鋼鉄のランド・グライド

ぽんこつ三等兵

第一章 Initialize Zero

第1話 その日

 その日、幼い少年は絶望を見た。


 紅蓮に染まる空と、大量の血を吸った、赤の大地。夕焼けよりも、なお色濃く。

 確かな熱をもって、巨大な陽炎が都市を歪ませる。もう燃えるものすら残っていないというのに。

 煙と砂埃を吸ってしまった自身の呼吸が、耳に痛い。


 楕円ドーム型の巨大機械生命体、通称メタルから吐き出された排煙が、灰色の雲に溶けた。


 メタルの数千分の一。下唇を噛みしめた幼い少年は、凄まじい形相で破壊者を睨む。

 あまりにか細い痩せ衰えた両足が、折れずに立っていることさえ奇跡。熱で溶けた大人用のジャンパーで夜の冷え込みを凌ぎ、瓦礫から掘り出した砂まみれの缶詰で飢えを凌ぎ、泥と傷だらけの顔を激しい憎悪に歪め、両の拳から血を流しながら。

 砕けそうなほどに食い縛った歯の隙間から、息のような言葉が洩れた。


「こわしてやる……ッ」


 およそ一週間前、何の前触れもなく大都市東京に、メタルという巨大な機械生命体が降りたった。まるで空から産み落とされたかのように、都心の中央へ。そこに住む人々も、高層の建築物も、何もかもを踏みつぶして。


 爆発、崩落、瓦解、そして悲鳴。都市の大半が機能を失うまでに要した時間は、わずか数十分。交通網は麻痺し、犠牲者数は六桁に達し、東京は一晩で姿を一変させた。

 以降七日間。メタルと自衛隊の戦いは熾烈を極め、崩壊した都市を炎と破壊が覆った。しかしそれでも、人類の如何なる叡智をもってしても、十数機のメタルの排除には至らなかった。


 瞳に炎の色を宿したまま、少年は死に抗うかのように砂まみれの食料を口へと運ぶ。

 巨大なメタルはなおも瓦礫を轢き潰し、機械独特の音を発しながら炎の中をうごめく。何かを捜すように、動くもののなくなった都市を蹂躙してゆく。

 ずるり、ずるり。進行方向の高層ビルを、苦もなく突き崩す。玩具のように折れた高層ビルが溶けたアスファルトに落ちた瞬間、都市を巨大な地響きが襲い、遠く離れた位置にいた少年が二歩、三歩。背中をアスファルトに打ち付けた。


「……ッ」


 それが原因なのかは不明だった。だが、それだけのことで、少年から数キロ離れていたはずのメタルは。


 ピピ――。

 少年を捕捉した。

 瞳の如く、無骨なメタルの肉体に埋め込まれた赤いカメラアイを動かして、巨体の進行方向を少年へと向けたのだ。

 表情が一層険しく変化し、少年は射殺さんばかりの憎しみを込めてメタルを睨み付ける。


 直後、瓦解した都市東京をアテもなく彷徨っていたメタルが、凄まじいモーター音を発しながら、まっすぐに少年へと向かいきた。

 そびえ立つビルを突き崩し、著名な芸術家のモニュメントを轢き潰し、公園を新地にして劫火を突っ切って。数キロもあった距離を、わずか数十秒で。


 息すらできない威圧が少年を襲った。足は動かない。たとえ動いても、逃げ切れる速度ではない。それでも少年は破壊者を睨み続けた。泣く事も喚く事もせず、諦観の念に囚れてなお、激しい憎悪をぶつけながら。


