1.24〈ゲームを楽しむ全ての人々のために〉

 焼夷弾ナパームのゲル状の燃焼物質は周囲の壁や床全てを広範囲に塗りつぶし、そこから不自然にまとわりつく炎を立ち上げている。

 シユウ、エリック、そしてシユウ72の張る防護用フィールドの中にあってさえ、その不吉な赤い輝きは、遮断されているはずの熱を持って萌花もえかたちの肌をジリジリと焼いた。


 ただ一人パートナーの異変に気づいたエリックが、少し腰をかがめて芽衣めいの表情を伺う。


「どうした、芽衣?」


 炎によるダメージも、状態異常のステータスも表示されていない。

 それでも、原初的な恐怖心から実際の痛みに近い感覚を味わってる。そんな芽衣たちの人間的な心情に、ボットたちは気づくことは出来なかった。


あつ……ううん、怖いんです」


 早苗も萌花も、芽衣のその言葉に頷く。

 そんなパートナーをそれぞれ不思議そうに見るボットたちの目の前に、渦巻く炎を吹き飛ばして、ミニスカートからスラっと真っ白な両足を伸ばした少女が舞い降りた。


 透き通った青い小瓶をひょいっと床に投げ、半径1m程の炎を一瞬で消して、その円の中心に歩を進めた彼女は濡れたような艷やかな黒髪をふわりと揺らす。

 銀の髪留めを指先でちょんと直した少女は可憐な笑顔を見せた。


「ごきげんよう、みなさん」


 その後ろから、燃え盛る炎をものともせず、壁をよじ登るようにしてケンタも現れる。彼はもえの後ろにピッタリと控え、喜びにあふれた顔で鯉口こいくちに指をかけた。


「あつもりさん! ありさ姉! もえさんっすよ!」


 魔法かナチュラルな視力か、その方法は問わず、この場を視認している二人にケンタは呼びかける。

 遠くからでもすぐ分かる、恋い焦がれてやまなかった少女の姿に、あつもりとヘンリエッタの息を呑むかすかな音が、全員の通信装置にしっかりと聞こえた。


「クマちゃん、ありがとう。ボットこの子たちは私が預かります。ヘンリエッタさん……もうやめて」


『ほんとうに……ボクのもえなのクマ……?』


「あつもりさん! もえさんはあつもりさんの彼女じゃないっすよ!」


「心配かけてごめんなさい。でももう……大丈夫です」


 轟々と燃え盛る炎の中、もえとケンタの周囲だけが透明なチューブにでも入っているように炎が消えている。

 炎も、ボットも、全ての危険な要素を意に介さず、もえは静かな微笑みをたたえて[創世の9英雄]と再会の言葉を交わしていた。

 少々腑に落ちない思いを抱えながらではあったが、ケンタも嬉しそうにその後ろで笑っている。

 その笑顔に少し胸が苦しくなった萌花の見ている前で、先程まで一番落ち着いていたオリジナルの方のシユウが、目を見開きガクガクと体を震わせ始めた。


「シユウさん、エリックさん。あなたたちにも謝らなくてはいけないですね。……もっと早くに……」


 もえはふと目をそらし、スッと目を細める。


「……削除しておくべきでした。心を持ってしまった貴方たちを消すのは忍びないですが、仕方ありません。ごめんなさい」


 シユウが後退あとずさり、どんっと早苗にぶつかる。

 その背中を支えた早苗が、ただ事ではないシユウの動揺を見て心配そうに顔を見上げた。


「シユウ……?」


「……逃げ……逃げるぞ。あいつは……創造主だ……ボットおれたちの製作者だ」


 早苗を抱きかかえ、シユウは炎の中を走り始める。それにつられるようにしてエリックは芽衣を、シユウ72は萌花を抱きかかえて、それぞれ別の方向へと走りだした。

 慌てる素振りもなくそれを確認したもえは、黒いウィンドウを一つ開くとコマンドを打ち込み、そのコマンドによって手の周りに発生した白い霧を優雅な所作でふわりとシユウたちの背中へ漂わせる。

