第四節:北辰の星

―――――― 慶応元年、三月十日。西本願寺に屯所を移転。

 山南さんが亡くなって数日後、新選組は予定通り西本願寺に屯所を移転した。新選組内では慌ただしい日々が続いていた。そんな最中、土方さんの部屋で近藤さん、斎藤君、平助、僕の5人は顔を突き合わせていた。

「屯所を移転して間もないのに、大の男5人が狭苦しい部屋に集まって眉間に皺を寄せている土方さんの顔を見ないといけないんて、どんな嫌がらせですか?」

「お前がなかなか俺の呼び出しに応じず、逃げ回っていたからだろうがっ!!」

僕がそう言うと土方さんの堪忍袋の緒が切れて怒鳴った。確かに、屯所移転前に何度か土方さんに呼ばれていた。だけど、土方さんに呼び出されている理由が何となく分かっていたため、それに応じず斎藤君と平助に捕まるまで逃げ回っていたのは事実だった。

「まぁ、まぁ、トシ。今日はこうして総司も来てくれたんだから良しとしようじゃないか」

たまたま土方さんの部屋に居合わせた近藤さんが仲裁に入ると本題が始まった。

「あれから、アイツのことで分かったことはあるか?」

「分かったことって言われても・・・・・・・・・」

「副長への報告が全てです。嘘偽りなどありません」

土方さんの問いに困った斎藤君と平助は、三者三様の返答をした。

「どんな小さなことでも良いんだ。何か気付いたことはないか?」

それでも尚、土方さんは食い下がってそう尋ねてきた。

「総司、お前はどうなんだ? 祇園祭に一緒に行ったりとお前にしては珍しくアイツのことを気にかけているだろ?」

―――――― ほら、思った通りだ。

僕の予想通り、土方さんが僕らを呼び出したのは彼女のことについてだった。

「斎藤君と同じですよ。土方さんに逐一報告しているじゃないですか? それが全てです。隠していることなんて何もありませんよ」

「本当か?」

「本当ですよ。僕を疑ってるんですか? それに、土方さんは監察方の山崎を使って彼女の素性調査を各方面にしてますよね? そっちから何か新しい情報は入ってきてないんですか?」

僕がそう聞き返すと、土方さんは深く大きな溜息をついた。それが、何よりもの土方さんの答えだった。

「難航、してるんですね?」

「あぁ・・・・・・・・・」

土方さんは、疲れ切った様子で溜息交じりにそう返事をした。

 土方さんは、これまで各方面に当たって彼女の身元に繋がる情報はないか調べたようだが、結果は全て空振りだったようだ。彼女は時々、変わった質問はしてくるが、未だに自分の身元に繋がるような記憶は思い出していない。

「もう既に親、兄弟が居ないのか、あるいは・・・・・・・・また違った角度からアイツの素性を探らせるべきなのか」

「なぁ、トシ。そのことなんだが、和流せせらぎ君の身元調査はこれで終いにしないか?」

「何言ってんだよ!? 近藤さん、アンタ自分が何を言ってるのか分かってるのか!?」

近藤さんのその提案に土方さんは声を荒げて詰問した。

「勿論、分かっているとも。和流せせらぎ君の身元調査を打ち切れば、彼女が自分の身元を思い出すまでは、何者かも分からないことはな」

「だったら・・・・・・・・・・・」

「だからな、トシ。俺は彼女が自分のことを思い出すまでの間だけでも俺の養女として迎え入れようかと考えている」

「何考えてやがるっ!!!」

「「「!?!?!?」」」

近藤さんの発言には土方さんだけでなく、此処にいた全員が予想外のことで驚いた。

「近藤さん、やっぱりアンタは分かってねぇ!」

「そんなことはないぞ。彼女がこれからどんな人生を歩むにせよ、女一人では何かと苦労することが多い。だから、その負担を少しでも減らせればと思ってだな」

土方さんは文机を思いっきり叩いた。

「ふざけんなっ!! 自分の立場を分かってんのかっ!! 新選組・局長が素性の知れぬ得体の知れない娘を養女にするなんて出来るわけないだろうがっ!!」

ここまで土方さんが直接的に近藤さんを怒鳴り散らすことは一度もなかった。さすがの近藤さんもこんな土方さんを見るのは初めてで、黙り込んでしまった。

「いいか! アイツの身元調査は1年もかけているのにアイツに関することが何1つ出てこないんだぞ! いくら何でもおかしいと思わねぇーのかっ! 普通は、何かしらの手がかりが見つかるはずだ! それなのに出ねぇってのは、巧みに隠されると考えるのが妥当だろうがっ!!!」

