２１世紀に目覚めました

第一話 開かれて飛び出たら二十一世紀

二〇世紀をリアルタイムで体験したかった。

そう願ったことのある、今どきの小中高生は少なからずいるのではないだろうか？

人生の大半、もしくは全てを二十一世紀で過ごして来た彼らにとって、それは決して叶わぬ願いである。

その代わり、親や学校の先生などから二〇世紀にどんな日常生活を送って来たかのお話を聞かされたことはあるだろう。

　　　　　　　　　　　　　☆　　☆　　☆　　

「晴和（はるかず）ぅ、新作マンガ描いたんだけど、読んでみる？」

「姉ちゃん、またしょうもないマンガ描いたのかよ」

　九月最終日曜日の夕方、机に向かって数学の予習に取り組んでいた高校一年生の鈴井晴和は、姉の由希江（ゆきえ）から唐突にこんなお願いをされほとほと迷惑がった。

「今度のは絶対面白いわ。試しに読んでみなって。まだお母さんには見せてないから、朋靖が第一読者よ」

「今忙しいし、たとえ暇だったとしても姉ちゃんの描いたマンガを読む気はしない。姉ちゃん、勉強の邪魔だから早く出ていってくれ」

晴和は面倒くさそうにイスから立ち上がり、由希江の背中を押して自室から追い出そうとする。ついでに渡された十数枚の漫画原稿用紙も。

「晴和、かわいい女の子のエッチなシーンも満載よ」

「だからこそ読む気がしないんだって」

あともう少しで懸命に踏みとどまろうとする由希江を廊下へ送り出せそうになった時、

「由希江、ここにいたのね。明日、雑誌類回収の日だから、あんたのお部屋に大量に溜まってる古いマンガ雑誌類、いい加減捨てなさいね」

　母がこのお部屋に入って来て、こんな要求をして来た。

「えー、まだ読むかもしれんのに」

「またそんなこと言って。そのうち床がズドンッて抜けるわよ」

「お母さん大げさ過ぎー。ギャグマンガじゃあるまいし」

　由希江は大きく笑う。

「姉ちゃん、実際あり得る話だと思うんだけど」

「数千冊、部屋が埋もれるくらい溜めた場合でしょ。ワタシの部屋にはまだ雑誌は百何十冊かしか溜まってないし」

「それでも俺基準では溜め過ぎだと思う」

「母さんもそう思うわ。せいぜい五十冊までよ」

「俺は十冊くらいまでだと思う」

「十冊くらいなら一月足らずで溜まっちゃうこともあると思うけど。あら由希江、新作マンガ描いたのね。ちょっと見せて」

　母は晴和が手に持っていた漫画原稿用紙が目に留まるや、衝動的にさっと奪い取った。

「お母さん、これ、少年向けの新人賞に応募したら受賞出来るかな？　美少女満載のコメディ物なんだけど」

　自信たっぷりげな由希江に、

「そうねぇ……」

　母はパラパラッと原稿に目を通したのち、

「由希江、これじゃぁ百パーセント落選するわ。ストーリーがありきたりだし、絵も前作と比べてほとんど上達してないし。母さんが中学時代に描いた絵の方が、由希江の今の絵よりも上手かったわよ」

微笑み顔できっぱりとこう言い張った。

「はい、はい。ワタシはお母さんの中学時代なんて知らないし、何とでも虚言出来るよね」

　由希江はにこにこ笑いながらも、ちょっぴり不機嫌そうに言う。

「信じてないようね。証拠見せてあげるわ」

　母はそう伝えて廊下に出ると、すぐに三十冊くらいのノートの束を両手に抱えて戻って来た。

「これ全部、お母さんが中学時代に使ってたノート？」

「そうよ。さっき寝室の押入れ片付けてたら出て来たのよ。ほんの一部だけだけど」

　誰もが使ったことがあるだろう自由帳や、罫線入りのキャンパスノートだった。日に焼けて黄ばんでいて、時の流れを感じさせていた。

「悔しいけど、確かに今のワタシよりも上手いわね。絵柄は古臭いけど」

ある一冊をパラパラ捲ると、イラストが多数目に飛び込んでくる。色鉛筆やカラーペンで塗られたものもけっこうあった。

「当時は最先端だったのよ」

「母さんが中学の頃だから三〇年くらい前か。これは何かのアニメか漫画のキャラ？」

　晴和も別の一冊を手に取り興味深そうに眺める。　

「全部母さんのオリジナルキャラよ。藤子不○雄先生、い○らしゆみこ先生、高橋留○子先生、あ○ち充先生、鳥○明先生、赤塚不○夫先生なんかの影響もちょっとは受けてるけどね」

　母は照れくさそうに伝えた。

今では見かけないだろうリーゼント＆学ランの不良、ビン底メガネのがり勉風な少年少女、巻き髪やおかっぱ頭やポニーテールや三つ編みの少女、悪がき風の幼稚園児や小学生、洟垂れ坊主、手土産に饅頭を持った酔っ払いハゲ親父、仙人風の白長髭お爺さん、いじわるそうなきつね顔のお婆さんなどなど老若男女問わず。人間だけでなく動植物や乗り物、建造物、食べ物、楽器、武器、アクセサリー、雑貨類なんかもけっこう描かれていた。

「よく思いつくわね」

「母さんはこれでも結局商業誌で活躍するプロの漫画家にはなれなかったのよ。今はこの頃よりも全体的なレベルがかなり上がってるみたいだし、由希江がプロ漫画家デビューするにはまだまだ相当険しい道を乗り越えなきゃダメね」

「……否定は出来ないな」

　由希江は苦笑する。彼女は今、大学一年生だ。じつはアニメ雑誌などに広告の載るエンタメ系の専門学校に行きたがっていたのだが、両親から反対され仕方なくそれほど偏差値の高くない私立大の文学部に進んだ経緯がある。丸っこいお顔でつぶらな小さな瞳、細長への字眉、痩せても太ってもなく標準的な体つき。ほんのり栗色な髪をセミロングウェーブにしていて、まだ女子高生としてもじゅうぶん通用するちょっぴりあどけない顔つきをしている。背丈は一五三センチほどでやや小柄だ。将来の夢は漫画家、イラストレーター、アニメーター、声優、ライトノベル作家……迷走中のようである。まだまだ夢見る少女だ。

