1.13〈ラピス・テラ〉

 東に連なる黒々とした山々の稜線を黄金が縁取り、その中央に燃えさかる太陽がその最初の光を突き抜けさせる。

 光は熱となり、広大な砂漠を覆っていた冷たい夜霧を一瞬で吹き払った。


 砂漠の中心部、打ち捨てられた石造りの廃墟にも太陽の光は突き刺さり、冷えきったその表面を炙る。

 それはこれからの灼熱の一日を予感させる輝きだった。


 その廃墟を見下ろす巨石群に、のそり……とクマの着ぐるみが現れた。

 可愛らしい丸で構成されたその愛くるしい姿とは裏腹に、右目の部分には小さなモーター音を発する3連ターレットが照準を合わせる。

 鋭く尖った爪で背後に合図を送ると、それに合わせて数十人の冒険者が音も立てずに集結した。


「あつもりー、緑の子猫ちゃんは今日も狼と一緒に居るのー?」


「……わからないクマ。6時間ほど前から緑の娘に付けた[追跡者トレイサー]も何者かのジャミングを受けているクマ」


 エプロンドレスを身に着けた大柄な女性、ヘンリエッタの問いに、クマの着ぐるみ、あつもりが無表情に答える。

 笑顔のまま睨みつける……そんな特殊な表情であつもりを見たヘンリエッタは、後ろに控える偵察部隊にハンドサインを送り、忍者のような黒装束を着たその男たちは無言のまま散っていった。


「……あつもりー、そんな報告ー、聞いてないわよー」


 ヘンリエッタは視線をあつもりへ向けることもせずに、腕組みをして廃墟を見下ろす。言われたあつもりも表情を読み取ることの出来ない着ぐるみの顔を廃墟へ向けたまま、3連ターレットを小刻みに動かした。


「そうクマ? まぁどっちでもいいクマ。そもそもボクはヘンリエッタの部下じゃないクマ。報告の義務など無いクマ」


 2人の間に険悪な空気が流れる。

 後ろに控える冒険者達が静かに顔を見合わせていると、そこを掻き分けるように大柄な戦士が姿を表した。


「あつもりさん、遅れてすまねっす。でも流石に平日朝5時はきついっすよ」


「ドアホウがやっと来たクマか」


 あつもりの言葉は辛辣にも聞こえたが、その身にまとう空気は目に見えて緩む。後ろに控えている冒険者たちへも「おはようっす」と声を掛けて回ったケンタは、最後にヘンリエッタの横に立つと「……はよっす、ありさねえ」と、彼女と同じく廃墟を見下ろした。


「……覚悟はー、決めたのかしらー?」


「……覚悟なんか無いっす。俺はもえさんとありさ姉が命がけで守ったこの世界のために、不正プログラムを削除しに来ただけっすから」


「そこに何も知らない女の子が巻き込まれていても、そのタスクを実行できるクマか?」


 3人は真っ直ぐにシユウボットが居るはずの廃墟を見つめながら話をする。ヘンリエッタたちの調査で目星をつけた3人のボットのうち、行方を把握できていて、一番移動することの少ない芽衣めいのシユウボット……エリックが最初の目標とされたのだ。


「あつもりさんもありさ姉も大げさっすよ。……俺たちにとってどんなに大事な世界だろうと、2人にとって命そのものの世界だろうと、彼女たちにとってこの世界GFOはただのゲームっす。死んでも現実に死ぬわけじゃないっす。ゲームの中で友だちになったボットが消えても、本当に人が消えるわけじゃないんすよ」