「・・・・・・・・・・・・」

「新選組に仇をなす人間かもしれないのに新選組・局長の養女に迎え入れるだ? ふざけんじゃねぇよ!!」

「・・・・・・・・・・・・分かった。トシの心配も分かるし、もっともなことだ」

顔を真っ赤にして近藤さんを睨む土方さん。そんな土方さんに近藤さんは、静かにそう告げた。

和流せせらぎ君を養女に迎え入れるという話は忘れてくれ。君達も良いな?」

僕らを見てそう言う近藤さんに僕達は静かに頷いた。

「トシの気が済むまで和流せせらぎ君の身元調査は任せた。だがな、トシ。これだけは言わせてくれ。俺、近藤勇個人としては、どうしても彼女が悪い人間だとは思えないんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

「彼女は、深雪の面倒を見てくれたり、俺達にこうしてお守りを作ってくれたりと心を砕いてくれる。自分のことでも手一杯だろうに、それでも相手を思いやる心を待っている人間を俺は、どうしても疑うことが出来ないんだ」

「近藤さん・・・・・・・・・」

「それだけは、覚えておいてくれ」

近藤さんは静かに土方さんにそう告げると障子を開け、土方さんの部屋を出て行った。


                 *


 曇天が続き、前が見えぬほどの横殴りの激しい雨が降り続いているある日のこと。近藤さんの元に悲しい知らせが届いた。

―――――― 深雪さんが亡くなった、と。

 近藤さんは、その一報が届いてから自分の部屋に籠もってふさぎ込んでいた。本当なら、すぐにでも深雪さんの元に駆けつけたいのだろうが、この天候では行くことが難しく、雨が落ち着くのを待つしかなかった。

「雷も鳴り始めたなぁ・・・・・・」

僕は縁側から激しさを増す空を見上げた。

「・・・・・・・・・あの子、大丈夫かな?」

この荒れ狂う天候で心細い中、深雪さんの亡骸と今も一緒に居るであろうあの子のことを思って、そう呟いた。

「ごほ、ごほ。・・・・・・・また、咳が出るなぁ。少しは良くなったと思ったんだけど」

先日、漸く長引いていた風邪が治り、咳が治まったと思ったが、どうやらぶり返してしまったようだ。僕は、これ以上酷くならないよう自分の部屋に戻った。天候が落ち着いたら、近藤さんの護衛を兼ねて彼女の様子を見に行こうと思いながら、ゴロンと横に寝転がった。

