第21話 若き元空賊のロック




 船着き広場には空から降りてくる連絡船を迎えるために、大きなくぼみができている。その穴にすっぽりと船体を沈め、停泊する。

 基本的に、浮島から乗せてきた荷物を手早く降ろす作業で、船着き広場は活気というのは程遠いが、下の町の中では忙しなく人が出入りし、声が飛び交う場所である。


「だから何度も言ってんだろ! ユウナが危ないんだよ!」


 目の前に立ちふさがる巨体の男に向かって怒鳴りつける。連絡船の任される船長のファグンは吠えたてる子犬を見るかのように、呆れ顔で対応する。


「何度も言っているのはこっちの台詞だスクラップボーイ。そのお前の言うユウナって奴が危ないのかどうか知らんが、浮島行きのチケットを持っていないのであれば浮島には行けないし、連絡船に足を乗っけることすら許されねぇんだ。……そんなことぐれぇお前わかってんだろ?」

「頼むよファグン。緊急事態なんだよ。この前トール爺が手紙を見せたらユウナ達を乗っけてくれたんだろ?」


 その言葉にぼんやりとだが、ファグンは自警団と共に連絡船に乗った少女の顔を思い出す。


「ああ、あの時に乗った娘のことか。あれは、トールさんの依頼があったから乗せたまでだ。なんだ、お前もトールさんの書いた手紙持ってんのか?」

「持ってねえ」

「じゃあ、無理だ。諦めて大人しく帰んな」


 これで話はおしまいだ。と言わんばかりに手を払ってくる。


「ちょっと待ってくれって……くそ、こうなったら」


 身体に力を込める。破れかぶれの突進を考えたヴァンだったが、それを見透かすようにしてファグンは睨み付ける。


「下手な事考えんのはやめておけよ。いくらトールさんの息子だろうと、浮島に唯一繋がる連絡船で騒ぎを起こせば大罪だ。それに、一番迷惑かかるのがトールさんだってことくらいわからねぇほどガキじゃねえだろうよ」


 船長はぶっきらぼうに突き放す。

 彼は自分の仕事に全うしているだけに過ぎない。それくらいはヴァンにもわかっていた。

 なら、どうすればいいのか。これだけ人目がある中で忍び込むわけにもいかない。それに強行突破したところで、船の運転の仕方などヴァンにはわからない。


「―――船長、このボウズも俺と一緒に連れていってくれ」


 頭を抱えしゃがみ込んでいると、いつの間にか隣に青年が立っていた。

 船長と同じくらいに身長は高かったが、巨体というイメージよりも無駄な筋肉のないすらりとした体格。黒の長髪は後ろで一本に結っていなければ、女と勘違いされてもおかしくない程に中性的な顔立ちをしている。浅黒く焼けた肌が、何とか男然とした雰囲気を保っていた。

 

「あんたは確か王都の……いや、ダメだ。チケットが無ければ乗せらんねぇ。それは決まりなんだ」


 首を左右に振る。


「頼むぜ船長。聞いたところによれば知り合いだったって話じゃねえか。なんなら直接うちの『真っ黒い魔女』に許可証でももらってきたほうが良かったかい?」


 青年の言葉に黙ってしまったファグンは、ポケットから小さな酒瓶を取り出して、おもむろに口に含んだ。

 嗅いだことのない強烈なアルコール臭にヴァンは眩暈がしそうになる。

 

「わかった、特別に許可する。さっさと乗れ。……それと、そんな胸糞悪い許可証なんざ絶対に持ってくるんじゃねえぞ」

「肝に命じておくさ、ファグン船長」


 二人は連絡船に乗り込む。出発するのはもう少し時間が経ってからのようだ。

 

「誰だか知らねぇけどサンキューな!」


 まかさ見ず知らずの青年に助けてもらえるとは思えなかったヴァンは、お礼を言いつつも何故、助けてくれたのか疑問に思う。


「女を助ける為なんだろう? なら手助けしないわけにはいかねえよ」

「お前、ユウナの事知ってんのか?」

「名前からして女なんだろうな、と言うこと以外は全く知らないな。というか年上に対してお前はないだろうボウズ」

「ボウズじゃねぇよ。俺はヴァンだ」


 年上に対しての礼儀など全く持って知らないヴァンの様子に呆れた顔を見せるが、切り替え早く自己紹介する。


「俺はロッカート・レイボルト。ロックって呼んでくれ」


 差し出された手にヴァンはすかさず握手する。


「なあ、ユウナってのはお前の女なのか?」

「ん? なに言ってんだよ、ユウナはユウナのもんだろ?」

「いや、そうじゃなくて……まあ、いいか」


 話が通じない相手とわかって早々と話しを切り上げる。

 ヴァンは初めて乗る連絡船に最高潮に興奮していた。

 それからしばらくして連絡船は空に舞い上がった。頭上に浮かぶ浮島へと向かって。



「うっひょーたっけぇ! どんどん町の奴らがちっちゃくなってく……ん、あれはサルータか? 相変わらずへらへらしてんな。えぇっとあそこら辺が希望の光かぁ……もうわかんねぇや」


 興奮しながら下をのぞき込むヴァンを船員たちがちらちらと確認する。身体を乗り出して下を眺めているものだから落ちないかと心配なのだ。


「ほら、そんなに覗きこんでたら地獄の底まで真っ逆さまに落ちるぞ」

  

