1.15〈オリジナル・シユウ〉

「へぇ、速いな、あの侍」


 可愛らしいエプロンドレスが汚れるのも構わず、両足を開いてブーツを踏ん張り、地面に寝そべって照準を合わせていたヘンリエッタの頭上から、急に見知らぬ男の声がかけられた。

 彼女は弾かれるように横に転がり、太もものホルスターから[レアリティ7]イーグル・マグナムを抜くと、狙いもつけずに引き金を引いた。


「おっと」


 その小さなブローバックシステムは片手で抑えられ、撃鉄は薬莢を叩けずに止まる。

 指が引き金にかかったまま銃ごと腕を捻り上げられ、ヘンリエッタは地面に顔面から突き落とされた。


「まぁ慌てるなよ。シユ……あれ? 名前変えてるのか? ……あのエリックって言うボットもただじゃやられないぜ」


 地面に這いつくばる格好になったヘンリエッタのおしりの上に、その男は腕をひねりあげたまま無遠慮にも腰掛ける。

 ヘンリエッタは屈辱と腕の痛みで顔を紅潮させ、この戦術ポイントに隊員を残して置かなかったことを悔やんだ。


「……まさかボットが連携して動くとはー、思わなかったわー」


 口に入った砂を血と一緒にぺっと吐き出し、ヘンリエッタは首をひねってその男を見上げる。

 後頭部と顎のラインの一部しか見ることは出来なかったが、黒髪で短髪、それ以外にこれといって特徴の無いその顔は、特徴の無いのが特徴としてヘンリエッタの頭の中に刻み込まれた蚩尤しゆうボットの顔そのものだった。


「別に連携したわけじゃありません」


 遅れてその場に現れた少女がそうつぶやく。

 透き通るように美しい青く長い髪を揺らして、その少女はヘンリエッタの傍らにしゃがみこんだ。


「私たちの居た場所のすぐ近くで[レアリティ9]の武器反応があったので、彼が興味を惹かれて見に来ただけです。……おはようございます。ヘンリエッタさん」


「シャミラムちゃん――」


「今は早苗です」


 即座に否定する早苗を不思議そうに見上げたヘンリエッタの口元の血をハンカチで拭って、早苗は蚩尤しゆうの隣に立つ。

 彼と一緒にいる時の彼女は、例えGFOの世界に居ようとも[魔術師]シャミラムではない。ただ一人最強オリジナルの蚩尤しゆうの隣に立つことを許されているのは、早苗と言う名の自分だけなのだと言う自負がそう言わせたのだ。


「早苗、見てみろ。あのボットも女連れだぞ」


 ヘンリエッタの腕を捻り上げているのとは逆の手で、空中に表示されたズームウィンドウには三つ巴になって戦うエリック、ケンタ、あつもりの姿が映る。その向こう側に両手で耳を塞ぎしゃがみこんでいる淡い緑色の髪少女の姿を認めて、早苗は思わず我が目を疑った。


「芽衣?!」


 何が何だかわからない。

 自分の口を自分で押さえ、ズームウィンドウから目を話すことのできなくなった早苗の見ている前で、シユウと寸分たがわぬ顔をしたボットが、[創世の9英雄]の一人であるケンタと、それと同じくらい強いクマの着ぐるみを相手に火花を散らしている。

 そのすぐ後ろ、何度も流れ弾が砂煙を上げる瓦礫の横に、迷子の子供のように座り込んでいるのはどう見ても芽衣の姿だったのだ。


「へぇ、知り合いなのか」


 血の気の引いた顔で画面を詰め続ける早苗を見てシユウは面白そうに笑い、ウィンドウを操作してそれぞれのステータスを確認する。

 その手がエリックのステータス表示でピクリと止まった。


「……面白いな、


 ヘンリエッタのおしりの上から立ち上がり、捻り上げていた彼女の腕をゴキッと嫌な音を立てて持ち上げる。

 肩の関節からありえない方向へと曲がった腕を逆の腕で抑えてのたうつヘンリエッタを一瞥すると、シユウは早苗の肩を抱いた。


「行くぞ、早苗。……それからそこの不死者アンデッド、お前らもボットと同じで死んだら復活できないんだろ? 長生きしたいなら俺とは戦わないことだな」


 それだけ言い残すとシユウと早苗は何のエフェクトも残さずにその場から消え去る。

 あとに残されたヘンリエッタは、痛みに耐えながらアイテムインベントリから取り出したポーションを飲み下した。

 即座に光りに包まれ完全に回復したはずの腕を胸に抱き、放心したようにその場に倒れ込むと、彼女は怪我の痛みとは別の場所から訪れる痛みに震え、ぎゅっと目を瞑って、いつもの様に痛みが去ってゆくのをただ必死に待つのだった。



