第2話 暴れ者たちの宴亭


 香辛料の香ばしい匂い、野菜が焼ける心地の良い音、霧がかるほどに煙たい空間。お世辞にも綺麗とは言い難い店内に、地味な内装。だが、味良し、値段良しと評判のここは〈荒くれ者達の宴亭〉。街唯一と言ってもいい食堂に、店名の通りの荒くれ者も、なんとか食い扶持を稼ぐ住人も、足繁く通う。

 そんながらの悪い大人たちに混じるようにして、ヴァンとユウナはカウンターの席に二人並んで座っていた。


「お前、良い奴だな。丁度腹減ってたんだよ」

 

 ぐうぐうと大合唱を始めた腹を抑えながら満面の笑顔を見せる。


「あの、助けてくれたので、お礼になるのであれば」


 狭い空間に、大勢の人。様々な匂いが鼻を刺激すると同時に、美味しそうな匂いが食欲を引き立たせる。

 半ば強引に連れて来られた生まれて初めての大衆的な食堂に、ユウナは少し困惑気味の表情で返す。


「お礼なんてしなくて良いのにさ、全く律儀な女の子だねぇ」


 カウンター越しで食器をリズム良く洗いながら、自然に声をかけてきたのは、荒くれ者達の宴亭の女将であるフィーナ。

 女性にしては体格の良い身体と、ハスキーな声をしたフィーナは、一旦食器を洗う手を止めて、珍しいものを見るかのような眼で、ユウナをじっくりと見た。恥ずかしそうに頬を染めるユウナを、ある程度一瞥すると視線を横に移して、その大きな瞳を細める。


「……はん、ヴァンの事だ、どうせ腹が減ってきたもんで、丁度良いと言わんばかりに助けたんだろうさね」

「いやいや、そんな事ねーってフィーナ! ただちょうど良く腹減って来た時に、ちょうど良くユウナを助けただけだよ」


 さて、どうだろうかね、と含みのある言い方をして、フィーナは食器洗いを再開する。


「へっ、〈最高の冒険者〉を目指している俺が、困っている奴を放っておくわけねーじゃんかよ」

「最高の冒険者……?」

 

 聞き慣れない言葉に反応したユウナに


「おう、最高の冒険者〈ギルバート・ガルメリオン〉みたいなカッコイイ冒険者に俺はなるんだ!」


 少し大きめの腰袋から、小汚い本を勢いよく取り出して見せる。その表紙には『果てのない冒険を求める君に』と書かれているのが、うっすらとわかる。元はしっかりした装丁で立派なハードカバーの本であっただろうが、今はその影すら見えないほどに汚れ、幾年の長い年月が刻まれている事が一目にわかる。

 ヴァンはパラパラとその今にも崩れ落ちてしまいそうなページをめくって、ほら、と一人で頷く。


「ギルバートが冒険者になったきっかけは、生まれ故郷の近くに現れた、凶悪なモンスターを退治した時だったんだ。自分が生まれた街だけじゃなく、他の数多くの街にも同じ様にして、困っている人たちがいるはずだって」


 自慢の玩具を見せる子供のように、ヴァンの眼はキラキラと輝く。


「私、その本を読んだ事がないんですけど、その方は素晴らしい人なんですね」

「おお、わかってくれるのかユウナ! お前はやっぱりわかる奴だなぁ、カッコイイよなギルバート・ガルメリオン!」


 同士と見たヴァンはすかさずユウナの手を握る。


「えっと、あの、か、カッコイイのかは、わからないですけど、その素晴らしい人だなぁって……」

「ほら、強要するんじゃないよ!」


 真っ赤な顔をして困っているユウナを見かねて、カウンター越しからおたまで叩かれる。かーんと良い音がした、


「っいってぇー……何するんだよフィーナ!」

「困ってるだろうさね、あんまり馴れ馴れしく女の子に触れるんじゃないよ」

「いえ、そんな困ってなんて……」

「はん、本当にいい子だね……この子の、くだらない夢物語に付き合ってちゃ、馬鹿が移るよ」

「―――くだらなくなんかねぇよ!」


 席から勢いよく立ったヴァンは大きな声で言い放つ。


「〈夢を愛し、希望に命の火を灯せ。重き鎖を解き放ち、果てのない自由を求めろ。誰もが持っている、白き翼を羽ばたかせろ〉って、ギルバートは言ってる。この街の奴らは皆、何もしようとせずに諦めてる。そんな大人に俺は絶対にならない。誰がなんと言おうと、俺は最高の冒険者になってやるんだ!」


 まるで街中に宣言しているように、その声は狭い店内の中に響き渡った。当然、その言葉を聞いて、気分のいい者は一人としていない。途端に、不穏な空気が店内に充満すると、何人かの客がヴァンの方向へ視線を投げつける。

 その客が立ち上がるのと同時に、カンカンカン、と鉄の鍋を豪快に叩く音が店内に響く。


「はいはい、店の中で暴れようってんなら今すぐ外に出な。それとも、ここの飯を二度と食べたくないってんなら別だけどね」


 鍋とおたまを手に持つフィーナは、声を張り上げる。

 男顔負けのハスキーボイスと、眼光鋭く立ち上がった客を睨みつけると、誰も納得のいかない表情だったが、すごすごと席に座っていく。フィーナは、立ち上がった客達にずかずかと歩みよっていき「これで気分を直してくれさね」と、〈ブランの実〉の塩漬けを小皿にたんまり乗っけて差し出した。


