第15話 暴漢

「報復に行ったのだということはわかるが、師匠が何日もかかるとは思えんが」

「念のため多目に日数取っただけだと思うよ。ボクもまさか本当に帰って来ないとは思ってなかったけど」


 メロスが報復に出かけた翌日。ティーナとルカはすでに日課となっている軽いランニングをしながら、帰って来なかったメロスはどうしているのかと話し合っていた。

 ティーナは昨日のメロスの様子を思い出し、血の凍る感じが蘇るようだった。

 弱肉強食のナユタの掟に従って、すでに骸と化したウェルを抱えるメロス。内包された怒りを必死に押し殺し――しかしそれ以上に発せられる悲哀は、見ていたこちらの胸を深く抉った。


 なんと声を掛ければよかったか、今でも迷う。全ての言葉はメロスを素通りでしてしまう予感に駆られながら、慰めたいと心から思った。あるいは〈親愛の種〉の残滓による影響だったかもしれないが、メロスに元気になってほしいと願い、しかし言葉の持ち合わせのなかったティーナには沈黙以外になかったのも、悔しい事実だった。


 走る。昨日のメロスの姿が浮かんでは立ち消えた。幻想のメロスを振り払うつもりで、速度を上げた。ルカがすぐ後ろを付き従う。


 もしティーナがウェルのことを知っていたなら――かける言葉は、あったのだろうか。そしてその言葉は届いたのだろうか。

 ユウキがあの場に居たら。二千年のときをメロスと共に歩んできた彼女がいたなら、メロスの顔も多少なりともましなものになったのだろうか。


 突然、今までに感じたことのない情動が強く胸を打った。怨み、怒り、憎しみ、――そして親しみ。どれとも違う。

 襲いかかってくるこの感情にうまく名前をつけることができず、ひたすら困惑し、やがてなぜ私がメロスのことで頭を悩ませなければならないんだという、ふつふつとした怒りに変わった。


「あーっ! 腹立つ!」


 突然の叫びにルカが驚いて飛び跳ねたが、気にせず更に速度を上げほとんど全力疾走のような状態になった。


「ティーナ!? それじゃすぐばてちゃうよ! こけたら怪我するって!」


 ルカの制止も聞かない。悩みも怒りも踏み潰すつもりでひた走った。

 そんな状態で十分以上は走り続けただろうか。とうとう疲労が限界に達したティーナは電池の切れるように仰向けに倒れ、荒い呼吸を繰り返した。

 息ができないほどに苦しいが、頭の中がからっぽになってなぜだか気分はよかった。


「む、むちゃしない、でよ……ハァハァ、しんっどー……」


 最後までティーナのハイペースに付き合ったルカが、文句を垂れながらティーナの横に、同じように大の字に倒れた。

 空はほんのり暗い曇天。雲を割って降りてきた神龍を思い出し、ついでメロスを思いだした。……どこまで行ったのだろう。


「師匠……いつ帰ってくると思う?」

「数日中。早く帰ってくるとは思うよ。……寂しいの?」

「そんなわけなかろう!」


 顔をしかめ、勢いよく体を起こして叫ぶような否定を返した。しかし内心で、もしかしたらという思いが湧いた。もしあの、得体の知れない情動に名をつけるなら――寂寥。

 馬鹿な。ありえない。湧いた想像をぶんぶんと首を振って否定する。


「……百面相でもやってるの?」

「やっとらんわ!」

「冗談はともかく、さ。これからどうする? ボク、動くのも億劫」


 メロスの修行は厳しい。最初の身体をほぐすための軽いランニングを終えてしまえば、全力疾走で走らせるぐらいは日常茶飯事。そして倒れるまで走らせると、強制的に回復してまた走らせる。そんなことを何時間も続けさせるのだ。最初から最後まで自分のペースで走れたことなど、ルカをホムンクルスに封印していたときぐらいのものだ。


 まるで賽の河原で石積みさせられている気分だが、無意味な行動ではなく着実に強くなるためとなれば、ティーナにも強い拒否の言葉はなかった。


 だが、この修行法の肝心要であるメロスはいない。壱号か弐号に頼み、家の倉庫を漁ればライフ・ポーションぐらい見つかるだろうが、こんなことで使っていいものだろうか。特に使用制限をされているわけではないのだが、非常時のために置いてあるという意識が強く、日課のランニングで倒れたから使うというのはなんだか気後れしてしまう。修行となれば一本二本の使用で留まらず、数十本から百本を越えるだろうという予想がその理由だった。