「これ、由希江にあげるわ。作画の参考に使ってね」

　母に爽やかな表情で言われ、

「こんな古臭い絵柄じゃ、参考にならないって」

　由希江はにかっと笑う。

「由希江も負けず嫌いね。晩ご飯作ってくるから、いらない雑誌類、紐でくくってまとめといてね」

　母はそう伝え、一階へと降りていった。

「お母さんの学生時代のイラスト、初めて見たわ。絵に躍動感があるわね」

「姉ちゃん、自分の部屋で見て来いよ。部屋の片付けも忘れるなよ」

「分かってるって。晴和もせっかくだしお母さんの昔のノート、見てみたら？」

　由希江は十何冊かを手に抱え、自分のお部屋へ。

　晴和は再び数学の予習に取り組もうとしたが、

（……他にはどんなの描いたんだろ）

　つい気になって一番上の一冊を手に取ってしまった。ベッドに寝転がり、ページをパラパラッと捲っていく。

（なんかマンガが出て来た。ドジッ子ガールけいこちゃんか）

　自作マンガ最初のページが載っている横に、色鉛筆で塗られた主人公の【けいこちゃん】のイラストが載っていた。中学生くらいに見え、四角顔でぱっちりとした瞳、さらさらに思われるほんのり茶髪のポニーテール。服装は紺地にうさぎさんの刺繍が施された半袖チュニックと赤いミニスカート、膝よりちょっと下まで穿いた薄緑の靴下が特徴的だった。作中にはセーラー服姿も描かれていた。

（食パンくわえながら通学、バナナの皮で転んでいちご柄のパンツが丸見え、スカート捲りごっこって、当時はこれが流行りの展開だったんだろうな。そこそこ面白い）

晴和がくすくす笑いながら母の自作漫画を眺めていたその時、不思議な出来事が――。

「あれ？」

　どこからか、女の子の聞き慣れぬ声がしたのだ。

「何だ？　今の声」

　晴和は周囲をきょろきょろ見渡した。

（耳元で聞こえた気がするんだけど、誰もいないよな？）

　少しドキッとしながらそう思った矢先、

「うっ、うわぁぁぁぁぁっ！」

　晴和はあっと驚き、口を縦に大きく開けて絶叫した。

突如、ノートの中から、飛び出して来たのだ。　

　けいこちゃんにそっくりな少女が――。

　その子は四つん這いの格好で晴和に覆い被さって来た。晴和は両肩をぐっと押さえつけられる。彼の眼前にはチュニック越しにまみえるその子のあまりふくらんでない胸があった。

「どこよ、ここ？　急にお部屋が斜めになったと思ったら知らない場所に来ちゃったよ。きゃっ！　きみ、誰？」

　その子は周囲をぐるっと見渡したのち軽く悲鳴を上げ、とっさに晴和の体から離れた。腰を抜かしたかのようにベッド上にぺたんと座り込む。気が動転している様子だったが、当然の反応ともいえよう。

「俺は、晴和だけど……」

　晴和の方も呆然としていた。

ノートの中から生身の人間の女の子が飛び出してくるという、物理現象を完全無視した出来事が今しがた晴和の目の前で起こったというわけだ。

「あたしは恵子よ。きみは晴和かぁ。そこそこ格好いいね。勉強もそれなりに出来そう」

　恵子はお顔をじーっと見つめてくる。

（あのマンガに載ってた女の子の絵が、飛び出して来たなんて。こんなこと、あり得ないだろ）

晴和は右手をゆっくりと自分のほっぺたへ動かし、ぎゅーっと強くつねってみる。

「いってぇっ！」

　痛かった。

　現実、だったらしい。

　まだ晴和は、信じられなかった。

「晴和お兄さんったら、マンガみたいなことしてはるぅ」

　恵子にくすくす笑われてしまう。

　突如、

「晴和くーん、どうかしたの？　さっきもびっくりしたような叫び声出してたけど」

　窓の外から別の女の子の声が聞こえて来た。

「いや、なんでもない」

「本当？　どこか怪我したんじゃないの？」

「そうじゃないって。それじゃ」

　晴和は窓越しに伝えて窓をすばやく閉めた。

　先ほどの声の主は晴和の同い年の幼馴染、学校も幼小中高ずっと同じな桜岡実果帆（さくらおか　みかほ）だった。おウチが向かい合わせで、晴和のお部屋と実果帆のお部屋もほぼ同じ位置で向かい合っているのだ。ちょうど双方の窓が開いていて、物音が聞こえやすい状況になっていた。　

丸顔ぱっちり垂れ目に細長八の字眉、広めのおでこがチャームポイントな、高校生としては少し幼く見えるおっとりのんびりとした雰囲気の子で、さらさらしたほんのり茶色な髪を普段は花柄リボンで二つ結びにしている。

（女の子の声もしたような気がするんだけど、気のせいかな？　晴和くんのお部屋にはテレビがあるし、その音声かも）

　そんな実果帆がこう思いながら、まもなく午後六時から始まる国民的アニメをリビングで見るため、自分のお部屋から出て行こうとしたのと時同じくして、

「さっきの可愛らしい声の子、晴和お兄さんの彼女？」

　恵子はにこにこ顔で問いかけてくる。

「いや違う。ただの幼馴染だ」　

　晴和は即否定した。

「そっか。上杉○也と浅○南ちゃんみたいな関係ってわけやね。家も隣同士だし。キスはもうした？」

「するわけないって」

「俯きながら答えとるとこが怪しい。絶対しとるやろ。正直に答えてー」

「してない、してない」

「これはしとるな。顔に書いてあるよ」

　恵子はにやりと笑う。

「だからしてないって。それより恵子ちゃん、パンツがまる見えに」

　晴和は俯き加減のまま気まずそうに伝える。

「えっ！　きゃっ！　もう、晴和お兄さんどこ見てはるんよ。エッチ♪」

　胡坐をかくような姿勢になっていた恵子は慌てて正座姿勢へ変えた。照れ笑いする。

「俺は見る気はなかったって」

いちご柄のショーツをついつい五秒以上は凝視してしまった晴和がこう言い訳した次の瞬間、

「晴和ぅ、なんか叫び声がしたけど、一体どうしたの？」

　ガチャリと部屋の扉が開かれた。

　由希江だった。　

「なっ、なんでもないって」

　晴和は慌てて答える。

「なんか変ね。母さんのノート、見た？」

「全然」

「勿体ないなぁ。ワタシがアニメ声優っぽい声で声当ててあげようか？」

「いいって」　

「ちゃんと見てあげなよ」

　由希江がお部屋から出て行くと、

「ちょっと、あたしが怪しい人みたいじゃない」

恵子は被せられた毛布を払いのけ、不機嫌そうに愚痴を呟く。

「じゅうぶん怪しいだろ」

「あたしからすれば晴和お兄さんの方が怪しい人よ。かい人２１面相みたいに」

「誰それ？」

「えぇっ！！　知らないの！？　ちょっと前に話題になった超有名人やん。きみ、ちゃんとニュース見てる？　ファ○コンばっかりして社会の動きには全然目を向けてないんじゃないの？　ゲームは一日一時間だよ。グリコ森永事件の犯人といわれてる人、知らないなんてめっちゃびっくりだよ。学校でも話題になってたでしょ。ひょっとして晴和お兄さん、登校拒否？」