  ◇  ◇  ◇



「ほんとっ……に特殊シールドが力を削いでてもこれなのクマ?!」


 傷だらけのクマの着ぐるみに、パパパッと言う軽やかな音とともに新たに3つの穴が空く。

 頭上には[1,024][983][1,055]と言う赤いダメージが表示され、あつもりはガクッと膝を折った。


 追撃の刃をケンタの[レアリティ9]神威御剣かむいみつるぎカスミダチが弾き、大きく隙の出来たエリックの胴体にケンタの体当たりが炸裂する。

 吹き飛んだエリックが着地の直後にトンボを切り、一瞬で飛び退った後の地面に、あつもりの放った[炸裂金剛弾]がバスケットボール大のクレーターをいくつも開けた。


「あつもりさん一度下がって回復! あと付与呪文エンチャントもかけ直しの時間っすよ!」


 ケンタは裂帛れっぱくの気合を放ち、一気にエリックとの距離を詰める。

 エリックの放つ剣戟を弾き、撃ち出される銃弾を地面をえぐるほどに蹴ってかわし、返す刀で振り下ろす剣はケンタを要とした扇のように、広い範囲で周囲の瓦礫ごとエリックを吹き飛ばした。


「……ドアホウが、戦いになった途端活き活きとしすぎだクマ……」


 普段の姿からは想像もできない鬼気迫るような戦いぶりに少し引いたあつもりは、そのままホバリングして後方へと退しりぞく。

 後方支援部隊の陣まで下がったあつもりに、回復やエンチャントの呪文が次々と浴びせかけられた。


 この部隊は、今までに70体のシユウボットを消滅させて来た。[創世の9英雄]との戦力差は歴然としているとは言え、一人一人を見てもGFOトップクラスの実力者の集団だ。

 それでもボットとの直接戦闘はケンタたち9英雄に任せざるを得ない。

 それほどにボットと[創世の9英雄]の戦闘力、そして[レアリティ9]武器の破壊力は、普通の戦闘とは一線を画しているのだ。


 しかし、あつもりの持つ[レアリティ9]第3エリクシルは戦闘には向かない。武器とは言っても液体と固体の中間の存在で、錬金術の成功率や達成結果の上方修正などが主な効果である。

 そのため、あつもりの戦闘力は[創世の9英雄]の中ではワンランク落ちると言うのが自他ともに認める周知の事実だった。


「回復、OK」

「エンチャント、OK」」

「あつもりさん、完全支援OKです」


 ボロボロだったクマの着ぐるみが傷一つ無く回復し、周囲からかけられた声に「よし、行くクマ」と立ち上がる。

 そのあつもりの背後、周囲を3重に囲む特殊シールドの一番外周から悲鳴が上がったのは、まさにその瞬間だった。


「おいおーい、なんだこの結界。初めて見るぞ」


 キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しながら、それを止めようとするボット制圧部隊の隊員を虫でも追い払うように打ち倒して歩いてくるその男は、先程まであつもりが戦っていた……そして今もケンタが戦っているシユウボットと全く同じ顔をしていた。

 あつもりは背筋に冷水を浴びせかけられたかのような感覚に戦慄を覚える。


「お前たちすぐに離れるクマ! そいつもボットだクマ!」


「そうだぞ、何も好き好んでデスペナ受ける必要はないだろ」


 次々と倒されて行く仲間を気遣うあつもりの言葉に、シユウは見下したような言葉をかぶせて笑う。

 いや、見下した、と言うのは正確ではない。シユウは何の悪意もなく、自分以外の者全てを「能力の劣るもの」と認識しているのだ。

 その認識は、相手が[創世の9英雄]だろうが自分以外のボットだろうが1ミリも揺らぐことはない。

 シユウのその言葉はあざけりの言葉ではなく、死ぬのが自明の理であるのに攻撃を仕掛けてくる者達の思考が心の底から理解できない。ただそれだけの、考え方の違いから発せられた言葉なのだった。


 シユウの周りから仲間が蜘蛛の子を散らすように離れるのを確認し、チラリとケンタとエリックの戦いの場を確認したあつもりは小さく舌打ちすると、その手に光る[レアリティ8]ベア・クロウ改弐へ強化の呪文をかけ、低空からシユウへと飛びかかる。


