友達にはなれない、親子にもなれない

 ハーネラ邸の玄関前、サイゴは一応の確認を取った。

「ミリヤさん、こちらの方は……お父さん、ですよね? 髪以外は写真とうり二つだ。それともご兄弟?」

「いえ、本人です」

 ミリヤは申し訳なさそうに言った。ちらりと父を見上げて、「やっぱり、マインドワイトでしたね」ぼそぼそとつぶやく。

 ニフリートはけっと吐き捨て「悪かったな」と悪態をついた。あの、とかその、とか、別に文句を言ったんじゃないのに、などとミリヤは言い訳がましく口をモゴモゴさせる。ひとまず、サイゴはニフリートに向き直った。

「初めまして、こういう者です」と名刺を渡しつつ、「アンダーテイカー。鎮伏屋のサイゴ・ムカイラです。お嬢さんから依頼を受けました」自己紹介を済ませる。

「ああ、だいたいの話は聞いてる。世話んなったな」

 サイゴの名乗りに、ニフリートは軽く会釈した。三人は立ち話も何だろう、と居間へと入っていく。鎖分銅から脱出したエヴァ49も一緒だ。

 エヴァ49が割った窓は、厚紙と布で間に合わせに塞ぐ。ミリヤとニフリートは並んでソファに座り、サイゴはその向かいに、エヴァ49は最初から座っていた椅子へ戻って、編み物を再開した。ニフリートは感情のうかがえない瞳で、編み棒を動かす女ワイトを見つめる。彼はそこから目を離さないまま、口を開いた。

「で、のんびり話し合いに来たってことは、霊安課待ちの時間稼ぎでもすんのか」

 ミリヤはぎょっとしてニフリートの袖を引っ張っる。サイゴは軽く首を振って「それはまだです」と否定した。

「案外、ご自分の置かれてる状況を理解されているようですね」

 ニフリートは首を巡らし、「そうだ」と溜め息をついた。口から空気の流れが起きるのが感じられる。今は暖かい室内だが、これが外でも、その流れが白く曇ることはないだろう。

「段々思い出している途中だがな……俺はベムリの野郎に撃たれたんだ。雨が降っていた。寒くて眠くなった。で、気がついたらこんなだ」

 自嘲するように笑い、ニフリートは自分の掌を見つめた。血もぬくもりもない、死者の手を。サイゴは淡々と、「話が早くて助かります」とコメントする他ない。

 彼が娘と違ってネクロポリスの人間だから、自分に何が起こったのかこうも理解出来るのだろう――サイゴはそう考えたいが、話が早すぎる、とも思う。

「もしかして、生前からご自分がよみがえることを承知で?」

「んなワケがねえだろ」かんにさわるとばかり、ニフリートはまくしたてた。「ここまで歩いてくる間に、たっぷり時間はあった、それで色々考えただけだ。こうしてしゃべるにも、『あ、息を出さねえと』ってワンテンポ遅れるんだぜ。寒さも、暗さも、腹具合も、何もかもが俺の中から消えている……頭がおかしくなったんじゃなけりゃ、答えは一つだ。まったく気持ち悪いったらねえな」

 そこでニフリートは、虚空に視線を泳がせた。

「そのくせ、夢でも見てるみてえな、妙な感じだ。妙な」

 呆然とした物言いでうなだれると、彼は膝上で自分の手を組む。

「……お父さん」

 ミリヤは気遣いのつもりか、丸太のようなニフリートの腕をかき抱いた。

「それで、ミリヤさん、どうされますか。〝何があったのか明らかにして、父の魂を弔いたい〟それが貴女の依頼でし」「保留ではいけませんか」

 サイゴの言葉を遮って、ミリヤは顔を上げた。父の腕を掴む手に力を込め、半ば腰を浮かせながら一息に言い切る。

「私がお父さんを匿うなら、手伝って下さるんでしょう? なら、一日や二日、私が判断を保留しても大した違いはありませんよね!」

OKオーコー、それで構いません」

 やれやれと眉根を下げ、サイゴは脱力気味に笑った。ミリヤは肩透かしを喰らって、心もち前へつんのめりかける。

「そんなあっさり……」と、つい不満げに唇を尖らせた。

喪主クライアントの意向には全力でお応えしますよ」

 サイゴはぽわわんと鷹揚に笑むばかりだ。肩に力を入れるのがバカらしくなるような、脱力感を人に感染させる笑い方だった。

「なら、ミリヤが俺を葬ってくれって言ったら、てめえはそれを実行するわけだ」

 ニフリートは腕の娘を振りほどいて立ち上がると、サイゴに詰め寄り、威圧的に見下ろした。自分より頭が高い人間と話すのは、サイゴにもあまり無い体験だ。品定めするようなニフリートの視線を、サイゴは人畜無害の微笑で受け流す。