「あの、冷静に聞いて欲しい。ここは、二〇一〇年代の世界なんだ」

「何言ってるの？　一九八〇年代でしょ？」

「信じられないと思うんなら、まずはこれを見てくれ。世界の状況がけっこう変わってるから」

　晴和は今学校で使っている地図帳を差し出した。

「……ソ連がロシアになってるし、ドイツが一つになってる。ヨーロッパの方、めっちゃ国増えてるね」

　見開きの世界全体地図を眺め、恵子は目を丸める。

「あと、カレンダーを見てくれ」

　晴和は学習机の上に置かれた卓上カレンダーを指し示す。

「……ほんまに、21世紀なん？」

　この事実に気付くと、恵子は口を大きく開け、仰天した。

「その通りだ。ちなみに元号も昭和から平成に変わった。俺が生まれるよりもずっと前、一九八九年一月八日に昭和から平成に変わって、さらにその平成も天皇の生前退位で三〇年で終わって、二〇一九年の五月一日から令和って元号に変わったんだ」

「ほんまに？　……そういや、テレビがなんか未来的な形しとるし、あたし、本当に二十一世紀にタイムスリップしたってわけか。まさに時をかける少女やね。こうなった以上、二十一世紀の世界を思う存分楽しまんと損やな」

　続けてこう呟いて、　　

「タイムトラベルは楽し、メトロポリタンミュージアム♪」

　にこやかな表情でこんな歌を口ずさみ始めた。

「それ、何の歌？」

「メトロポリタンミュージアムだよ。二〇一〇年代の子は知らないの？　教育テレビのみんなのうたで歌われてたやつだよ」

「聞いたことないな」

「あたしこの歌めっちゃ好き。ちょっとホラー入ってるけど。歌の最後でちっちゃい女の子が大好きな絵の中に閉じ込められるんだよ。あたしもさっきまで絵の中に閉じ込められてたみたいやね」

　恵子はアハハッと笑う。

「どうやら社会の動きは現実世界とリンクしているようだな」

　晴和がこう呟いた次の瞬間、

「晴和ぅ、英語の演習プリント、代わりにやっといて欲しいんだ……」

　扉が開かれ、由希江が入り込んで来た。

「ねっ、姉ちゃん」

　晴和はびくーっとなる。　

「……晴和、誰なん？　このかわいらしい子」

　由希江は目を大きく見開き、呆然と立ち尽くす。恵子の姿をばっちりと見られてしまった。

「あっ、あの、この子は」

　慌てる晴和をよそに、

「どうも、はじめまして。晴和お兄さんのお姉さん、あたし、恵子。中学三年生。このノートの中から飛び出て来てん」

　恵子は例のノートを手に取り、爽やかな笑顔で自己紹介した。

「マジなん？」

「そっ、そうなんだ。俺も出てくるとこ見た」

「……確かに、お母さんのイラストの恵子ちゃんって子にそっくりね。こんな非科学的なことって起こり得るのね」

　由希江はかざされた恵子のイラストが載っているページを凝視する。

「あたし、自分の部屋でマンガ読みながらかっぱえびせん食べてるシーンから出て来たみたいや。このページからあたしが消えてるから。風呂入ってるシーンじゃなくて良かったよ」

　恵子は該当するページを開き、由希江と晴和に再びかざす。

「姉ちゃん、俺、これは夢だと思ってるんだけど」

「ワタシもまだ百パー現実とは思えないわ。でも、この子とは夢でもいいからお友達になっときたいな。ワタシ、由希江って言うの。よろしくね、恵子ちゃん」

「こちらこそよろしく、由希江お姉さん。せっかくなので指と指を合わせましょう。あたしの人差し指に由希江お姉さんの人差し指を合わせて下さい」

　握手を求められると、恵子はこう要求した。

「これでいいかな？」

「はい、Ｅ．Ｔ．♪」

　指と指が合わさり、恵子は満面の笑みを浮かべる。

「恵子ちゃんもこの映画ネタ知ってるのね。超有名作品なだけはあるわ」

「あたし、小六の時に映画館へ見に行ったよ。めっちゃ面白かった。学校でもＥ．Ｔ．ごっこ流行ったよ」

「えっ！？」

「姉ちゃん、この子、三〇年くらい前の時代の子で、この時代のことは全然知らないみたいなんだ」

「マジで？　恵子ちゃんの好きなタレントは？」

「ザ・ド○フターズ。その中でも志○けんさんが一番好きだな。八時だョ！　全○集合、面白いよね。今度で最終回なのが残念だよ」

「憧れのアイドルは？」

「松田聖子さんに、小泉今日子さんに、堀ちえみさんに、菊池桃子さんに、お○ャン子クラブが特に好きだな」

「漫画やアニメはどんなんが好き？」

「う○星やつら。ラ○ちゃんかわいいよ。あと、○ッチ。浅○南ちゃん大好き♪　キャ○テン翼と北○の拳もけっこう好きだな。もうとっくに放送終わっちゃったけど、か○ちゃワインと、まいっちんぐマ○コ先生と、クリィミー○ミと、ミンキー○モと、キャン○ィ・キャン○ィと、魔法少女ラ○ベルと、Ｇｕ―Ｇｕガ○モと、とんがり帽子のメ○ルと、ア○レちゃんと、あ○りちゃんも大好きだった」　

　生き生きとした表情で質問に答えてくれる恵子を見て、

「確かに、三〇年くらい前の子のようね。この子にとっては未来の世界に来たってことになるわけか。恵子ちゃん、二十一世紀の世界、思う存分楽しんでね」

　由希江は確信を持つ。

「ねえ、この時代って、月や火星旅行が普通になってて、リニアモーターカーとか空飛ぶ車とかが街中をビュンビュン走ってるんでしょ？」

「いや、そこまでは文明発達してないよ。宇宙もまだ一般人は行けないし。リニアモーターカーもまだ計画段階だし、車も三〇年くらい前と比べてちょっとデザインが変わったくらいじゃないかな」

　晴和は軽く苦笑いしながら現実を伝える。

「そうなの！？　ド○えもんのマンガに描かれてた二十一世紀初めの世界と違って、そんなに変わってないのね。それじゃ、二〇〇三年が誕生日設定の鉄腕ア○ムも」

「残念ながら、あそこまで高性能なロボットは未だ生まれてないぞ」

「なぁんだ。がっかり。二十一世紀の世界がこんなに平凡だなんて」

「この時代はド○えもんの誕生日まで百年切ってるけど、あと百年経ったところであんな高性能高知能な猫型ロボットはおろか、どこでもドアとかタイムマシーンとかスモールライトとかも実現化されて無いと思うわ」

　由希江はにこにこ顔で主張する。

「二十一世紀の人は、未来への夢を失ってるみたいやね」

　恵子はがっくり肩を落とす。

「でも、情報通信技術は恵子ちゃんの時代よりかなり進化してると思うぞ。ごく普通の家庭にもパソコンが普及してるし。インターネットも」

「インターネットって何？」

「世界中に繋がってる情報通信網かな？　定義を分かり易く説明するのは難しいから実際にやってみるね」　

　晴和はマイノートパソコンの電源を入れた。

「高校生がワープロ持てるなんて、すごい時代になっとるんやね。しかもめっちゃ薄い。これが未来のワープロかぁ」

　恵子は中腰姿勢になり、じっくり眺める。

「これは文章作成以外にもいろんな機能がついたパソコンだよ」

「パソコンかぁ」

「この時代はパソコンが主流になってるよ。ワープロ使ってる人なんてほとんどいないんじゃないかな。一九九五年に発売されたＷｉｎｄｏｗｓ９５がきっかけで、一般家庭にもパソコンが爆発的に普及するようになったらしい」

