第3話 縁側でお茶2

 祖母が呼んだタクシーが到着して、雅毅は都雅に頭を下げてから、部屋を出て言った。玄関で祖父母と話す声がする。見送る気になれなくて、都雅はまた縁側に出た。沈んだ日の名残がまだ空に残っているが、冷えた風は身を刺すようだ。

 ふいに、あまり聞きたくない鳴き声がした。都雅の耳に、声が降ってくる。

「可愛い子ではないか。お主とは違って素直じゃのう」

「何しに来たんだよ」

 音もなく頭に重しが乗る。

 この猫は、いつの間にか人の家にいりびたって、のんきな祖母とはもうすっかり顔なじみだ。家を教えた記憶はないのに、気が付いたらこのありさまだ。――初めて会ったのが下校中だったのは、致命的だった。しかも菊を飼っている家と都雅の家は、自転車で二十分ほどと近い。

 頭の上の猫は、都雅の苦い顔などまったく気づかず、平然と言った。

「お主の答えを確かめに来たのじゃ」

「……例の仕事のことか」

 どうしてこう、寄って集って人を追いつめるのだ。うんざりする。それに気が早くはないかと思うが――あれから二日。身の危険にさらされているというのなら、よく待った方だろう。

「それって、新藤って言う家か?」

「……そうじゃが」

 教えたかのう、とあっさり肯定されて、ますます気分が悪くなってしまった。やっぱり。あきらめと同時に、うんざりする。

「何か進展あったのか?」

「当たり前じゃろうが。二日も経っておるのじゃぞ」

「……はあ、左様でございますかあ」

「もっとシャキッとせんか。その子――康平というのじゃが、その子が狙われておるとは言っても、直に何かをされたわけではのうてな。家の門が破壊され、番犬が殺され、ご丁寧に首があの子の部屋の前に置かれていたり、警備の人間が大勢怪我をして、家政婦が大怪我を負い、昨日は康平の部屋の両隣の部屋が破壊されておった。まあ、大きな家じゃから部屋は山ほどあるし、使用している人間がいなかったのが幸いじゃが、そんな案配じゃな」

「なんだそれ。別にその子が狙われてるって、決まったわけじゃねえだろ」

「犯人がわざわざその子を苦しめてやると宣言しに来とる。じわじわと追いつめて楽しんでおるようじゃ。今日か明日か明後日か、そろそろ本気で危ない。じゃから急いでおるのじゃ。何より、子どもの精神に良うないと思わんか。あの子は眠ることも出来ずにおるらしい」

「詳しいじゃねえか」

 不審を隠さず都雅は言う。頭に乗られたままで、疑惑の目を向けることは出来なかったが。

「そんなの決まっておるわ。つい先刻まで、一緒に屋敷におったのじゃ。わしと康平は親しいのじゃと、美佐子ちゃんも言っておったであろうが」

「まあ、猫ならうろちょろしてても、怪しまれやしないだろうがなあ……」

 下手をすれば自分も無事ではすまないと分かっていて、よく呑気に行くものだ。この猫は本当に、心の底からお人好しだ。貧乏くじを引きたがるタイプだ。

 やれやれ、と息を吐きながら、続けて言う。

「しかし、別に大したことじゃないじゃねえか」

 大がかりだし、尋常でないことは確かだ。信じられないほどの猟奇犯罪というわけでもない。誰でも可能な範疇だ。変なものに狙われている、なんて、美佐子も雅毅も、口を揃えて変なことを言っていたが、大袈裟だ。

「しかし、何もないところに忽然と現れる人間がいると思うか。素手で、壁を粉砕できる人間が、そうそういると思うのか」

 忽然と現れる、と聞いて霊の類かと思った。それなら、自分は専門外だ――別に扱えないこともないが、そう言って逃げようかと思った。けれど、続いた言葉に、言えなくなった。驚きと苛立ちの混じった声が出る。

「誰か見たのか。それ、人間だと言ったな、今。幽霊でも化け物でもなく?」

「人の前に姿を見せて言ったのだと、教えたばかりじゃろうが。被害者の何人かは気を違えてしまったのじゃが、警備の男は意識も記憶もはっきりしておったようでの。人間にしか見えなかったそうじゃ。使用人たちが噂しておるのを聞いた」

