番外編

夢から覚めた夢から覚めた夢

##1 イヘイの場合


 今日は僕が神官として、疫病の神殿に勤める最初の日だ。

 運良く魔術師としての才能に恵まれ、また医者として働きたい希望を持っていた自分にとって、これほどぴったりな勤め先は他になかった。

 医術と医療魔術の両方の力を使い、貧富の差なく病に苦しむ人を救うことを旨とする疫病の神殿は、人々にとって憧れと尊敬の対象となっている。

 また、他の神殿と何より違うことは、ここには疫病の女神様が、祭神として実在していることだろう。

 およそ二七七年程前、この世界に降り立ち、恐ろしい伝染病を、その血肉によって滅してくださった女神様は、いまだこの地に留まり僕たちを見守り続けて下さっているのだ。

 彼女に恥じない神官になることが、当面の僕の目標だった。



 初日である今日は、教育係を担ってくれる先輩神官が迎えに来てくれるらしい。

 神殿の控え室でその人を待っているうちに、どんどんと僕の緊張は高まっていった。

 果たして、僕はこの神殿に無事に受け入れられるのだろうか。

 神官として認めてもらうことができるのだろうか。

 不安に駆られて、生来気が弱く緊張しやすい僕の心臓が、ばくばくと音を立て鳴り始める。

 どうにか気持ちを鎮めようと、僕は窓の外を歩く参拝者の人数を、無心になって数えていた。



「えーっと、君が今日から配属された新人の?」


 どうやら集中しすぎたらしい。

 背後から声を掛けられて、飛び上がるほどに驚いた僕は、振り返りざま慌ててお辞儀をする。


「そ、そうです。医療神官として配属になりましたイヘイです。宜しくお願いしますっ」

「よろしく。あと、オレもそんなに年は違わないから、そんなに緊張しなくていいよ」


 気さくそうな声にホッとしたのも束の間。

 見上げた視線の先に飛び込んできた相手の姿に、思わず後ずさってしまったのはし方ないだろう。

 そう言って笑ったのは、まるで熊のように大柄な青年だった。

 神官と言うよりはプロレスラー、あるいは百歩譲って武装神官が似合うけれど、その腕章が示すのは自分と同じ医療神官の所属だ。

 そして、確かに年はそれほど離れていないようで、純朴なその顔にはどこか悪戯少年のような雰囲気も持ち合わせている。


「オレはケント。あんたと同じ医療神官だ。よろしくな」

「えっ、じゃあ貴方があの伝説のケント先輩ですか!?」

「ありゃ、後輩だったのか」


 思わず口走った僕の言葉に、ケント先輩は伝説なんて大袈裟なと可笑しそうに笑う。

 しかし、僕の入学より前に魔術学校を卒業した彼は、僕が卒業する段になってもまだ語り継がれる存在だった。

 何しろ、飛び級で卒業したばかりか、在学中に甲種魔術免許と医療魔術免許を同時に取得した挙句、魔術庁からの勧誘を蹴ってこの疫病の神殿に入ったすごい人なのだ。

 魔術学校でも、先生達が優秀な卒業生として真っ先に上げる例えとなっている。

 この神殿に勤めることが決まって、お会いする機会があるかも知れないと期待はしいてたけれど、まさかこんなに早くお目にかかれるとは思ってもいなかった。


「ケント先輩は、なんで疫病の神殿に勤めようと思ったんですか?」


 さっそく事務所に案内され歩きながら、僕は長年抱いていた疑問を、ここぞとばかりに本人にぶつけることにした。

 何しろ、甲種魔術免許を取得するなんてエリート街道を約束されたも同然だし、彼ほど優秀なら、もしかしたら魔術協会からだってスカウトがあったかも知れない。

 疫病の神殿は確かに人々の尊敬を集める立派な職場だけれど、給金のほうはさほど高いとは言えないのだ。


「オレ、田舎の小さな村の出身なんだけどさ。子供の頃、その村を女神様に救ってもらったことがあったんだ」

「そうなんですか。じゃあ、その恩返しに?」


 救うだなんて日常で使うには大袈裟な言葉だけれど、世界を救ったことのある女神様ならば然もありなんと納得できてしまう。

 しかし、ケント先輩はちょっと困ったように苦笑する。


「まあ、恩返しもあったかな。でもそれ以前に、女神様と約束してね」

「そうなんですかぁ!」


 僕は思わず感心してしまった。子供の頃の約束を律儀に果たす先輩もすごいし、約束を果たす原動力となったであろう女神様の威光に、ますますの憧れを抱く。


「そう言えば、ケント先輩は疫病の女神様に拝謁されたことがあるんですよね。どんな方でしたか? やっぱり神秘的で、素晴らしい女性でしたか?」

「ぶふうっ!」