「そうなんや。あたしの時代から十年くらい後やね」

「パソコンは進化が速いから、Ｗｉｎｄｏｗｓ９５もとっくの昔に過去の物になってるよ。今もそれを愛用してるのは相当なマニアくらいだろうな」

　晴和がインターネットエクスプローラを開くと、とあるポータルサイトが出てくる。

「これでニュースとか天気予報とかがいつでも確認出来るんだ」

「めっちゃ便利やん。三〇年くらいでこんなにも。これは想像以上の進歩や」

　最新のニュースや天気予報などが表示され、恵子は画面に釘付けになり大興奮する。

「わざわざパソコンを立ち上げなくても、携帯電話でも出来るわよ」

　由希江は自分の携帯をインターネットに繋ぎ、ニュースの画面を恵子に見せた。

「ぅおう！　二十一世紀のトランシーバーはこんな便利なことも出来るんか。指で画面操作って未来的で格好いい！　テレビも進化すごいね。薄っぺらになっとるぅ」

「テレビ放送も今はアナログ放送じゃなくて、地上デジタル放送になってるよ」

　晴和はテレビリモコンを手に取り、電源ボタンを押した。

　次の瞬間、　

『バッカモーン！』

　こんな怒声が。

　今、時刻は午後六時三七分。

　二〇インチの画面にあの国民的アニメが映し出されたのだ。

「おう、波○さん。三〇年くらい経ったっていうのにあの髪型のままやっ！　声は変わってるけど。カ○オくんも歳取ってないね。サ○エさん、再放送じゃなくて今やってるの？」

「うん、放送開始から五十年近く続いてるみたい」

「すごいっ！　あたしの時代でもすでに長寿アニメ言われてたのに」

「ちなみに笑○や徹○の部屋や、新○さんいらっしゃいやア○ック２５、ド○えもんもまだやってるわよ」

　由希江は加えて伝えた。

「そうなんか。変わらん面もあるんやね。でも映像はものすごくきれいになっとる。さすが二十一世紀やー。この時代ではテレビゲーム機はどうなっとるん？　あたしの時代、ファ○コンが出たばっかりの頃やねんけど」

「それもかなり進化してるよ。本体だけじゃなくソフトも画面がＣＧでボイス付きが当たり前だし」

「そうなんか。二十一世紀のテレビゲーム機、触ってみたーい！」

「これ、やってみる？」

　晴和はベッド下の収納ケースからわりと最近のテレビゲーム機を取り出した。

「おう、デザインが未来って感じ。このリモコンみたいなのが、コントローラ？」

　恵子は興味津々で凝視する。

「そうだよ」

晴和はゲームが始められるよう本体をテレビに接続し、とあるアクションゲームのソフトを本体に挿入した。

　電源を入れ、ゲーム画面が表示されると、

「二十一世紀のゲームって、画面がめっちゃきれいやね。立体感もすごい！」

　恵子は興奮気味にコントローラを操作する。

「これでも俺が小学校の頃に買ってもらった、五年くらいの前のゲームだけどね。この時代のテレビゲーム機はゲームが遊べるだけじゃなく、ＤＶＤやブルーレイが見れたり、テレビ番組の録画が出来たり、音楽ＣＤが聴けたりインターネットが楽しめたり、機能満載になってるよ」

「マジで！！　まさに二十一世紀のゲーム機って感じやね」

恵子が驚き顔でこう呟いたその直後、

「晴和ぅ、由希江ぇ、晩ご飯よぅ。冷めないうちに早く下りてらっしゃーい」

一階から母に大声で叫ばれた。

「もう晩ご飯の時間かぁ。恵子ちゃん、とりあえずここで待っといてね。絶対お部屋から出てきちゃダメよ」

「母さんと父さんに見つかると厄介だからなぁ」

　こう注意を促し、二人はお部屋から出て行った。

　あたしはの○太くんがママにナイショで飼ってる捨て犬かよ。

　恵子は今、こんな少し苛立った心境だ。

　それをよそにキッチンテーブル席にて、一家四人全員揃っての夕食の団欒が始まる。

「由希江、お部屋ちゃんと片付けてる？」

「元々片付いてるじゃん」

「どこがよ。由希江、深夜の不健全なアニメにのめり込み過ぎないようにしなさいね。マンガやアニメの世界と現実の世界との区別が付かなくなっちゃうわよ」

「そんなことあるわけないって」

　由希江はにこにこ笑いながら母に反論する。

「お母さんが由希江くらいの年の頃には深夜のアニメなんか見て無かったわよ」

　母は得意げな表情だ。

「そりゃ放送自体なかったからじゃん」

「由希江、後期の単位、大丈夫そうか？」

　高校の物理教師を勤めている父が問いかけた。

「たぶんね。レポート課題で困ったら、晴和にやってもらうし」

「姉ちゃん、俺に頼っちゃダメだろ」

　晴和は呆れ顔で言う。　

その後も時折会話を弾ませ夕食後。晴和と由希江はすぐさまキッチンを後にした。

「姉ちゃん、恵子ちゃんが出て来たのは……現実、なんだよな？」

「うん、きっとそうよ」

　階段を上りながら、二人は小声で話し合う。

　晴和の自室扉を開けると、

「おかえり晴和お兄さん、由希江お姉さん」

　恵子はにこにこ顔で迎えてくれた。

「やっぱり現実のようだな」

「これはもう、現実として受け入れるしかないわね」

　晴和と由希江は苦笑い。

「この子、今夜どうしよう？」

「とりあえず、今夜はワタシの部屋に寝かすわ」

「ねーえ、あたしもお腹すいたぁ。何か食べさせてー」

　恵子はむすっとした表情で要求してくる。

「ちょっと待ってて。今からコンビニでお弁当買ってくるから。恵子ちゃん、食べたい物はあるかな？」

　由希江が質問すると、

「カレー。あたしカレーめっちゃ好き♪　七億何千万人のインド人は毎日カレーだから羨ましいよ」

　恵子は笑顔で楽しそうに答えた。

「恵子ちゃん、今、インドの人口は十三億くらいいるみたい」

　晴和は現状を教える。

「そんなに増えとるの！　インド人もびっくりだよね。中国はどうなったん？　あたしは学校で十億って習ったけど」

「十四億に届かないくらいかな？　インドは近いうちに中国抜いて世界一になりそうで、世界の人口も七〇億超えてる」

「そうなん？　あたしの時代じゃ五〇億もおらんよ。予想通り、どんどん増えてるんか」

「逆に、日本の人口は二〇〇八年頃をピークに少しずつ減って来てるみたい」

「マジ？　日本、時代に逆行してるやん。この時代のお金はどうなってるん？」

「だいたい同じだと思う。お札の人とデザインは変わったけど、旧札も今でも大方使えるよ。物価も三〇年くらい前と比べてそんなには上がってないんじゃないかな」

「そっか。戦中と戦後みたいな劇的な変化はないんやね」

「この間、経済学入門の講義で教わったけど、あの頃ってたった四、五年で物価が百倍以上上がったらしいわね。あの、恵子ちゃん、話戻すけど、カレーのお弁当は、売ってないの思うの」

