1.18〈手と手〉

 超長距離からのレーザーによる射撃。


 距離1,000以上の、本来ならありえない位置からの射撃をヘンリエッタは神の如き反応で間一髪かわす。

 体を捻ってかわしたその光は彼女のエプロンドレスと髪の一部を焼き、そのまま地面に突き刺さって土を溶かした。


 呆けていたとは言ってもケンタは[創世の9英雄]の一人である。

 腰にいていた[レアリティ9]神威御剣かむいみつるぎカスミダチを4分の3ほど鞘から抜くと、その磨き抜かれた刀身でレーザーを切り捨てた。


「もえさ……萌花もえかちゃん!」


 一瞬言い淀んだケンタが目を向けた先には、美しい真紅のドレスに身を包んだ少女が立っている。僅か15~6レベルの冒険者でしか無い萌花には、喉元へと、それこそ光の速さで飛来するレーザーをかわす反応速度も、弾き返す術も無い。

 しかし萌花の喉笛を貫こうとするそのレーザーは、目的を果たそうとしたその刹那、7つの細いレーザーに中和された。


 追撃でまた3本のレーザーが飛来するが、それはあつもりの張り直した光拡散リフレクトシールドに拡散される。

 長距離射撃が意味を成さないと判断した敵は、それきり攻撃をやめた。


「大丈夫クマ?」


 本来なら数人の術者が協力しなければ張ることのできないリフレクトシールドを[レアリティ9]第3エリクシルからのエネルギーで安定させたあつもりが萌花を気遣う。

 何が起こったのかまだ理解しきれていない萌花はドキドキする胸を押さえてうなずき、それを見てカスミダチを鞘に収めたケンタは、ほっと胸をなでおろした。


「……今回はー、ケンタの判断がー、間違ってはいなかったようねー」


 左の肩口にやけどを負ったヘンリエッタは、はだけそうになるエプロンドレスを押さえながら少し辛そうにポーションを飲む。

 ポーションは彼女の体の中心を温かいオレンジ色の光で包み込み、全身に広がった光は一瞬で焼け焦げた髪、肩の火傷やけど、そして破れた衣服までを回復させた。


「もえさんの……[レアリティ8]プライムミニスターの特殊能力P.M.S.S.プライムミニスターセキュリティサービスが動作してくれてよかったっすよ」


「……まぁプライムミニスターは、のとは言え伝説級レジェンドクラスのレアアイテムだクマ。ボットの攻撃の1回や2回じゃ殺られはしないクマ」


 萌花はケンタの判断により救われたのだが、まるでそれが自分の手柄であるかのようにあつもりはふんぞり返る。

 ケンタは気にした素振りもなく「そっすね! さすがはもえさんのアイテムっすよ!」と笑う。先程までの頑なな、仲間の反感を買うのも厭わずに萌花へもえの装備を着させることを断行したケンタと、自分の手柄を横取りされることに全く無頓着なケンタ。その両方を優しく併せ持つ懐の大きなケンタを萌花は憧憬の眼差しで見つめた。


「しかし、なんかもう『問答無用』って感じっすね」


「向こうがそう来るなら、こっちにだって用意はあるクマ」


「そんなのあたりまえよー。私たちはー、GFOのプレイヤー全てをー、全力で救わなくちゃならないの。ボットにプレイヤーはー、どんなことをしてでも助けなくちゃいけないのよー。みんなが楽しく遊べる世界がー、もえちゃんのGFOだものー」


 萌花は「囚われている」と言うヘンリエッタの言葉に違和感を覚えた。

 ケンタから聞いた話によれば、早苗や芽衣は自らすすんでボットの元へと向かったように思える。それなのに、ヘンリエッタはわざわざ強調するように全員の目を見渡しながら「囚われている」と言ったのだ。


