような強さも無い。

 となれば縄張りの外まで全力で逃げるだけだ。

 運が良ければ、タウホーンに出会う前に縄張りから脱出する事が出来るだろう。

 セフィーの言葉に頷いている暇も惜しむように3人は走り出す。

 森の外を目指して無我夢中で走る。どこをどう走ったかすら覚えていない。

 気が付けばセフィーは森の中に1人。

 周りを気に掛ける余裕が無かったのでこれは当然の結果だ。

 ミルコは狩人という事もあり身軽で足も速い。打って変わってマトラは全身鎧に身を包んで重い為、当然、足も遅くなる。

 そしてセフィーは丁度その中間くらい。

 そんな各々が脇目も振らず全力で逃げればバラバラになるのは当然だった。


「はぁはぁはぁはぁ……2人ともちゃんと逃げられたかな……」


 走っている最中にマウラットが横切って行くのが見えたので、もうこの辺はタウホーンの縄張りの外だろう。

 まだ森を抜けていないので安心は出来ないが、セフィーは息を整える為に手近にあった木に寄り掛かる。

 ゆっくりと息を整えながら仲間の身を案じる。

 いくら脳筋の変態と軽薄な女誑しと言えど、冒険者となって初めてパーティーを組んだ信頼した仲間である。

 心配をするのは当然である。

 確かにそれは当然ではあるが、今の彼女に人を心配する余裕なんていうものは無い。

 なぜなら現在の彼女のレベルは1であり、10歳児以下のステータスになっている。

 ミルコとマトラの方がレベルは高く、生存率的には2人の方が上なのだ。

 最弱モンスターであるマウラット1匹を相手に苦戦するのが、今の彼女である。

 しかもマウラット避けに松明を持っていたのは一番前を進んでいたマトラと最後尾のミルコの2人。

 2人に挟まれていた上に具合も悪かった為に、セフィーは松明を持っていなかった。

 今日の探索も、暗くなる前には切り上げる予定だったのでカンテラ等の火を灯す道具も用意はしていない。

 それがどういう意味か。

 駆け出しとはいえセフィーにも理解出来る。


 ガサリ


 唐突に背後の茂みで何かが動く音が聞こえ、セフィーの体がビクリと跳ねる。

 恐る恐る振り返ると茂みの中から3匹のマウラットが現れる。

 もしこれが昨日ならば、ここまで恐がる必要も無かっただろう。

 レベルも3であったし、仲間も居た。

 だが今のセフィーにはその全てが失われている。

 たった3匹といえど、脅威以外の何物でもない。


(お願い。まだ襲ってこないでよ)


 なんとか息は整いつつある。

 もう一度全力で逃げ出す事はなんとか出来そうである。

 ゆっくりと息を吐きながら少しずつ後退りし、マウラットとの距離を開けていく。

 右の太腿に括りつけていた矢筒から、そっと矢を1本引き抜く。

 弓を番えている暇は無い。

 そもそも能力の低下により、ちゃんと狙いを定めても命中するか怪しい。

 一瞬でも注意を逸らす事が出来れば良い。

 だから握った矢をそのまま手で投げ付ける。

 そして矢の行方を確認する事無く、マウラットに背を向けて走り出す。

 何も考えずただひたすらに走る。

 振り返っている余裕は無いが、背後からマウラットが追って来ている気配と足音は感じる。

 しかもその数がどんどん増えているように感じるのは気のせいではないだろう。

 気付けばまるで怒号のような足音を轟かせてセフィーを追い掛けて来ている。


「いやぁぁぁ~~~~!!!誰か助けてよぉぉぉ~~~~!!!」


 いくら森が広いとはいえ、これだけの距離を走っているのに他の冒険者と全く出くわさない。

 これは運が悪いとしか言いようが無い。

 しかし彼女の不運はこれで終わりではない。

 逃げる先、木々の向こうが明るくなっている。森が切れて光が差し込んでいる証拠だ。


(やった!ようやく森を抜けるっ!!)