「それじゃ、何でもいいよ」

　恵子は申し訳無さそうに伝えた。

「分かったわ。じゃ、行ってくるね」

　由希江がこのお部屋から出ていってすぐ、

「あれ？　これって晴和お兄さんの学校のだよね？　時間割が金曜までしかないけど、この時代は、土曜は休みなの？」

　恵子は机に張られた時間割表が目に留まり、不思議そうに質問した。

「うん」

「めっちゃええやん。いつからそうなったんよ？」

「俺が小学校入った頃にはすでになってた。確か、一九九二年度に第二土曜が休みになって、一九九五年度から第四土曜も休みになって、二〇〇二年度から完全週休二日制になったって聞いた」

「そうなんか。あたしその頃にはもう大人になって学校卒業しとるわ。残念や～」

「ただ、最近は授業数確保のために土曜授業復活させてる学校もあるみたいだけど」

「そっか。昭和回帰やね」

こんな会話を交わしてから一五分ほどのち、

「恵子ちゃんお待たせ。温めてもらったよ。ついでにお茶と、明日の朝ご飯とお昼ご飯の分も買って来たよ」

　由希江が戻ってくる。レジ袋から唐揚げ弁当を取り出した。

「サンキュー由希江お姉さん、これが二十一世紀のコンビニ弁当か。もっと宇宙食的なものかと思ったけど、そんなには変わってないね」

　恵子は蓋を開け、割り箸を手に持つと唐揚げを美味しそうにもぐもぐ頬張る。

「恵子ちゃんの時代の唐揚げ弁当とこの時代の、どっちが美味しい？」

　由希江が尋ねると、

「二十一世紀の唐揚げ弁当の方が美味しい♪　薄味だし」

　恵子はにっこり笑顔で答えた。

「そっか。それはよかったわ」

　由希江も嬉しそうに微笑む。

　それから七分ほど経ち、

「もうお腹いっぱい。ごちそうさま」

　恵子が他のおかずやご飯も全部平らげ紙パックの煎茶も飲み干すと、

「それじゃ晴和、この子、ワタシのお部屋に連れて行くね」

　由希江は出たゴミを袋にまとめて手に持ち、恵子といっしょにお部屋から出て行った。

　恵子は隣の由希江のお部屋に入れてもらうと、

「うわぁっ！　お店みたいなお部屋やね」

　興味深そうに室内を見渡し始めた。

窓際に観葉植物、学習机の周りにビーズアクセサリーやオルゴール、クマやウサギ、リスといった可愛らしい動物のぬいぐるみがいくつか飾られてあり、普通の女の子らしいお部屋の様相も見受けられたが、それ以外の場所に目を移すと、オタク趣味を思わせるものがたくさん。

本棚には合わせて五百冊は越えるだろう少年・少女・青年コミックやラノベ、アニメ・マンガ・声優系雑誌に加え、十八歳未満は読んではいけない同人誌まで。アニソンＣＤやアニメブルーレイも多数所有しており、専用の収納ケースに並べられていた。ＤＶＤ／ブルーレイレコーダーと二四Ｖ型液晶テレビ、学習机の上にはおしゃれなデザインのノートパソコンもあった。本棚の上と、本棚のすぐ横扉寄りにある衣装ケースの上には、萌え系のガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて二十数体、まるで雛人形のように飾られてあり、さらに壁にも、瞳の大きな可愛らしい女の子達のアニメ風イラストが描かれたポスターが何枚か貼られてあったのだ。晴和の自室と同じ広さのフローリングだが、家具や飾りが多く、散らかっている分こちらの方が狭く感じられた。