「……自然回復を待ってランニング。師匠が帰るまでそれでよかろう」

「わかった。……水、持ってくるね」

「すまぬな」


 のろのろと立ち上がったルカは、足を引きずるようにして家の中へ戻って行った。

 風が吹いた。ナユタの風は生温かくて気持ち悪く、ティーナは不快げに顔をしかめる。

 樹木が揺れ木々の擦れ合うざわめきが耳まで届く。疲れ切ったおかげで何も考えることもなく、目を瞑ってひたすら疲労を取ることに励む。


 ――後から考えれば、奇跡的な確率で不幸が重なっていた。メロスの不在から始まり、体力の枯渇、ルカの不在、風による気配の取りにくさ、瞑目したための視界の遮断――。他にもメーコの察知能力は魔物のみに向いていたり、家の防衛機能も人間を除外していたり。


 どうせ何もできはしないというメロスの油断。あるいは、これぐらいは潜り抜けてみせろと作っておいた穴。

 いかなる幸運の作用か、そこを突いた複数の人影が、そろりそろりとティーナに近づき――、


「……ん、なっ!」


 わずかな気配にティーナが目を開けたとき、人影に身体を押さえつけられた。


「な、何をするかっ!」


 人影の胸を片手で押しのけ、もう一方の手でひたすら殴る。腕と言わず、顔と言わず。足を使っていなかったことを思い出し、蹴りも加えた。場所は考えなかった。突然襲ってきた理不尽に対して全力で抵抗する。


 得体の知れない人物――男に対する恐怖はない。メロスに比べれば普通の人間という意識もあったし、それ以上に無理矢理押さえつけられていることに対する怒りが遥かに勝った。


 めちゃくちゃに暴れる中、男の手にある銀環が目に入る。何だ、あれは。そんな疑問は直後に襲ってきた鈍い頬への痛みの中で消えた。


 殴られた。今まで押さえつけることしかしなかった男が、暴力を振るったのだと考えに至るまで、数秒の時間を要した。なぜだかひどいショックを受けていると、続けて殴られそのショックも吹き飛んだ。


 この期に至って、ようやく恐怖が胸に宿る。たとえメロスより遥か弱いのだとしても、少なくともティーナより強いのだという当たり前の現実を、ようやく理解した。

 ただティーナが普通でなかったのは、宿った恐怖はすぐに怒りへ変換されたこと。メロスに向ける憤怒に近い感情が、目の前の男に向けられていた。


「大人しくしやがれ!」


 ティーナの目つきが気に入らなかったのか、さらにもう一発。手加減なく殴られ、顔が横を向く。身体から力の抜ける感覚。口の中に血の味が広がった。ぷっと血を吐き出すと男を鋭く睨む。

 ガチャリ、と首が鳴った。咄嗟に銀環が嵌められたのだろうと予測する。


「チッ、手こずらせやがって」

「ライナー、終わった?」

「時間が掛かったね」


 男が吐き捨てた後、人影が続々と現れる。ライナーと呼ばれた男を合わせると全部で八人になった。


 ライナーは薄汚れた中年の男だった。一応鎧を身につけているが、到底この大陸では通用しなさそうな些末な物。壊滅した盗賊団の生き残りのような雰囲気があった。女も混ざっているが全員似たり寄ったりな格好で、案外本当に盗賊でもやっていたのかもしれない。


 腕を引っ張られ、無理矢理立たされる。足がふらつき、思っていたより殴られたダメージは深いようだ。


「ティーナッ!?」

「お嬢様!」


 ようやく騒ぎに駆け付けたルカと弐号。ルカがティーナのありさまを見て目を瞠り、次の瞬間には髪と眦を逆立てて憤怒の形相へ変わる。直接殴られた痕跡を目の当たりにしたせいか、メロスにさえ向けなかった激情で溢れていた。


「何モノだっ、貴様ら!」


 ルカの震える怒声。何の魔力も籠っていないはずのそれは、身を竦めそうになる圧力を抱えてビリビリと周囲に木霊した。


 ライナーがやや驚いたような顔をしたが、すぐににやりと笑い、ティーナを抱き寄せる。抵抗しようとしたものの、遅れてやってきた痛みに力が入らなかった。


「よう、見てたぜ。あんたらがここで走り回っているところからよ」

「何モノかと聞いている。答えんか」


 いつもの気楽な口調ではない。まるでティーナの生き写しのような、ルカの口調。あるいはあれが本来のものなのだろうか。


「冒険者、さ」

「冒険者だと? それがなぜティーナに乱暴する」

「ん、ああ。殴っちまったのは失敗だったな。奴隷にして売り飛ばすつもりだったのに」

「なんだとッ!」


 そのとき、宙から人が降ってきた。冒険者を名乗る男達の真ん中に着地し、彼らは膠着する。


 ティーナと同じ深紅の髪を靡かせやってきたのは壱号。騒ぎを知るや、ルカと弐号とは別の方向からここまで進み。侵入者と見るやユウキ開発の強靭な脚力に任せ、宙を飛んできたのだ。