 そこにどんな意味があるのかは彼女にはまだわからない。それでも、ヘンリエッタのあの言葉には何か言い訳じみた感情が込められているように萌花には感じられたのだった。


「いい覚悟だねヘンリエッタさん。ところでみんな無事?」


 ヘンリエッタの後方、萌花がずっと見ていたはずの景色の中に、突然黒装束の男が音もなく現れる。

 顔の下半分を覆うように巻かれていた黒い布を人差し指でずり下ろしたその男は、ニヤッと笑ってケンタに駆け寄ると、高く手を上げてパチンッと手のひらを合わせた。


「エロツチ! 久しぶりっす!」


「エロじゃないし! アホケンタも元気そうだね!」


 ケンタはその黒装束の青年「カグツチ」を萌花に紹介し、カグツチは先程萌花がこの服に着替えた時のヘンリエッタたちと同じような反応を示す。

 小さく「もえちゃん……」と呟き、そのまま萌花を抱きしめようとしたカグツチを、何の躊躇ちゅうちょもなくケンタが蹴り飛ばして止めた。


「相変わらずっすね。そういうところがエロツチっすよ」


「なんだよ! エロじゃないよ! 親愛の情を示そうとしただけじゃないか!」


「いつまで掛け合い漫才やってるつもりクマ。エロツチ、はやく偵察の報告をするクマ」


 まるでマンガのキャラクターのように「ちぇ」と舌打ちはしたものの、カグツチはすぐに気を取り直して報告を始める。

 その報告はシユウたちの現在の絶対座標から、その場所へ射線の通る狙撃ポイント、物理攻撃職の接近できるルートや、途中の連絡ポイントまで微に入り細に入っており、さらにその情報を3Dで表示したあつもりの戦術マップを見たヘンリエッタたちは、まるでその場所を実際に見たかのように、つぶさに状況を把握した。


「そうねー、だいたい予想通りねー」


 ヘンリエッタの言葉に無言で頷いたあつもりが、そこに幾つかのルートを重ねあわせる。

 すかさず地図上のルートの一つをヘンリエッタの指がドラッグし、ずれた場所にあつもりが更に何かを書き込んでゆく。

 普段は目が合っただけで殺し合いでも始めそうなほど仲の悪い2人の息は、まるで何十年も連れ添っている夫婦のようにぴったりと合っていた。


「……まぁこんなもんだクマ」


「うーん、急ごしらえにしてはー、まぁまぁかしらー」


 2人は同じように腕を組み、同じように満足気に戦略マップを眺めて同時に息をつく。

 そのマップを覗き込んだケンタは、少し表情を曇らせた。


「これ、いきなり正面で萌花ちゃんが説得するんすか?」


「P.M.S.S.の残回数が残ってるうちに使える手は使っておいたほうがいいクマ。それに殺し合いの後に話し合いって言うのもおかしいクマ」


「それはそうっすけど、偵察時の情報から作戦ポイントへの移動に時間がかかるっすよね。相手の位置を正確に把握できてない状況での突出は危ないっすよ」


「だからお前もそこにつけてるクマ」

「だからーケンタも同じポイントにー配置してるじゃない」


 ほぼ同時にあつもりとヘンリエッタの無慈悲なツッコミが入る。


 ケンタは萌花を振り返ると、小さく「俺が守れってことっすか」とつぶやき溜息をつく。

 肩を揺らして「お前の希望通りクマ」と笑うあつもりをちょっと恨めしそうに睨んだケンタは、それでも「わかったっす」と肩の力を抜き、萌花に微笑みを向けた。


「ということで、俺が守るっすから。萌花ちゃんは安心して説得に専念して欲しいっす」


 自分もえかは作戦に組み入れられた。

 覚悟はしていた、と言うより自分が無理を言って叶えてもらった希望だ。

 しかしそれでも萌花の心臓は締め付けられた。


 震える手でスカートを握りしめ、無理やりに大きく息を吸う。

 苦しみが去ることはなかったが、なんとかケンタに向かって頷くことは出来た。


「萌花ちゃん。ケンタがー、『守る』って言って守れなかったものはー、今までー、一つも無いのよー。だからー、安心して守られなさい」


「うん……あ、はい」


 ケンタが守ってくれる。

 一緒にいてくれる。


 それだけで萌花は、ともすればゼリーのようにゆらゆらと崩れてしまいそうな世界に、しっかりと足をついて立つことが出来るような気がした。

 彼へと視線を向け、こわばる顔に無理やり笑顔を乗せる。

 それを見返したケンタの笑顔はなぜだか少し悲しげに見え、萌花は彼の手を慌てて握りしめたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 苔むした大きな石で作り上げられた古城の、優美な曲線を描く尖塔の最上階で、芽衣めいは窓の外を物憂げに見つめていた。