 メタルが排煙を上げて、二十メートルはあろうかという銀色のアームを振り上げる。

 だが、逃げない。少年は逃げなかった。脅えなかった。あきらめてもいなかった。

 瞳をかっ開ぴらき、矮躯わいくで拳を振り上げて、声にならない雄叫びをあげながら、己と比して絶望的なまでの巨体を誇るメタルへと向かって走り出したのだ。

 振り下ろされる銀色のアームと、少年の矮躯が交差する。


「――ッ!」


 暴風が巻き起こった。けれども次の瞬間、少年の小さな身は、突如として両者の間へと飛び出してきた暖かく柔らかな身体の第三者に攫われて、静かに宙を舞っていた。

 セーラー服のスカートをなびかせて、頬についた泥や血を拭うこともせず、少年よりも幾分年上の少女は真っ白な八重歯を見せて、不敵に笑った。


「あはっ、勇敢! よく頑張った!」


 あまりに不似合い。あまりに場違い。あまりに異質。そ

 の服装も、新雪のように真っ白な長い髪と肌も、燃えるような色の赤い瞳も、脳天気な明るい声さえ。


「しっかりつかまってて」


 少女は幼い少年を左腕一本で小脇に抱えたまま、瓦礫を蹴って走り出す。相対速度を考慮に入れると、人の身で走って逃げる行為などに意味はない。

 にもかかわらず少女は走る、走る、走る。


 まるで怒りを表すかのように排煙を大量に噴き上げて、少年の数千倍、少女の数百倍はあろうかというメタルが動き出した。

 キャタピラを回転させ、左右の雑居ビルを薙ぎ倒しながらアスファルトを砕き、巨体が迫る。だが妙だ。やつにその気があるならば、すでにもう彼らは追いつかれて肉片と化しているはずだ。


「やっぱり殺しに来てないな。向こう側にも戻れないドレッドノート級の分際で、人類を生きたまま捕らえようとしている。バグか?」


 走りながら誰にともなく少女が呟いた。

 少女が右腕に持っていた黒く長い鉄の塊を、走りながら後方のメタルへと向けた。スコープを覗き込む赤の瞳が瞳孔を開く。


「ロック……ショット……! ――当たれッ!!」


 直後、鉄の塊が小さな鉛玉を射出する。

 狙撃銃アサルトライフル。むろん、そんなもので倒せる相手ではないのは誰の目にも、モノ知らぬ少年の目にさえも明らかだ。

 言うまでもなく、己の無力な拳など。

 けれども、射出された鉛弾がメタルの一部にめり込んだ瞬間、やつは動きを止めた。少年を捕捉していた赤いカメラアイが粉々に砕け散っている。


「カメラアイ破壊、修復までにおよそ二十秒ってところか」


 少女が呟き、カチューシャのように付けていたヘッドセットのマイクを白い指先で引き下ろし、足を止めることなく大声で叫んだ。


「士郎、ふたりめの生存者を発見したわ! 汚染による衰弱がヒドい、医療班に待機要請出しといて! それと全長一六〇メートル、ドレッドノート級のメタルに追われてる! ……そう、今よ、今まさに絶望的状況! ……いいえ、ベルベットは駆動系をやられて徒歩移動よ! エンジンはシングルじゃダメってメカニックに伝えといて! ……ああもう、わかってるってば! メタルがバグってるからすぐには殺されないと思うけど、なるべく早く来てよね!」


 真っ白な髪を振ってマイクを跳ね上げる瞬間も、少女は少年を抱えて走り続け。


「なに? ああは言ったけど、大丈夫よ? こんなのピンチでも何でもないんだから」


 少年はただ、憎しみに歪んだ瞳で少女を見上げる。


「だいじょうぶって……なにが? ……かえるところが、もうないんだ……。……あいつが、ぜんぶ……」


 少年のすべては七日前。瓦礫の下に消えた。生まれ育った家も、仲のよかった家族も、入学してすぐの小学校も、できたばかりの友人も。


「……あいつらが……みんな……みんな……」

「あっそ。でも、泣き言なら聞きたくないな。男なら嘆く前にやれることをやりな。今はとにかく、逃げる!」


 お構いなし。少女は話など聞きやしない。少年にはそれが少しばかりおかしく感じられて。暗く濁っていた瞳は、そのときわずかな笑みを浮かべた。


「なによ?」

「……うん、そうだね。おねえさん」


 少女が赤い瞳を細めた。


「よ~っし、イイ子ね。しっかりつかまってるのよ!」

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