「アニメー○ュとアニメ○ィアとニュー○イプ、この時代でもまだあるんやねー。めっちゃ値上がりしてる。これは、マンガかと思ったら小説なのか」

　恵子は本棚にあった一冊の文庫本を手に取りパラパラッと捲ってみる。

「それはライトノベル、略称ラノベっていうやつよ。マンガを読むような感覚で気軽に読める小説ってコンセプトで、九〇年代半ば頃から流行り出したの」

「ふぅーん。エッチなイラストも多いね。男の子向け？」

「どうだろ？　女の子もけっこう読んでると思うけど」

　由希江は笑顔で言う。

「二十一世紀ではこんなマンガみたいな小説もたくさん溢れてるんやね」

恵子はそれを感心気味に流し読みし本棚に仕舞うと、

「あの、由希江お姉さん、あたし、おしっこ、したくなっちゃったんだけど……」

　もじもじしながら俯き加減で囁くような声で伝えた。

「おしっこか。元々二次元絵でも行きたくなるのね。連れて行ってあげるから、ちょっと待っててね」

　由希江は注意を促した。

　両親にバレたらかなり厄介なことになると感じたからだ。

　トイレは一階。階段下りて少し左へ進んだ所にある。幸い移動距離は比較的短い。

（今は大丈夫そうね）

　両親の気配が無いことを確認し、手を引いて連れて行った。

　いっしょにおトイレの中へ。

「洋式だ。あたしんち和式だけど、これも二十一世紀では普通なの？」

　恵子は興味深そうに質問してくる。

「うん、今は和式のおウチはほとんど無いと思うわ」

「そうなんだ。あの、由希江お姉さん、悪いんだけど、恥ずかしいから、出て行って欲しいな」

　恵子は照れくさそうにしながらいちご柄のショーツを膝下まで脱ぎ下ろし、ミニスカートを捲くって便座にちょこんと腰掛ける。

「ごめんね、一人にさせると危ないから」

　由希江は罪悪感に駆られつつも、扉の内側すぐ前で恵子に背を向けるように立っていた。

「確かにそうだよね。あたしのことバレるとまずいよね」

　恵子は小をし終えると、

「あの、あたし、大きい方も、したく、なっちゃった」

　こう俯き加減で伝えた。

「そっか。気にせずやってね」

　由希江は気を使って壁に設置された音消しボタンを押してあげた。

　滝の流れるような音が聞こえ出す。

「おう、すごい機能やね。さすが二十一世紀のトイレ。おなら出ちゃっても音掻き消せそう」

　感心した恵子は歯をぐっと食いしばり、こぶしをぎゅっと握り締め両膝に添え、

「んぅんっ！　んっ！」

息むっ！

　三〇秒ほどのち。

「ふぅ、三日振りにお通じが来てお腹すっきりしたよ」

　恵子はほっこりとした表情を浮かべた。恥ずかしいからかすぐにレバーを引いて出したものを流す。

「おめでとう」

由希江は音消し停止ボタンを押し、恵子の方を向いてにっこり微笑む。

「いやぁ、褒められるほどのもんじゃないと思うねんけど」

「ごめん、ごめん。よかったら、ウォシュレットのおしりボタン押してみてね。おしりが普通に拭くよりきれいになるよ」

「これも、二十一世紀のおウチでは珍しくないの？」

「そうね、付いてないおウチもまだけっこうあるとは思うけど」

「あたしの時代でも、おしりだって洗ってほしいのＣＭで見たことあるけど、使うのは初めて」

　恵子は恐る恐る便座横の、おしりと書かれたボタンを押した。

　ブィィィーンと起動音がし、温水が噴き出た次の瞬間、

「ひゃぁぁぁっ！」

　思わず甘い悲鳴を漏らす。

「大丈夫？」

　由希江は微笑みながら尋ねる。

「勢いがあまりに良くて、びっくりしたよ。でもけっこう気持ちいい♪」

「気に入った？」

「うん！」

　恵子がにこやかな表情で答えたその時、

コンコンッ！

とノックされる音が。

「「！！」」

　二人ともびくっと反応した。

「誰か入ってる？」

　さらに母の声も。

「お母さん、ワタシ、今、う○こしとるから、ちょっと時間かかるわ」

　由希江が大きな声で伝えると、

「分かったわ」

　母はすぐにリビングの方へと戻っていく。

「由希江お姉さん、いてくれて正解だったね。誤魔化してくれてありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「ウォシュレット使うと、紙をあまり使わなくて済むのがいいね」

　恵子が満足げにおしりを拭き終えショーツを穿くと、

「ちょっと待っててね」

由希江が先にトイレから出た。

（お母さんもお父さんも、今いないわね）

　廊下に出た由希江は注意深く、周囲をきょろきょろと見渡しトイレすぐ隣の洗面所も確認した。

　無人確認が出来ると、トイレにいる恵子の手を引いて連れ出す。

　そしてすばやく洗面所へ誘導した。

「早くお手洗い済ませてね」

「うん」

　恵子は水道の蛇口を捻り、すぐ横の液体石鹸を使って手を洗う。

「これが二十一世紀の洗濯機かぁ。ボタン多くて、デザイン格好いいね」

　その最中、隣にある洗濯機を、顔を横に向けて見て感心し小声で褒める。

「この時代の洗濯機は全自動が普通になってるわよ」

　由希江はそう伝えたあともう一度廊下を確認し、誰も来なさそうなことを確かめた。

「恵子ちゃん、見つからないようにそーっとね」

「うん」

　由希江からの指示に恵子は小声で返事し、足音を立てないように廊下を歩き、一段三秒くらいのペースでゆっくりと階段を上がっていく。

　由希江はそのすぐ後ろをついていく。

　その途中、母がリビングから廊下へ移動して来た。

（トイレへ行くのね）

　由希江は安心していた。

　しかし、

　母はトイレの前を通り過ぎ、階段の方へと近づいて来たのだ。

「おっ、お母さん、トイレ行くんじゃないの？」

由希江は大きな声で慌て気味に問いかける。

「その前に鈴井先生にちょっと用事があるのよ」

　母はそう伝えながらどんどん近づいてくる。

（えっ！）

　由希江は焦りの表情を浮かべる。恵子に早く階段を上がってとのアイサインを送ってみた。

（分かった）

　恵子に伝わったようで、恵子は階段を上るペースをやや速める。

　ところがこの直後、予期せぬ事態が。

　トストストス。

　なんと、父が自室から出て二階の廊下を歩く音まで聞こえて来たのだ。

（非常にまずいわ、これは。なんでこんなあまりにタイミング良く）

　由希江の心拍数は急上昇する。

（どうしよう。見つかっちゃうよぉ）

　恵子も予想外の事態にかなり焦っていた。

　そんな時、

「父さん、ちょっといいか？」

　晴和の声が。

「何だい？　晴和」

　父はすぐに振り向く。

「数学の問題で、聞きたいことがあるんだ。俺の部屋来て」

「珍しいな。晴和の方から質問に来るなんて」

　父は晴和のお部屋へ入った。

（今だ！）

　恵子はこの隙にすり足で由希江のお部屋へ忍び込む。

　晴和のとっさの判断により、見つからずに済んだわけだ。

（晴和、ナイス機転）

　由希江は嬉しそうに微笑む。そして自室へＩＮ。

　それから約五秒後、

「鈴井先生、ちょっとパソコン借りるわね」

「うん、分かった」

　母は晴和の自室にいる夫に声をかけて、父の自室へ。すぐにパソコンを手に抱えて出て行った。そして一階へと降りていく。

　少しして、

「姉ちゃん、バレなかったみたいだな」

　晴和が由希江の自室に入ってくる。

「晴和、やるわね」

「まあ、急に思いついたんだ」

「晴和、えらい、えらい」

「頭撫でるなって」

「あいてっ」

　晴和は呆れ顔で由希江にでこピンし、自室へ戻っていく。

「由希江お姉さん、マンガを描いてるんですね」

　恵子は机の上に置かれた描きかけの漫画原稿に目が留まった。

「うん、幼稚園の頃にはもうめっちゃ描いてたわ。本格的な画材使うようになったのは小学校高学年頃からだけど」

「そっか。エッチなシーンは多いですが絵が上手過ぎます！　あたしも趣味で描いてるけど全然敵いません」

「いやぁ、ワタシの絵もプロデビューにはまだまだ足元にも及ばないレベルよ。恵子ちゃん、よかったらワタシの原稿、手伝ってくれない？」

「いえいえ、あたしには力不足です。足手まといになっちゃいますからやめときますよ。由希江お姉さん、スクリーントーン貼るのめっちゃ上手いね。手先器用過ぎや～」

「トーンはパソコンで仕上げてるの。手作業じゃないわよ」

「パソコンで漫画描いてるんですかっ！」

「この時代はパソコンでデジタル漫画を描くのが普通になってるわ。これだと簡単に修正が利くし、カラーも描きやすいし。ワタシはトーンだけだけど、下書きペン入れ効果線ベタも含めてオールパソコンで描いてる人も多いわよ。専用のソフトがあるの。それさえあれば画材を揃えなくても漫画が描けるってわけ」

「そうなんか。めっちゃ便利な時代になってるんやね」

「小説も、この時代じゃパソコンの文章作成ソフトで書くのが一般的よ。手書きを受け付けてない新人賞もいっぱいあるの」

「ってことは、この時代の小説家は伊○坂先生みたいに原稿用紙をくしゃくしゃに丸めるようなことはないんですね」

「そうね。編集者とのやり取りもメールが一般的みたいだから、締め切り間際に編集者が作家の自宅に押しかける光景も見られなくなってると思うわ」

　そんな会話を交わしていた時、

「由希江ぇー、早くお風呂入っちゃいなさい」

　母に一階廊下から叫ばれた。

「恵子ちゃん、ワタシ、お風呂入ってくるからここで待っててね。もしお母さんが入ってくるようなことがあったら、お布団に隠れて」

　由希江はこう注意を促し、お部屋から出て行く。

「はーい」

　恵子は素直に返事し、

（面白そうなマンガがいっぱい）

　本棚を物色し始める。

　最近発売されたコミックを一冊手に取り、ベッドに寝転んだ。

「これ、けっこうエッチぃ。男の子向けのマンガだよね？」

　苦い表情でこう呟いたその時、

　ドスドスドス。

と、足音が聞こえてくる。

（この重さを感じる足音は、お母様のね。隠れなきゃ）

　恵子はそう直感し、慌ててお布団に潜り込んだ。

　それから約二秒後、

　ガチャリと扉が開かれ母がこのお部屋に入り込んで来たのだ。

　衣装ケースを開け、長袖の服を何着か入れるとすぐにお部屋から出て行く。どうやら衣替え作業らしい。

（危なかったぁー）

　恵子の心拍数は急上昇した。

（ちらっとお姿見たけど、あの髪型は聖子ちゃんカットね。二十一世紀でもあの髪型の人いたんだ。あたしの時代でもあれは古い、時代遅れってお友達が言ってたのに。松田聖子って、この時代じゃもうお婆ちゃん、いや、それは失礼過ぎか。三〇プラスしても五〇いくつかだろうし）

