第四章 月光の騎士と灰色の宰相

第一話 “寄り添いしもの”が共にありし者

 水の匂いを含んだ風に顔を撫でられ、グランは目を覚ました。朝の日差しと柔らかな風が窓から入り込んで、部屋の中で静かに踊っている。

 長椅子の上で横になったままも首をもぞもぞ動かすと、すぐ横のテーブルに、きれいに果物が盛られた皿と、カップを添えた水差しが置かれているのが目についた。水差しは淡い桃色の果実水で満たされ、花びらが表面に散らしてあった。

 昨日の夜までは、こんな洒落たものはこの部屋にはなかった。少なくともエレムと旅をしていて、こんな洒落たことをする宿に自腹で泊まったことは一度もなかった。

 夢の続きかと思ったが、皿の林檎に手を伸ばそうとしたとたん、全身の打ち身の跡が鈍く痛み始めた。どうやら夢ではないらしい。

 おそるおそる起き上がると、窓の外からなにやら賑やかな声が聞こえてきた。水が跳ねる音に、可愛らしい笑い声。

 林檎を片手に立ち上がり、グランは窓の外を見下ろした。井戸の側の洗い場で、アルディラとリオンがエレムに教わりながら、自分たちが昨日着ていた服を洗濯している。

 自分が寝ているうちに、市場で古着を調達してきたらしく、二人とも、今はただの街の子どもにしか見えない服装だった。

 リオンは元が庶民の出だから、粗末な上着にすり切れたズボンもまったく違和感がない。アルディラは、上下一枚つながりのスカートの腰を紐で縛り、大きなバンダナで髪を覆っている。 普通の町娘にしか見えない上に、今はびっくりするほど子どもらしい表情だ。

 しばらくぼんやり眺めていたら、かじっていた林檎が芯を残すほどになった。それを炊事場のゴミ入れに放り投げようと窓から離れると、ほどなくエレムが部屋に戻ってきた。片手に、洗った野菜の入ったかごを抱えている。

「あ、おはようございま……もう食べてるんですね」

「起きたら目の前にあったんだが。なんなんだ? これ」

「アルディラさんが言うに、『自分に仕える者に相応の食事を与えるのは、人の上に立つ者として当然のつとめ』なんだそうですよ」

「なんだそりゃ」

 なにを思い出したのか、エレムはくすくす笑って答えた。

 朝早く、エレムが買い揃えてきた古着を受け取ったアルディラは、

『わたしたちのために必要なお金まで、あなたたちに出させるわけにはいきません。臣下を養うのは上に立つ者のつとめです』

と、靴底に隠していた金貨をエレムに手渡したというのだ。

 大陸内の貨幣のなかでも、最も価値の高いドュカト金貨だ。商人でもなければ、平民が一生かかっても一枚手に入れられるかどうか判らない。庶民のものの価値など知らないアルディラは、五枚も渡そうとしたらしい。

 エレムはそれを一枚だけ預かり、市場に二人を連れ出して、両替商で崩して貰ったあとは買い出しにつきあわせたのだという。

「なんだよ、俺達あいつの使用人扱いになってんの?」

「まさか。口ではそんなことを言ってますけど、素直に感謝を表す方法がよく判ってないんですよ、きっと。あまりうがった見方をしたらかわいそうですよ」

「そうかぁ?」

 そうだとしても、昨日の剣幕からえらい変わり様だ。グランは釈然としない気分で、窓の外に視線を移した。

 リオンとアルディラは、室内で使う分の水を汲んでから来るというのだが、見ている分にはただ水遊びしているようにしか見えない。井戸の水をくみ上げることすら、お姫様には新鮮な体験なのだろう。



『臣下を養うのは当然』という姫様のはからいで、朝食はいつもよりも品数が多かった。だが先に林檎をまるまる一個かじってしまったグランは、すっかり腹が落ち着いてしまっている。長椅子に腰掛け、カップに入れたスープをすすっているグランをよそに、三人は和やかに朝食のテーブルを囲んでいた。