 そして、翌朝。昨日まで続いた曇天が嘘のように今日は青空が広がっていた。近藤さんは、朝餉あさげも食べずに斎藤君と平助を引き連れて深雪さんの所へ向かった。

「ごほ、ごほ・・・・・っごほ、ごほ」

今朝起きると、僕は体がだるく咳が止まらなかった。そのため、昼の巡察までの間、大人しくしているよう土方さんに言われて近藤さんと一緒に行くことができなかった。

「はぁー・・・・・・・ごほ、ごほっ・・・っごほ・・・・・・」

早く咳が治まってくれないかと思いながら、今彼女はどうしているのか?そればかり考えていた。

 咳が少し治まり、昼の巡察から帰って来ると斎藤君と平助の姿があった。二人が帰って来たということは、近藤さんも屯所に戻って来たのだろう。

「お疲れ、斎藤君、平助」

珍しく二人が顔を合わせながら真剣に悩んでいる姿を見て、土方さんに巡察の報告をする前に声をかけた。

「あぁ、沖田君。お帰り。巡察ご苦労様」

「体調の方は良くなったのか?」

隊服を着ている僕を見て二人は今朝方の体調を気にかけてくれた。

「お陰様でね。ところで、二人とも何悩んでるの?」

僕がそう尋ねると二人は顔を見合わせた後、彼女の話をしてくれた。


                 *


「近藤さん、ちょっと良いですか?」

「あぁ、総司か。入って良いぞ」

近藤さんの入出許可を得て、部屋に入ると近藤さんはいつも通り柔らかな表情で僕を迎えてくれた。

「どうしたんだ? 何かあったか?」

「ちょっと、近藤さんにお願いがあって・・・・・・・・・」

僕が近藤さんの部屋に行く時は決まって、頼み事がある時。それを近藤さんは知っているから、深雪さんが亡くなって悲しいはずなのに、僕が気兼ねなく頼み事が出来るように気丈に振る舞おうとしていることが分かった。

―――――― ごめんなさい、近藤さん。知っているのに、その近藤さんの優しさに甘えてしまって。

「総司のお願いか。俺に出来ることなら叶えてやるが?」

心の中で近藤さんに謝罪をしていると近藤さんは僕にそう聞いてくれた。

「・・・・・・・・・今日、外泊許可を貰えませんか?」

「外泊? 総司が外泊なんて珍しいな。何処に外泊するつもりなんだ?」

「・・・・・・・・・・・・深雪さんの所です」

「―――――― !?」

少しの間を置いて僕がそう答えると、近藤さんは大きく目を見開いた。

「今朝、体調が芳しくなくて近藤さんと一緒に挨拶に行けなかったので、できれば早い内に挨拶したいなぁと思って・・・・・・・・・・・・」

「深雪への挨拶なら別に今日じゃなくても明日でも良いんじゃないか?」

「いえ! できれば、今日中が良いです。その、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・和流せせらぎ君に会いに行くのか?」

「・・・・・・・・・・・・」

僕が何て答えようかと考えていると、近藤さんは僕の言わんとすることが分かったようだ。

「そうだな。・・・・・・・・・彼女の今朝の様子は俺も気になってはいるんだ。だが、どうしたものか考えあぐねいていたんだ」

「できれば、土方さんには内緒でお願いできませんか?」

「トシに内緒でか?」

「はい。土方さんに言うと絶対反対されると思うので」

「まぁ、確かにな。今の状態だとトシは反対するだろうな」

「ダメ、ですか?」

近藤さんは暫く腕を組んで悩み続けると、外泊の許可を出してくれた。

「外泊を認めよう。あの状態で一人にさせるのは心配だからな」

「―――― ありがとうございます!」

「トシには上手く俺が立ち回ろう。総司、彼女のことを頼んだぞ」

近藤さんから外泊許可を得ると僕は彼女の所に向かった。


                 *


「こんばんは~!」

玄関前でそう呼びかけても人がこちらに来る気配が一向にない。斎藤君達の話を聞いて、彼女は寝ていないと思ったけど、

―――――― 明かりもないし、もう寝たとか?

静まりかえった家の前で立ち尽くしていると、中庭から微かに人の気配を感じた。

―――――― やっぱり、寝てなかったか。

気配のした方へゆっくりと歩いて行くと、月明かりに照らされている縁側に彼女は座っていた。

「こんばんは」

「・・・・・・・・・・・・」

「こんな所で何してるの?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・ねぇ、僕が挨拶をしているのに挨拶を返さないって失礼じゃない?」

目の前に立って呼びかけているのに彼女は、ピクリとも動かず反応がない。

「いつから君は、そんなに偉くなったのかな?」

溜息交じりにそう言って、僕は彼女の隣に座った。

「・・・・・・・・・・・・」

僕が隣に座っても彼女はずっと中庭を見つめたままだった。

 彼女の顔を覗き込むと、彼女の瞳には光が宿っておらず、死んだ魚のような目をしていた。

―――――― 本当、生きた屍状態だね。

彼女の様子を見て斎藤君や平助の話していた通りだと思った。今朝、近藤さんと一緒に訪れた二人は、呼びかけにも全く答えず、ただ深雪さんの側に座っているこの子を見たという。何度か近藤さんが名前を呼ぶと、意識を取り戻したのか漸く近藤さんの顔を見ると、彼女は謝罪の言葉ばかり紡いだという。

