第33話 何を優先すればいい?


「利根4号機より入電! 『敵ラシキモノ10隻見ユ』!」


 ラッタルを駆け上がってきた伝令兵が、声を張り上げる。

 草鹿の顔に、驚愕が広がっていく。


「……なん……だと……」


「繰り返します、敵らしきもの10隻見ゆ! ミッドウェーよりの方位10度、240浬、針路150度、速力20ノット! 発信時間は17分前、暗号解読のため報告が遅くなりました!」


 士官達がどよめく。反対に洋平は、大きく息を吐き出した。

 兵装転換は回避された。洋平だけでは、多分押し切られていただろう。黒島亀子が赤城に乗っていたことが、怪我の功名となった。


「……機動部隊? 想定より、早い」


 その亀子は目を訝しげに細める。

 敵空母はこの時点ではまだ真珠湾におり、ミッドウェー空襲の知らせを受けて出てくるというのが彼女の計画の前提だった。名軍師にとっても、想定外の局面。


「参謀長! 報告のあった敵艦隊の位置は、本艦隊の北東約200浬です」


 通信参謀の少女が、草鹿に駆け寄る。途中で言葉を区切り、洋平の方をチラチラと窺いつつ、


「その……もし本当に空母がいるとすれば、既に本艦隊を攻撃可能な距離です。先手を打った方が」

「まだ空母がいると決まったわけじゃない」


 草鹿の声は迫力を欠いた。

 確かに利根4号機の第一報は、敵艦隊の艦種を特定していない。しかし3時間程前には洋平の言った通りのタイミングで敵の哨戒機が現れ、そして今再び洋平の予言は的中し、ミッドウェー北北東、利根4号機の索敵線上に敵艦隊が発見された。そこに空母は必ずいると洋平は言い続けてきたのだ。一航艦の少女達の洋平を見る目は、当初とは様変わりしていた。


「二航戦・楠木司令官より意見具申! 『第二次攻撃隊直チニ発進ノ要アリト認ム』!」


 飛龍の楠木多恵からの信号が追い打ちをかける。2ヶ月前のセイロン沖海戦と似通った状況。草鹿は答えず、脂汗を浮かべて空を睨む。

 時刻は現地時間0800を回ったところ。

 彼方から、遠雷に似た低い轟きが鼓膜を震わせ始めていた。ミッドウェー方面の空に、ぽつりぽつりと機影が浮かび、やがて約100機の大編隊となって現れる。先頭の数機がバンクを振った。友軍機の合図だ。