 ロックが引きずり下ろすと、途端に不機嫌になる。


「なんだよ、今いいところだったのによ」

「ああ、そうか。お前は宙船に乗るのが初めてなんだろ?」


 ヴァンは頷く。宙船に乗ったのはおろか、ここまで高い位置に上がったのすら生まれて初めてだった。

 

「そうかそうか。まあそんなに興奮するのも無理もねえな。空は良いぞヴァン。地上には無い男のロマンがこの広い大空には眠っているんだ」

「ロックは宙船とかに詳しいのか?」


 その問いかけに、笑った顔には少年を思わせる無邪気さがあった。


「俺は、『元空賊』だ。その頃は、地面に立っている時間よりも空を駆け巡っていた時間の方が長かったさ」

「すげえ……じゃあじゃあ、色んな所に冒険しにいったんだよな!」


 しっかりと食いついたヴァンの調子が上がる。ワクワクとした気持ちがそのまま顔に現れているのを見て、ロックも気分が乗ってくる。


「そりゃあもちろん空賊が宝を求めて冒険しないでどうする。金はもちろん欲しいが簡単に手に入っちまうような金には興味がない。俺たち空賊が追い求めてやまないのは、未だ誰もだが手にしたことが無いような財宝さ! 時には空で敵の空賊と戦い、時には巨大な魔獣から逃げだして、命からがら財宝までたどり着く。俺たちはスリルとロマンを肴にして酒を飲む冒険者なのさ……―――と、ちょっと喋りすぎちまったか。まあ、『元』ってところがしまらねえがな」


 噛り付くように聞き入るヴァンについつい興が乗ってしまったロックは自重する。


「かっけぇ、めちゃくちゃかっけぇ! 良いな俺もそんな冒険してみてえよ!」

 

 気付くとヴァンがまばゆい光を眼から発っしていた。

 どこまでも純粋な少年に人生の先輩としてロックは声を潜める。


「あー、もちろん良い事ばかりじゃないんだ。時にはどうしようも無くなって死にそうになる時もあれば、激しい戦闘に仲間の死に直面するときもある。飢えに苦しむ時もあったし、渇きにもがいたこともある。生半可な覚悟であれば大人しくしていた方が良いってこともあるぜ」

 

 ロックは二十代を迎えたばかりの若き青年であるが、幼き頃から空賊として様々な困難と闘っていたこともあり同年代の者に比べれば遥かに濃い経験をしていた。今でこそ、その困難は良い思いでだったと語れるが、普通に町の住人として暮らせたらどんなに楽だったのだろうか、そう考えたことは一度や二度ではない。

 若くしてそういった経験をしてきたからこそ、目の前の少年に判断を誤って欲しくなかったのである。


「そんなのは嫌だ!」


 だが、ヴァンは即答する。


「危険があるのはわかってる。でも、冒険に出ることを諦めて、この町で何かを感じることを忘れて生きていく位なら、死んだ方がマシだ!」


 ロックは息を呑む。真っすぐに向けられた強い視線には、子供のものとは思えない決意に満ちた炎を感じさせる。こいつは面白いやつを見つけた、と見据える。


「なあ、もっと冒険の話を聞かせてくれよ。魔法とか魔獣とか出て来て、どかーんってなるやつ」

「はあ、なんだそりゃ? まあ、落ち着けって。たぶんそろそろ―――」


 その時、不協和音じみた鐘の音が鳴らされた。


「到着の鐘だ……しかし、この音はどうにかならないもんかね」


 どうにもしまりの悪い音に渋い顔をするロック。彼なりの美学があるようだが、ヴァンにはそれどころじゃない。毎日見上げていた浮島が目の前まで近づいているのだ。

 特にこれといった楽園があるわけじゃないことは、トールから嫌というほど(酔っぱらうといつも浮島の話になる)聞かされている。ただ、物心がついたころから下の町以外の町に行ったことがないヴァンにとって、これが初めての〈冒険〉になるのだ。心臓はゆっくりと鼓動を早くしていく。


 二人は並んで連絡船を降りた。丁度、ヴァン達以外の乗客はほとんど乗っていなかったのか、空の船着き場は閑散としていた。


「んんー……そんな変わらねぇな」


 予想はしていたが、下の町に比べてそこらじゅうに散らばっているゴミはなく、こざっぱりしている印象に加え、空気が澄んでいることくらいしか違いを感じられない。


「そりゃそうだ。五十年くらい前に偶然浮かび上がっただけの町なんだから変わりはないさ。まあ、やけに下の町の住人は憧れてたみたいだけどな」


 お前もその口かい、とヴァンの顔を見てみればそこまで落胆しているようには見えなかった。きょろきょろと辺りを見渡しては、小さく頷いている。


「――それじゃ俺はそろそろ行くけどよ、そういえばユウナって子を助けるって言っていたが、何かあてはあるのか?」

「ん、なんもない」

「なんだそりゃ? それじゃあ、どうするってんだ」

「んーとにかく探す」


 きっぱりと言うヴァンに、頭が痛くなる。


「俺はとにかく依頼を済まさないといけないが……まあ、時間が出来たら手伝ってやるさ」

「おう! ロックは本当に良いやつだな」

「へっ、礼は良いから必ずその子を助け出せよ。男っていう生き物は儚くも美しいレディを護る為に生まれてきたんだからな」

「ふーん、なんかよくわかんねえけど任せろ!」


 そう言い残してヴァンは走り出した。自分たちと同じように連絡船から降りてきた数人の乗客が向かう方向へと。

  

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