 その後、近藤さんと深雪さんを二人にするべく部屋を後にすると縁側でずっと中庭を眺め続けていたという。そんな彼女の様子が気にかかり、斎藤君と平助は慰めの言葉をかけつつ、気晴らしに街に出かけて甘味を食べることを提案したそうだが反応がなかったんだとか。

 そんな彼女の話を聞き、僕は山南さんを追いかけ、介錯をした時のことを思い出した。彼女はあの時の僕と一緒で自責の念に駆られているのだろう、と。

「いつまでそうやって不抜けてるつもり?」

「・・・・・・・・・・・・」

「そんなんだから、深雪さん死んじゃったんじゃないの?」

「・・・・・・・・・・っっ」

辛辣に僕がそう言うと肩を揺らし初めて彼女は反応を見せた。ギュッと着物を握りしめると、か細い声で「そうですね」と呟いた。

「・・・・・・・・・私が情けないばかりに深雪さんを死なせてしまいました」

「そうだよ。近藤さん、深雪さんのことを大切にしてたのに。・・・・・・・・・近藤さん、屯所でも沈んでるんだよね」

「申し訳ありません。・・・・・・・・・近藤さんの大切な方を死なせてしまって・・・・・・・・・」

そう言って彼女は何度も何度も涙を流しながら僕に謝った。

「・・・・・・・・・あんなに良くしていただいたのに深雪さんを助けることが出来なかった! 日に日に弱っていく深雪さんを見ていることしか出来なかった! こんな私でも皆さんのお役に立てられればと思って、・・・・・・・・・っっ医術を学んだのにっ!」

「・・・・・・・・・・・・」

「私、何にもできなかった! ・・・・・・・・・お役に立ちたいと思って、・・・・・・っっ、松本先生に無理を言って医術を教えて・・・・・・・っいただいたのに、松本先生にも申し訳なくて――――――」

「ごめん」

「!?!?」

僕はそう言うと彼女の肩を自分の方へ抱き寄せた。突然僕に抱き寄せられた彼女は、身体をこわばらせた。

「わざと酷いことを言った。・・・・・・ごめん」

「・・・・・・・・・沖田さん?」

今の彼女は、あの時の僕と一緒でありきたりな慰めの言葉なんて気休めにもならないと思った。だから、誰よりも自分のことを責めているであろう彼女のおもいを全部吐き出させようと思って、わざと酷い言葉を彼女にぶつけた。

 だけど、これは間違いだったかもしれない。彼女は記憶がない。だから、自分の存在意義を見出そうと医術を学び始めた。それなのに、僕は彼女が努力していたことを知っていたのに、深雪さんの死という目に見える形で彼女の努力を否定する言葉をぶつけた。いくら、溜め込んでいるおもいを吐き出させようとしたとはいえ、この方法は間違っていたかもしれない。