 息は乱れ、喉はカラカラに乾いてひりつく様に痛い。

 足はパンパンに腫れて、一歩を踏み出すのもやっとなくらい重い。

 セフィーは最後の力を振り絞って光に向かって走る。


「やった~!助かっ……た?」


 確かにそこは森が途切れていた。

 だが同時に先程まで蹴っていた大地も途切れていた。

 まるで森も地面も切り取られたかのようにそこには何も存在しなかった。

 あるのは深い深い闇色の穴だけ。


「嘘ぉぉぉぉ~~~!!!!」


 自身の不幸を呪いながら闇の中へと落ちていく。

 そしてセフィーの意識は遠のいていく。

 意識を失う瞬間、魔方陣が仄かに輝くのを見た気がした。



 *



 そしてセフィーの記憶は今に繋がる。


「うん、やっぱりあの落とし穴みたいなのが原因よね、多分」


 いくら山岳地帯とはいえ、森の中にあんな大穴があるという話は聞いた事が無い。

 意識を失う前に見たような気がする魔方陣の輝きから、人為的に作り出されたものだろうと推測出来る。

 といってもここ最近に作られたものではないはずだ。

 もしあれが転移魔方陣だとすれば、その作製方法は今は既に失われているので、古代文明の産物のはずである。

 考えられるのは地崩れなどで地下に眠る古代遺跡か何かが露出したという所だろう。

 しかしこれらはセフィーが知り得る知識を基に立てた推論でしかない。

 実際にそれが事実かどうかを確認する事もその手掛かりも一切無いし、それが分かった所で元の場所に戻れるという保証も無いので、一先ずこの事は頭の隅に追いやる。

 今必要なのはここがどこかという事だ。


「いくら未知の場所を探索するとしてもちょっとくらいは情報が無いとどうしようもないしね」


 遠目で見た所、天まで届く塔の近くには街があるのが分かった。

 そこに行けば何かしらの情報も得られるだろう。

 幸い、塔と街を囲む森までは短い草木しか生えておらず、見通しが良い。

 身を隠す場所も無いが、人やモンスターを発見しやすくもある。

 レベル1になって非力な今のセフィーにとってはどんな低レベルのモンスターでも脅威だ。

 見晴らしのいい場所ならモンスターとばったり出会うなんて事が無いので、逆に安心して移動が出来るのだ。

 しかしそんな彼女の心配は杞憂に終わる事になる。

 塔を囲む森に入り、だがその森もすぐに抜け、目の前にはモンスターの襲撃から街を護る城壁のようなものが一切無く街並みが広がっている。

 長大な塔を中心にドーナツ状に街が広がり、更にその街の周囲を木々に囲まれている。

 森だと思っていたのは規模的には林に近い。

 背が高く葉の多い木が密生していたので、遠目には森に見えたのだ。

 

「うわぁ~、凄い……」


 街の光景を見て、セフィーは思わず声を上げる。

 通りを歩く人のほとんどが武器や防具に身を包んだ冒険者なのだ。しかも軽く見回しただけでも多種多様な種族が居る事が分かる。

 セフィーと同じ人族はもちろん、長寿で美形が多く耳が尖っている事が特徴の妖精族、小柄だが腕力があり、優れた鍛冶能力のある小人族、獅子の顔と高い身体能力を持つ獅獣族などなど。

 知識としてはあっても実際に目にするのは生まれて初めての種族ばかりだった。

 セフィーは今の状況も忘れて浮かれ気分で、まるで初めて都会に出てきた田舎者のようにキョロキョロと周囲を見回す。

 そんな様子に気付いたのか、通りを行く1人の冒険者がセフィーに声を掛けてくる。


「お嬢さん。もしかしてここに来るのは初めてかな?」

「え、あ、その、えっと……」


 声を掛けて来たのは背中に鳥の翼の生えた鳥人族の20歳くらいの青年だった。

 ミルコのニヤケ顔とは全く異なる爽やかな笑顔が、短く刈り揃えられた茶色の髪と相俟って好青年の印象を与える。

 腰に刀を提げているので、職業は武士とか刀剣士といった所だろう。


「まぁ、初めてなら混乱するのも無理は無いよね。実を言うと僕も3ヶ月前にここに落とされた時は取り乱して大変だったし」


 青年は苦笑する。そんな姿さえ格好良いのだから、美形は得である。

 セフィーは少し青年に見惚れながらも、言葉の中に違和感を感じる。

 折角なのでその違和感の正体とここが何処なのか、そして何という街なのかを尋ねてみる。


「あの落とされたってどういう意味ですか?それとここは何処なんでしょうか?」

「ここはミドガイナスの大地の下にある世界、アンダガイナス。そしてこの街は地上から落とされて来た冒険者達が作り上げたアンダガイナス唯一の街、セブンスヘブンだよ」

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