第4話 残されたもの(六月三十日)

(六月三十日)


 六月三十日の朝、泣き腫らした顔の寺井に呼び出されて中庭へ行き、周囲に人気がないことを確認した寺井は耐え切れない様子でボロボロと泣きながら安岡の死を告げた。

「昨日の夜、会長が殺されたって妹さんから連絡があったの」

 それはセリたちにとってあまりにも衝撃的な言葉だった。

 つい昨日の夕方別れた安岡が死んだなどと突然言われても実感が湧かず、しかし目の前で泣いている寺井の様子からして冗談でないことは明白である。

「なんで……」

「七時頃、ちょっと出かけてくるって家を出たまま帰って来なくて、家族で探し回ってたら日比野公園の遊歩道に倒れてたって警察から電話が着たって……」

 そこまで言って、寺井はわっとその場に崩(くず)折(お)れた。

 セリはそれを呆然と見下ろすことしか出来ずにいた。

 昨夜も今朝も携帯は鳴っていない。ということは、今回は偶然なのだろうか。それにしてはタイミングが良過ぎると頭のどこかが囁く。事件の話をした当日に殺されるなんて、どう考えても何かあったとしか思えなかった。

 すぐに携帯を取り出し、セリは友浦に電話をかける。

「おはようございます、あの、昨日の夜日比野公園で発見された……。ええ、はい、そうです、ミステリー研究部の会長です。調べてみてもらえませんか?」

 セリは友浦に確認を取った。確かに昨夜死んだのは安岡保治で間違いなかった。

 聞くと、鋭利な刃物で腹部を刺されたことによる失血死だったそうで、凶器は見つかっていないが、現場から犯人のものと思しき下足痕が採取されたらしい。だがその下足痕も靴の裏側を削ってあるのか種類を特定するのは難しいようだ。

 そして今現在、警視庁で安岡の遺留品を調べているところだと言う。

「……え?わたしは愛香と翔真君、ミス研副部長の寺井先輩の四人でいますけど。…はい、わかりました」

 ちょっと変な顔をして通話を切ったセリに翔真が問う。

「どうかした?」

「寺井さんに替わってくれって」

セリはそっと携帯を寺井に差し出した。

寺井はそれを受け取ると、耳を当てる。

「はい、寺井です。いえ、すみません、誰と会うかまでは私も知らないです」

いくつか質問をされたのか寺井が答える。

そのうち、ふと思い出した様子で寺井が顔を上げた。

「そういえば、会長はよくミステリーを解く時にパソコンを使うって言っていました。はい、もしかしたら何か書いてあるかも……」

寺井はもう一度返事をした後、セリへ携帯を返した。

「はい、わかりました」

失礼します、と電話を切ったセリに愛香が問う。

「何だって?」

「安岡先輩の家に行ってみるって」

「そっか、何か見つかるといいね」

それに頷いたところで講義の予鈴が鳴る。

仕方なく四人は一旦分かれて講義を受けに行った。

けれども、全員頭の中は事件と安岡のことで上の空だった。

昼休みにもう一度集まった頃、セリの携帯が鳴る。

見ると友浦からの着信だった。

「もしもし?」

今、全員いるかと問われてセリは目を瞬かせた。

「はい、愛香、翔真君、寺井先輩、全員居ます」

友浦はそれを確認すると、すぐにそちらへ向かうと言って電話を切った。

「誰からだったの?」

 翔真に問われて首を傾げながら答える。

「友浦さん、今こっちに来るって」

「……そうなんだ」

 ふっと溜め息を零す翔真にセリは違和感を覚えた。

 それが何なのか分からず内心で首を傾げたものの、友浦は電話から二十分ほどで来た。

 厳つい顔を顰めてやって来た友浦と、悲しげに眉を下げた堤という対照的な様子の二人に連れられ、四人は二台の車にそれぞれ二人ずつ乗って事件の本部がある警視庁へ行った。重苦しい空気に誰も口を開かないまま到着した途端、友浦が車外に出た翔真の腕を引っ掴む。