「あれを見てご覧よ」

僕はそう言うと夜空に浮かぶ北辰の星を指さした。

「北辰の星って呼ばれてるその名の通り真北にある星だよ」

「・・・・・・・・・北辰の、星?」

「あの星は、昔から真北に位置しているから方角を知りたい時は、あの星を見つければ自分が今何処にいるのかが分かるんだ。まぁ、謂わば道標みちしるべの星だよ」

僕がそう説明すると彼女は、北辰の星を見つめた。

「僕にとっての道標みちしるべは新選組の剣として近藤さんのために戦い続けること。君の道標みちしるべは?」

「・・・・・・・・・私の、道標みちしるべ・・・・・・・・・」

彼女はそう呟くと、暫く考え込んだ。

「人間はさ、いつか死ぬ生き物だよ。永遠に生き続けることなんてできないんだ。産まれた瞬間から人間は死に向かって生きているんだよ」

「沖田さん?」

「僕達は、いつも死と隣り合わせの生活で死は覚悟しているから、死に対して恐怖はない。だけど、僕は死んだ時、有意義な死を迎えられてるのかって時々思うんだ」

「私は、・・・・・・沖田さんが死んでしまったら悲しいです」

「・・・・・・・・・ありがとう」

彼女は悲しそうな表情で僕にそう言った。彼女の言葉を聞いて、僕は死んだ時、有意義な死を迎えられるのだと思い礼を言うと、話を続けた。

「死にはさ、有意義な死とそうでない死があるんだ。誰からも必要とされず、自分が生きたことさえ知られない死と自分のことを死んだ後も慕ってくれる死」

「・・・・・・・・・・・・」

「人が死ぬっていうことは悲しいことだよね。特に自分と親しかった人が亡くなってしまうと悲しいよね」

僕はもう一度、北辰の星を見ながら、山南さんの介錯をしたあの夜を思い出した。

「・・・・・・・・・悲しいことだけど、泣いてばかりではいけないんだよ。君は深雪さんのためにも前を向かないといけない」

僕は夜空から彼女へ視線を合わせると、彼女も真っ直ぐ僕のことを見つめ返していた。その瞳は、先程より微かだが光を取り戻しつつあった。

「だから、自分が何のために頑張ってきたのか思い出して欲しいな」

「私が、何のために頑張ってきたか・・・・・・・・・」

「ごほ、ごほ・・・・・っごほ、ごほ」

彼女の瞳に少し光が戻ったことに安心したからか、咳がぶり返してしまった。

「沖田さん、大丈夫ですか!?」

「・・・・・っごほ、ごほ、・・・・・・だ、大丈夫だよ。ごほ、ごほ・・・・・ちょっと、風邪気味でね」

僕が咳き込みながらそう言うと心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

「・・・・・っごほ、ごほ、今日はここで泊まらせて貰うよ」

「えっ!? 屯所に戻らなくて大丈夫なんですか?」

「大丈夫。外泊許可は取ってあるから。ほら、中に入るよ」

僕は草履を脱ぎ縁側から家に入ると彼女を中に引っ張った。


                 *


 深雪さんが亡くなって数ヶ月。私は、近藤さんのご厚意で今も深雪さんと一緒に暮らしていた家に居る。

 深雪さんが亡くなってから暫くの間、沖田さんは私の様子をよく見に来てくれて、時々泊まって早朝に屯所に帰ることがあった。斎藤さんや藤堂さんの話では、外泊許可は取っているものの近藤さんも土方さんもあまり快くは思っていなかったみたいだ。近藤さんは「年頃の娘が居る所に頻繁に寝泊まりするのは・・・・・・」と私のことを心配してのことみたいだったけど、土方さんは未だに身元が分からない私の所に記憶探し以外のことで新選組一番組隊長が頻繁に出入りするのを懸念していたようだ。

 それでも沖田さんが来てくれたのは、精神的にかなり不安定だった私を心配してくれてのことだと思う。沖田さんには申し訳なく思うと同時に感謝しかなかった。今、私が少しずつ日常を取り戻しているのは沖田さんが側に居てくれたからだと思う。

「沖田さん、大丈夫かな?」

青空を見上げながら、私はふとそう呟いた。沖田さんは、風邪が長引いているようで、治ったかと思うとすぐにぶり返して咳き込んでいることが増えた。

「っ痛!」

私は痛みが走った頭を抱え、痛みが引くのを待った。

「また・・・・・・」

沖田さんが体調を崩していると知ってから定期的に頭痛が起きるようになった。この正体が一体何なのか分からないけど、何故かときが刻一刻と迫ってきているという得体の知れない圧迫感と恐怖を感じていた。

「あれ? 君も来たの?」

「沖田さん!?」

「何? 松本先生の手伝いかなんか?」

「はい、そうなんです。今日は、よろしくお願いします」

沖田さんに挨拶をすると、近藤さん達に取り次ぎをお願いした。

 今日は、松本先生の先生の手伝いで、屯所にやって来た。近藤さんが最近、体調を崩している隊士さんが多いから診て欲しいと松本先生に依頼があり健診をするためだ。私は、診察がすぐに始められるよう松本先生より先に屯所に来て準備をすることになった。

