第5話 発明家トール



 曇天の雲の如く、どんよりした雰囲気漂う物騒なスラムをさらに北に抜けていくと、人気はなくなり無人の建物ばかりになる。

 ここは、この街が空と大地で別れる前、大勢の人が働いていた工業地帯であり、主な建物は街の外の森から採れる〈ブランの実〉から作られた酒、〈ブラン酒〉の酒造工場だった。


 芳醇な香りの甘酸っぱいその実を使い、先代の町長は上等な果実酒を作ることに成功した。含んだ瞬間、口いっぱいに広がる花のような香りと、驚く程の飲み口の軽さから、目が回る程に酔っ払い、飲み尽くすまで止まらない者が続出し、最果ての街ブランディアの名産品となった。


 それが辺境の街に偶然訪れた、冒険者たちの眼に止まり、都市の方に噂が広まると、街の外からも注文が来るようになる。立派に名産品となり得たブラン酒のおかげで、この街は以前よりも栄えた、活気あふれる良い街になっていった。

 ブラン酒を飲みに訪れる、冒険者や商人達が増えたその頃は、仕事の口が無い者はいないほど、街は忙しく活動していた。


 ―――だが、その賑わいも五十年前に起きた、天災とも呼べる浮遊魔石の暴走により、一瞬で霧散していった。

 街の外側にあった工業地帯はまるまる地上に残ったが、製造方法を編み出したこのブランディアの町長であり工場長となったアーノルド・ルーティアは、息子のランドルと、その弟であるトルシェンと共に空へと舞い上がってしまった。 


 これまで病に伏していたアーノルドに代わり、息子である若き二人の工場長の指示によって、働いていた酒造工場の労働者達。先導者がいなくなってしまった労働者たちは一時、路頭に迷いかけた。

 その中の古参である労働者の何人かが立ち上がる。「焦ることはない、自分たちが今までやってきた事を、忠実にこなせば大丈夫だ」そう周りの皆に言い聞かせ、何とか酒造工場は再び動きだす。


 だが、現実は厳しく、先導者のいない酒造は、少しずつズレが生じてくる。

 味、香り、色といった品質管理は、ランドルとトルシェンだけが行っていた。

 先代の工場長アーノルドは、病により自分の命がそう長くないことを悟っていた。厳しく辛いであろうが、まだ遊び盛りの少年である二人に、ブラン酒の製造方法を絶やすことなかれと、徹底的に叩き込む。


 その為、父の熱い思いを受け取った二人の少年は、歳など関係なく誰よりも正確で、香り高い上等なブラン酒を再現する事ができた。

 ランドルとトルシェンという核がなくなったブラン酒は、時間が経てば経つほど、味は乱れ、香りは粗雑になった。そして自然と買い手がいなくなった頃、当然の如く製造中止の運びとなり、一人、また一人と工場から人が去っていった。

 

 人に溢れていた当時の見る影はどこにもなく、人の数より、近くの森から飛んできた鳥たちの方が数を多く占めるほど、人の気配は感じられなくなってしまった。

がらんどうに空いたいくつかの建物は、大きな口を開けた巨大な魔物に見えるほど、不穏な空気が宙を漂い、街の子供たちはおろか、大人たちすら好んで立ち寄ろうとはしなかった。


 その工業地帯の最北部に位置する一角、町外れと言っても良い場所に、ヴァンとトールの住まう家がある。

 オイルで黒ずんだ外壁は、いくつかぽっかりと穴が空き、雑な仕事で補修されてつぎはきだらけ。斜めに突き出ている煙突が片方だけ生えてしまった角を思わせる。

 入口なのか、それとも爆発でも起きて偶然できた穴なのか、ぱっと見ただけでは判断できないくらいにガラクタが散らばっている。

 

「凄い……ところですね」


 賞賛とは程遠いニュアンスで、まじまじと外観を眺めるユウナをよそに、ヴァンは気にせず中へと入っていく。地面に落ちている何の部品なのかわからない物を、できる限り踏まないようにしてユウナも続く。


 中に入ると、確かにそこには人が住む生活感を匂わせる、台所や食器などが存在していたが、奇妙な形をした〈魔導具〉らしき物が所狭しと置いてあり、家というよりも何かしらの工房といった印象を感じさせる。

 どのような効果がある物なのか、ここに住むヴァンですらほとんど理解していないものばかりだが、大半の魔導具は未完成、もしくは不良品であることだけは知っていた。

 初めて見る数々の魔導具を目にしたユウナは、これは全てトールによって作られたものであると知り、感嘆の声を上げる。

 

