第2話 冗談は通じない1

※   ※   ※


「お前、いい加減に、猫の丸焼きにされたいか?」


 冬の夜風は容赦ない。少女は黒マントを寒そうにかきあわせながら、うんざりと言った。冷気が突き刺さるような満天の星空の下、屋根の上に座り込んで。

「どうせやるなら、弱火でじわじわではのうて、強火でじゅわっとしてくれよ。なぶり殺しはいかん。……いや、冗談じゃて」

 ぎろりと睨みつけた少女に、ちいさな黒い塊がやれやれと言う。こちらも、夜の闇に溶け込みそうな毛皮をまとっている。少女の隣に人影はない。いるのは、小さな黒猫。器用に肩をすくめるようにして、あきれた様子で続けた。

「本気にするなよ。お主は短気でいかん」

「うるせえ。丸焼きが嫌なら、とっとと帰れ、子猫ちゃん。つきまとうな」

「子猫ちゃんはやめんか。わしはお主よりもずっと年上なのじゃぞ」

「うるさい化け猫ストーカー」

「可愛くないのう」

「黙れ化け猫」

「おっと。来おったぞ。今回の標的はあれじゃろ」


 少女の言葉を丸ごと無視して、猫は屋根から首を伸ばした。家の前の道路を見ている。

「……ったく、帰れってのに」

 悪態をつきながら、少女は闇を払うようにしてマントをさばき、立ち上がった。セーラー服のスカートがひるがえる。

 屋根の下――もとい、家の前を少年たちが歩いていく。全部で五人。そんなものか、と少女は仁王立ちで考えた。

 どこにでもいるような少年たちだった。大声で笑いながら歩いていく。夜中に騒ぎやがって最近の若者は、やれやれ、と少女は思うが。少年たちは、彼女とあまり変わらない年頃に見える。彼女の思考からは、当然のごとく、自分自身のことは除外されていた。

 少女の白いソックスを、猫が前足でつつく。声をひそめて言った。

都雅つが、お主、行かんのか?」

 口を出されて、少女の眉間にしわが寄る。

「まずは様子を見る」

「何故じゃ。さっさと片付けなくて良いのか。次の被害が出てからでは遅いぞ」

「誰が逃がすか。あたしをなんだと思ってる」

「ではなぜ動かんのだ」


 猫のしつこさにイライラがつのり、眉間のしわが深くなって、唇が歪む。勝手についてきたくせに、横からうるさいったらない。この口やかましい猫は、自分が納得しないといつまでもしゃべり続けるという、小姑のような性格をしている。その上睨んだ程度で口をつぐんでくれるような可愛い相手ではない。

 都雅は少年たちを見ながら、猫をどう黙らせるか考えた。丸焼きにするか、吹き飛ばすか、いっそ下のやつらの目の前に投げ飛ばして、奴らの気をそらせたり利用できないか。

 どれもこれも派手な音をたてることばっかりだし、最後のは意味がない。せっかくひそんでいるのに。都雅は大仰に溜息をつくと、しかたなしに教えてやった。

「ここは狭すぎるから、奴らが移動するのを待ってるんだよ。家やら塀やら破壊しても面倒だし。公共物破損なんてして弁償させられた日にゃあ、依頼料じゃ足が出るし」

「お主、破壊すること前提か」

 猫はため息交じりに少女を見上げる。都雅は顔を歪めて舌打ちした。

「しかたねーだろ、人数多いんだ。全力で一網打尽にするに限る。逃げられたら面倒だろうが」

「あの子らがどこに行くのか、お主見当がついておるのか?」

 少年たちの後ろを、気づかれないよう注意しながらついていく。屋根の上を。

「この先には公園がある。奴らそこで山分けするんだよ」

「山分け?」

「カツアゲしてきた財布の中身」

「厚揚げ?」

「……分からないなら、最初から口はさむな」

 呆れとそれ以上に、せっかく説明してやったのにという怒りを込めて、都雅は命じた。さすがに猫も口をつぐんだが、公園が見えてきたのに気がついて、また口を開こうとした。……ところで、少女に顔を掴まれた。

「おい、菊」

 都雅はわざわざ身を伏せて顔を近づけ、鋭い目で睨んですごんだ。

「邪魔したら、猫の丸焼きだからな。それも弱火でじわじわ焼いてやる」

 猫は口を押えられたまま、うにゃうにゃと言葉にならない声をあげている。その猫を放り投げて、少女は立ち上がる。


 空中でくるりと回転して着地した猫は、文句を言おうと少女を仰いだ。けれど都雅はもう背を向けていた。

 屋根瓦を蹴りつけて、軽く飛び降りる。二階の屋根の上から、気構えも頓着もなく。風をはらんで、マントがふわりとなびいた。

 猫は慌てて追い、少女の肩に飛び乗りながらも、口を開く。言おうとしていた文句とは別の言葉が、口をついて出た。

「お主、いつも思うが、なにゆえかようなマントを羽織っておるのじゃ?」

 少女はしかめっ面で猫を睨みつけてから、すぐに前を向いた。足下まですっぽり覆うマントは、防寒にもいいし、夜に身を隠すのにもいい。それに。

 当然のことのように、少女は答える。

「魔道士と言えば、黒マントに決まっている」

「……意外と、こだわり派なんじゃな」

 都雅は、ほんの少し呆れた猫の声など無視して、少年たちの行く先を見ていた。

 少女の細い体は、重力に反して浮かんでいる。



 住宅街にある公園は、こぢんまりしている。危険だからと遊具が撤去され続け、大きな滑り台と大きな広場とベンチだけになっていた。ベンチの夜の恋人たちには目もくれず、少年たちは広場の片隅で、思い思いの場所へと座る。離れすぎない位置で、真ん中を開けて、ぐるりと輪になる。