「これは・・・・・・・・・・・・」

健診のために案内された部屋に入ると私は絶句した。床は埃だらけで衛生的とは程遠い状態だった。

「どうかしたかね、和流せせらぎ君?」

「い、いえ。何でもありません。少し掃除をしたいので雑巾を貸していただけますか?」

私は部屋に案内してくれた近藤さんにそう頼むと、松本先生が来る前に少しでも健診の部屋を綺麗にしておこうと時間の許す限り部屋の掃除をしつつ健診の準備をした。


                 *


「これは一体どういうことだね!!!!」

松本先生が健診の間、屯所の外で雑務をしていた私の耳に珍しく松本先生の怒鳴り声が聞こえた。声のした方をそっと覗くと松本先生が近藤さんと土方さんに健診の結果と改善策を講じていた。

「新選組隊士170人余りに対して3分の1以上の隊士が怪我や病を患っているぞ!!」

「そ、そんなにですか・・・・・・・・・・・・」

「それに加え、この不衛生な環境はなんだ!! こんな不衛生な環境では、治る病も治らないぞ!」

想像以上に隊士さん達が体調不良なのにたじろぐ近藤さんと不衛生極まりない屯所に呆れる松本先生。

「屯所は清潔にするとして、それでどんな症状の隊士が多いんですか?」

「多い症状としては、感冒、食傷、梅毒ですね。あと重篤な症状と疑わしい隊士も数名見受けられました」

「感冒に、食傷に、梅毒・・・・・・・・・・・・」

それを聞き、土方さんはドッと疲れた表情をした。

「栄養価の高いものを食べ、病にかかりにくい強い身体作りと屯所を清潔に保ち健康的な環境作りをしなさい!」

松本先生に指導を受けた近藤さんと土方さんは、すぐさま隊士の皆さんを集めると屯所の大掃除を始めた。

 私も松本先生の弟子として微力ながら隊士の皆さんと一緒に屯所の掃除や病室造りに取り組んだ。数刻ほど掃除をしていると近藤さんに休憩を取るよう言われ、お言葉に甘えるように休憩に入ると松本先生と沖田さんが人目を気にしながら屯所の裏手に回る姿を目撃した。

和流せせらぎさん、お疲れ様!」

「藤堂さん。お疲れ様です」

藤堂さんに呼びかけられ私は視線を屯所の裏手から藤堂さんに移した。

和流せせらぎさんは休憩? 担当場所は落ち着いたの?」

「はい、少し目処が立ったので近藤さんのお言葉に甘えて休憩に入らせていただきました」

「そうなんだね。僕も大方片付いたから休憩に入ったんだよ」

藤堂さんは軽やかな足取りで私の所まで下りてくると伸びをして大きく息を吸った。

「そちらは、力仕事が多いみたいですけど大変じゃないですか?」

「そんなんでもないよ。皆で協力してやってるからね。それに、いつも生活している屯所が綺麗になるは嬉しいからね」

私がそう尋ねると、藤堂さんは笑顔でそう言った。

「藤堂さんは健診の結果はどうだったんですか?」

「良好だって。僕の担当場所は、松本先生お墨付きの健康体で組んでるから力仕事も平気だよ!」

藤堂さんはそう言うと、私の前で力拳を作って見せてくれた。

「それは良かったです! 健診で気になった隊士さんは個別に松本先生が詳しく話を聞くと言っていたので藤堂さん達皆さんは大丈夫なのか気になってたんです」

「ありがとう! 斎藤君も良好って言われたみたいだよ。沖田君とは、まだ話せてないから分からないんだけどね。最近、体調が思わしくないみたいだから心配なんだよね。和流せせらぎさんは沖田君と話せた?」

藤堂さんも沖田さんの体調は気になっているみたいだった。

「いえ、まだです。先程、松本先生と沖田さんがあちらに行かれたので気になってはいるんですよね・・・・・・・・・・・・」

私は、そう言うと二人が姿を消した屯所の裏手を見つめた。

「それって、沖田君は重い病気ってこと?」

「分かりません。私が健診前に最近の沖田さんの体調が気になると松本先生に進言したので、それで詳しく話を聞かれているのかもしれません。健診では、隊士さんの人数も人数なので詳しく聞く時間が取れないかもしれないと仰っていらしたので・・・・・・・・・」

