ヌガーとともに去りぬ(7)

 ポップコーンになって容器の中でぱちぱち炒られている夢からセンは目覚めた。しかし目の前の光景が、普通目覚めたときに見る光景とあまりに違ったので、センはここがどこで自分が何でどこに行くのかさっぱりわからなかった。


 ぶううう、と音を立ててポケットの中で何かが振動していた。取り出すと、それは社章だった。これが振動しているときは何か重大なことが起こっているしるしだとどこかで聞いた覚えがあった。しかしどんな重大なことが起こっているのかはわからなかった。


 周りは真っ暗だった。遠くに星がきらきらとたくさん見える。身体はふわふわと浮いている。しかし呼吸はできる。生きてもいるらしい。


「宇宙……?」


 センはおそるおそる手を動かした。空をかいて身体のバランスが崩れ、一周回ってまたもとに戻る。修学旅行で行った宇宙センターにあった無重力空間に似ているが、するとここは宇宙センターなのだろうか。しかしそれなら『宇宙服体験はこちら』とか『お土産販売所』とかの案内板が見えてもよさそうだ。それに第一、自分はさっきまで会社にいたはずである。


「宇宙センターでは無いですよ」


 ぎょっとしてセンが声のほうを向くと、そこには懐中電灯を持ったエリアマネージャーがいた。センと同じようにふわふわと浮いている。自分に光をあてているので、エリアマネージャーの姿と、その後ろの荷物置きだの洗面所だの座席表示だのを見て取ることができた。


「航宙船、ですか?」

「そのとおり。危機的な状況でしたので、惑星脱出プログラムが作動したのです。ロボットたちがあの場にいた人間をかき集めて船に放り込み、船は惑星を次々離脱しました」


 すい、とエリアマネージャーは近くへ寄ってきた。


「その、他の人たちは?」

「別の船です。この船には私たち二人だけです」

「何でですか?」


 センがそう言うと、エリアマネージャーはつつつと目と鼻の先までやってきた。ぞっとするような笑みを浮かべている。


「何でか、ですって? いかに地球人とはいえ、それがわからないほど愚かではないでしょう。何でかって? こう言いましょうか、『あなたが銀河を破壊したからですよ』と」


 そう言って、エリアマネージャーはヒステリックに笑った。悪魔も急用を思い出しそうな笑い声だった。


「ええっ」

「まあ、まだ最終的な破滅まで少し時間はあります。それまでにとっくり、あなたのやらかした事について説明してあげましょう。あなたが壊したあの機械、あれは確かに我々が作ったものです。プロジェクト――そう、『銀河拡張プロジェクト』のためにね」

「銀河拡張?」

「そう。このごろ弊社の売上も伸び悩んでましてね。目標達成のためには、営業エリアの拡大が急務と課題に上がってました。それで、数十億年後に発生するはずの、当銀河とアンドロメダ銀河の衝突を早め、エリアの早急な拡大を実現しようとしていたのです。具体的に言うと、アンドロメダ銀河と当銀河の間の空間を湾曲し、かつ一部を除去することによって距離を縮め、銀河の速度を上昇させます」


 センは頭の中でエリアマネージャーの語った計画をイメージしようとした。二つの銀河を思い浮かべたところまでは良かったが、その後空間を湾曲するところでもうだめになった。


「ただ、その後の検討で、衝突速度が速すぎるのと軌道の関係上で、この計画を実現すると当銀河のハビタブルゾーンが重力的にぐちゃぐちゃにかき回され、いくつかの星は完全に破壊されることがわかったのです。ですので、この計画はクローズ作業を行っていました。ついさっきまでね」

「……なるほど」


 窓の外は漆黒に暗く、大気に遮られずに見える星々が美しい。センは少し外を眺めた。そうすると気が落ち着いて、エリアマネージャーの言ったことならびに今日これまでに起こったことをきちんと飲み込めるのではないかと思ったのだが、効果は一向に現れなかった。


「あの機械も慎重に分解され、破棄されるはずだったのです。あなたが破壊して暴発を誘導し、結果として銀河をめちゃくちゃにしなければね」

「えーと……銀河がめちゃくちゃになったというのは……」

「先ほど言ったでしょう。この銀河のハビタブルゾーンはその九割が破壊されました。そして残った星は、銀河衝突による破壊を待つ状態になっています。すべてあなたとあなた達のおかげですよ。よかったですね。ほら、あそこに光が見えるでしょう? あれは先ほどまでいた惑星が粉々になった様子です」


