lyrics.A

 18禁の同人誌を描いていた時に、原作のファンから苦情が届いた。要約すれば「おまえにはクリエイターとしてのプライドが無いのか」という事だった。


 無知にも近い言動を斬り伏すのは容易い。確かに、健全な王道展開の作品で、ヒロインが、名前のないモブ男にレイプされるだけの話など、純粋なファンを自認する信者にとっては許せなかった気持ちも分かる。


 わたし自身、後ろめたいと感じる気持ちがまったく無かったわけじゃない。いつの日か、それが本当に悪い事であれば、裁きの日がやってくるかもしれないと思っていた。

 そして昨晩、わたしにとって、服を着た因果応報とでも呼ぶべき存在は言ったのだ。


 ――澤村さん。貴女の失恋を、幼き日の過ちを、真実の物語という形に変えて、この世に晒したいの。協力して頂戴。


 良い事をすれば、いつか自分の下に巡り、悪い事をすれば同じく還ってくる。それがこの世の定めだというのであれば、次に同じ目に合うのは、わたしの隣で眠る彼女をおいて他にはいないはず。


「……ねぇ、起きてる? 霞ヶ丘詩羽……」


 同じベッドで眠る彼女の横顔を見つめ、問いかけた。


「……アンタって本当、性格悪い……うぅん、良いとか、悪いとかの次元じゃないわ……人間として、間違ってるんだから……」


 良い作品を作りたい。と願うクリエイターの気持ちには上も下もない。ただ、一流と呼ばれる類の人間は業が深い。目的を達成するなら手段を選ばないし、他者の気持ちを慮ってなお〝自らの欲望に忠実であろうとする〟。


「正しいのは、わたし……なんだから……」


 欲望に忠実である以上、一次創作も、二次創作も、根っこは一緒なのだ。そんな言い訳じみた着想に、確実な相互理解は存在しない。わかっていて、傷つくことを承知で描く。同じ穴の狢というやつだ。


「……返事ぐらいしなさいよね……」


 返事を、あまつさえ答えを求めているわけでもないのに、情けない言葉がついて出た。ほんの少しだけ、窓の外が明るい。カーテンの隙間からこもれる光の色彩が、もう少しだけ眠っていてもいいんだよと告げている。


「……本当に救いがないわよねぇ、アンタって……」


 霞ヶ丘詩羽の頬は赤い。ついさっき、わたしの右手で打たれたからだ。すでに腫れは引いているし、痛みも明日には消え去ってしまうだろう。だけど美しいその横顔に、消えない痕が残るほどの怪我を負ったとしても、霞ヶ丘詩羽は一歩も引こうとしなかっただろう。


「終わってる」


 一人の女であることよりも、作家という経済生物であることを良しとする。彼女は本当に救いがない。誰よりも賢く、貧窮してるわけでもなく、いくらでも人気作品を書き続けることができるのに。


 同人ゴロが好む、エログロに満ちた創作物の模造元オリジナルだって、彼女なら計算の上で書けるだろう。けれど、彼女の中に潜む信念が邪魔をする。


 思い出す。伝えられた想いを再現する。


 ――世間の評価が二分にわかれても、たった一人の理解しあえる信者に裏切られても、わたしはそれを書きたいの。澤村・スペンサー・英梨々をイラストレーターとして召喚し、読者の胸をえぐり取るような、救いのない悲恋を、この世の真実を描きたい。これは一人ではけっして完成できない。貴女が不可欠なのよ。


 加工できない、完成された物語。それが如何に困難であるかは、同人ゴロと呼ばれた経験のある、わたしをおいて他にいない。


 他の人気作品に寄生してきた生き物が、総本山ともいえる人物から頼まれる。


 それがどれほど、幸運か。どれだけ因果を呪い、感謝したことか。断れるはずがない。断れるはずがないことを、彼女もまた知っていた。


「……だから、手伝ってあげるわ。どれだけストーリーがクソでも、イラストが良かったら、最低限は評価されるんだからね……せいぜい、わたしの名声の為の犠牲になればいいんだわ……」


 わざと意地悪に笑ってやる。霞ヶ丘詩羽にとって、そんな敗北はありえないと知りながら、顔をよせ、耳元でささやいてやった。


「……次に、詩羽が地獄に突き落とされる瞬間を、わたしが隣で見届けてあげる……だから、見せて? ……詩羽のすべてを、見せてよね……?」


 音のない朝のしじまが、もう一度、浅い眠りへ誘おうとする。意識が落ちていく。心地の良いまどろみを受け入れたい。もうしばらく、二人きりで眠っていたい。


「おやすみ、詩羽……」


 昨晩に交わしたやりとりを、今度は一人で繰り返した。目を閉じる。彼女の眼差しを瞼の裏側でスケッチする。聴覚が規則正しい息づかいをとらえ、感じる。わたしのすぐ側に、霞ヶ丘詩羽がいるんだ。夢じゃないんだね。


 シーツの中から、そっと指先を伸ばしてみると、ほんのりと暖かいぬくもりが伝わってきた。心臓の鼓動までもが聞こえてきそう。


「……起きてるけどね?」


 黒に染まる世界のなか、意識の底へ不明瞭な声が響いた。幻聴、幻聴だから。


「なんだか貞操の危機を感じたから言っておくわね。おはよう? 英梨々」

「……」

「返事ぐらいしなさい?」

「な……なにも聞こえてないし、次に目を覚ましたらきっと忘れてるし……!」

「あぁそう?」

「ひっ!?」


 指先が絡めとられる。うっすらと力が込もった。


「やわらかい」

「どこさわってんのよ!?」

「指だけど」


 くすぐるように、ささやくように。くしゅくしゅする。

 幾万もの言葉を生み出してきた賢才なる五指が、まだ知らないなにかを確かめるように神経の中にまで触れてくる。


「ねぇ、起きてくれないと、一時の気の迷いでもっとするわよ? 触れまくるわよ? ありとあらゆる感触を指先に記憶して余すことなく作品の中で語るわよ?」

「か、霞ヶ丘詩羽ぁ! ……あ、アンタってやっぱり性格悪い! なんていうか、こう、空気ぐらい、読みなさいよね!?」

「読んだから、朝チュンを迎えた恋人ごっこに付き合ってあげてるんじゃないの」

「誰か恋人だー!」

「キスでもする? 写メ取って脅迫材料にして拡散希望する?」

「ふざけるなゲス女ああああぁー!」


 起きた。最悪な目覚め方だった。


「……あ、危ないところだったわ。あと一歩で犯られるところだった……エロ同人みたいに!!」

「それが言いたかったのね? 必死にキャラ付けして、哀れな子……」

「うっさい、黙れ、もう帰れバカァー!」


 とりあえず、枕をぶつけておいた。

 霞ヶ丘詩羽なんて、大嫌い。

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