藤堂さんも黙って二人が姿を消した方向を見つめた。

「藤堂さん、ちょっと良いですか?」

「えっ? うん、大丈夫だよ。じゃあ、和流せせらぎさん、またね!」

隊士さんに呼ばれた藤堂さんはそう言うと屯所の中に消えて行った。


                 *


「なるほどな。食欲が振るわず、微熱が続き、夜中に大量の汗をかく、と」

「はい」

「・・・・・・・・・結論から言おう、君の病は労咳だ」

屯所の裏手で松本先生に最近の体調を詳しく説明すると予想通りの答えが返ってきた。

「・・・・・・・・・やっぱり、風邪じゃなく、あの有名な死病でしたか」

なかなか治らない風邪のような症状で、以前彼女から聞いたことのある労咳か? と思った時もあったが、まさかその予想が的中するとは思わなかった。

「おかしいですね。労咳って恋煩いの病だって聞いたんですけど、違うんですか?」

「冗談を言っている場合ではない!」

僕が笑いながらそう言うと松本先生は苛ついた口調で叱責した。

「いいかい、沖田君? 労咳は重い病気だ。今すぐ新選組を離れて空気の綺麗な所で療養した方が良い」

「それは出来ません!」

僕は間髪を入れずに松本先生にそう言った。

「新選組を離れることなんて出来ません。僕は、新選組の剣で新選組に命を捧げた身です。新選組のため、近藤さんのために僕は死の間際まで刀を振るい続けないといけないんです!」

「自分の状況が分かっているのかね? 労咳を患っている者にそんなこと許すわけがないだろう!」

「何と言われようと僕の気持ちは変わりません!」

僕も譲れないため松本先生に食い下がった。

「命が長くても短くても僕に出来ることなんて、ほんの少しなんです。新選組の前に立ち塞がる敵を斬る。それだけなんです。先が短いなら、尚更自分の人生、後悔のない選択をしたい! 此処にいることは僕の全てなんです!」

僕がそう言うと暫くの沈黙が続いた。そして、その沈黙を破ったのは、松本先生は深く大きな溜息だった。

「・・・・・・・・・分かった。君の熱意に負けたよ。ただし、条件があるよ。これから、私が言うことに従って生活するんだ。良いね?」

「分かりました。ただ、お願いがあります」

「何だね?」

「近藤さんや土方さん、他の皆には勿論ですけど、あの子にもこのことは言わないで下さい」

「近藤さんや他の新選組に病のことを話さないのは分かるが、何故あの子にも秘密なんだ? あの子なら気心も分かっているだろうし、私が京に居ない時でも安心して相談できるだろう?」

「深雪さんの死から、やっと落ち着いたんです。また、彼女の心を掻き乱すようなことはしたくない! 心配をかけたくないんです! あの子にも言わないで下さい、絶対に! お願いします!」

僕は松本先生に深々と頭を下げるとそう言った。すると、松本先生は再び深い溜息をついたけど、僕の意志を尊重してくれた。


                 *


「松本先生、沖田さん!」

屯所の裏手から姿を現わした僕らを見つけた彼女は僕らの元に駆け寄って来た。

「あ、あの・・・・・・・・・沖田さんの体調は如何ですか? 何か重い病ではないですよね?」

僕本人を目の前に聞きにくそうな様子だったけど、彼女は松本先生にそう尋ねた。その様子を見て、僕は察することができた。きっと、咳がなかなか抜けない僕を気遣って松本先生に僕の病を診て欲しいと頼んだのだろうと。