 センはエリアマネージャーの指差す方向を見た。たしかに惑星が粉砕され、破片が宇宙空間に広がった様子がみえる。隕石落下ものの映画で序盤に出てくるコンピュータシミュレーションの場面のようだ。


「緊急脱出はしたものの、船はワープ可能ゾーンまでは行けないでしょう。通常ルートもだめになってますし」

「へえ」

「つまり皆死にます。それで私は、残り少ない生涯を、残り少ないものにした当の犯人と語り合って過ごすことにしたわけです」

「そうしたいんですか?」

「どうでしょうね。しかしあともう少しでどちらでもよくなるわけです。何しろ生命という生命が無くなってしまうわけですからね。もう一度進化を原生生物からやり直すわけにもいきませんし」


 センは昔博物館で見た、海に生きていた長細い生き物や、海底を這いずり回る甲虫生物などを思い浮かべた。自分のご先祖様ということだったが、話の通じるご先祖様ではなさそうだった。


「何とかならないんですか」

「どう思います?」

「何とかならなそうです」

「そうです、何ともならないんです。言われるまでもなく、事件が起こってから一秒の間に私はありとあらゆる解決手段を検討しました。空間の歪曲を元に戻すだけならいくつか手段はあります。しかし、すでに生じてしまったものを元に戻すのは……」


 そう言って、エリアマネージャーは一旦言葉を切った。


「理論的には可能ですが、現実的には莫大なエネルギーが要ります。極超新星がいくつかあっても必要の百分の一も満たしません。銀河じゅうのエネルギーを集めてもまだまだ不足です。というわけで我々はすでに詰みの状況にあるわけですね。どうです、ご感想は」


 沈黙が船の中に満ちた。暗い暗い船の中、空調の出す低い音だけが響く。


 センは現在までにあった幾つかの出来事を自分の中で考えてみた。ばらばらにしてみた。並び替えてみた。重ねてみた。


 答えは出なかった。というより、何が問なのかがそもそもわからなかった。


 わかっていたのは、そろそろ死ぬということだけだった。自分だけでなく、銀河全体のありとあらゆる生き物が。


 あまり実感はなかった。


「えっと。悲しいことですね」

「たいへん悲劇的です。数十億年に一回しか起きない、まさに記録的な悲劇ですね。記録的な悲劇というのは、たいてい記録ができなくなるほどに悲劇的なので、この出来事を後世へ残すことができないのが残念でなりません。あなた達テロリストどもが我々の警告にわずかでも耳を傾けていればこんなことにはならなかったのですが……」

「なるほど……しかしですね、一つ誤解があるのではないかと考えておりまして……」

「この状況で解かなければいけないほど大切な誤解なのですか?」

「自信はないですが。えっとですね。これを引き起こしたのは……というか、あの機械を壊したのは……私ではないです」


 エリアマネージャーはたっぷり十秒沈黙してから口を開いた。


「……どういうことです?」

「それが私にもよくわからないんですが。私はあの時、地上にいたんです。その前は第四書類室に。それで屋上の様子を見ていたら、私と同じ名前の私と似たシルエットの人間が現れて、そして機械を壊したんです」

「ふむ」


 エリアマネージャーはまた十秒沈黙した。


「少しテストさせてください。一足す三は? 十進法です」

「四」

「六十引く七は?」

「五十三」

「μをn次元のユークリッド次元上ルベーグ測度としたとき、可測集合Ωが」

「すいません、たぶんそれわからないのでもうちょっと易しい正気度チェックしてもらってもいいですか」

「ああそうか、あなたは地球人でしたね。じゃあもう大丈夫です」


 エリアマネージャーは空中でゆっくり回転しながら、何かを思案している様子だった。


「ここ何日かで、おかしなことはありませんでした? 例えば、先を鋭くした絵筆が刺さっていて中にイソギンチャクがたくさん詰め込まれたスリッパが、三つ重なってまな板の上に乗っていたりとか」

「あ、ああ。ありました」

「ああ、神よ! じゃなかった、まあいいです、神よ!」


 エリアマネージャーがいきなり大きな声を出したので、センは驚いてくるくる空中で回転し、天井の案内板にぶつかった。

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