 ――乱入者。


 冒険者達がそう判断するよりも、壱号の初動が勝った。

 壱号はまず手近の冒険者の腹部を貫手で貫く。背中から手が飛び出した。ドロッとした赤い液体が冒険者の口から飛び出し、ぴちゃと頬に数滴掛かる。だがメーコである壱号に人を殺した感情の揺らぎはなく、視線を走らせ効率的に次の敵を見定める。


 突き刺さした貫手を引き抜くと同時、慣性を利用した勢いのある拳を背後の冒険者へ。顔面を撃ちぬくつもりの一撃。一冒険者に過ぎなかったその男には踏み堪えることさえできず、顔面を大きく陥没させた上で背中から飛んだ。四秒ほどの空中遊泳を強制させられた彼は、地面に落ちる前には息を引き取っていた。即死である。その四秒間に壱号は手刀でもう一人、首を切り落として殺していた。そして次の相手を目で探す。


 無双。そんな言葉がまさに相応しい状況だったが、たった一言で壱号の快進撃が止められる。


「やめろおぉ! こいつがどうなってもいいのかああぁぁ!」


 それは悲鳴以外の何モノでもなかった。突然やってきて容赦なく殺されていく仲間に恐慌を起こし、咄嗟に叫んだ。壱号は次の冒険者の首を狙い、再び貫手を放った途中。何を苦し紛れにとしか思わなかったが、視線だけを叫んだ男へ向けた。


 そして驚愕する。


 その男に掴まっているのはティーナだった。場所が悪かったのか、今の今まで影に隠れて見えなかったのだ。途端、壱号は目を瞠りピタリと動作を止めた。冒険者の喉まであと数センチという距離まで迫っていた。


 メーコにとって何より優先されるのはティーナとルカの安全である。人質に取られている以上、安全を脅かす行動を取ることはできない。そう、作られていた。

 同時に壱号は弐号が動かなかった理由を理解し、ゴーレム故の思考で、感情のないはずの壱号の胸を悔恨が襲った。無闇にティーナを危険に晒してしまった、動かない方が正しかったのに、と。


 突然停止した壱号に困惑が広がる。何が起こったのかわからなかった。まさかライナーのあんな苦し紛れの言葉で止まったのだとはすぐに理解できず、徐々にもしかしたらという安堵が広がった。そして壱号が完全に停止して動かないと見るや、ライナー以外の冒険者達がへなへなと力なく座り込んだ。


 特に貫手があとわずかまで迫っていた男の恐怖は凄まじかったらしく、酷い脂汗を掻いて呼吸が荒い。


「はは、はははは」


 額にびっしり汗を掻いたライナーが、力の乗らない声で笑った。

 三人。わずか十数秒の蹂躙で、三人もの仲間を失ってしまった。到底すぐには信じられないことだが、貫手を突き出そうとした姿勢のままピタリと止まった深紅の女と、無惨に転がっている三つの死体を見ては認める以外になかった。


 そして認めてしまえば、恐怖は消えて理不尽に殺されたことへの怒りが勝る。

 ライナーは笑いを収めると、ギロリと壱号を見た。


「そいつを殺せ! 八つ裂きにしろ!」


 この命令に怯えたのが仲間の冒険者達だ。なぜだか完全に停止したとはいえ、瞬時に蹂躙という意味を深く知らしめた人物を殺そうとするのはなかなか勇気がいった。もちろん仲間を殺されて悔しい気持ちはある。だが、また動き出すのでは、という危惧が冒険者達の顔を見合わせさせ、そのまま行動に移させないでいた。


 冒険者達が恐々壱号を見やる。貫手を打ち出しかけた姿勢のまま止まっていた。人質に気づいて止まったというまでなら冒険者達にも理解できるのだ、だがこうして姿勢を保ったままでいることが、まるで理解できない。一口に言えば不気味で、関わり合いたくなかった。


「何してやがる! 両腕と足ぶった切ってやれ!」


 再度の命令に、冒険者達が渋々という様子で従い始める。


「壱号!」


 ルカが叫ぶ。冒険者達が恐ろしげに剣を振りかざし、停止したままの壱号の腕目掛けて振り降ろした。見るに堪えない腰の引けた一撃が銀閃を産みながら、貫手を出そうとしている手へ。誰もが斬り落としたと思った。しかし、硬質な金属音をさせて剣を弾き返すという予想だに事態に直面し、再び冒険者達に硬直が訪れる。


「こ、こいつ……人間じゃない!」

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