第4話 守り方を知らない3

 向けられた目を、魔族は唖然として見返していた。人とは違う永の命に生きる魔族にとっては幼い、ただの視線だ。恐れるに足りないはずだ。だが。

 ――まだ逆らえるのか?

 取るに足りない存在のくせに。少女がかばおうとしている人間たちは、自分を見て恐れ怯えているのに。これほど踏みにじられて、傷つけられて、まだ逆らおうとする人間など見たことがなかった。普通は怯えるものなのに、どうして。

 この、人間は。

 魔族たる自分は、何よりも優位にいるはずだ。相手はたかが人間、それも術を使えるのは少女のみだろう。どう考えても劣勢だ。どうしてそんなに、頑然と立ち上がる。

 ――それに、何かがおかしい。

 こんな復讐劇、簡単に果たせるはずだった。遊びでしかなかった。ほんの少しの、暇つぶしでしかない。

 なのに、身体が軋む。何故だか身が重い。考えて、額から頬をぬるりと流れ落ちるものに気がついた。

 魔族は、緩慢な動作で手を持ち上げて、額をぬぐい取る。白い手を濡らしたのは、人よりもどこか黒ずんだ蘇芳色の液体だった。あろうことかそれは、彼女の血だった。

 そんなはずはない。冗談ではなかった。あり得ない。

 腹の底から、怒りが湧き上がってくる。ただのかすり傷だ。だがこの自分が、人間に傷つけられるなどと。あってはならないことだ。矜持が許さない。

 どういうことか、人間の術者の攻撃など何でもないはずなのに、身にのしかかるように、効いている。少女が予想以上の術者だったから、ということもあるが。それは所詮、人間の目で見ればの話。侮っていたからといえばそれもあるかもしれない。だがそれがどれほどの要因だというのか。

 愕然としてしまう。

 ――おかしい。

 自分の中に思っていたほどの力がない。

結界のせいか。

 ――封じられた日の屈辱がよみがえる。多くの人間たちが命を落としながら、彼女を罠にはめた日を。

 目の前の少女を傲然と睨みつける。

 当初の目的などどうでも良かった。怯えた少年を殺すことなど、もう、少しの楽しみも感じない。

 魔族の興味は、わき上がる怒りはすべて、目の前の少女に向けられていた。今この自分に少しでも惨めさを感じさせた、たかが人間の少女に。

 何より、何よりも――まとわりつくように意識から離れない、あの瞳。

 滅茶苦茶に、もとの形すら分からなくなるほどに引き裂いて、壊してしまわなくては気が済まない。何もかもを奪って苦しめてやらなくては。あの揺るがない瞳を恐怖に染めなければ。

 魔族は少女から目を離し、首をめぐらせた。再び少年たちを見遣る。

「菊!」

 駆けつけられない都雅は、とっさに怒鳴りつけた。言われなくてもと、牙を剥き出した菊が、少年たちをかばう。

 少年たちは身をすくめる。魔族の手が虚空を薙いだ。都雅の張った結界が、いとも簡単に破り取られてしまう。

 そのまま、立ちふさがる菊を腕の一振りではじき飛ばすと、魔族は少年たちの方へ向かった。自らの血のついた白い手を伸ばしたのは、彼女が始めに狙っていた少年、ではなく。

 ――魔道士の少女が、怒鳴りつけた方。

 気遣う素振りを見せた方。

 怯える康平をかばった雅毅に、優美な仕草で手を伸べる。彼女は、麗しいそのかんばせで、艶やかに笑んだ。魔族としての彼女の力。惑わし惹きつける、あやかしの力は、殺伐とした空気を一瞬にしてかき消すほど、魅惑にあふれた笑みだった。

「雅毅!」

 必死の声で、都雅が呼んだ。

 ――けれど。

 雅毅は惑わされてなどいなかった。妖しく笑む魔族に対し、正気を強く保った目で、闇のような瞳を見返している。

 今度こそ魔族は動揺した。

 ことごとく誇りを傷つけられて、彼女の怒りは頂点に達していた。こうなったらもう。

 ――喰ろうてやる!

 カッと牙を剥いて、雅毅の細い首に噛みつこうとした。

 だが、出来なかった。

 都雅が攻撃魔法を放ったからでも、頭から血を流した菊が、その喉元に噛みついたからでもない。

 強い抵抗が彼女の身体を縛っていた。

 何が起きたのか、どうしてなのか、その時その場にいた者、誰にも分からなかった。

 食らいつくことをあきらめ、しかしながら魔族は、雅毅のことをあきらめたわけではなかった。ことごとく自分の邪魔をされて、これだけはあきらめるわけにいかなかった。意地にもなっていた。

 再び菊を振り払い、雅毅の腕を掴んでいた。

「……雅毅っ」

 康平が、泣きながら叫ぶ。それはもう魔族にとって、何の面白味もなかった。

「てめえ!」

 ねじ曲がった腕から血を流して、しっかりと床を踏みしめて立つ少女の声の方が、彼女の気を引いた。雅毅が魔族の腕を振り払おうと必死になっているのなど意にも解さず、少女の方を振り返る。

 そして魔族は、嗤う。

 流血と破壊に満ちたこの場で、それをもたらした当人であるにも関わらず、優しささえ覗かせる表情。相手の愚かしさを憐れむ、慈愛さえ錯覚させる顔で、嗤う。

 そんな笑みを残し、一瞬ひるんだ都雅を残して。

 ――消える。

 今度こそ、消えてしまった。

 雅毅を連れたままで。

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