第2話 無力さを知っている1

「菊ちゃんっ? ……都雅ちゃんも?」

 美佐子が、驚いた声を上げる。都雅の足元から猫が駆けつけた。音を立てずに走り寄った菊は、美佐子の脚に寄り添い、呆れた声を上げた。心配と安堵も込められた声だった。

「まったく美佐子ちゃんは、なにゆえかようなことにいちいち首をつっこむのじゃ。こういうことは、都雅にでもまかせておけば良いものを」

「お前、人を便利屋かなんかだと思ってるんじゃないだろうな?」

 低く抑えた声が、後ろから脅すように言う。しかし猫は頭をそびやかせて平然と返した。

「なんじゃい、結局ついて来とるくせに」

「お前が人にすがってお願いするからだろうが」

「文句があるのじゃったら、自分のお人好しを直してから言うのじゃな」

「お前も言うようになったじゃねーか」

 猫に追いついて言う、都雅の声がいっそう低くなった。にやりとわざとらしく笑う顔に、猫は全身の毛を逆立てて、美佐子の足下に逃げ込む。

「都雅ちゃん、どうしてここに……?」

「菊が、あんたがいなくなったって、そらもう大慌てで泣きついてきてな。病院かここだろうって言うから、先に病院に行ってたら時間を食った」

 ずかずかと美佐子に近寄り、横を通り過ぎた。そして、廊下の真ん中に立ちつくす少女に目を向けると、不快そうに片眉をあげた。

「――あれは、あんたの知り合いか?」

「入院してるはずの友達なの。何回かお見舞いに行った。いつも、助けて助けてって言ってて……。何かがいるって、本当に恐がってたの。嘘には見えなかった。わたしも、事件があった日に変な声を聞いているし、奇妙なことがあったし」

「だからって一人で来ることないだろうが」

 暗に、なんで自分に声をかけないんだと言う都雅に、美佐子は驚いて、それからこんな状況なのに笑った。

「都雅ちゃん、今大変なんだって、菊ちゃんに聞いてたから……」

「あんたが、いちいち気にすることじゃない」

 美佐子の言葉を無愛想にさえぎると、都雅は更に一歩前へ出る。

「都雅ちゃんは、強いね」

 背中からかけられた言葉には、応えなかった。さりげなく美佐子を背にかばいながら、前を見据える。



魔道士エゴイスト……」

 思わず崇子はつぶやいていた。それに。

 ――都雅……?

 聞こえたその名に、戸惑った。そのはずがない。彼女が来るはずがないのだ、それどころじゃないと協会の頼みを断ったのだから。彼女は協会の頼みを無下にできる立場にいないはずだ。

 制約も契約もない。だが――普通ならば、多少は恩義を感じて、切り捨てたりはしないはずだ。

「クラッシャー」

 崇子の呟きを聞き取って、奏はおやおやという風情で声をかける。

「あれが、くらっしゃあ?」

 奏が怪訝そうに問うてきて、崇子はさらに困惑してしまう。

 だけども崇子が口にしたのは確かに、皆がその実力を認め、多少の親しみとからかいを込めて呼ぶ二つ名だ。壊し屋、と。

 それに崇子は都雅を見た事がある。もうずっと前のことだが、間違えるわけがない。あの苛烈な少女を。

 それは彼女たちの業界では、とても有名な異端児。

「ごちゃごちゃうるせえ。魔道士をその名前で呼ぶんじゃねえよ」

 髪を振るようにして顔を上げ、少女は乱雑な言葉を口にした。

 対峙する者すべてに警戒の眼差しを向ける破壊魔に、蓮が文句を言うより奏が呑気に口を開くよりも早く、崇子が大声を返した。ここで誤解されて、ついでに攻撃などされてはたまったものではない。

「わたしたちは協会の者です!」

 この学校の調査のために来たんです――と、続きを言おうとした。だが、その一言だけを聞いて、黒マントの少女はつまらなそうにさえぎった。

「あ、そう」

 興味を失ったのか、敵ではないと判断したのか、取るに足りないものだと思ったのか。その態度は、必要以上に厳しい対応だ。崇子は空気と一緒に言葉を飲み込み、何も言えなくなってしまった。



 都雅にとってみれば、目の前にいる者みんな、得体の知れない存在だった。協会の人間と言うが、信憑性はまるでない。味方であると言えない以上、敵であると判断するしかない。それが人でも。そもそも、彼女には余裕がない。

 とにかく手っ取り早く、遠くの違和感よりも、間近な異物だ。

 廊下の両脇を挟まれても悠然と嗤う少女に、きつい眼差しを向ける。そこにいるのは、彼女と変わらぬ年頃の少女。美佐子の知人だと言うからには、本当に同じ年なのだろう。外側はただの人間。

 だが、明らかに魔族だ。黒い塊のようだ。人形ひとがたの中に凝固された闇だ。

 ――やってられない。

 都雅は内心毒づく。

 見た目は全然違う。人間を隠れ蓑にしているが、この気配を忘れるわけがない。相手はもう何も隠そうとしていない。

 見据える都雅の視線に答えるように、少女が口を開く。都雅の注意がすべて、自分の方へ向くのを待っていたように、ゆったりと。

「お前か」

 喜々として言う。

「会いたかったよ」

 流れるような声がその唇から謳う。その言葉が、都雅の考えを裏付けた。

 怪奇事件を探っていけば、と思った都雅の予想は当たっていた。新藤家から逃げ出した魔族は、人間の中に入り込んで、隠れていた。普段は少女の中で息をひそめ、自分が動きたい時にだけ表に出てきていた。道理で協会がどれだけ探しても分からなかったはずだ。

 幻を操り、人の傷をえぐるのが得意な魔族がやりそうなことだった。

 ――嫌な予感しかしない。

 都雅は不機嫌に眉をしかめると、魔族の憑いた少女に向かって問う。

「雅毅をどうした」

 本当は罠に飛びつきたくなかった。だけど他の出方なんか、分からない。彼女の性格は、回りくどい手段を覚えてこなかった。

 その一言で相手は、あからさまに嬉しそうに笑う。

「さあねえ……?」

「どこへやったと聞いている」

 都雅は再度聞く。短気な彼女に、喉を鳴らして魔族が笑った。魔族の憑いた少女は、本人は決してうかべないはずの邪悪な表情で、わざとのんびり問い返す。

「おかしなことを聞くねえ。魔族に捕まったら、食われたと思うのが当然じゃないのかい? どこへやったかなどと愚かな事を」

「お前みたいなのが、そんなに単純だったら、こっちも苦労はしない」

「……どうかねえ?」

 瞳を笑みの形に細めて、嫣然と笑う。むしろ穏やかとも言える表情で都雅を見ていた。

「そんなことより、わたしはお前と少し遊びたいのだよ」

 囁くようにつぶやく。

「今度は、その娘を守ろうと言うのかい?」

 そして残虐に笑った。

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