 買い出しの間に、エレムともすっかりうち解けてしまったらしい。しかしアルディラが話す内容といえば、市場で見た果物の話だとか、服の形が違うだとか、広場で吟遊詩人が歌っていただとか、都会に来た田舎者と大差がない。耳を傾けるのも飽きてしまい、グランは暇つぶしに、自分の剣の手入れを始めた。

 といっても、さすがに子どもがいる前で、鞘から抜くわけにはいかない。磨くのは柄の部分だけだ。

 いまだに素材がなんなのか判らないのだが、この金属は素手で長く持っていても、汗や脂で滑りやすくなったり、手触りが変わるということがない。それでも、布で磨いただけで光沢が鮮やかになるし、文字の刻まれた部分はどうしても砂埃が入るから、柔らかい木ぎれを使って取り除いてやる。

 この柄自体は、グランは本当に気に入ってるのだが、おまけについてきたものが厄介すぎる。しかも今は目の前にいないというのに、まったく解放された気がしなかった。

 グランは手に持った剣を眺めて、しみじみとため息をついた。

 ふと視線を感じ、目だけ動かすと、食事を終えたアルディラが糖蜜湯を飲みながら、グランの様子を伺っているらしいのに気がついた。

 支配者階級なんだから剣ぐらい見るだろうに、一体なにが珍しいのか。グランが素知らぬ顔をしていると、アルディラがなぜか意を決した様子で立ち上がったのが、視界の隅に見えた。それを見たエレムとリオンが、意味ありげに目配せしているのも。

「えーっと、……いいかしら、グラン」

 近寄ってきたアルディラは、こころもち緊張した様子で、グランに向かって首を傾げた。昨日とは打って変わった、控えめな態度だ。

 仕方なく頷くと、アルディラは少し距離を取ってグランの隣に腰を掛けた。なんに気を利かせたのか、エレムとリオンは素知らぬ顔でテーブルの上の片付けだした。

 アルディラがなにか言いたそうにもじもじしているのが、見なくても気配でわかる。グランが知らん顔で、柄の埃を取り除いていると、

「それ……?」

 なぜか驚いた様子で、アルディラはグランの手元に手を伸ばしてきた。グランが持っている剣の、柄に刻まれた文字に。

「神代文字? どうして?」

「知ってるのか?」

「エルディエル大公家の人間なら、古代語と一緒に教えられるもの。でも、神代文字が使われたものが一般に出回ってるなんて、聞いたことがないわ。あなたも実は、どこかの王族の血を引いてたりするの?」

「なに言ってんだよ、これは仕事の報酬でもらったの!」

 ただでさえ厄介な状態なのに、余計な勘違いまでされても困る。即座に否定したグランに、アルディラは少し不思議そうな顔をしたが、急に慌てた様子で体を離した。剣の柄をのぞき込むことで、グランにぴったり体をくっつけていたのに気付いたらしい。

 これがもう少しいい感じに育った若い娘だったら、こちらとしても悪い気はしない反応だったのだが、残念ながらグランから見るアルディラは、ランジュと同じでただの子ども枠にしか入らない。

「なんて書いてあるのか、読めるか?」

 微妙な残念さを押し隠しつつ、柄の部分がよく見えるように手渡すと、アルディラは呼吸を整えるように何度か息を吸って、大きく頷いた。

「『寄り添いしもの』って書いてある。この剣の名前かしら?」

「へぇ……」

 ラムウェジと同じことを言っている。だがアルディラの言葉は、それだけでは終わらなかった。

「『“寄り添いしもの”が共にありし者、道をつくり星となりて次の星をまた導かん

 空になき星、黒曜の闇に並びて、女神がわかつ糸をひとつに縒り紡ぐ』」

「……なんだそれ?」

「古代人の創世神話の、最初のあたりに出てくる一文よ。『寄り添いしもの』がなんなのか、古代神話の中には説明がないんだけど……」

「へぇ……」

「この一文も、なんに対しての言葉か判っていないの。『女神が別つ糸』がなにを示しているのかも。古代神話のなかでは、この言葉に対応する出来事が書かれていない。だからこれは、古代神話の中では成就していない予言、または保留された預言と考えられてるの」