 一瞬でボットたちの体を覆った霧は、彼らの体を戒め、動きを封じた。


「きゃああ!」

っ……たい!」

「ふぇぇ……」


 抱きかかえられていた萌花たち3人が、倒れたボットの腕から放り出されて地面に転がる。

 黒いウィンドウを閉じたもえは、3人の少女の元へと消火用の小瓶を放り投げて安全を確保すると、ゆっくりとシユウの元へと歩み寄った。


「もう逃げなくても大丈夫です。終わらせましょう……痛みとかは無いはずです」


 もえはインベントリから取り出した注射器状の何かを透かし見てそのままシユウを見下ろし、白い霧が彼の体を拘束しているのを用心深く確認すると、注射器をシユウの体へと近づける。

 近づいてくる注射器に向けた彼の恐怖に引きつった顔を、青いドレスの少女が覆い隠した。


 無言でシユウをかばう早苗を見て、注射器を構えたままもえは一歩身を引く。

 周囲に目をやり、エリックとシユウ72をそれぞれ介抱している芽衣と萌花を確認すると、注射器をインベントリに片付けた。


「……事を急ぎすぎました。全ては私の責任ですし、みなさんには納得してもらったほうが良いでしょう。……聞いてもらえますよね? クマちゃん、ヘンリエッタさん、それからギルドのみんな」


『……納得の行く説明を……聞かせて欲しいクマ』


 そう答えたあつもりは、燃え続ける炎の中に可愛らしいクマの着ぐるみの映像を浮かび上がらせる。

 ヘンリエッタとギルド[もえと不愉快な仲間たち]の面々は無言を貫くことでもえの問いに答えた。


 数秒の間の後、もえはスカートの裾を直し、両手をお腹の前に揃えて一瞬目を閉じる。

 目を開き、チラリとケンタを確認したもえは、小さく溜息をついた。


「……ボットは、私が作りました」


 背後でケンタがよろめく。

 通信装置の向こうで、ギルドの仲間たちがざわつく音も聞こえる。


 可愛らしい唇を真一文字に結び、ざわめきが収まるのを待ったもえが話したのは、5年間の闘いの歴史だった。



  ◇  ◇  ◇



 話は7年前、死者49名、脳死者3,405名という未曾有の被害者を出した所謂いわゆる『GFO事件』当時まで遡る。


 もえとヘンリエッタの命をかけた戦いの末に、事件は一応の解決を見た。

 その後、株式会社GFOエンターテインメント社にアドバイザーとして招かれたもえは、ヘンリエッタやあつもりを筆頭とした49名の不死者アンデッドたちの『魂の救済』に尽力を尽くす。

 最初は魂が電子データとして存在している「ギャラクシー・ファンタジア・オンライン」のサーバの存続、維持、管理を。

 次に、不死者たちとその友だった者たち、つまりは自分たちとの交流が可能になる「完全没入型フル・イマーシブ技術」の確立を。

 元々技術者だった訳ではないもえには過ぎた望みではあったが、彼女の情熱とGFO社の技術力、そして事件当時の内部的外部的なログやバックアップデータが、その夢の様な技術をわずか2年で実現させる原動力となった。


「私のしたことなんてほとんど何もありませんが、そう言う訳で完全没入型フル・イマーシブのGFOが実現しました。次に私がどうしても叶えたいと思ったのが……事件でGFO脳死者となった3,405名の……復活でした」


 GFO脳死者とは、不死者とは逆の状態。

 肉体は元気に生命活動を続けていながら、ゲーム内でキャラクターが死亡した者。つまり精神のみが死亡してしまった人たちだ。


 現在のゲーム内では死亡しても死に戻りするだけの事だが、事件当時の偶然による精神の閉じ込め状態にあったGFOでは、キャラクターの死はそのまま精神の消滅と同義語だった。