　心拍数が徐々に戻って来て、再びマンガを読み耽る。

　それから二〇分ほどのち、

　トストストスと軽い足音が聞こえて来た。

（これは、由希江お姉さんのだ）

　そう確信した恵子は、安心してベッド上に腰掛け待機する。

「恵子ちゃん、お待たせ」

　予想通り、由希江だった。お風呂上り、パジャマ姿。髪の毛がしっとりと濡れていた。

「お風呂いいな。あたしも入りたーい」

「ごめんね、絶対ばれちゃうだろうから。今日は我慢して」

「分かった」　

「恵子ちゃん、お母さんここに来たでしょ？　バレなかったみたいね」

「うん、とっさに布団に隠れたよ」

「そっか。最良のやり方ね。恵子ちゃんは、ワタシと身長ほとんど変わらんね。ワタシの服、どれでも着ていいよ」

「ありがとう。あの、由希江お姉さん、あたし、すごい能力が備わってたよ」

　恵子は興奮気味に伝える。

「どんな能力かな？」

「あたしの絵が載ってたノートに手を突っ込めるの」

　恵子は例のノートを手に取る。続いて開かれたページに手を添えると、なんと波打つ水面のように揺らいだのだ。

「恵子ちゃん、こんなことも出来るのね」

　ちょっぴり驚いた由希江。

「さっき試しにやってみたら出来たの。まさか出来るとは思わんかったよ」

　恵子はえへっと笑う。

「さすが元二次元絵ね」

「でも、これ以外のやつには出来なかったよ。これは特別なノートやね」

「こういうことが出来るってことは、元の世界にも帰れるってことなんじゃ」

　由希江はふと勘付く。

「出来るかも」

　恵子は例のノートの自分が元いたページを開き、床の上に置くと上に乗っかってみた。

　すると、

「あれ？　入れないや」

　出来なかった。

「あらあら」

「でも、元の世界へ戻れた時のために、あたしも宿題片付けていかないと、先生からビンタとゲンコツ食らっちゃう」

　恵子は取り出した鞄の中から数学の問題集、ノート、筆箱を取り出した。

「ワタシの机、使っていいわよ」

「ありがとう。でも、置き場が無いな」

「ごめんね、すぐ片付けるから」

　由希江は申し訳なさそうに、無造作に散らばった机の上のものを隅っこに動かす。

　恵子は開いたスペースに先ほど取り出したアイテムを置いた。イスに腰掛け、筆箱から筆記用具を取り出す。

「あっ、キン消しだ。お父さんもこれ持ってたわ」

「キン消し、あたしの時代じゃ大ブームになってたよ。学校に持ち込み禁止されてるけど、守ってる子はほとんどいなかったね」

「やっぱり」

「あたしこんなのも持ってるよ。最近出たばっかりの天使ＶＳ悪魔シリーズ」

　恵子はそう伝えて、ノートに描かれた学習机の引出からシールを何枚か取り出した。

「ビッ○リマンシールか。これもお父さん持ってたよ」

「本当！　あたし駄菓子屋さんやスーパーでシール目当てにいっぱい買い集めてるねんけど、チョコは正直いらんで。お母さんから小学生の男の子みたいなことするのやめなさいって言われてるけどやめられんわ～」

「お父さんも同じようなこと言ってたわ。これが流行った時にはもう大学生になってたけどビッ○リマンシール集めに夢中になってたって」

「そうなんか。親近感が湧くよ。さてと、そろそろ宿題始めよっと。あたし数学苦手だなぁ。由希江お姉さん、悪いんだけどこれ、解いてくれない？　大学生なら楽勝でしょ」

「もちろんいいわよ。任せなさい」

　由希江は快く引き受け問題を眺める。

　しかし約五秒後、

「あれ？　どうするんだっけ？」

　悩んで行き詰まってしまう。

　図形の角度を求める問題だった。

「由希江お姉さん、大学生なんでしょ？　中学の数学が分からないのに大学生になれたの？」

「二十一世紀ではね、べつに受験で数学を使わなくても簡単に大学生になれるの。推薦やＡＯ入試も一般的になってて、学科試験を受けずに大学に入ってる子もいっぱいいるから、その辺の中学生以下の学力の大学生も多いのよ。大学の数も恵子ちゃんのいた時代と比べたらかなり増えてるわよ。十八歳人口は減ってるみたいだけど」　

「そっか。五代○作や勉○さんや甚○さんもこの時代なら浪人せんでも大学入れそうやね」

「甚○さんは、この時代でもまだ相変わらず浪人生活を楽しんでるわよ」

　由希江は笑顔で説明する。　

「そうなんか。やっぱ作中で歳は取ってないみたいやね」

恵子は自力で数学の宿題を片付けた後、

「秋元康さん、今もめちゃくちゃ活躍されてるんやね」「吉永小百合、もっとお婆ちゃんかと思いきや若々しい」「泉重千代さんの年齢、デタラメやったんか。現時点の男性世界歴代最長寿記録は木村次郎右衛門さんか。めっちゃ格好いい名前やね」「金○先生、シリーズ終わってもうたんか」「大阪にＵ○Ｊっていうのが出来てるんか。二十一世紀のテーマパークって感じでディ○ニーランドより面白そうやん。めっちゃ行ってみた～い。ハ○ーポッターっていうの、めっちゃ格好ええ」「東京スカイツリーなんてのも出来とるんや。これは未来の建造物って感じ」「宮崎駿さん、ナ○シカ以降はこんな作品作ってたんやね。もの○け姫ってなんか怖そう。風立ちぬって、松田聖子のちょっと昔の歌と同じやん」「高○名人が、禿げてしもうとるぅーっ！」「この時代って、消費税っていうのが出来てるの？」「郵便番号も七桁あるんか」「東京でまたオリンピックやるんやね」「新幹線も北海道まで繋がってはるんや。うちの時代、まだ本州と北海道、あと四国も鉄道で繋がってないで。おう、鹿児島までも繋がってるやん！　長野や北陸にも通ってはるし。車両、未来って感じの形やね。一回乗ってみた～い」「青函トンネルと瀬戸大橋は、一九八八年に完成するんか。淡路島も本州と、明石海峡大橋と大鳴門橋で陸続きになってるんやね。関西から四国までがめっちゃ近なったわけか。関西国際空港や、神戸空港も出来てはるやん」