 この世界で本物の命を掛けた戦いを経験した[創世の9英雄]の一人であるケンタが、自嘲を含んだ言葉でそう答える。

 [GFO事件あのとき]を過ごした者たちは皆感じているのに、だ。


 現実リアルよりも現実的リアルなこの世界を。生身の世界より生命いのちの重さをより身近に感じるこの世界を。


 それでもあえて、ケンタはこの世界をゲームだと断じた。

 それはつまり、そう言い切ってしまわなければ此処から先へは進めないと言う、あつもりやヘンリエッタたち不死者アンデッドへの彼なりのエールだったのだ。


「……ドアホウだクマ」


「ほんとにー、ケンタはドアホウねー」


 罵られてケンタは笑い、「しょうがないっすよ、俺ドアホウっすから」と堂々と宣言する。

 彼の作り出したやわらかな空気は、つかの間、ヘンリエッタの切羽詰まった表情を元の優しい笑顔へと変えてくれた。


 早朝だというのに真横から強烈に降り注ぐ太陽の光を半身で浴びながら、ヘンリエッタはふと思い出したように口を開く。

 そこから流れ出た言葉は、ゆっくりと響く歌のように、静かに朝の空気の中へと広がって行った。




 ”あの草原の輝きや


    草花の栄光がもう帰らずとも


      なげくのはもうやめよう


  今この眼に映るものの中に


    新たなる力を見出みいだすのだ


  かつてのあのまばゆい輝きが


    今や永遠に失われ


      たとえ二度と戻らないとしても”




 余韻を楽しむかのように眼を閉じたヘンリエッタの頬をほんの一粒の涙が音もなく流れる。

 それは、早くも乾燥し始めた砂漠の砂へと吸い込まれ、まるで初めから涙など存在しなかったかのように消え去った。


「……なんすか? それ」


「ワーズワースの詩の一篇だクマ」


「あの娘たちのギルドの名前ー。[草花の栄光グローリー・イン・ザ・グラス]って言ったでしょー?」


「……そうクマか。でも中学生が使うには早過ぎる言葉だクマ」


「彼女たちにもー、求めてやまない失ったものがー、あるんでしょうねー」


「……でもなんか、悲しい詩っすよ」


 ケンタがそうつぶやくのと、偵察に向かっていた忍者が戻ってきたのはほぼ同時だった。

 廃墟にはボットの反応ともう一人、通常のプレイヤーともボットの反応とも付かない不明な反応アンノウンが認められたと言う。


 その報告を受けたヘンリエッタは唇を一文字に結び、ケンタたちの反応も待たずに部隊に向かって大きく手を上げた。


「時計合わせー。マルゴーフタマルー、現時刻を持ってー、作戦を決行しまーす。3……2……1……ゴー!」


 [創世の9英雄]の一人、ヘンリエッタの号令のもと、第68次ボット掃討作戦の幕は切って落とされた。

 感傷に浸る間もなく事前の作戦に従って崖を勢い良く下るケンタに、まるでホバリングするかのように追随するあつもりが声をかける。


「ケンタ、ワーズワースの詩は悲しい詩なんかじゃないクマ。失った美しい過去ををいつまでも懐かしむのではなく、未来へ向かう新しい力を見つけ出そうと言う、力強い詩だクマ」


 眼前に迫った大きな岩をケンタが横滑りして避け、そのまま真っすぐ突っ込んだあつもりは身を躍らせ、縦に360度、横に180度回転してケンタの目前に勢いを殺さぬまま着地する。

 ニヤッと笑って目を合わせた2人は、目標の廃墟へ向かい、部隊の先頭をものすごいスピードで突っ走って行くのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ベッドと小さなサイドテーブルの置かれた簡素な部屋のカーテンの隙間から、朝の光が穏やかに差し込んでいた。

 引き出し付きのテーブルの上に、手鏡や櫛など必要最低限の道具だけが無造作に転がっている。


 透き通るように美しい青い髪をかき上げ、[魔術師]シャミラムは髪と同じ色のピアスを付けた。

 彼女の目にはそのピアスの名前が[レアリティ8]蒼海石ラピス・テラと表示されている。


 それは蚩尤しゆうが彼女のために用意した、二人をつなぐ証となるものだった。

 [魔術師]シャミラム、早苗は櫛で丁寧に髪を整え、手鏡で自分の姿をもう一度チェックすると、すでに高鳴り始めた胸に手を当て呼吸を整える。

 精神を集中させてシユウを求めると、右上に常時表示されているミニマップに竜の紋章が表示された。


(ふふ……こんな凝った模様じゃなくて、普通に光の点を表示するだけでいいのに)