「足のサイズは?」

「二十六.五センチです」

「その靴、買ったばかりか? 新しいな」

「昨日買ったものなので」

「……もう分かってんだろ?」

 突然の友浦の奇行に驚くセリたちとは裏腹に翔真が頷く。

「やっぱり安岡先輩は他にも手かがりを残しておいたんですね」

「ああ」

「さすがに家までは行けませんでしたし、その可能性もあると思っていました」

 目を白黒させているセリたちに振り返った翔真は薄く笑った。

「犯人は僕だよ。綾部さんも宮坂先輩も、安岡先輩も、僕が殺した」

 差し出された翔真の両手首に友浦が無言で手錠をかける。

 突然のことに立ち尽くしていたセリたちを堤が警視庁の一角にある小会議室へ通し、何故翔真が犯人だと分かったか説明することになった。

 公園で殺された桐ヶ峰大学の生徒がセリより聞いていたミステリー研究部の会長・安岡保治であると気付いた友浦と堤はすぐに彼の自宅へ行き、その自室で今回の事件の概要が書かれた大量の紙の束とリストを見つけた。リストは綾部麻美と宮坂栄祐の共通した友人の名が書かれたもので、友浦たちも翔真から受け取ったものだった。

 そこで家族の許可を得て安岡のパソコンを調べたところ、一番最後に使用されたツールがメモ帳で、何か文章が保存されていることに気が付いた。

 そのファイルを開けてみると安岡が書いただろうものが残されていたのだ。

「証拠はないが犯人ではないか思い当たる人物がいる。これから会って確かめるつもりであるけれど、出来ればこの仮説が外れていることを願う。手がかりはリストはないのに現実ではいるはずの人物。ペルセウス、彼のその真髄はまさしく矢島セリにある」

 安岡の身近で‘彼’と呼び、矢島セリに関係のある人物、更に実際は宮坂と同じサークルであり綾部と同じ学科であるにも関わらずリストにない名前と言えば金江翔真しかいない。友浦の中で引っかかっていた点についても彼が犯人ならば万事解消する。

「昨日まで履いてた靴は多分、裏が削ってあったはずだ。だから犯人の足のサイズは分かっても、下足痕から靴の種類まで特定出来なかった。……二十七日も裏がない靴を履いてたから、あの時転んだんだろ?あの部屋の下足痕を調べたら一つだけ同じものがあった」

友浦の追及に翔真は薄く笑った。

「その通りです。刑事さんのことですから、通話履歴も調べられましたよね?」

「ああ、だがその後お前と会ったかどうかまでは断定出来ん」

「ここで否定なんてしません。会いましたよ、安岡先輩と」

 一応裏を取るために携帯会社から得た安岡の携帯の履歴には翔真の番号があった。

 これで確定だ。そう思って慌ててセリへ電話し、全員が居たことは幸いだった。

「……嘘でしょ……?」

 セリは椅子に座ったまま、ただただ繰り返し嘘だと呟く。

 その様子を見た愛香が背中を擦ったが反応はない。

 宮坂の件からずっと一緒に調べて、よく話すようになり、いつも自分を気遣ってくれる翔真の存在はセリの中で大きくなり、家に呼ばれたあの時にはもう既に彼のことを好きになってしまっていたというのに。

 ……それなのに、まさか犯人が金江君だったなんて。

 項垂れていると見知らぬ刑事がやって来てセリたちを取調室と書かれた部屋の前まで連れて行き、愛香と寺井、セリを取調室の隣の部屋へと招き入れる。

 そこは取調室が見えるようになっており、質素なテーブルを挟んでパイプ椅子に翔真と友浦が座り、壁際の机に一人の刑事が座ってパソコンに向かっていた。部屋は四畳もないくらいの狭さだった。

しばらく友浦が翔真に話しかけたが翔真は何故か口を噤んでいる。

 溜め息を零した友浦がバツが悪そうに頭を掻いてこちらへ振り返った。

「お嬢ちゃん以外に話す気はないってか? 悪いがコイツから調書を取るためにも、お嬢ちゃんのためにも協力してくれないか?」

かけられた声に取調室へ行けば、翔真の正面にある椅子を指で示される。

 正直言えば聞きたくない。でも何故なのか知りたい気持ちもあった。

 躊躇いながらも椅子に座ったセリに翔真は嬉しそうに微笑んだ。

「セリさんなら絶対聞いてくれると思った」

 どこか薄ら寒ささえ覚えるその笑みにセリは問うた。

「どうしてこんなことしたの?」

「……そうだね、最初から順に説明しようか。始まりは中学二年生の夏、セリさんに助けてもらったあの日だったように僕は思う。全てはあれから始まった」

 まるで素晴らしい詩を語る吟遊詩人の如く翔真は朗々とした口調で話し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る