「ええ、出来れば当局に察知される前に、死向性剤をインといきたいですね」

「てめえに俺がどうこう出来んのか? ダーティー・ハリー」

 皮肉げな笑い。ニフリートが手を掲げると、そこには手品のように.44マグナムが現れていた。サイゴが懐に収めていたはずの物だ。ニフリートが大きな掌を閉じると、リボルバー拳銃はオモチャのようにひしゃげ、握り潰された。

 威嚇するように、ゆっくり指が開かれると、砕けた木や鉄片が火薬と共に床へ落ち、無惨に広がる。もはや、元が何であったのか想像も覚束ないほどだ。

「そっちの姉ちゃんは、あんたよりはマシかもな」

 ニフリートが目を向けた先には、三挺の照準を合わせたエヴァ49。

「お父さん、やめて。サイゴさんも、銃を降ろさせて下さい」

 サイゴは片手を振って、エヴァ49をさがらせた。屈んで、砕かれた拳銃の鉄片をつまむ。

「長年愛用していた銃なんですけどねえ」

 サイゴは少しだけ残念そうに言って、他は何の動揺も見せなかった。

 ワイトの身体能力には慣れている、その気になればエヴァ49でも同じことが出来るだろう。ただ、壊されたのがマニューリンでなくて幸いだった。ニフリートは力を誇示しているのだ。ワイトとしての能力に酔っていると言うより――適応しているとしたら早すぎるし――生前から、そういうやり方を好んでいたのだろう。

「鎮伏屋つったな。俺はてめえの世話にはならねえ。ミリヤ、お前もだ」

 ミリヤはソファを蹴倒す勢いで立ち上がった。

「どういうこと!?」

 ニフリートは意に介さず、居間を横切って出入り口へ向かう。サイゴはその進路上にゆらりと立ち塞がった。ニフリートは面倒臭そうに舌打ちを一つ、娘の方を振り返る。緑の瞳が、疲れたように乾いていた。

「俺は出て行く。ミリヤ、せっかくだがここでお別れだ。とりあえず、ベムリの野郎を探すからよ。終わったら戻ってくるかもな」

「いやそれは困ります」「待って! お父さん、置いてかないで!」

 ミリヤの金切り声と、サイゴの事務的な言葉は同時だった。両者は一瞬、ばつが悪い思いで視線を交わす。その交差線上、ニフリートは面倒臭そうに頭をかいた。

「十六だったか? お前。三つや四つのガキじゃねえんだから、ちょっと考えりゃ分かるだろ。俺が居たって、将来なんざねえんだ。お互い、一人で充分やっていける」

 ぎゅっと目頭に力を込め、ミリヤは怒りを滲ませた。

「そんなことないわ!」

「バレた時のことを考えりゃ、割りに合わねえんだよ。連中にとっちゃ、この町の存続だけが大事なんだ。俺にまともな頭が残ってようがいまいが関係ねえ。死者に人権はねえからな。けれど、お前は俺が生きてるって、そう思うか? そんなのは、正気の沙汰じゃねえんだよ」

「どうしてそんなこと言うの!? 私が生きてるって思うことがおかしいなら、お父さんは何なの?」

「俺は俺だ。生きてるも死んでるもねえよ」

 ニフリートは、自らに言い聞かせるようにうそぶいた。それが相当な無理のもと口にされていることが、サイゴの目にも見て取れる。

「おかしいのは町の方かもしれねえ。だが頭がイカレてようが、連中は生きて行かなくちゃならねえんだ。それは俺も同じだ。ただ、おともだちには、なれねえのさ」

「それは私じゃ駄目なの?」

 ミリヤは恐る恐る、父親に距離を詰めた。

「お母さんも、お婆ちゃんも死んじゃって、私にはお父さんしかいないのよ」

「俺も七つの時には、両親が殺されたんだ。二人ともゾンビで、他に身よりも無かったしな。今のお前ぐらいの時には施設を出て、ベムリとアパートに二人で……」

 そこでニフリートは言葉を切った。ミリヤがすがるように、父の体に抱きついている。そのまま寝間着に、彼の窮屈そうなズボンに、声もなく涙を垂らした。

 無言の抗議と威圧と脅迫に空気が淀む。「卑怯」と「罪悪感」の文字が、日本語でサイゴの脳裏に浮かんだ。気まずい雰囲気に男たちは顔を見合わせ、ごにょごにょと視線で会話を始める。数秒かけてサイゴは決断した。