「保留された『預言?』」

「この言葉を与える対象が、古代神話の中では存在していない……神話の時代にも、記録に残ってる古代人の歴史の間にも、まだ生まれていないっていうこと。古代語の先生は、『エルディエルの始祖ケーサエブが、自分の日記の中に、私のひ孫がすることを予言して書き残した言葉みたいなもの』って言ってた。そんなに昔から世界があったって言われても、ほんとはぴんとこないけど」

 判ったような、判らないような気分で、グランは頷いた。

 するとこの剣は、古代神話の『保留された預言』を託すような意味で作られた……ということになるのだろうか。

 しかし実際は、伝説のなんちゃらラグランジュの部屋に続く鍵だったり、実はラグランジュそのものだったりで、古代人の考えることは全くさっぱり理解できない。

「不思議な石ね。それにこの剣、とっても綺麗だわ」

 そう言われると悪い気はしない。しばらく月長石を眺めたアルディラは、なぜか嬉しそうに目を細め、剣を返してよこした。グランを見あげるその表情から、さっきまでのぎこちなさはすっかり消えている。

 どうもアルディラには、喋ることでまわりを自分のペースに引き込む力があるらしい。

 なんとなく落ち着かない気分を誤魔化すように、グランは水差しの果実水をカップに継ぎ足し、口に運んだ。果実水を口に含んだとたん、

「昨日は、ごめんなさい」

 想定外の台詞が耳に飛び込んできて、危うくむせるところだった。

「グランにはグランの事情があって、別にわたしたちを騙そうとしていたわけではなかったんですものね。本当なら無関係なわたしたちをわざわざ助けてくれたのに、わたしったら考えが及ばなくて、ひどいことを言ってしまったわ。ここに来ることも、あなたを脅すような形になってしまったし」

「あ、いや……」

 ついた花びらをとるふりで、唇の端から零れかけた果実水を手の甲で拭い、グランは洗い場を片付けているふたりに目を向けた。エレムは素知らぬ顔を装って皿を拭き、リオンは皿で顔を半分隠しながらもしっかりこっちを凝視している。

 アルディラといえば、少しうつむき加減に必死に話しているので、グランや外野の様子に気がついた様子もない。

 謝るならもう少し毅然と頭を下げればいいのに、愛の告白をするくらいの必死さだ。逆にグランの方がとても居心地が悪い。それにここまで低姿勢に出てくるとなれば、次にアルディラがなにを言いたいのかも、グランには想像がついた。

「それで、あの、迷惑をかけているのは重々承知しているのだけど、もうしばらくわたしたちをここに置いてもらえないかしら」

 予測していたとはいえ、あまりにも直球(ストレート)に投げかけられ、グランはとっさに言葉が出てこない。

 もちろん、承諾するわけにはいかない。その頼みにうんと言ってしまったら、これからは双方合意の上で、公女とその世話役をかくまうことになってしまう。

 そうなると、ここに二人が居ることがエルディエル側にばれた場合、自分達の立場は相当まずいことになる。アルディラに脅されて仕方なくという形にしておいたほうが、まだ言い訳は効くだろう。

 それに、ここにアルディラに居座られ続けたら、ランジュを探すために衛兵に協力を求めることもできない。じゃあ今居る娘はなんなのだ、という話になってしまう。

 ランジュは人間かどうかも怪しいくらいだし、離れていても影響力は変わらないと言っていたから、自分にこうした厄介事が続いている限り無事ではいるのだろう。だが、ランジュが戻ってこないことには、自分たちもここから先に進めない。いや、戻ってきたって、アルディラ達がいたままでは困るのだが。

 言葉を切ったアルディラは、首を傾げてこちらを見上げたまま、グランの答えを待っている。

 こんなに追い詰められた気分は、戦場でもなかなか味わえない。どう話を持っていけばうまくかわせるか、必死で頭を働かせていると、 

「失礼ながら、グランバッシュ殿はおられるか!」

 外で扉を叩きながら、呼びかける声が聞こえてきた。一昨日おとといの集団牢破りの騒ぎの時、広場で出会った衛兵のものだ。

 グランはここぞとばかりに大げさに顔を扉に向けて立ち上がった。なにをしに来たかは知らないが、この窮地を助けてくれるなら、なんでも聞いてやろうという気分だった。

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