 談笑と共に、輪の中心へ投げ出される戦利品の山。財布と、裸の紙幣。

「さっきの奴の間抜け面見たか、おい」

「チビリそうだったよな」

「ってゆうか、あれ絶対、あの場で女に捨てられてるぜ」

「だっせー」

 静かな夜空に、笑い声が大きく響く。騒音で通報されても、カツアゲで捕まったとしても、気にもしない。どうせ未成年だから……無意識下で抱いている強みのようなものがある。そもそも大抵の人間は、彼らから目をそらして逃げる。――が当然、甘くはない人もいた。


「はい、こんばんは、諸君」

 場違いな声が、輪の外側から投げかけられる。陽気に振る舞おうとした言葉が、棒読みで台無しだった。

 少年たちは、いっせいに振り返る。明らかに、追われて逃げることに慣れている。数を頼りに散ってしまえば、誰かが捕まっても、誰かが逃げ切れることを知っていた。

 声の主は、街灯に照らされて立っていた。顔にぺたりと笑みを貼り付けている。真っ黒な髪に、真っ黒な布に身を包んでいるせいで、顔だけが夜に浮いて見える。不気味で、まるで幽霊のようだった。束の間身を硬くした少年たちだったが、その人物は寒そうに白い息を吐いていて、足も影もある。生身の人間だ。

 しかも警察官とか補導員とか、いわゆる大人ではなかった。自分たちと同じくらいか、年下かも知れない少女。それを認めた途端に緊張を解いた。

「なんだ、こいつ」

 嘲笑い、おもしろがるような視線が飛び交う。浮かせた腰を音を立てて降ろす者、少女に興味を持って、立ち上がる者。下卑た笑い声があがる。


 そこに、再びの声がした。

「馬鹿にされとるぞ」

 第三者の声は、どこからともなく聞こえた。気が緩んでいた少年たちは、硬直した。辺りを見回しても、少女の他に人はいない。

 けれどその声に反応したのは少年たちだけではなかった。少女の笑顔が、一瞬にしてはがれた。菊、と短く呼び捨てて。

「黙れ。邪魔するなと言っただろうが」

「誰が邪魔なぞしておるか。こんな寒いところに長居したいわけもない。猫は炬燵で丸くなるものだとお主は知らんのか」

「だったらさっさと帰って寝ろ。邪魔なことこの上ないんだよ」

「だから、お主の用事をさっさとすましてくれんと、わしの用事を終わらせられんのだ。ほれ、手伝ってやるから、早くせい」

「お前の手伝いなんかいらないと言ってるのがわかんねーのか、この馬鹿猫め。だいたい、あたしだって寒いのは嫌いなんだよ」

 言葉を重ねるたびに、少女が苛立ちを募らせていく。通信しているのか、どこかにカメラでもあるのか。見えない成り行きに、少年たちがイライラしだした頃。

「……というわけで、あんたたち、そこの金銭をよこしな」

 淡々と少女が言った。

 カツアゲ狩りとでもいうべきか。少年たちは五人、見えない声の主はともかく、少女は一人きりに見える。馬鹿としか思えない。第三者の声と言い、少女の言動と言い、戸惑いあきれて少年たちが反応を返せずにいるうちに、例の声が言った。

「お主、何を考えとるかっ」

 一喝する声と同時、少女は見えない手で突かれたように、かくん、と首を曲げた。その顔が、怒りに染まる。瞬間、素早い動きで肩のあたりに手をやると、何かを掴んだ。思い切り投げ捨てる。少年たちの戦利品の山に。


「邪魔をするなと言ったのが聞こえなかったのかお前は! 冗談に決まってるだろうが!」

 少女が怒鳴りつけているのは、紙のお金を四つの足で踏みつけにしている、猫だった。夜にとけ込みそうな黒い毛並みの猫は、緑の瞳をくるくるさせながら少女を見上げている。

「いま冗談言う必要あるのか」

「うるさい、場を和ませようとしたんだ!」

「だからなんでそんなことするんじゃ。どう考えても失敗しとるし」

「うるさい!」

 少女は恫喝し、再び少年たちに目を向けた。ものすごい剣幕で怒鳴りつける。

「お前ら、まったくもって運がなかったな。恨むならこのバカ猫を恨め」

「どういう関係があるんじゃ」

 再び声が聞こえたが、少女は無視した。少年たちにはやはり、わけがわからない。

「依頼により、お前たちを痛みつけた上、警察に突きつけるっ。返事はっ?」

 一体何の返事をすればいいのやら。お互いに顔を見合わせてから、少年たちは笑い出した。

「何言ってんだこいつっ」

 少女の、正気ともとれない言葉に、指さして笑う。

「なんなんだお前は」

 再度かけられた問い。

 少女は目に怒りを宿したまま、唇だけで笑った。そして口を開く。凄みが利いた声で言った。

「正義の味方でぇす」

 冗談としか思えない言葉を吐きながら、ゆっくり持ち上げた掌を少年たちの方に向ける。正確には、猫の方に。猫は全身の毛を逆立て、うなり声を上げた。少年たちは笑ったままだった。

 少女の抑えた声が、夜の公園に落ちた。

「砕けて消えよ」

 爆音が響き渡る。

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