「とりあえず、言い争うのは後にしましょうか」

 手を打ち鳴らし、サイゴはエヴァ49の編み物を止めた。

「さっきの騒ぎで、すでに近所の方が通報していないとも限らない、まずうちの事務所へ移動しましょう。それから、朝になったらお二人が避難できるホテルにでも移って、じっくりこれからのことを考えればいい。お嬢さんもそろそろ休んだ方が良いのでは? 寝て、起きて、朝食を取って、その方が頭も冴える」

「だとよ。涙と鼻水拭け」

 ニフリートが差し出したティッシュボックスを、ミリヤはひったくるように受け取った。


 最低限の荷物を持ち、UAZ霊柩バンを走らせると、助手席のミリヤはほどなくして寝入ってしまった。既に深夜で、一日の間に色々あったのだから、無理もない。

「ニフリートさん、確認しておきたいんですが」

 サイゴは後部座席、エヴァ49と共に肩を並べ、棺桶にもたれているニフリートに声をかけた。中身のキョンシーワイトは、死体置き場に届けた後だ。

「なんだ」

「恐らく、あなたとベムリを違法にワイト化したのは、ハイパーボリアです。そして今も行方を探しているはずだ」

「だろうな。でもおかしくねえか? マインドを造って、そんな物騒なモンをオークションに出すか?」

「アンニヒラトル計画を打ち切った上層部は、知らなかったのでしょう。計画主導者は社にもマインドを隠していた……そしてあなた方を売却する段になっても、それを明かすわけには行かず。かくなる上はギギーコートから盗み出すか、正々堂々オークションで競り落とすか」

 何であれ、マインドワイトの製造・所持は重罪。隠蔽するなら死に物狂いになるはずだ。だが、ニフリートは懐疑的だった。

「ギギーコートがぐるになってマインドを扱っていたって線はねえのか。あの連中、ベムリを二年も野放しにしてたんだぜ。歳の感じから、あいつは俺のすぐ後にくたばったに違いない。クオナはミリヤを連れてこの町から逃げた、ならヤツを殺すのはハイパーボリアの。いや、ロトボアの爺さんしかいねえ」

「ロトボア?」

 それはサイゴにも聞き覚えのある名前だった。

「俺とベムリの雇い主だ。ガキの頃から世話になってる」

「確かにあなたの名前は、十三年前の社員名簿にありましたが……その人がスレノジィ・ロトボア博士のことなら、彼がアンニヒラトル計画の立案者ですよ」

「スレノジィ、それだ。間違いねえ」ニフリートは手を打った。

「子供の頃から世話になったというのは?」

「俺のことは調べたんだろ。ベムリと二人、放り込まれた養護施設が、ロトボアの爺さんが経営してた所なんだよ。慈善活動の一環でな」

 サイゴはそれまでの調査で得た情報をもう一度頭の中で整理した。

「七歳の時から育てられ、雇われ、死後はワイトに……永久就職という感じですね。まるで生前から目を付けていたみたいだ」

 ニフリートが顔をしかめる。サイゴはバックミラー越しにそれを眺めた。

「あなたに何かあった時、直接犯人に報復するくらいには、ロトボア博士とあなたは親密なご関係で?」

「うるせえな、尋問かよ」

 ニフリートはぶっきらぼうに話を打ち切った。質問を急ぎすぎた、とサイゴは反省する。事務所に戻ったなら、調査資料を再度確認しなくてはならない。

 やがて霊柩バンは、うら寂しい通りの十字路にさしかかった。深夜だということを差し引いても、やけに不吉な土地柄だ。

 北に進めば繁盛していない火葬場が、東に進めば廃病院を改築した診療所が、西には無縁墓地、更に南には自殺名所の廃教会。不動産的にも不良物件が多く、まばらに立つ商店は昼でもシャッターが目立つ、そんな場所だった。

 その十字路中心部の角、小さな雑居ビルの地下に霊柩バンを停める。地上二階へ上がると、そこには『Undertaker 鎮伏屋(Chinhukuya)』と筆で大書された木の看板。扉には、サイゴが羽織るジャケットの背と同じマークがある。R.I.P.と丸で囲まれた向の一字。彼は事務所の鍵を開けて、父娘を招き入れた。

「どうぞ」

 事務所へ半歩踏み入った瞬間、サイゴは巨大猫の頭突きを腹に受けた。酸素を吐き出しながらもんどり打って倒れかかり、背後にいたニフリートに肩をキャッチされる。巨大な球体猫の松悟は、脛に爪と噛みつきで追撃。肩を支えられたまま、サイゴが両足を振ってそれを追い払うと、松悟は全身の毛を逆立てて威嚇した。