「第一次攻撃隊が帰ってきました! 着艦を求めています」


 直後に別の見張員が、緊迫した声を上げる。


「その後方、敵機ですっ! 新たな敵16機!」


 基地航空隊の第二波だ。

 到着時間に差があるのは遠回りでもしてきたせいか、編隊もばらばらでお世辞にも連携がとれているとは言えない。

 だが皮肉なことに、それが絶妙な波状攻撃効果を生んだ。

 まずは、無敵を誇った赤城の守護者達に異変が起こる。


「直掩機が着艦を求めています!」


 半分近くの零戦が敵機の迎撃に向かわずに、赤城の上をぐるぐると旋回し始めた。

 彼女達の主武装である20ミリ機銃の威力は圧倒的だが、携行弾数が少ないという弱点がある。戦い続けるためには、着艦して補給を受ける必要があるのだ。

 さらに、


「第一次攻撃隊より入電、『我、燃料残リ僅カ』!」


「うぬぬ……」


 空を睨んだままの草鹿が何に苦悩しているか、洋平にはわかる。

 この時代の空母にアングルド・デッキは無い。飛行甲板は直線式だ。

 発艦と着艦を、同時に行えない。


「楠木司令官より再度、意見具申! 『直チニ発進ノ要アリト認ム』!」


「……ここは、燃料が切れかけた第一次攻撃隊の着艦が最優先……利根4号機には『敵ラシキモノ』が何か確認させて、第二次攻撃隊を出すか判断するのはその後でも……いや」


 駄目だ。草鹿は悲痛な声で呟いて、かぶりを振る。


「何を優先すればいい……何を……」


「最優先なのは、知性が切れかけたあなたの頭の解剖」


 亀子がぼそりと毒を吐く。


「脳を食べる新種のアメーバが棲みついているはずだから、培養してヴィンランド本土にばら撒く。戦局は一変する、山本長官も喜ぶ」

「黒島大佐、キミはやっぱりボクを馬鹿にしているんだな!」

「無能なあなたの采配では、私の作戦計画が台無し。敵艦隊が現れたのなら、第二次攻撃隊の発艦が先に決まっている」

「第一次攻撃隊はどうするんだ! このまま待たせていたら燃料切れでみんな海に墜ちてしまう!」

「それが何? 第二次攻撃隊の発艦が先」


 海水よりも冷たい声に草鹿は一瞬ひるんだが、今度は上空を旋回している零戦を指差す。


「攻撃隊に付ける護衛はどうする。赤城の零戦は全機直掩に上げてしまったぞ!」

「裸で出せばいい」

「え、は、裸だって? いきなり何の冗談だ! 黒島大佐は聞くところによると全裸で大和を徘徊したことがあるらしいが、キミのような変態とうちの姫達を一緒にしないでくれないか!」

「……。可哀想、本当に可哀想。あなたのような人が参謀職でいられるのは、葦原海軍の神秘」

「キミにだけは言われたくない!」


 徐々に不毛になっていく一航艦参謀長と連合艦隊先任参謀の口論に、洋平は割って入った。


「こうしましょう。まずは今上がっている戦闘機隊を一旦全て収容して下さい。補給が完了し次第、第二次攻撃隊と共に敵艦隊に向け発艦。これで護衛の問題は解決です」

「赤城の直掩はどうするんだ!」


 草鹿の詰問に、洋平は笑ってみせる。ようやく切り札を使う時が来た。


「忘れましたか。後方の瑞鶴に、零戦15機が待機しています」

「あ……! じゃ、じゃあ第一次攻撃隊の着艦は?」

「それも瑞鶴です。戦闘機隊が発艦した後は完全に空(から)になりますから。瑞鶴の搭載可能数は72機、飛行甲板も使えばもっと積めるはずです。赤城、加賀、蒼龍、飛龍は発艦を優先です」


 戦闘機隊しか載せていない瑞鶴をここへ連れてきた2つ目の理由。

 珊瑚海海戦の時に提案したが却下された、複数空母による発艦と着艦の分業だ。

 ただし、と洋平は続ける。


「瑞鶴1隻に4隻分の攻撃隊100機以上が着艦となれば、順番待ちの間に燃料が切れる機体も出てくるでしょう。その時は海面に不時着して貰うしかありません。駆逐艦を近付けて搭乗員の救助に当たらせて下さい。全員女の子だから、海は泳げるはずですよね」

「泳げるけど……それでも着水は危険だ! 機体だって貴重品だぞ、むざむざ海に捨てるのは……」

「母艦が沈めば、どのみち同じことです!」


 第一次攻撃隊として飛び立って行った少女達の顔は、洋平もまた目に焼き付けている。だがこうしている今も、敵空母の放った攻撃隊がこちらに向かっている。先手は既に打たれているのだ。

 洋平は咄嗟に隠し持っていた「提督たちの決断」wikiのメモ書きを取り出し、開いて読み上げた。


「1022時、加賀被弾、炎上。加賀は艦橋が吹き飛び艦長以下即死。1025時、蒼龍被弾、炎上。蒼龍は最初の一撃で機関部が全滅。1026時、赤城被弾。兵装転換の混乱で格納庫内に散らばっていた爆弾に次々と誘爆。1046時、一航艦司令部は炎上する赤城を放棄、長良に移乗」