 脳死者の復活など不可能だという至極もっともな判断がGFO上層部から下され、GFO社としては、当然のようにそのプロジェクトは却下される。

 それでも、何もないところから2年間、完全没入型フル・イマーシブ技術の最先端を経験してきたもえには、確信にも近い予感があった。


「精神を電子データとして変換する技術があるのに、その逆が出来ない訳はないと思いました。そこで私は、自分の精神をコピーして擬似的なキャラクターを作り、オフショアで開発をお願いしていた中国企業の施設をリモートで利用しながら、GFO社から隠れて実験をする事にしたのです」


「それが……シユウ?」


 身動きの取れないシユウを胸に抱えながら、思わず早苗がそうつぶやく。

 もえは頷き、また正面の中空を見つめた。


「始めは順調でした。GFOのシステムは私の精神データのコピーを人間と認識し、キャラクターはGFO内で、私の決めた判断基準を元に、ある程度人間らしく振る舞いう事も出来ました。ただ、本物の私とコピーが、同時刻に別々の経験をした……記憶が、私にフィードバックする際にエラーを起こしてしまう事がどうしても回避できませんでした」


 実験はほぼ頓挫する。しかし、それは二つの精神に一つの肉体という不自然な状況が発生させるエラーであり、回避は可能だと思われた。

 何しろGFO脳死者には、未だに最新の医療技術で健康に生かされている、精神のない肉体が存在するのだ。そこに事件当初のバックアップデータからコピーしたデータを精神に変換し、移すだけのこと。


「たったそれだけのことで、みんなが……生き返ると思ったんです」


 皆は静まり返り、辺りには焼夷弾ナパームのゲル状燃料が酸素と化合し、轟々と燃え盛る音だけが響いた。


「それから私は、GFO社内だけではなく、コンタクトを取れる限りの医療機関や研究機関にその研究結果を纏めて、協力を仰ぎました。それでも、生命倫理的な問題から協力者は現れず……逆に私はGFO社からコンプライアンス違反で訴えられる事になったんです」


 とは言え、完全没入型フル・イマーシブのGFOが、社会からの反発もありながらやっと軌道に乗ってきた頃の話である。

 大きなスキャンダルになることを恐れたGFO社は、この案件を内々に片付けることを望み、もえの処遇はGFOからアカウントを削除され、監視がつけられると同時に謹慎を申し付けられるにとどまった。


 そこから3年。

 監視の目が弱まった所を狙い、もえは密かに所持していた事件当時のバックアップデータから、自らのアカウントを復活させ、自分の不始末に決着を付けに来たのだった。


「とある事情があって、自動的に現在の容姿をアバターに変換する追尾ホーミングモードが使用できないので、こんな7年前の姿ですけど、精神データは現在の私のデータで更新アップデートされています。そういうことです」


「だからもえさん全然昔と変わらなかったんすね」


 ケンタは素直に納得する。早苗は心の中で「とある理由って何よ。絶対に『老けた姿になりたくない』とかそう言う理由だわ」と思ったが、シユウが殺されるかもしれないこの瀬戸際では、わざわざ敵対色を強めるような発言は控えるべきだと思い、言葉を飲み込んだ。


「ですから、私はボットわたしのコピーを削除します。元々GFOここに存在してはいけないデータがゲームを楽しもうとしている人たちの脅威になることは許されません。特にそれが私のコピーであるというなら尚更です。……私のコピーと友だちになってくれた貴方たちには感謝の言葉しかありませんが、出会いがあれば同じ数だけ別れがあるもの。今がその時だと納得してください」


 実験のための、不要になったコピーを削除する。

 ただそれだけのこと。


 特にそれが自分自身の精神データである本人がそれを消すことに、他人が口を挟むような話ではないように早苗は思った。

 芽衣はエリックにすがりつきながら、この状況を誰かが早く終わらせてくれることのみを願う。


「……そんなの! 自分勝手すぎる!」


 そんな状況の中、抗議の声を上げることが出来たのは、真紅のドレスを身にまとった萌花だけだった。

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