バグ玉に取り憑かれたら城と彼女がついてきた!

みきもり拾二

◆プロローグ

【01】鳥かごの中の甘い夢


 ────真夜中、シトシト雨の空の下。


 月明かりさえ閉ざされた真っ暗闇の中、土埃を上げながら平原を蠢く一団があった。

 3mはあろうかというほどの巨躯を、ビッシリと覆い尽くす漆黒の獣毛。

 紫色に瞳を光らせ、腐臭のする息を吐き、喉の奥から憎悪に満ちた唸り声を上げている。


「来いよ、鬼猿おにざるども! このミクライが相手だ!!」


 やにわに、上空から響く声。

 篝火かがりびが等間隔に揺らめく城壁を背に、宙に浮かんで仁王立ちする男が1人。

 背中で大きく開いた竜の翼を優雅にバサリとはためかせ、ニヤリと口角を上げた。


「ギャオオオオオオオウッ!」


 一匹の鬼猿が、鋭く尖った牙を剥き、一声吠える。

 そして、バシャリと水溜りを跳ね上げて、宙高くへと跳び上がった。


「ハハハッ、脳筋特攻か? この俺に、そんな攻撃が通用するかっつーの!」


 宙に舞い立つ男は嘲り笑いながら、淡く青い燐光を放つ弓に、矢をつがえた。


「ガオオオオオオオウッ!!!」


 唸り声とともに、丸太のような太い腕を振るう漆黒の鬼猿。

 だが、男に動じる気配はない。

 鬼猿の眉間に向かってピタリと狙いを定めると、やじりの先から電撃が迸る。


「我が名は『雷迅ライジンミクライ』! 天より轟き、闇を払う者なり!」


 言い放つと同時、引き絞った弦を解き放つ。

 「ズドガシャァァァァン!」と激しい雷鳴とともに、稲妻が煌めいた。


「ゲギエエエッ! グェボゴッ!!」


 雷光に撃ち抜かれた漆黒の巨体に、電撃が絡みつく。

 凶悪な光を帯びていたはずの双眸は、今や白目を剥き、突き上げたその腕は力無く地を向いた。


「消し炭になりたいヤツは前に出ろ! いくらでも地獄へ送ってやるぜ!」

「ギョギエエエエッ!」

「ギュワッ、ギュエアッ!」


 怒りに満ちた鬼猿たちの声。

 大地をドンドンと踏み鳴らし、凶悪な牙をカチカチと鳴らしている。

 どうやら、一斉に襲い掛かろうと身構えている様子だ。


「ハハハッ、いいだろう! まとめてブッ飛ばしてやんよ!!」


 自信ありげに言い放ち、グンとばかりに右腕を突き上げる。


「い出よ、我が浮遊城────!!」


 ヒュルリと冷たい風が巻き、厚くかかる雲を円く解いていく。

 そして解けた雲間から、降り注ぐ月明かりを背に、低いエンジン音を奏でる巨大な浮遊物が降りてきた。


 ────それは『天空城てんくうじょう』。


 逆三角錐の台座の上に、三層建ての天守閣が堂々とそびえ立っている。


「ギュオオオウッ!!」

「ギャハキエエエエイイイッ!!」


 耳障りな雄叫びとともに、漆黒の鬼猿たちが次々とミクライ目掛けて舞い上がる。

 ミクライは嘲笑うかのように「フンッ」と鼻を鳴らすと、目を細め、クイッとばかりに顎を上げた。


「ふふふっ……すべては俺の名声のためにある。あばよ、猿ども。また、よろしくな」


 突き上げた腕をグッと引き寄せ、ズンとばかりに突き出した。


「────薙ぎ払えッ!!」


 キランと大きく青い閃光が煌めいたかと思うと、次の瞬間にはヒュンと風を切り裂いて、天空城から青いビームが放射状に放たれた!


 ズドドドドドドドドオオオオオオオン!!


 閃光は一瞬にして、飛びかかってきた漆黒の鬼猿たちを蹴散らした。

 電撃は大蛇のようにうねって地を這い回り、地表の鬼猿たちにまで絡みつく。


「ギョエエエエエエエッ!」

「アギャギャッ! アギャグエギャギャギャッ!!」

「グギイイイイッ!!」


 耳を覆いたくなるような悲痛な叫びがあちこちから木霊する。


「一匹たりとも逃しはしない! 第二弾っ、放て!!」


 シュビンッ! ザバシュウウウウウウッ!!