 誰かが、しゃっくりのような短い悲鳴を上げた。草鹿は血の気の失せた唇を、かたくひき結ぶ。


「左舷130度敵機、急速接近!」「対空戦闘、撃ちぃ方始めっ!」


 直掩隊が撃ち漏らした敵の雷撃機が接近してくる。今度は高角砲と対空機銃が一斉に火を噴いた。

 激しい連続音が鼓膜を叩き、砲煙と弾幕の茶褐色が視界を覆う。その切れ目を、砲弾と機銃弾が光の束になって空へあがっていく。

 しかし敵機は対空砲火を全てくぐり抜け、魚雷を放った。


「おもーかーじいっぱーい!」


 艦が大きく揺れる。

 雷跡が艦尾を掠めたところで、追いついた零戦がようやく敵機を撃ち墜とす。


「……源葉参謀の戦術を実行に移すとして、問題が1つ」


 硝煙がたちこめる中、亀子が冷静に指摘した。


「瑞鶴から戦闘機隊が到着するまで、直掩がもつか怪しい」


 絶え間なく押し寄せる敵機に対し、赤城直掩隊の零戦はこうして見ている間にも1機また1機と弾切れを起こしている。恐らく史実より早い。洋平が、空母を散開させたからだ。

 史実通りならば南雲機動部隊は空母4隻が辺長5キロ未満の四角形に密集していたので、各空母の直掩隊が互いにカバーし合えた。

 今、赤城と味方空母との距離は一番近い瑞鶴で45キロある。零戦のスピードでも5分、いや、発艦や加速の時間も入れたら倍の10分はかかるだろう。


「源葉参謀は集団運用のメリットを敢えて捨てたのだから、当然、何か策は考えてあるはず」


 亀子の声と視線が冷たい。洋平は、防空戦の指揮を執っている艦長の青木大佐を呼んだ。


「これから先も、敵は当分雷撃狙いです。10分間、回避運動だけで持ち堪える自信はありますか」


「何を言ってるんだキミは!」


 草鹿が目を剥き、亀子が呆れた様子で首を振る。

 赤城艦長の青木大佐は宝塚っぽい草鹿とは対照的で、書店で働いていそうな落ち着いた雰囲気の女性だったが、洋平の問いに困惑した様子だった。


「直掩機無しでの防空、ですか。……そういった状況になれば仕方ありませんが、少なくとも私は自信が持てません」


「可哀想。青木大佐は2ヶ月前に赤城の艦長になったばかりで、その前はずっと陸上勤務」


 適材適所な人事でないと言っているに等しい亀子の不躾な言葉に対しても、申し訳なさそうに頷くだけだ。

 軍人のメンツに囚われていない正直な人で助かった。何故なら洋平がこれから言おうとしていることは、亀子よりもずっと非礼な、艦長の職掌を犯すことだから。


「『少なくとも私は』ということは、他にできる人がいるかもしれないということですか」


「キミッ!」


 いつも鈍い草鹿は、この時ばかりは何故か察しが良かった。

 しかしもう遅い。青木大佐が一瞬視線を外した先を、洋平は見逃さなかった。

 洋平は躊躇せずにそちらへ向かう。

 防空指揮所の一角で、蒼白な顔をしてへたり込んでいる、第一航空艦隊司令長官のところへ。


「うう、怖いよぅ、魚雷発射管はどこ……?」


「この艦は空母です。魚雷発射管はありません」


「ひうっ!」


 洋平に話しかけられただけで、細い身体は小鹿みたいに震える。

 男性恐怖症なのだ。

 洋平は一切構わず、冷徹に話し続ける。


「ですが、敵の魚雷には事欠きません。……それが例え航空雷撃でも」


「よせ! 怖がってるのがわからないのか!」


 引き離そうとする草鹿を、亀子が制止する。


「……『南雲長官』という人は航空戦の指揮はできないが水雷屋としては一流だったと、この世界に来る前も、来てからも聞かされました。正直、信じられませんでした」


 こんな少女が、と今も思う。

 彼女は何かあるとすぐ泣き出して、魚雷発射管はどこ、というのが口癖だった。

 幼稚な現実逃避だと思っていた。しかし、どんなにみっともなく泣きじゃくっても、うずくまっても。彼女は一度たりとも、この艦から逃げ出したいとは言わなかった。それに。