「安心しなさい。どうやら、沖田君は風邪が長引いているようだね」

「本当ですか!? 良かったぁ~~!」

彼女は安心した様子で嬉しそうにそう言った。

「でも、それならどうしてお二人は屯所の裏手に行かれたんですか?」

「それは・・・・・・・・・」

「君のドジっ子ぶりを松本先生に話してたんだよ」

彼女の質問に言葉に一瞬言葉に詰まってしまった松本先生に代わって僕は咄嗟にそう言った。

「私のドジっ子ぶりってどういうことですか!?」

憤慨した彼女に僕は話を続けた。

「ほら、こないだ君を迎えに行った時なんて、なかなか呼んでも出て来ないから部屋に上がったら、医術書に埋もれて動けなくなってたじゃない」

「あ、あれは! その、ちょっと・・・・・・・・・・・・」

「確か、朝方まで勉強して寝ぼけて積んでいた医術書の束をひっくり返しちゃったんだっけ?」

恥ずかしそうに言い淀んでいる彼女にそう言うと「沖田さん、酷いです!」と言って顔を真っ赤にして僕を軽く叩く彼女に笑って謝った。

「沖田君」

「はい?」

そんな僕らのやり取りを見ていた松本先生は、不意に僕の名前を呼んだ。

「本当にあの選択に後悔しないんだな?」

松本先生は自分の表情が彼女に見えないよう、彼女の後ろに回り裏で話した時と同様鋭い視線で僕にそう尋ねた。

「・・・・・・はい」

「そうか・・・・・・・・・」

僕が少し間を置いてそう返事をすると、松本先生は掃除の様子を見に行くと言ってこの場を立ち去った。

 今し方の松本先生とのやり取りで雰囲気が変わった僕らを見て彼女は不思議そうにしていた。

「気にしなくて良いよ。僕の進む道について松本先生と色々と話しただけだから」

「松本先生にですか?」

「そう。たまには、新選組の皆じゃなくて、別の人に聞いてみるのも悪くないかなって思ってね」

「そう、ですか。・・・・・・あっ! そういえば、沖田さんあの時の答えが見つかりましたよ」

僕がそう言うと彼女は何か思い出したようにそう言った。

「あの時の答え?」

「はい。私の道標みちしるべについてです」

あの夜、僕が語った道標みちしるべについて、あれから考えていてくれたことが内心嬉しかった。

「私の北辰の星は、このまま松本先生の元で医術を学び続けることです。深雪さんをきっかけに始めたことですけど、新選組の方達や色んな人の助けになりたいと思っています。だから、私はこのまま歩み始めた道に進みたいと思います」

「そっか、良かったね。じゃあ、お互い自分のすべきことのために頑張ろうね」

そう言う彼女の表情を見て、その道標みちしるべがあれば、きっと僕が死んでも深雪さんが亡くなった時のような瞳から光を失ったような状態にはならないだろうと思った。


                 *


 その夜、平助は僕の部屋に訪ねて来た。

「沖田君、ちょっと良いかな?」

「平助? どうかしたの?」

障子越しから僕に呼びかけた平助を入室するよう促すと、平助は僕の正面に座って単刀直入に聞いてきた。

「沖田君、なかなか風邪が治らないみたいだけど、今日の健診の結果はどうだったの?」

「ただの風邪だってよ。本当、長引いちゃって嫌になるよ」

「本当に?」

僕が笑いながらそう言うと平助は疑わしいと言った様子で僕を見ていた。

「本当だって。それに、嘘を言ってどうするの?」

「じゃあ、どうしてコソコソと松本先生と一緒に屯所の裏手に行ったの? 何を話していたの?」

注意をしていたつもりだけど、平助に見られていたのかと思うと、やはり屯所内で話したのは止めるべきだったかと思った。

和流せせらぎさんから聞いたけど、重篤な症状と疑わしい隊士には個別に詳しい話を松本先生が聞くって聞いたけど、本当にただの風邪なの?」

―――――― なるほど。彼女も僕と松本先生が裏手に行った所を目撃したのか。

「本当だよ。松本先生や彼女に確認して貰っても構わないよ。彼女は松本先生から直接僕の容体を聞いたから、僕と同じことを言うと思うけど?」

「・・・・・・・・・そっか。なら、良かったよ。じゃあ、早く治してね。お大事に」

「ありがとう、平助」

平助は、まだ納得した様子ではなかったけど僕からそれ以上聞けないと判断すると、そう言って部屋を後にした。

 僕は敷いていた布団に寝転がると、これから自分の歩むべき道のために何をするべきか瞼をゆっくり閉じながら考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る