「鎮伏屋、何だその凶暴な毛玉」ニフリートが呆れる。

 丸々とした巨大猫は、隙あらばその足で爪を研いでやろうと目を光らせていた。

「うちで同居してる猫の松悟です」脛と腹をさすりながらサイゴは答える。「遅くまで留守にしていたから腹を空かせている」

「猫?」ニフリートは疑問符を強調して発音した。

 ミリヤは「猫よ……たぶん」と寝ぼけた声で発言する。

「十三年の間に、猫ってのは球形の生物に進化したのか」

「いえ、うちのが特殊なんです。何でって訊かないでくださいよ、初めて会った時からこうだったんですから」

「そうかそうか」

 ニフリートはずかずかと事務所に入ると、唸る松悟の首根っこ(らしき場所)を掴んだ。彼の体格はずば抜けて大きく、人の遠近感を狂わせる。その手に掴まれた巨大猫は、体型はともかく標準的な猫のサイズに見えた。本能的に何か察したのか、松悟は唸るのをやめ、小さく縮こまる。まさに借りてきた猫状態。サイゴが初めて見る、同居猫のしおらしい姿だ。

 驚いていると、背に重みを感じた。ミリヤがサイゴにしがみつく形で体重を預け、そのままずるずると下に落ちようとしている。サイゴは仕方無くその肩を掴むと、優しく寝室……と言うには少々狭いが……へ誘導した。ニフリートの膝で撫で回されていた松悟には、お待ちかねの食事を振る舞う。

 一方、エヴァ49はとっくに室内へ入り、定位置のシングルソファに陣取っていた。携帯していた銃器を広げ、分解清掃を始めている。

「夜の間は退屈しないで済みそうだ」

 サイゴから渡された猫用のおもちゃ箱を抱え、ニフリートは微かに笑顔を見せた。寝る必要のないワイトには、夜に動く猫はおあつらえ向きだ。

「ほどほどにお願いします」

「分かった分かった」

 ソファに座るニフリートの差し向かいで、サイゴは毛布にくるまる。ニフリートとサイゴ、二人が車内で会話を打ち切った時の硬い空気は、幾分か和らいでいるようだった。小さな安堵、それを覚えるのもおぼつかないほど、彼はすみやかに眠りに落ちた。寝室のミリヤなど、とっくに夢の中だろう。

 気遣いか、単に忘れただけか、サイゴは灯りを点けたまま寝た。ニフリートは家主が寝入ったのを確認してそれを消す。

 それから小一時間、彼は一人、猫をじゃらして暇を潰した。銃の整備を終えたエヴァ49は、またも編み物に取り組んでいる。一晩中、いや朝になって出発するまで、彼女はそうやって編み続けているのだろう。

――観てンだよ! お前、ちゃんとクオナと映画行ったじゃねェーかっ!

 ベムリの声が、ニフリートの脳裏に蘇る。それは現在の耳障りな機械の声ではなく、十三年前当時、生前のベムリが持っていた肉声で再生された。

「死ぬ一ヶ月前か」

 マインドワイトのことは、子供の頃から学校や大人たちから聞かされている。彼もインゴルヌカ市民だ。この記憶の欠落は、単なる製造上の限界なのか、これから精神に起こる破綻の始まりに過ぎないのか、まったく予測がつかない。でなくとも、自分がやがて……おかしくなる、そんなことはあまり考えたくはなかった。

「……ベムリ」

 右へ左へ、猫じゃらしを振りながら、ニフリートはその名を苦くこぼす。兄弟は、二年ほど先に目覚めたと言っていた。二年であれだけ変わった。だが、自分にも同じだけ、正気でいられる時間があるとは限らない。ワイト、特に、マインドともなれば、個体の差は大きい。ベムリに何が起きた? 自分を殺し、娘を狙い、彼が喪失した記憶について腹を立てている。

 背骨にいつもまとわりつくイメージ、彼の神経は、かつてその影と共に生きていた。今でも思い出せるだろうか? ニフリートは目を閉じ、皮膚下の感覚に集中する。思い出すのは、伸びきったゴムの塊のように、力無くのしかかる弟の重み。あふれ出る血液の生ぬるい温度、苦みと酸味と辛味がごちゃ混ぜになった、耐え難く吐き気をもよおす臭い。連鎖的に、脳裏で父と母の死に様がフラッシュバックする。そして最後に、あの夜割られた額の痛みが。