 菊の言葉に、都雅は顔をしかめた。

「…………冗談じゃねえ」

 一言吐くと、そのまま顔を背けて黙り込む。都雅の頭に乗ったままだった菊は、飛び降りて小さく鳴いた。首が傾き、翠の瞳が物問いたげに彼女を見上げる。

「うるせえ、冗談じゃねえぞ」

 皆が皆、相手が得体の知れないものだというのなら、そうなのだろう。加えて新藤家が絡んでいて、世間を騒がせた事件というのを、都雅は別のところから耳に入れている。祖母に聞いても、学校でクラスメートに聞いても、知っているだろう。その事件の大きさを考えれば。つい先ごろ、ワイドショーやネットのネタで世間を騒がせた事件の張本人が新藤家だ。

「なんだって、よりによって」

 そして目撃されたものが、人間にしか見えなかったとなれば……。思いつくことは、一つ。

 ただただ舌打ちがもれる。冗談ではない。

「協会は何をしている……そこの親父は、他の誰かに警護を頼んだか? セキュリティじゃなくて、あたしみたいな類の人間に」

 協会、と何をさすことか分かりかねたようで、猫は頭を傾げたが、少し考えるようにしてから首を横に振った。

「何度か黒スーツの人間が押し掛けてきて、警護がどうとか言うておったが、追い返したようじゃったの。どこかの組織が家の方に介入してきた様子はない。関わらせていない、と言うべきかの。自分たちで霊能者の類をつれてきたことはあるが、まあ、結局、駄目じゃった」

「立ち入らせていないのか。随分な自信じゃねえか」

「あまり大層なものに、大事に取られたくはないのじゃろう」

「我が子より対面か……?」

 都雅は、自分の顔が険しくなるのが分かった。嫌悪に胃がむかむかする。

 マスコミが嗅ぎつけていないわけがない。新藤家の騒動が表に出ていないのだから、新藤家自身か、専門機関か、何らかの力が働いているはずだ。

 隠すことにばかり力を割いて、事実を話すべき相手に、協力を頼むべき相手に、何も要請していないとは。素人なら素人らしく、専門の連中に任せれば良いものを。

 外部の協力を断ったとなれば、事件が食い止められることなどありえない。拡大して人が死ぬ。そこでやっと事態に気づくのだろう。――いや、それすら隠すのかもしれない。しびれを切らした専門組織が権威をかざして介入くるまでは。しかし、相手が新藤家のようにそれなりの権威を持つ家が相手では、対応が遅くなる可能性が高い。

 新藤家は事態を軽んじすぎている。分かっていないのだろうが、彼らにとっての問題は、家の中で起きていることよりも、社のイメージ、家のイメージなのだろう。これだから金持ち連中は、大人は、嫌なのだ。体面ばかりだ。心の中で、吐き捨てるように思う。

「じゃからのう……お主は、わしらの頼みを、受けぬ方がいいかも知れぬのう」

 猫が悄然と言うことに、都雅は苦笑した。辛うじて冷笑には見えなかっただろう。我ながら良くやった、と思う。

「お前たちが言い出したことだろうが」

「うんにゃ……。わしらは詳しく知らなかったのじゃ。あれから様子を見に行って驚いた。これはお主に気軽に頼むにしては、大事過ぎたようじゃ」

「んなこと言っても、遅い。今更」

 吐き捨てる。この猫も雅毅も、助けてくれと事情を説明しておきながら、やめておけと言う。卑怯じゃないか、そういうやり口は。そんなつもりはないのかもしれないけれど。

 それに雅毅――あの子は、「お姉ちゃんまで危ないことに」などと言っていなかったか。それが「友達に加えてお姉ちゃんまで」と言う意味なら、別に構わないのだが。「友達とぼくに加え、お姉ちゃんまで」と言ったように思えてならない。

 あの子は決して、すぐ家に帰るとは言わなかった。どう言い訳するんだ、と聞いた都雅に、困った様子を見せた。これから新藤家へ向かうのなら、この家へ来ていたことをごまかす必要はない。ずっと新藤家にいたと言い張ればいいのだから。けれど黙り込んでしまったのは、新藤家へ行くということを、都雅へ言えないからだったのでは。

 杞憂かも知れない。でも、あの子ならやりかねない。

 そういう子なのだ、雅毅は。

 困ったように顔を洗ってごまかしている猫を見て、溜息をつく。緩慢な仕草でかがんで、菊をつまみ上げた。

「とりあえず、さっさと、そこに連れていけ」



 本当に嫌になる。

 久しぶりに、雅毅に会ったりしたからだ。家を思い出してしまう。大嫌いなあの家。そして、反吐の出る、あの女の顔。

 ――家族なんていらない。

 一人で生きていける。だから、必要ない。

 ――弟なんていらない。

 だって、愛されているあの子は嫌いだ。同じ親から生まれたのに、望んでこうなったわけでもないのに、あたしとは違って愛されている。……ずるいと、思う。

 ――雅毅、嫌いだ。

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