 ドヤ顔で「かっこいいだろ!?」と自慢するシユウを思い浮かべて小さく笑った早苗は、愛おしそうにその紋章に触れ、ギルドの自分の部屋から一瞬で姿を消した。



「よう、来たか早苗」


 山の奥、重なるように葉を広げた広葉樹林の真ん中に立つシユウが、突然現れた早苗に驚くこともなくニッと歯を見せて笑っていた。


「はい」


「ははっ、良い返事だな」


「それは……シユウが『返事は はい だ』って決めたからだわ」


「……そうだな。よく言いつけを守った。可愛いぞ早苗」


「かっこいい俺の半分くらい……でしょ?」


「不満か?」


 両手に金色と銀色の炎を同じ大きさで燃やしながら、シユウは片目を瞑って早苗へと視線を向ける。

 シユウが自分を見て、自分にだけ話しかけていてくれる。それだけで幸せを感じた早苗は、力いっぱい首を振った。


「不満なんてある訳……ないじゃない」


「ならいい」


 そう言って両手の炎を渦のように絡ませて前方へと飛ばしたシユウは、薙ぎ払われた木々の状況を見て、納得いかないように小さな切り株に腰を下ろした。

 早苗が駆け寄り、シユウの汗を拭く。

 目を瞑って何かを思い巡らし、早苗のなすがままにさせていた彼は、普通とは違う黒いウィンドウを開き、意味の分からない数字と単語の羅列を書き込み始めた。


「それ、なに?」


「……ん? ああ、GFOメインプログラムの裏口バックドアの一つだ。せっかく作った新しい魔法も幾つか運営に消されたし、バックドアも閉じられたものもあるけどな。それでも、まだまだやりようはいくらでもあるのさ」


 そう言っている間にもシユウはハッキングを完了し、その痕跡の後始末までを終える。

 さっと切り株から立ち上がると早苗に何の許可も取らずにいきなり肩を抱き、「場所を変えるぞ」とだけ言ったシユウは、何の予備動作も行わずに全く別の洞窟の中へと瞬間移動テレポートした。


 システムログを確認したシユウは、小さくふうっと息を吐きだしてウィンドウを閉じる。

 しっかりと抱きしめていた早苗の肩から手を離すと、洞窟の床に乱雑に撒き散らされている毛布の上にゴロンと横になった。


「今日はこれくらいにしとくか」


 何事にも無頓着なように見えて、それでいて草食動物のように用心深い。

 単なるボットだろうと思っていたが、自らハッキングを行い、プログラムを改変までするこの男の正体が、早苗にはよくわからなくなっていた。


「……ねぇ、シユウ。あなたってプログラムなの? それとも人なの?」


「俺は俗に言うボットだ」


 頭の後ろに両手を組んで、あくびをかみ殺したシユウは興味なさそうにそれだけ答えた。

 しかし、もうこの話題を切り出してしまった早苗は今更引く気もない。


「だって、自分でプログラムを改変し続けるボットなんて聞いたことないわ。それに、いくらなんでもあなたみたいに自我を持ったプログラムなんて、SF小説かアニメみたいよ」


「……うるさいなぁ。可愛くないぞ」


 片眉を上げてそう言ったシユウに、ぐっと言葉に詰まった早苗は涙目になる。


「どうせ私なんて可愛くないわよ! そんなのわかってる! でも私はあなたのことが知りたいの!」


 肩を震わせる早苗を不思議そうに見上げたシユウは、ゆっくりと体を起こして「来いよ」と早苗に手招きをした。


 今まさにシユウへと怒りをぶつけているのだ、突然そんなことを言われてホイホイと喜んで抱きしめられに行くほどプライドは捨ててない。


 そう頭では考えていても、早苗は涙を流し顔を真赤にしながら、ぷるぷると震えるその肩を彼にあずけてしまう。


(なんて恥知らずなの……私)


 薄暗い洞窟の中、乱雑に散らかされた毛布の上に2人、肩を抱かれて頭をなでなれながら、早苗は喜びと恥ずかしさのい交ぜになった複雑な感情に、どうして良いかわからず声を殺して泣きだす。

 5分か10分か……早苗が何とか涙と肩の震えを止めることが出来るようになるまで、シユウはただ黙って彼女を抱きしめ、優しく髪を撫でていたのだった。

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