「ギュゲエエエエエ!!!……」


 痛々しい断末魔が、何重にも響き渡る。

 すでに厚い雲は晴れ渡り、煌々と輝く月が満天の夜空から地表を見下ろしていた。


 月光に映し出された、凄惨な殺戮の情景。

 バサリ、と倒れこむ音のあと、やがてしーんとした静寂が訪れた────。


「おおおおおおおおっ!!」


 背後から湧き上がる大歓声。

 皇都おうとをグルリと囲う城壁で、兵たちが武器を突き上げ、勝どきの声をあげたのだ。

 先程までひっそりとしていた皇都がまるで息を吹き返していくかのように、瞬く間に街明かりが灯っていく。

 皇都の中央、荘厳な面持ちで鎮座する社造りの宮中は、一瞬にして燦然とした明かりに包まれた。


 湧き上がる歓喜の中、外堀に吊り橋が掛かる。

 群衆が我先にと、歓声を上げながら走り出て来た。


「ミクライ様! ミクライ様~!」

「お一人で、すべて撃退なされるとは!」

「あなた様がおられるだけで、我々の平和は保証されたも同然!」


 背中の翼をバサリとはためかせ、スイーッとばかりに宙を滑り降り、悠然として歓喜の輪の中に降り立つミクライ。


「ま、ざっとこんなもんさ」


 得意気に胸を張るミクライを、誰もが笑顔で迎え入れている。


「拙者ごときの腕では、10人束になってかかろうとも太刀打ち出来ぬでござろう! そのような相手を、一瞬にして討ち果たすとは!」

「まさに一騎当千! さすがはミクライ様じゃ!」


 脇差しの屈強な男たちが、口々に褒め称える。

 そんな男たちをそっと押し分けて、巫女服姿の女がしずしずと進み出てきた。


「ミクライ様、お怪我などなさってはおられませぬか?」

「心配かけて悪いな、雨巫女あめみこ。だがお前の加護力もあってこの通り、まったくの無傷さ」

「良かった……わたくしの力が、少しでもお役に立っておりますれば、言うことはございません」

「役に立ってるどころじゃないさ、雨巫女あめみこ。俺には、お前が必要だ!」


 そう言って、雨巫女の肩をグイと引き寄せると、周りを囲む男たちがドッと湧く。


雨巫女あめみこよ、はようミクライ様の子を授かるのじゃ!」

「今宵こそは、寝かしてはなりますまいぞ! 最後の一粒まで綺麗に絞り上げよ!」

「なぁーに言ってんだよ。俺は、一夜いちやに千人だって相手になるぞ。寝かせてもらえないのは、雨巫女の方だぜ!」


 囃し立てる声に、雨巫女は恥ずかしげに頬を染め、ミクライの胸へと顔を寄せた。


「ミクライ様さえよろしければ、わたくしはいつでもお相手になりとうございます……」

「ダメなのです、お姉さま! 今宵はわたしがおつとめをするなのです!」

「ううん、ダメ。あたしの番なの……」


 雨巫女の横で、巫女見習いの二人が声を上げる。

 頭から突き出た大きな犬耳が、ピクピクと動いて楽しげだ。


 その後ろには、華やかな衣装を纏った女たちが、我も我もと押し寄せている。

 西方から東方、南方の果てまで、各地から集めてきた女たちだ。


「いやいや、女どもはさておいて、まずはうたげはなを咲かせましょうぞ!」

さかずきに美酒、さかなは世にも名高き名牛の背肉じゃ!」

「川魚の塩焼き、蒸した豆、揚げたての包みモノ! 山菜の天麩羅、二枚貝の刺し身、豚の燻製!」

「尽きることの無い、各地の名産がここに有る!」


 太鼓や笛の音が鳴り響き、色とりどりの明かりに照らされて、皇都は宴の様相を呈していく。

 歓喜に酔いしれながら皇都に吸い込まれていく群衆の姿に、ミクライはほくそ笑まずにはいられない。


 ────すべては、仕組まれた茶番だというのに。


 ミクライが望めば、いつだってヤツらは現れる。

 西方だろうが東方だろうがどこにでも、ミクライの思うがままに現れるのだ。


 ミクライは、それをただただ、撃退して見せればいい。

 そうすれば、向こうから宝の品々はやってくる。

 選り取りみどりの女たちもだ。


 肉を食らい、酒を浴び、飽きるほど女を抱き、惰眠を貪る。

 妬み嫉みが大きくなれば、再び、アイツに声を掛ければいい。

 そう────誰にもその存在を気づかれることのない、アイツに……。


 不意に暗闇から、生暖かい風がそっと頬を撫でつけた。


「────お前こそ、ワレが求める理想のおうよ────」


 生暖かい風の中から、じっとりと耳に纏わりつくような、深くて重い声が滲み出てくる。


「────すべては、お前の思うがままに、フフフ……────」


 冷たい響きに、グッと心を鷲掴みにされて、背筋がゾクリと総毛立つ。

 低い振動音が耳を震わせ、足元を大きな影が覆い尽くした。


「────望むものすべてがここに有る。ワレらが組めば、何も恐れるものは無い────」


 深くて重い声が忍び笑いを漏らす。

 得も言われぬ背徳感。

 今までは上手くやってきた。

 そしてきっと、これからも────。


 ────シャリーン。


 上空から響き渡る、軽やかな音にハッとする。

 忌々しい、錫杖の音だ。


「────なぜゆえに、その地位とその力を、手放さねばならぬのか?────」


 再び、シャリーンと錫杖の音が鳴り響く。

 深くて重い声が、ジットリと諭すように語りかける。


「────よくよく、考えるがよい────」


 シャリーンと鳴り響く錫杖の音に掻き消されるようにして、声の主は夜闇へと姿を消した。


 見上げると、天空城の縁に少女が一人、佇んでいた。


 陰り差す灰色の瞳の、冷たい眼差し。

 月明かりを背に、白く仄かな光を放つ錫杖を携え、濃紺縁の眼鏡が月光を反射している。

 風が肩に掛かる黒髪を揺らし、黒いマントの端をそっとはためかせた。


「それが本当の、あなたの望み?────」


 夜霧に響く、透き通るような声。

 思わず、弓を握る手に力がこもる。

 少女はそっと目を伏せ、悲しげに首を横に振った。


 天空城にかかる月。


 それは、まるでこの世界を押しつぶさんばかりの、大きな月────。




<プロローグ 終>

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