 頭の中でたおやかで美しい、光り輝くような女神様のお姿を想像していた僕は、隣から聞こえた異音に思わず振り返る。


「あの、どうしました?」

「いやいやいや」


 ケント先輩は、お腹を押さえながらヒクヒクと肩を震えさせている。急にしゃっくりでも出たのだろうか。


「そうだなぁ。女神様は何というか、はた迷わ――えぇっと、親しみやすくて気安い人だな」

「そうなんですか。下々の者にも気さくに接して下さるなんて、随分と心の広いお方なんですね」

「まあ、本人にお会いすれば分かるよ」


 笑いながらそう言われて、僕は思わず期待に胸が膨らむ。

 確かに僕もまた神官となった以上、御尊顔に賜る機会もあるはずだ。

 実際にそんな機会に恵まれたとき、果たして緊張のあまり失敗をしてしまわないかと、早くもそんな不安が頭を過ぎる。

 忘れかけていた緊張が、再び顔を出し始めた。


「あ、そうだ。イヘイ、神官証って支給されているか?」


 奥まった扉を一つくぐったところで、ふいにケント先輩が僕に尋ねた。


「いいえ、まだ神官服と腕章しか貰ってないです。他の備品はもう少し時間がかかると」

「そうだよなぁ。この先の扉って、神官証を通さないと入れないんだよ。ちょっと受付に戻って代わりの来賓証を取ってくるから、今日はそっちを使ってくれ」

「え、悪いですよ。そんなわざわざ」

「今はオレと一緒だから大丈夫だけど、何かあったら不便だろ。すぐ戻ってくるから、ちょっとここで待っていてくれ」


 ケント先輩はそう言うと、すばやく来た廊下を戻っていく。身体は大きいのに、足音はほとんどしないのがさすがだ。

 ここの廊下は、礼拝堂よりも奥まったところにあるだけあって、一般の参拝客もおらず静かなものだった。天井も高く、壁も床も白いため、清潔感がある反面、少し余所余所しくも感じられる。

 だけどそれも、僕がこの神殿に馴染めば気にならなくなるのだろうか。


 そんなことを考えていると、ふいに目の前の扉が勢い良く開いた。静寂を打ち破るその音に、僕は驚きのあまり声を上げてしまう。


「あっ、ごめんね。びっくりさせちゃった?」


 廊下に飛び出してきたのは、一人の女性だった。神殿の巫女が着ているのと良く似た服装をしているけれど、腕章は着けていないので所属は分からない。

 まだ二十代だろう彼女は、まじまじと僕を見て首をかしげた。


「ええっと、なんか見たことない気がするんだけど、新人さん?」


 長い黒髪が、さらりと肩を滑る。僕は頷いた。


「はい、今日からこの神殿に配属となりました医療神官のイヘイです。宜しくお願いします」


 誰か分からないものの深々と頭を下げると、彼女は丸っこい目を瞬かせて、人好きのする笑みを浮かべた。


「そうなんだ。じゃあ、仲良くしてね」

「はい。……あの、疫病の神殿の方、ですか?」


 これで、来客とかだったりしたら恥ずかしいと思いつつも尋ねると、彼女は頷いた。


「そうだよ。こう見えて、私はここで一番の古株だから。分からないこととかあったら、何でも聞いてよね」


 自慢げに笑って、彼女は立てた指を二本、こちらに向ける。つまり二十年ほど、在籍しているということだろうか。

 彼女の年齢を考えると、何か事情があって子供の頃から神殿に預けられていたという事なのかも知れない。

 それを考えると、年の割には世間ずれしてない彼女の雰囲気にも、納得がいく。


「はい、何かあったら宜しくお願いします」


 僕が頭を下げると、彼女はうむうむと満足げに頷いた。


「じゃあ、私は急いでいるのでこれで。また会おうね」

「はい」


 彼女はひらひらと手を振ると、僕が入ってきた扉をくぐってどこかへ向かう。


 それから、さらに待つことしばらく。ケント先輩が戻ってきた。


「待たせちゃったな。悪い悪い」

「いえ、通りがかりの神殿の方に御挨拶したりしてましたし」

「ふぅん、この時間に外殿にいるっつと誰だろう」


 そう言えば、名前を聞き忘れたなと思いつつ、入館証の使い方などを聞きながら歩いていると、今度は目の前から四十手前くらいの男性が急ぎ足で歩いてきた。


「おや、神官長。どうかされましたか?」

「ケントか」


 低い声でケント先輩の声に答えたのは、銀髪に青い目をしたかなりの美男子だった。

 そこらのモデルや俳優などでは太刀打ちできないだろうというぐらい整った顔立ちをしているけれど、深く眉間に刻まれた皺と険しい表情がせっかくの色男ぶりをダイナシにしている。


