##3 神官長Xの献身(4)


 思い返せば彼女と過ごした日々は、とても鮮やかに色付いていた。

 時には喧嘩をし、時にはとんでもない事件に巻き込まれ、時には呆れ返って、時には笑い転げることすらあった。

 それはまるで、賑やかなパレードの中に身を置いているかのような毎日だ。

 彼女の気質は何年たっても変わらず、自堕落に振る舞っているかと思えば、無邪気に周囲を翻弄する。

 それは決して、女神として相応しい態度とは言えない。

 しかし私は、いつまでも変わることのない彼女だからこそ、そこに安堵を覚えるのだということに気が付いた。


(彼女を護っているつもりで、彼女の存在に救われていたのは私の方だったかも知れないな)


 幾度となく櫛で梳いた黒髪を、手慰みに指に絡めていると彼女がふいに瞼を開けた。

 彼女はまだ夢うつつの表情で私を見上げる。


「おはようございます。相変わらず、寝坊助ですね」

「あー、おはよう神官長……。なんか懐かしい夢を見たよ。誰かが結婚するんだって。相手の家に挨拶に行ったらお義父さんに殴り飛ばされてて――、」


 寝ぼけ眼でそんなことをつらつらと口にしていた彼女だったが、徐々に意識がはっきりしてきたのか、目を見開いていく。丸く大きいその目は、じわじわと涙で潤んでいった。


「し、神官長うぅぅっ!」


 子供の玩具のように飛び上がり、ひしっと抱き付いてくる彼女の背中を私は優しく撫でる。


「やっぱり辞めちゃ嫌だよぉぉぅ」

「無理です」

「取りつく島もないぃぃ」


 えぐえぐと泣きじゃくりながら、彼女は私の胸に顔を埋める。私はぽんぽんと頭を叩いた。


「そんなに泣かないで下さい。何もこれが永遠の別れと言うわけではないのですから」


 そう慰めつつも、しかし私はそれは恐らく真実ではないと分かっていた。




「会って行かれなくても良いのですか?」


 退任後ただ一度だけ、神殿に足を踏み入れた先代神官長に、私は尋ねた。

 人伝には、互いに反目し合って職を辞したと聞き及んでいた先代だったけれど、こうして話をすればそれが真実でないということは容易く知れた。


「顔を見せれば、彼女もきっと喜ぶと思うのですが?」


 もし別れの時に何らかの行き違いがあったのだとしても、彼女ならば久しぶりに会う先代を歓迎するだろう。

 そう思っての提案だったけれど、先代は首を振った。


「彼女にはもう君がいるからな。わたしはもう顔を見せない方がいい」

「何故ですか? 神官長と言うのは彼女のもっとも親しい家族だと言っていたじゃないですか」


 家族に会えれば彼女だって嬉しいはずだ。私はそう主張するが、彼は僅かな笑みを口もとに浮かべたまま、静かに否を唱える。


「家族だからこそ会わない方がいいということもある。いつか君にも分かるだろう。それに自分はもう――、」




(彼女の事を、女神とも家族とも思えなくなってしまったのだから、か)