「さっきは、真っ先に気付きましたよね」


 南雲の震えが、硬直する。

 そう、彼女は気付いたのだ。見張員達でさえ寸前まで見落としていた戦闘空域の真後ろ、超低高度からの敵襲を。

 それで咄嗟に転んだ。そうすればいつだって身をかがめてくれる彼女の参謀長ナイトを、プライドを傷付けることなく、守るために。


「魚雷を知る者は、魚雷を避ける術もまた知っている。違いますか?」

「汐里さんから離れろっ!」


 亀子の制止を突破した草鹿に詰襟の後ろを掴まれ、腕をねじり上げられる。痛い、折れる――だが、それで終わりだった。洋平を拘束する草鹿の引き締まった体躯から、不意に力が抜ける。


「汐里さん……?」


 ボブカットの少女が立ち上がっていた。

 航空戦を指揮する能力が皆無の、泣き虫水雷屋……極度の男性恐怖症で、いつも草鹿の背中に隠れていた少女が、洋平と正面から向かい合う。


「……私も、峰ちゃんと同じです。あなたの言うこと、全部は信じないです」


 泣き腫らした赤い目で、洋平を見つめながら。


「だって私も峰ちゃんも、赤城を捨てたりしないもの」

「……上等です」


 頷いた洋平の横を南雲は通り過ぎ、草鹿の前に立つ。


「峰ちゃん。私、頑張るよ」


 目を見開いた草鹿は、数秒間沈黙した後、顔を伏せた。


「……すまない」

「ううん……峰ちゃんには、いつも守って貰ってばっかり。だから今度は、私の番」


 最後に南雲は自分の頭に手を当てて、被っている軍帽のつばの向きを、逆さまにひっくり返した。泣き濡れた目が、すっと切れ上がった。


「艦長。操艦指揮、頂きます」

「はっ! 航海長、これより南雲長官が操艦指揮をお執りになる!」


 青木大佐は伝声管に告げると、立っていた場所を南雲に譲る。


「上空の戦闘機隊は全機着艦、弾薬・燃料補給急げ! 格納庫の艦攻は、戦闘機隊が着艦したら直ちに飛行甲板だ! 瑞鶴に信号、瑞鶴戦闘機隊をこちらへ回せ!」


 草鹿が、間髪を入れずに号令した。


「全空母、第二次攻撃隊の発艦を優先! 着艦待ちの第一次攻撃隊は瑞鶴へ! 燃料切れの場合は着水、第十七駆逐隊の浦風、浜風、それに谷風は瑞鶴の周囲に展開、搭乗員の救助に備えよ! 一兵たりとも無駄死にさせるな!」


 それから。草鹿は言いかけ、前に立つ南雲の方を見た。

 視線が合ったわけでもないのに南雲は頷く。

 次に草鹿が出した指示に、洋平は驚いた。望んではいたものの、頼んでいないことだったからだ。


「……それから。以後の一航艦の指揮は、二航戦の楠木司令官に委譲する。本艦は敵機多数の襲来を受け回避運動に専念せざるを得ず、加えて送信用アンテナが損傷しており、無線封止を解除した場合の軍令部や大和との連絡に支障をきたすためである」


 参謀長の口調はどこまでもさっぱりとしていた。

 それは、南雲に代わって実質的に艦隊を指揮し洋平と対立してきた草鹿の、責任の取り方だったのかもしれない。参謀としての負けを認めたのだ。彼女もまた、潔かった。


「勘違いしないでくれたまえ、キミみたいな怪しい素人にいつまでも艦隊を好きにされるくらいなら、多恵丸に譲った方がましなだけさ!」


 ……物言いは全く潔くなかったけど。

 しかしその言葉は正しい。

 洋平が未来の知識から思い付くことのできた仕掛けのうち、艦隊全体を動かすものは今ので全て出尽くした。

 参謀の時間は終わり、闘将と戦士達の時間がやってくる。

 後は信じて託すだけ。しかし洋平には、まだやることが残っていた。

 南雲と草鹿達からそっと離れ、羅針艦橋に降りるラッタルに足をかけて、洋平はこの作戦の立案者の名を呼んだ。


「亀子さん、話がある」

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