 ニフリートは電気に打たれたように震え、肩を跳ね上げた拍子に眼を開いた。以前なら、冷や汗に濡れたはずの肌は乾いている。以前なら、動悸が激しくなっていたはずの心臓は静まりかえっている。

 ただ、記憶とイメージの奔流だけが、かつてよりも鮮明に自我を飲み込んでいた。自分が何を失い、何を残して作り変えられたのか、彼はようやく知った。

 みんなみんな死んでしまった。自分が殺してしまった。なのに、死んだ自分自身はまだ生きている。吐きそうだったが、体の方はまったくそんな気にならず、〝気の持ちようさ〟とせせら笑っていた。

「あいつが俺を殺すはずはねえ……」

 殺したこと自体が事実だとしても、それは必ず、仕方のない理由があったに違いない。ニフリートは自らの確信をあえて言葉に出した。呼吸する必要のない口と喉を使い、生者以上の労力を要してまで。そうやってでも、自分に言い聞かせたかった。自分と、ベムリの身に本当は何が起きたのか、ミリヤに何が起ころうとしているのか、確かめなくてはならない。

 やがて、松悟が遊びに飽きて離れた頃、ニフリートはエヴァ49に声をかけた。

「それ、いつ出来るんだ」

 もちろん、彼女からの返事は無い。何も聞こえてないかのようだが、ニフリートは構わず言葉を続けた。

「マフラーか? セーターか? 帽子か? 色もメチャクチャだな、前衛的じゃねえか。だが悪くねえ」

 会話プラグインを導入しない限り、ワイトは主人からの命令以外、人の言葉を解さない。エヴァ49とてそうだ。ニフリートは猫じゃらしを放り捨て、ソファを立ち上がった。彼女は室内でも、ベール付きの帽子を被っている。喪服姿の死体、ニフリートは隠されたその顔を覗き込んだ。

「なあ、あんた。エヴァつったか? あんた本当は、もっと色々見たり、考えたりしてるんじゃねえのか……」

 ニフリートはエヴァ49の帽子を、ベールを剥ぎ取った。目が吊り上り気味の、怜悧な容貌が露わになる。その瞳はどこも見ていなかった、視線は手元に落とされているが、ただそこを向いているだけ。ニフリートは彼女の顎を掴み、自分の方へ向かせる。けれど屍美人の手は、変わらず編み棒を動かし続けていた。

「あんたの魂はどこにある。まだ、そこにいるんじゃねえのか」

 それを確認するすべがどこにあるのか? 自問しながら、ニフリートはエヴァ49の瞳を真っ直ぐに見つめた。魂の欠片、あるいはその残響、人間性の名残りがどこかに残されていないのかと。だが、仮にそんな物があったとすれば……全てのワイトが、本当は魂などという物を残しているとすれば、それはどんなに恐ろしいことだろう?

 紫紺の瞳は、鏡のようにニフリートの顔を映し出す。その他には、何も無い。ただ、彼女の虚無を証明するだけ。

 ニフリートはエヴァ49に帽子を返すと、彼女から離れてソファに体を沈めた。自分は何を言っているのだろう、そう自嘲すると、愉快でもないのに笑いが込み上げてくる。すかさず、松悟が丸々とした毛玉のような体で膝に乗ってきた。

 柔らかな獣毛と筋肉と皮、それに包まれた内臓のうごめき、そして息づかい――ああ、この猫はどうしようもなく生きている。

「マツゴつったな。お前、いくつだ? せいぜい十年二十年の命、長生きしろよ」

 巨大猫の腹を揉みしだきつつ、ニフリートはテレビのリモコンを入れる。何か気分転換にでもなれば良い、そう思って最初に出てきたのはコマーシャルだ。

『ご家庭でも手軽にワイトを! 賢くワイトローンを組むなら、ストーンフォレストへいますぐお電話♪』チャンネルを変える。インゴルヌカリーグの花形投手が、喪失者ロスト登録したというニュースをやっていた。インタビューの映像が流れ、選手は爽やかな笑顔で言う。『僕が死んだ時には、是非ワイトリーグの選手に登用して欲しいですね! 長生きしすぎて使い物にならないよう、気をつけますよ』チャンネルを変える。テレビショッピングをやっていた。『この仔猫ちゃんはワイト・キャットだから、このまま大きくならないし、うんちもしません。栄養は還死剤を与えるだけで充分ですが、餌をあげたいお子様のために、ドライフード状の還死剤も』チャンネルを変える。チャンネルを変える。チャンネルを変える。間もなく一周し、ニフリートはリモコンを握り潰した。

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