獣爪硬化じゅうそうこうか! インフィニティ・ベアクローだクマ!」


 呪文により硬度と鋭さを増した熊の爪は空気を引き裂き、触れても居ない地面に火花を散らしながら弧を描いて、シユウの喉元へと一気に飛んだ。



  ◇  ◇  ◇



「思ってたより弱かったっすね」


 地面に転がった[レアリティ8]格闘銃カイゼルファングへと振り下ろした切っ先は、ザンッと重い音を立ててそれを断ち切る。

 柄頭つかがしらに両手を乗せたまま、肩を少し上げて頬の汗を拭ったケンタは、顔をあけに染めて地面に這いつくばるエリックを見下ろしていた。


 エリックの向こう、瓦礫の上にしゃがみ込んだまま両手で耳を抑えて目を瞑り、ぶるぶると震えている芽衣めいへ視線を向けたケンタは、一つ深呼吸して地面から剣を引き抜き、頭上高く掲げる。

 今まさに切って落とされようとしているエリックは、それが分かっていても反撃するどころか逃げることも出来ないまま、ただ震える指先を芽衣へと伸ばした。


「おい待てよ、もったいないだろ」


 ずっ……ずるっ……何か重たいものが引きずられる音とともに耳に届いたその声は、ケンタのうなじの毛を逆立てる。

 『戦闘モード』に切り替わっているケンタの脳が、全身全霊を持って「逃げろ!」と告げていた。


「なんすか? 今ちょっと取り込み中なんすけど……」


「そりゃすまなかった。でもさ、悪いけど、俺にくれないか?」


「……いや、ちょっとそれは無理っすわ」


「そうつれない事言うなよ。ただとは言わないからさ」


 そう言って笑ったシユウは、右手で引きずっていたボロボロの物体を足元に転がす。

 黒く焼け焦げ、プラスチックが溶けて固まったような臭いのするそれは、ゴロリと半回転すると「うぅ……クマ……」とうめき声を上げた。


「!? ……あつもりさん!」


「まだ死んでない。これと交換でどうだ?」


 あつもりの惨状に、ケンタの頭の血がスウっと引いてゆく。

 冷静になって周囲の状況を確認してみれば、いつの間にか3重に張られていた対ボット用の特殊シールドも全て解かれ、ボット討伐部隊も遠巻きにこちらを伺っているだけだった。

 ケンタは頭上に掲げたままだった剣をゆっくりと下ろす。

 今まで倒したボットとも、先ほど戦ったエリックとも、このシユウは何かが違う。

 万全とは言えないこの状況で焦って戦う事にメリットは感じられなかった。


「おい悩むなよ薄情だな。このクマ不死者アンデッドだろ? 死んだら復活できないぜ?」


 僅か数秒黙りこんだだけのケンタにイライラした様子のシユウは、あつもりを蹴って転がす。

 また「うっ……クマ……」と呻いたあつもりを見て、ケンタは慌てて「わかったっす。交渉成立っすよ」と返事を返した。


「よし、交渉成立な」


 まるで日曜日の公園でフリーマーケットの交渉が成立したような気軽さで、シユウは悠々とケンタの前まで歩み寄り、血まみれのエリックの腕を引っ張る。

 ケンタも気づかなかったそのシユウの影から早苗が現れ、まだ耳を押さえたままぶるぶると震えている芽衣に駆け寄った。


「……助けて……助けて……助けて……助けて……助けて……」


 ぶつぶつと繰り返しつぶやいている芽衣の頬を早苗がパシパシと叩く。

 急に頬を叩かれた痛みに体を硬直させ「ひっ」と息を呑んだ芽衣は「……エリック! ……助けて!」としりもちをついて這いずるように逃げようとした。


 その声を聞いたエリックはシユウに掴まれているのとは反対の手にベリル・スマグナを出現させると、食いしばった歯の間からどす黒い血を吹き出しながら、銃口を早苗へ向ける。

 すかさずシユウから放たれた電撃に、「芽……衣……」と呟いたエリックは更に目と耳と鼻から血を流し、動きを止めた。


「わははっ、やっぱこいつ面白いな! よし、行くぞ早苗!」


「はい」


 あつもりに駆け寄り、ポーションを飲ませるケンタにはもう興味が無い様子でシユウは早苗に歩み寄る。

 間髪をいれずに返事を返した早苗は、逃げようとする芽衣の顔を両手で挟み込み「芽衣! しっかりしなさい! 行くわよ!」と叱りつると、立ち上がってシユウの傍らに寄り添った。


 ケンタの見ている前で4人の姿は掻き消され、ここに、第68次ボット掃討作戦は前回に引き続き失敗に終わったのだった。

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