「……フィーナ、わりい」


 カウンターに戻ってきたフィーナに、ヴァンは謝る。 


「はん、悪いと思っているなら、いい加減少しでも反省してくれりゃ助かるんだけどね」


 困り果てた顔で、ヴァンを睨む。


「ヴァン、あんたがどんな夢を追おうとも、それは構わない。ただ、この街で生きている住民だって、全員が何かしら背負って必死に生きている。それをわかった風な口で喋られちゃ、そりゃ納得いかないだろうさね。誰もがあんたみたいに、楽天的にはなれないんだよ」


 口調こそ冷たかったが、その言葉には我が子を諭す様な暖かさを、傍から聞いていたユウナは感じた。当のヴァンは、悔しそうな表情を残していたが、言い返すことはなかった。

 そのまま黙り込んでしまったヴァンに対して、何て声をかければ良いのか困ったユウナ。カウンターに取り出された本がふと目に入る。


「あの、その本はどういうお話なんですか?」


 〈果てのない冒険を求める君に〉とうっすらと書き記された骨董品のような本。ボロボロではあったが、妙に存在感のあるその佇まいに、実際にユウナは興味を示していた。


「……そんなに聞きたい?」

「はい、お願いします」


 ついさっきまでの表情が嘘のように、あっという間に機嫌を直したヴァンは早口で喋りだす。


「ふっふっふ、そんなに聞きたいっていうんなら話してやるよ。この本は、偉大な冒険者〈ギルバート・ガルメリオン〉があんな所や、こんな所に大冒険をして、でっかい王国のお姫様を助けたり、馬鹿でけぇ暗黒のドラゴンをぶっ倒したり、戦争を止めたり、空を飛んだり、とにかくめちゃくちゃカッコイイ本なんだぜ!」

「はあ、あんな所や、こんな所……ですか?」


 大げさな身振り手振りを入れるも、密度の薄い話しにいまいち理解ができていないユウナだったが、濁流のような勢いで、なにより楽しそうに話すヴァンを見ていると、不思議と自分まで楽しい気分になっていくのを感じた。

 ひとしきり喋り終えたヴァンを見計らって、フィーナが少し声を潜めて喋りかける。


「……なあ、ユウナと言ったかい。あんた、浮島の住人なんだろう?」


 その言葉にびくっと身体が反応する。

 そうだ、ここは〈下の街〉。私は下の街にいるんだ、とつかの間の平穏に、忘れかけていた不安が一瞬で呼び起こされる。


「なあに、安心しとくれ。別に取って食ったりしようとするわけじゃないよ」


 強張る身体を包み込むように、優しい口調でそう告げるフィーナの声を聞いて、少しだけ心が落ち着く。


「――ただ、隠しているのかどうかわからないけど、誰の目から見てもばればれさね。そんな小奇麗な格好をした奴は、浮島から降りてきた〈貴族気取り〉の商人連中くらいなもんだ。この廃れた街をしらみつぶしに探したってそうはいないだろうよ。それにあんたみたいな若い女の子なら尚更だ」


 〈貴族気取り〉という言葉に違和感を感じたユウナだったが、だからといってそれがどんな気持ちなのか、自分でも良くわからなかった。直接、聞かされたわけではなかったが、大人たちの会話を偶然聞いてしまった時、蔑みの混じった言葉で、下の街の住民を悪く言っていたのをユウナは思いだす。


「あぁ、すまないね。別にあんたを悪く言っているわけじゃないさね。子供は、何も悪くないんだよ。知らなかったろうね、下の街がどれだけの有様なのか」


 知らなかった。フィーナの言うとおりに、ユウナは下の街が困窮している酷い有様であると知らなかったのだ。ある程度の漠然とした、浮島との貧富の差があるという事は知っていたが。ここまでの違いがあるとは思わなかった。


 なんとかフードの男から逃げ切り、浮島から下の街へ繋ぐ、唯一の連絡船から恐る恐る街に降り立ったユウナは、まずその静けさに驚いた。人がいないわけでもないのに、人々が暮らしている雰囲気が、下の街からは感じられなかった。

 戸惑いながらとにかく誰かに助けてもらおうと、勇気を振り絞り道行く人に話しかける。だが、誰もがユウナの身なりを一瞥してから去っていくか、元から反応しない者ばかり。果敢に話しかけ続けたのが目立ってしまったのか、新たな二人組に追われた際も、道行く人は見て見ぬ振りをする。驚きよりも、それは恐怖に変わっていった。

 

フィーナは、何故、子供が一人で、下の街に降りてきたのか。何故、追われているのか。直接に質問をしたわけではなかったが、その真っ直ぐな眼が聞いていた。

 何故、自分が追われているのか。確信的な答えはユウナにもわからない。ただ、可能性として思い浮かぶ、その理由を打ち明けるべきなのか、決めかねていた。


「……まあ、喋れない内容であるなら、無理に聞きやしないけどね。でも、その精霊様みたいに綺麗な格好はよろしくない。襲ってください、とお願いしているようなもんだよ」


 上等な布に細かい刺繍を施した真っ白なワンピース。日差しに当たれば眩い光りを見せる、肩にかかる程度の整った金色の髪。この街でその姿は、神々しさすら感じてしまうことだろう。

 身なりの良い子供を人質に、金品を要求するのが当たり前であるこの街で、フィーナの言うとおり、自殺行為に等しかった。

 

 急に閃いた表情になったフィーナは、ちょっとこっち来な、と有無を言わさないままユウナの手を引き連れて行く。そのまま手を引かれる様にして二階の部屋に繋がる階段を上がる。


「あんたは来なくていいんだよ!」


 その途中、興味本位でなんとなく後ろからついて来ていたヴァンは、不意に蹴飛ばされて階段から転げ落ちていく。心配そうに階段を降りようとするユウナの腕を引くと、豪快に笑う。


「いいんだよ、あいつは頑丈なだけが取り柄みたいなもんだから、擦り傷すらできやしないさ」




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