 普段ならば美しいと思えるであろう透明な湖と、そこに映る尖った木々。

 そんな景色も、今の芽衣には教科書に載っている白黒の挿絵ほども心に響かなかった。


「芽衣」


「……なぁにエリック。少し一人にしてって言いましたよ」


 部屋の奥から掛けられた心配そうな声に顔を向けることもせず、芽衣は素っ気なくそう答える。

 エリックは慌てて歩みを止め、武器を構えたまま言葉を飲み込んだ。


「言いたいことがあるなら早く言ってください。そして私がいいって言うまで話しかけないで」


「窓際は危険だ。狙撃の可能性がある」


 心底心配そうな声に内心は嬉しさがこみ上げた芽衣だったが、わざと大きな溜息をつくと椅子から腰を上げる。

 少し小言を言って、それから「心配してくれてありがとう」と頭をなでてあげよう。

 そう考えながら振り返った芽衣は、エリックの姿を見て言葉を失った。


 一度は全ての傷を治療したはずのエリックは、いつも身に着けている筋肉を強調するような、肌をぴったりと覆うスーツのあちこちに傷を負い、そのうちの数カ所からは未だに血が流れている。

 大怪我と言えるものは特にないようだが、それでも芽衣が慌ててインベントリからポーションを取り出すくらいにはひどい傷に見えた。


「エリック! 早くポーションを飲んでください!」


「大丈夫だ。HPは1割も減っていない」


 芽衣を安心させるようにそう言って、それでも芽衣の言うとおりにポーションを飲んだエリックは、彼女の前に膝を折る。

 ポーションにより傷はおろか衣服の破れまで完全に回復したエリックの頭を、芽衣はそっと胸に包んだ。


「こんなに怪我して……どこに行ってたんですか?」


「シユウに教えてもらった。芽衣を傷つける奴らを……少し減らすことが出来た」


 芽衣の腕の中で、何の屈託もなくエリックはそう答える。芽衣はぶるっと体を震わせ、ぎゅっと強くエリックを抱きしめた。


「だめですよ。そんな危ないこと……」


 エリックはこんなにも自分めいを大事にしてくれている。それなのに、未だにエリックを振り回すことに喜びを見出している自分に、芽衣は絶望にも近い思いを感じた。

 言葉が続かず、彼女は下唇を噛みしめる。

 嗚咽にも近い呼吸音が漏れ、エリックのチクチクする短い髪の上に温かい涙がこぼれ落ちた。


「芽衣、大丈夫か?」


「私は大……丈夫で……すぅ。もう……私の傍から離れな……いでくださ……いね」


「……心配してくれるのか?」


 しゃくりあげるように言葉を絞り出した芽衣の腕の中で、心底意外そうにエリックがそう尋ねる。

 そんなことは当たり前のことなのに意外そうに尋ねるエリックの頭を抱えながら、芽衣は何度も首を縦に振った。


「俺のことが嫌いなんじゃないのか?」


 今度は何度も首を横に振る番だった。

 その姿を見て少しの間呆然としていたエリックは、ゆっくりと芽衣の手を取り、両手でそれを伏し拝むかのように顔の前に揃えた。


「芽衣は俺のことが嫌いなんだと思っていた。それでも芽衣は優しいから、しつこく付き纏う俺をかまってくれているんだと」


(ううん、エリック……。私は優しくなんかありませんよ。あなたが私を慕ってくれているのを利用して……お姫様気分に浸ってるだけなんです)


 言葉は出ない。

 芽衣はただ悲しい微笑みを浮かべる。


 窓から差し込む暖かな太陽の光で作られた濃い影の中、エリックは芽衣の手に顔を近づけ、不器用に唇を押し当てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る