 私はかつての先代の言葉を思い出す。

 それはともかく、家族であるからこそ会えないというのは、確かに私も理解するところだった。

 共にいる月日が長ければ長いほど、その間には見過ごすことのできない隔たりがあると気付かざるを得ない。

 すなわち――いつか必ず、私たちは彼女を置き去りにして死ぬということに。

 幾度となく親しい者との別離を繰り返させるくらいなら、彼女への敬愛も慈しみも全て次代に託し、自らは静かに舞台を去った方がいい。

 それが、先代同様に私が得た結論だった。


「あなたのことは、ずっと手の掛る妹のように思っていましたよ」

「わ、私もぉぉ」


 彼女はずびずびと鼻を鳴らしながら、ぐりぐりと顔を胸に擦り付ける。

 そのまま鼻汁を擦り付けようとしたので、手で押しのけ顔をのけぞらせると彼女はバツが悪そうに笑った。

 そして感情の高ぶりが落ち着いたのか、涙を拭いながら言う。


「私ね、神官長はこのまま結婚できないのかと思っていたよ」

「余計なお世話です」

「やっぱりは式は神前式にしない? 私二人の前で、汝健やかなる時も病める時も病み上がりの時も病み始めの時も共にあることを誓いますかって言いたい」

「病んでばっかりじゃないですか、縁起でもない」


 私はため息をつくと、改めて彼女に言う。


「いいから、そろそろ準備をしてください。私の後任の者を紹介しますから」

「うん。ねえ、神官長……ううん」


 彼女は自分が何度もそうされて来たように、彼女に憧れ、長く伸ばした私の髪に触れながら言う。


「ハナちゃん、幸せな花嫁になってね」


 真摯な表情で、躊躇うことなく告げられたその言葉に、私は胸が詰まるような感覚を覚える。


「あなたもですよ。私の女神」

「大丈夫、私は皆のおかげでとっても幸せだから」


 心からのものと分かるその言葉に、私は目を細めて笑みを零した。


「そう言えば、神官長は結婚したらその後どうするの?」 

「相手の田舎で、祠の管理の手伝いでもしようかと――、」



 そんなことを話しながら、私は幾度となく足を踏み入れた部屋を出ていく。

 これは、誰の人生にも一度は起こりうる、良くある別れの光景。

 けれど満ち足りた日々の記憶がある限り、それは悲しいだけのものではないのだと、私はすでに知っていた。











 ※  ※  ※  ※





 ほとんど寝るためだけに使っている、殺風景な部屋である。

 我ながら面白みに欠けると思うそこで、主である自分以外の存在が眠りについていた。


「起きてください、朝ですよ」


 そっと布団の上から揺り起こすと、彼女はしばらく嫌がるように身じろいでいたものの、はっとしたように慌てて上体を起こした。


「おっ、おはよう。神官長」


 彼女はわたわたと布団から這い出す。


「ベッド取っちゃって、ごめんね。鼠は無事駆除できた?」

「ええ、こちらこそご不便をお掛けしました」


 鼠が出たという理由で部屋を追い出された彼女は、疑う事もせずほっと胸を撫で下ろしている。

 彼女は自分の見知った神官に、己の私利私欲を満たすためだけにその身を利用されていたとは気付いていないだろう。

 私はそのことに心から安堵した。


「ううん、神官長の部屋にお泊まりだなんて初めてだから楽しかったよ」

「面白みのない部屋で恐縮でしたが」


 もっとも彼女が面白がる部屋だというのも、それはそれで問題があると思いもするが。

 奇妙奇天烈なカラクリ部屋のようなものを思い浮かべている私に、彼女は言う。


「そうかな。神官長がどういう趣味で、どんなものが好みか分かって良かったよ」

「そう、ですか」


 思いがけない言葉に私は返す言葉が浮かばず、躊躇いがちに相づちを打つ。彼女はさらに続けた。


「うぅむ。だとすると、もしかするとこれは趣味じゃなかったかも知れないなぁ……」


 失敗したかも、と彼女は言いながら、枕の下からおもむろ何かを取り出した。私は促されるままに、リボンで結ばれた包みをそっと開く。


「それが原因で怒られちゃったみたいなものだけど、大切なのは物じゃなくて気持ちだものね!」


 よく分からない理屈を言い張って、彼女はえへんとうなずく。

 包みから出てきたのは、一枚の櫛だった。


「神官長、私の髪をといてくれるとき少し羨ましそうにしていたでしょ。でも神官長だって、伸ばせばすごく綺麗な髪のはずだから」


 そんなに短くしているのは勿体ないよ、と彼女は笑う。

 一体いつの間にだとか、どこからこれを等と考えるまでもない。あの騒ぎの時に彼女が買ってきたものだとすぐに分かった。

 ぜひとも使ってね、という彼女に、私はただただ唖然とする。


「しかし、これを頂く理由が、ありませんよ……」

「え、そんなことないよ。だってそろそろでしょ?」


 彼女は、無邪気に破顔する。


「神官長が神官長になってくれてから、一年になるのって」


 その言葉に私ははっと気付く。

 すでにそれだけの月日が経っていたことに、私はちっとも気付いていなかった。


 そして、その後も賑やかな日々は、短かった私の髪が彼女と同じくらいまで伸びてもなお長く、変わらずに続いていくのだった。








【おまけ】


女神「ねえ、神官長。昨日は久しぶりにハナちゃんの夢をみたよ」

神官長「ハナ神官長か。神殿の規則で、女神に対する週に一度のヘアトリートメントを明文化した伝説の髪フェチだったな」

女神「マジですかっ!」



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