　由希江のノートパソコンを立ち上げ、インターネットを通じて現在のエンタメ、社会情勢などを調べ、今の時代の知識を身につけていく。浦島花子状態から少しでも脱却するためだ。

「もうこんな時間か。時間経つの早ぁっ！」

「これがネットの魔力よ。ワタシも気が付いたら明け方になってたこともあるし」

「ファ○コン以上やね」

　あっと言う間にまもなく日付が変わろうという時刻となった。

「恵子ちゃん、二十一世紀のアニメ、見てみる？」

「うん、見たい、見たい。あたしアニメ大好き♪」

「八〇年代から来た恵子ちゃんには、これの４話がお勧めよ」

　由希江は広島県竹原市を主な舞台にしたとあるアニメのブルーレイを専用ケースの中から取り出し、パッケージを開けディスクを出す。

「これが二十一世紀のレーザーディスクかぁ。ちっちゃ」

　恵子はその円盤に興味津々だ。

「恵子ちゃんのいた時代はレーザーディスクやビデオテープが主流かな。それも今は生産されてなくてＤＶＤ、ブルーレイが主流になってるの。カセットテープもＣＤに変わってるわ」

「おう、ここでもまた進化が。本当に情報通信技術の進化は凄まじいみたいやね」

「映像もぐぅーんと良くなってるわよ」

由希江はプレイヤーにセットし再生する。

　ＯＰが流れ出し、

「けっこういい歌やねー」

　恵子は楽しそうにうっとり聞き入る。

　途中で作曲者のクレジットが流れると、

「おう、ユーミンやん！　本人？　この時代じゃアニメの曲も作ってはるんか」

　恵子は二四インチの画面にぐぐっと顔を近づける。

「恵子ちゃんのいた時代でも、すでに松任谷由実さんは有名みたいね」

「うん、あたしが小学生の頃から有名なんよ」

「そっか。あの人も歌手歴長いわね。ちなみにこのアニメ、二期のＯＰは大貫妙子さんが作詞・作曲してるわよ」

「メトロポリタンミュージアム歌ってる人やん。この時代でもご活躍されてはるんやね」

　本編が始まってしばらくして、

「このシーンに注目してみて」

　由希江は注意を促す。

それから数十秒眺め、

「このご両親の声、ひょっとして、あ○るとラ○ちゃん？」

　恵子は興奮気味になる。

「その通りよ。これはわりと最近、二〇一一年の秋に放送されたアニメなの。共演してるってネットでも話題になってたわ」

「三〇年近い時を越えて別のアニメで見られるなんて、これは感動だよ」

「二〇一三年の夏に放送された二期にも登場してたわ。二期最終回のＥＤでは松任谷由実さんの『最後の春休み』のカバーソングが流れたよ」

「その歌、あたしも知ってる。小学校の卒業式で歌ったよ」

「恵子ちゃんは好きな声優さんはいる？」

「ラ○ちゃんとあ○るの平○文さんと古川○志夫さんに、永井○郎さん、千○繁さん、三ツ矢○二さん、日高の○子さん、吉田○保子さん、堀江美○子さん、田中○弓さん、野沢○子さん、小原乃○子さん、杉山佳○子さん、千々松○子さんが特に好き」　

「たくさんいるのね。それじゃ、次はこのアニメを見てみる？」

　由希江は今見ているアニメが終わると、二〇一〇年に放送され大ヒットした音楽系アニメのブルーレイに取替え再生する。

「千々松さんも、今はお婆ちゃん役かぁ。時代の流れが実感出来たよ」

「今放送中のアニメも、もうすぐ始まるわよ」

「えっ！　もう日付変わってるよ。良い子のお休みタイムのこの時間にアニメやってるの？」

「うん、今の時代はアニメはゴールデンじゃほとんど放送されてなくて、むしろ深夜がメインになってるのよ。九〇年代末から深夜アニメの時代になって来たの」

「そうなんや」

「アニメの放送数も、恵子ちゃんの時代とは比較にならないくらい多いわよ。新作アニメが年に百数十本は作られてて、首都圏では地上波だけでも週に八〇本くらいは放送されてるわ」

「そんなに！！　すっごーい！　二十一世紀はアニメ天国やね」

「ただ、三ヶ月から半年で終わっちゃうケースが多くって、昔のアニメみたいに何年にも渡って放送されるのはほとんど無くなってるの」

「そうなん？」

「だから話題にもならず、すぐに忘れ去られるアニメもいっぱいあるのよ。この先何十年にも渡って語り継がれるようなアニメが作られにくい状況になってるわね」

「そっか。多けりゃいいってもんでもないもんね」

「これから始まるアニメも、今年七月に始まったばかりだけどもう次で最終回よ」

　由希江はテレビの電源を入れ、チャンネルを合わせる。

　午前一時。とある深夜アニメの放送が始まった。

「テレビを見る時は、部屋を明るくして画面から離れて見て下さい。二十一世紀ではこんな中止も出るんだ」　

　流れたテロップを見て、恵子は感心気味に呟く。

「一九九七年十二月十六日にポ○モンのアニメで、激しく点滅する画面に集中し過ぎたのが原因で光過敏性発作になって、病院に運ばれた子どもが大勢出た事件があって、それ以降こういう表示がされるようになったそうよ。お母さんから昔聞いた」

「そんなことが起こってたんか。あたしもテレビ画面についつい夢中になっちゃうタイプだから気を付けなきゃ。うわっ、女の子のシャワーシーンや。けっこうエッチぃ」

　恵子は画面にぐぐっと顔を近づける。

「恵子ちゃんにはちょっと刺激強過ぎたかな？」

「いやぁ、それほどでも。まいっちんぐマ○コ先生でもこんなシーンいっぱいあったし。それよりなんで乳首不自然に隠してるの？」

「この時代は規制が厳しくて放送出来んのよ」

「そうなん？　あたしのいた時代じゃ夕食時でも乳首出しとるのに」

「昔は寛容だったみたいね。この時代じゃパンツもＮＧになる放送局もあるのよ」

「映像がきれくなり過ぎたからなんかな？」

「それも一理あると思うわ」

　ベッドにうつ伏せで寝転び、会話を弾ませながら引き続き視聴を楽しむ二人。

　恵子の方はだんだん眠くなって来たようで、Ｂパートも後半に差し掛かった頃にはぐっすり眠りついていた。

「やっぱり中学生はまだまだ子どもね」

　由希江は恵子の寝顔をちらっと眺め、にっこり微笑む。

　由希江はこのアニメ終了まで見て、

「それにしてもお母さんの昔のノートから飛び出てくるなんて、摩訶不思議なことがあるものね。この子、ワタシの新作マンガのモデルにしようかな」

　恵子の頭をそっと撫で、電気を消すと同じ布団に潜り込んだ。