「わぁ、トールさんは素晴らしい発明家なんですね!」


 魔力を込められた物質を使い、作り上げられた魔導具は、その効果にも比例するが、大半の魔導具は驚くほど高級な代物であり、浮島の住人ですら手にしている者は少なく、ユウナ自身も、こうして間近で目にするのは初めてだった。


「うんにゃ、そんなことねぇさ。ほとんどがガラクタだし、カッコイイ武器みたいな奴があれば良いのに、そういうのは一つも作らねえんだよ――『魔導具は争いのために使われる物ではない、人々の生活を豊かにさせる為に、優れた魔導具はあるのだ』とか、なんとか言ってよ」


 不満げに愚痴を漏らしながら、年季の入った椅子に勢いよく座る。ギシィッと、悲鳴を上げる音が小さなこの空間に響く。

 主に魔導具の使い道は二つある。


 まずは、戦闘に使われれる魔導具。魔力の弱い者、もしくは魔力を持たない者でも、詠唱の必要なくその魔道具に込められた魔法を使う事ができる。また、国同士の戦争に使われる大規模に創られたモノは魔道兵器と呼ばれ、血塗られた歴史の中で度々登場する。


 二つ目は、トールの言葉の通り、人々が生活を補助する便利な魔道具がある。たとえば、水属性の魔力を込められた魔道具は、人々の喉の渇きを癒し、身体を清める。火属性の魔力が込められた魔道具は、料理を作る際の火力、もしくは身体を温めるなど。


 そういった様々な魔道具がこの世界には存在するが、数には限りがあり、すべてがオーダーメイド。どれもが庶民には手の届かない金額である。中には、遥か昔から存在するであろう、謎多きダンジョンの奥深くから見つかるレアな魔道具もあるが、そういった例は数少ない。 


「はぁ、やっぱり素晴らしい方なんですね」

「いや、そんな事ないんだって。毎日、スクラップホールにガラクタを集めに行かされて、面倒な思いしてんのは俺だってのに、量が少ないと文句言われるしたまったもんじゃねーよ」


 そこでふと気づく、スクラップボーイという呼び名はそこから来ているのか、とユウナは納得した。その小さな体で、めいっぱいのガラクタを運んでいる、不機嫌なヴァンの姿を想像して、つい小さく笑ってしまった。


「今日だって朝から沢山よぉ……んん―――あぁっ!」


 急に大声を上げたヴァンは、一瞬何か考える素振りを見せてから、急いで外に向かおうとする。


「ど、どこにいくんですか?」

   

 かろうじてユウナの声が聞こえる距離にいたヴァンは大声で返事を返す。


「忘れもんした! とにかく急いで取りに行くからそこで待っててくれ」


 何か言い返そうとする間もなく、ヴァンの姿はあっという間に見えなくなってしまった。人はこんなにも速く走り去る事ができるのか、と驚きながらも関心する。

 小さな台風のような存在が隣からいなくなった途端、急な静けさが、辺りに集まっていくようで、不安な気持ちにさせた。先程まで好奇心をくすぐっていた魔導具たちも、今ではその奇妙な形に、不気味な雰囲気さえ感じさせる。

 少しの間所在なさげに家の中を歩き回ってから、先ほどまでヴァンの座っていた椅子に腰掛ける。ゆっくり座ったおかげか、悲鳴はさっきよりも小さかった。


 また一人になったユウナは、深呼吸をしながら自分を落ち着かせて考える。

 両親からの温かな愛情を注がれ、ここまで健やかに育てられたユウナだったが、その反面、世間知らずな一面があり、街の外の世界はおろか、自分の住む真下にある街の状況すら知らなかった。それは、両親を含めた大人たちが、そのように説いてきた事も大きくある。


 いかに自分が世間知らずであったか、心底気づかされたユウナは、深いため息をつきながら、これからの事をぼんやり考える。

 しばらく、答えの出ない問題に考え込んでいると、外の方から物音が聞こえてきた。


「ヴァン、さん……?」


 どこに何を忘れてきたのか、それすらも聞けていなかったユウナだったが、帰ってきたところをみるとそこまで遠い場所に忘れていたわけではなかったのだろう。いや、あの瞬足であれば、自分では予測できない位置だったとしても、風のように素早く移動したのかもしれない。

 そんな事をつらつらと思いながら、入口に近づいていくと、開けっ放しになっていたドアから、一つの影が部屋に入り込む。そして、その影が二つに増えたと気づいた頃には、もう手遅れだった。

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