第14話 何かを感じること



「なあ、ユウナ。どうしてさっきから怒ってんだ?」


 夜はさらに深まり、雲が月をすっぽり隠してしまえば更に暗闇が覆う。小さな蝋燭の灯りだけが、この部屋を照らしていた。

 この家には地下室がある、そこは工房であり、トールの寝室でもある。ブラン酒をほとんど開けてしまったトールは「先に寝る、明日は早いぞ」と一言だけ言い残して地下へと潜ってしまった。

 古びていてかび臭かったが、ヴァンがいつも使っているベッドを今日はユウナが使うこととなった。

 頭の下に毛布を敷きヴァンは床の上で寝転がっている。

 血まみれの服はトールが次の日に洗うということで、現在はヴァンの服の中でも一番綺麗な服(どことなく女の子っぽいので着なかったから綺麗)を借りて着ている


「本当に、本当に恥ずかしかったんですからね」

 

 同年代の少年にまじまじと自分の身体を見られてしまった。今、思い出しても額でお湯が沸かせそうになるほど顔が熱くなる。十の歳を越えてから母親以外に身体を見せたことがなかったのだから。

 そんな思惑もよそに、一体何のことだかわからないとヴァンは頬をさする。

 

「んあ? 俺も本当に痛かったぞ、頬っぺた」


 左頬にはくっきりと拳の後が残っている。その細腕からはとても考えられないほどの凄まじいパンチ力に、さすがの頑丈さを誇るヴァンも一瞬気を失いかけた。


「それは、その、ごめんなさい……―――もう、いいです」


 どんなに言っても伝わらないだろうと、あきらめたユウナは身体を起こす。無駄に興奮してしまっているのか、このまま眼を瞑っていても眠れる気がしなかった。同じくまだ眠りそうにないヴァンに問いかける。


「ヴァンさんはどうして、そんなにも冒険者になりたいんですか?」

「ん、そうだなぁ。きっかけはこの本だけどよ」


 横に置かれた本の入っている大き目の腰袋を手に取る。ギルバート・ガルメリオンという偉大な冒険者を記した〈果てのない冒険を冒険を求める君に〉と題された本。


「ただ、つまらないんだ」

「つまらない?」


 それは、本の内容の事? と思いかけたが違った。

 ヴァンは自分の生活を振り返るようにして語る。


「うん。つまらねぇ。毎日、ガラクタを集めにスクラップホールに行って、何度か浮島を見上げるだけで終わっちまう一日。たまに、アイウエ兄弟たちが今日みたいに喧嘩吹っかけてくるけど、弱っちいしつまらねぇ。……つーか本当になんであいつら弱いのに吹っかけてくるんだよ」


 それはきっと、なんだかんだ言ってヴァンの事を親しく思っているのではないか、とユウナは心の内で思った。口に出せば不機嫌になりそうだからだ。


「たまに森に探索しにいった時はちょっと楽しかったけどな。魔獣とちょっとだけ戦えたし」

「そ、それはさすがに嘘です、よね?」


 魔獣とは、あの恐ろしくて凶暴な〈魔獣〉のことだろうか。母親からよく聞かされていた物語に出てくる魔獣の話を思い出す。

 

 世界には魔力が湧き出す特殊な地域が存在する。消費した体内に宿る魔力が回復するのは早いが、吸収しすぎた魔力は時に災いをもたらす。

 魔獣とは、過度な魔力を吸収してその姿を異形のものに変貌した獣を指す。肥大した筋力や俊敏性は人を食い殺すには十分すぎるほどの力が備わり、魔力に侵された心は凶悪性を極める。


『一人で魔獣に出会ったなら命はない。複数で出会ったなら、まず誰が囮になるのかを決めろ』

 残酷にも思える心得のようなその話に、数日の夜は一人で眠ることができなかった。


 

「嘘じゃねえよ。まあ、食われかけたけどな」


 あっけらかんと話すヴァンに口が塞がらない。


「あの時はまだエレインくらいの歳だったからなぁ、今やりゃ絶対勝てるけどよ!」


 開いた口が塞がらない。そんな年から無茶をしていたのか。笑顔で喋るヴァンの顔を見たが、決して嘘を言っている風には見えなかった。

 一度身震いしてから、ユウナは聞く。


「どうしてそんなに危ない事をするんですか? ひょっとすれば……その、死んでしまうかもしれないじゃないですか」


 今日、生まれてきてから初めてこの眼に映した人間の『死』。それはユウナの胸をえぐり、頭の中には消えない記憶が刻まれた。それがもし近しい者であったなら。それがもしヴァンであったなら。もしくは自分であったなら。