「い、イサ神官長っ!」


 僕は反射的に直立不動の体勢をとる。

 さすがの僕も、この男性の事は良く知っていた。とは言っても、直接顔をあわせたのは面接の時一回だけだ。

 疫病の神殿のイサ神官長と言えば、女神様からの覚えも篤く、この神殿を掌握している影の権力者ともっぱらの噂の人だ。

 そして、立場的には僕の上司に当たる人でもある。


 緊張で凍りつく僕に、イサ神官長はその青い目を向ける。

 イサ神官長の氷の眼差しといえば、一部のコアな信者ファンからは暴言とともに見下されたいともっぱらの評判だ。

 もっとも僕にはそんな趣味はないので、正直勘弁して欲しいとしか思わないが。


「ああ、彼は今日からこの神殿に配属になった――、」

「知っている。確かイヘイと言ったな」


 言葉もなく、こくこくと頷く。

 まさか僕のような下っ端神官のことまで、御存知だとは思っていなかった。やはり優秀な人は違うなと、僕はひそかに驚く。


「話の早いことで。それで、そんなに急いでどうかされたんですか?」

「――お前達、女神様をどこかで見なかったか?」

「いいや、見てないですけど」


 僕もぶんぶんと首を振る。


「そうか」


 神官長は、小さく嘆息して踵を返す。その後姿に、ケント先輩が声を掛けた。


「もしかすると、また女神様に逃げられたんですか?」


 愉快そうな声に振り返った神官長は、射殺さんばかりの目でケント先輩を睨む。


「こいつは失敬」


 ケント先輩は首をすくめた。


「先輩、あのぅ……恐くないんですか?」


 僕は小声でこっそりと尋ねる。

 失礼だとか、怒られないのかとか思う以前に、純粋にそんなことが気になってしまう。

 しかしケント先輩は、悪戯っぽい顔で笑う。


「子供の頃から知ってる人だしな。それに、ああ見えて結構可愛いところもあるんだぜ」

「可愛いですか!?」


 僕は思わず目を見開く。

 いったい何を知っていれば、あの神官長を可愛いと思えるのだろうか。


「オレは十数年前に初めて会った時、イサ神官長と女神様は恋仲だと思ったんだよ。なのに実際は、それから十年以上たった今になっても、そんな気配が欠片もないんだぜ」


 破り捨てたオレの初恋を返せよな、とけらけらとケント先輩は笑う。


「聞こえているぞっ、ケント神官!」 


 廊下の先から神官長の鋭い声が飛んでくる。

 さらには、「下らないことを言っている余裕があるなら、来月の仕事量は増やしても大丈夫だな」と厳しい言葉も続いた。


「うわっ、横暴だなぁ」


 ケント先輩がこちらを見て同意を求めるように笑うけれど、ここはちょっと回答を控えさせてもらうことにする。

 それから、ほとんど歩く必要もなく辿り着いた扉の一つで、先輩は足を止めた。


「さて、とうとう事務所に着いたわけだが。他の皆に会う前に、緊張は解けたかな?」


 ケント先輩は両腕を広げて、にやり笑う。気がつけば、神殿に来てからがちがちに強張っていた緊張が解けていた。

 もしかすると彼は、僕の緊張を取るためにわざと神官長とあんなやり取りをしてくれたのかもしれない。


「おかげさまで。ありがとうございます」


 僕も笑って頭を下げる。


「じゃあ、改めて疫病の神殿にようこそ」


 ケント先輩はそう言って、扉の一つを開く。

 憧れの女神様とちょっと恐いけど優秀な上司、そして尊敬できる楽しい先輩のいるこの職場で、今日から僕もうまくやっていけそうな気がした。




 ――もっとも後日、疫病の女神様に拝謁した僕が度肝を抜かれる羽目になるのは、また別の話である。



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