 考えるだけで震えが止まらない。単純にただ恐ろしいのだ。


「冒険者になることは、自ら危険に飛び込もうとしているだけなのではないでしょうか? 命を無駄にすることが冒険者なら、そんなの絶対おかしいです」


 いつの間にか言葉に熱をが入り、そこまで言ってしまってからユウナは、はっとする。

 冒険者を目指そうとしているヴァンに対して、また憧れのギルバート・ガルメリオンという冒険者を侮辱する言葉になるのではないか、と。

 

「なあ、ユウナの『生きてる』ってどんな感じだ?」

 

 予想外の返答に言葉が詰まる。その顔を見ると怒ってもいなければ、笑ってもいない。

 私の生きている。なんて表現していいのかわからない、そんな事を考えたことすらないのだ。

 息を吸って吐いて呼吸している。

 食事をして、疲れたらベッドに入って眠る。

 それで間違ってはいないのかもしれないが、きっとヴァンが問いかける意味とは違う。

 少しの間、夜の静寂が小さな空間を包み込んだ。やがて答え合わせをするように、ゆっくりと口を開く。


「俺はさ、生きてるってのは、何かを『感じる』ことなんだって思うんだ」


 雲がどこかへと退いたのか、窓から月明りが差し込む。丁度よくその光の帯は二人を包みこむように照らした。

 

「めちゃくちゃ楽しいって思ったり、すげえご馳走を食べてうめえって思ったり、見たことのない景色にかっけぇって思ったり、むかついたり、悔しかったり、腹が減って死にそうになったりさ。色々感じる時に、俺は生きているんだって思う。ユウナだってそう思うだろ?」


 その言葉に、ただただ頷くしかなかった。もどかしい心の内を代弁してくれたかのように、ユウナは深く共感した。


「こんな狭苦しい町を出て、つまらない毎日から外の世界に飛び出したい。もっと色んな場所に行って、もっと色んな奴らと出会って、色んな事を感じたい。もっともっと強くなりたいし、強く生きたいんだ。だから冒険者になる。冒険者の中でも一番最高の冒険者に俺はなるんだ」


 ふとユウナの頭の中にある景色が浮かんできた。

 浮島にある二階建ての家。ユウナの部屋は少し急な階段を上った二階にあり、そこから見える窓の景色がお気に入りだった。下の町を囲むようにして深緑の森は広がっていて、浮島より高いのであろう山がそびえ立っていた。

 あの山の向こうの景色は一体どうなっているのだろうか。

 向こう側のことを考えて夜眠れなくなる日がユウナにはあった。その頃はまだ今よりもずっと子供ではあったが、今でも窓から顔を出しては時折思う。

 あのわくわくした小さな感情も、生きているという証になるのだろうか。


「……じゃあ、私も冒険者になれるんでしょうか?」


 臆病で泣き虫なこんな私でも、冒険者のように強く生きれるのでしょうか。

 その問いかけに迷うことなく返事するヴァンの眼はどこまでも真っすぐだった。 

 

「ああ、なれるさ。誰もがみんな冒険者になれるんだ」


 勇気に満ち溢れたその眼は、ユウナの心を一押しして元気づけてくれるようだった。

 そこまで言ってからヴァンは急にからからと笑い始める。


「へへっ、まあこれも本に書いてあったことなんだけどよ」


 そう言って取り出した本を広げる。びっしりと書かれた文字の羅列を何度も読み返したのだろうとユウナは感心する。いつか自分にも読ませてもらいたいと純粋に思えた。


「ユウナ、ありがとな」 


 えっ、と不意に言われた感謝の言葉に困惑する。


「心配してくれたんだろ。確かにフィーナとかトール爺に「あんまり無茶すんな」ってよく言われんだ。俺はそんな風に思ってないんだけどよ。でも、少しは気を付けるようにする。だから、命を無駄にしているわけじゃないんだ」


 照れくさそうに言うヴァンを見て、小さく笑ってしまった。

 

「うふふ……はい、そうして下さい」


 ヴァンの話してくれたことが全てではないだろうが、ユウナは少しだけ〈冒険者〉という存在がどういうものであるかわかったような気がした。ヴァンという少年のきらきらと輝く心のうちも併せて。

 

「なあ、次はユウナもなんか聞かせてくれよ」

「え、私ですか。でも、何を話していいか」

「何でもいいさ。ユウナの話を聞かせてくれ」


 私の話。少し考えてから、思いつく。

 一度深呼吸してから、床に寝そべる少年を改めて眼に映す。初めて出会った時の幼げな印象はそこにはない。ユウナの眼には確かに冒険者として映るヴァン。少し間を開けてから、この少年に全てを話そうと決意する。

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