エピローグ:約8枚

葬儀の終わりに

 僅か四十五分弱で、インゴルヌカの都市機能と歴史を揺るがしたその夜の騒動は、後に〝一夜の煉獄事件〟と呼ばれた。数百体もの脱走ワイトのうち、半分は自力で再起動したが、残り半分はそのまま機能停止し、この回収だけで警察からアンダーテイカー、ワイトメイカーの担当部署がそれぞれ総動員された。

 突如としてゾンビが誕生したように、これもまたワイトや死者に何らかの変化が起きている兆しではないかと、誰もが考えただろう。

 メディアでは喧々諤々けんけんがくがくの議論が行われ、原因の調査に躍起になった。だが、一週間が過ぎ、二週間が過ぎても成果は上がらず。

 その代わり、ニュースを賑わすようになったのは、故スレノジィ・ロトボア教授による大規模人体実験と、自我マインドワイトの製造、実験のスキャンダルだ。

 ラボはプロジェクトが凍結された段階で証拠隠滅のため焼き払われており、被験体のワイトはベムリやニフリート含め、全て崩落して残されてはいない。

 だが市内外にいるグラナッティオメナ出身者を調査した所、未活性フィラメントが確認され、養護施設側にも健康診断と称して、フィラメント逐次導入の記録が発見されたのだ。父の研究を引き継ぎ、未成年略取を始め様々な犯罪に手を染めていたメザメ・ロトボアを筆頭に、関係者は逮捕され、無期限の安息喪失アハトを課せられた。死体を弄び続けてきた身の上としては、死後ワイトになるのは妥当と言えるだろう。

 そして、現在――降誕祭ヨウルの町中。

 本来なら厳粛な祝いの期間だが、今年は、〝一夜の煉獄事件〟で出た死者と、アンニヒラトル計画の犠牲者を悼む慰霊のムードに満ちていた。

 オウナスヴァーラの丘にある公園――ミリヤもロウソクを手に慰霊祭に参列し、賛美歌をくちずさんでいた。父と、母と、謝ることも礼を言うことも出来なかった叔父のため、祈り、歌い、また祈る。

 イベントを終え、公園を出ようとしたミリヤは、喪服の女を連れた青年の姿に、足を止めた。サイゴとエヴァ49だ。

「お疲れ様、お嬢さん」

ヒュヴァー・ヨウルアメリークリスマス、サイゴさん」

 ぺこりと頭を下げ、ミリヤは挨拶した。今日は話があるから、ここで待ち合わせする約束だったのだ。二人は屋台のホットワインを手に歩き出した。

「あれから、僕も忙しくしていて、すっかり連絡が遅くなってしまいまして」

「いえ、大丈夫です」

 霊安課のヘルプ要請を受けての脱走ワイト回収に、フィティアンへの報告、マキールからの「お前絶対何か知ってるだろう」攻撃からの逃走で彼は忙殺されていた。

「まあ、それも一段落ですよ。それで、エヴァなんですが」

 なぜそこで彼女が出てくるのだろう? いや、そもそもなぜ今日ワイトを連れてきたのだろう? ミリヤは不思議に思いながら、ベールに隠された顔を見やった。

「エヴァもあの日、ニフリートさんからジャックを受けていたんです。そして、先生の所でその影響を調べていたら、メモリーの中にとんでもない容量のデータが見つかりました。ニフリートさんからのメッセージですよ。エヴァ」

 こくりと小さくうなずき、エヴァ49は自分のPDAを差し出した。

『メッセージを受け取りました』

『これは、ニフリート・ハーネラからコピーされた彼のメモリーです。その目的は、ミリヤ・ハーネラへの伝言です』

『私はその内容をフィルタリングして、テキストとして出力することが可能です』

『あなたは、出力したいですか?』

 それら文字列を読むなり、ミリヤは顔をあげ「はい!」と即答した。

「じゃあ、うちの事務所へ行きましょう。ちょっとした文庫本ぐらいの量があるらしいので、書くのも読むのも大変ですよ」

 サイゴは半分苦笑して、半分は優しく微笑した。

「いいです、いくらでも待ちます」

「じゃ、善は急げAs good soon as syneで……エヴァ?」

 公園を出ようとして、サイゴは女ワイトの様子を訝しんだ。四本の腕をケープで隠した、喪服姿の貴婦人は、ほんの数秒だけ慰霊祭の会場を見つめていた。だが、それはたった一秒二秒動作が遅れたことを、勝手に彼が勘違いしただけかもしれない。

 忠実なるブラックウィドウは、踵を返し、すぐマスターに従った。これから彼女には、銃を撃つでも何かを蹴っ飛ばすでもない、静かな仕事が待っている。

 エヴァネッセンス・フォーティーナインの中に送られたのは、ニフリートの記憶、その半生だ。ベムリとの出会い、父と母を失った惨劇、復讐を誓った夜。クオナとの出会い、別れ、最初の殺人。一人娘の誕生と、家族四人で過ごした日々。そして死んで、よみがえり、戸惑いの果てに、もう一度親子をやり直すまでの。

 機械的な文法で出力されたそれはひどく読み取りづらいが、ミリヤには多くの思い出が伝わった。プリントアウトされた紙の束を抱きしめて、父に別れを告げたあの日の分まで、わんわん泣いた。その横で毛づくろいをしていた球体猫は、ミリヤに抱きつかれて迷惑そうだったが、逃げようとはせず、好きにもふらせる。

「……ね、サイゴさん」

 顔を洗い、出されたココアを飲み干して、喪服を脱ぎ捨てた少女は言った。薄着だが、下着が透けるほどではない。

「私、ドクター・フィティアンの所で働くことになったんです」

 一拍の間を置いて「え!?」

「あれから、未来のこと考えなくちゃって思って」

 サイゴの反応を面白がって、ミリヤはふふっといたずらっぽく笑った。

「ドクターにはお世話になったし、マインドのことだって詳しいですから。還死学のことをお話ししていたら、じゃあうちで働きながら勉強しなさい。って」

「それは……まあ……」

 ミリヤは今や、他のグラナッティオメナ出身者と同様、市からゆるやかな保護と監視を受ける身だ。死後、その遺体が盗難に遭うことは絶対に避けなくてはならないし、マインドたちも放っておかない。

「先生は、お嬢さんを手元に置けるなら都合が良いでしょうしねえ」

 なにせ、メザメらを別にすれば、アンニヒラトルの恐ろしさを直接知ってるのだ、こちらは。マインド全体がどんな思惑を持っていてもおかしくない。

「でも、インゴルヌカの外でも、もう安全じゃないんでしょう? ロトボアがやったことがどんなに非道でも、彼らは正しかったのだもの。実際、アンニヒラトルは成功しちゃったし。なら、きっと誰か同じ真似をするでしょうから、それなら、私も還死学を勉強して、何かあった時に備えるんです」

 ミリヤは両の拳をぐっと握りしめて、

「だって、私あんなこと、もう絶対に許さないって決めたんですから!」

 と、それはそれは満面の笑顔で言い放った。

「そうですね。それがいいと思います」

 珈琲のマグカップを置き、サイゴはしみじみとうなずいた。

 生も死も曖昧になっていくこの世界で、アンニヒラトルの出現は、更にそれを推し進めていくだろう。未死者モータルでも偽生者ゾンビでもない、不死者の世がいつか到来するのかもしれない。それは明日か、百年後か、十年後か?

「お嬢さん。もし、人類が死というものを克服して、永遠に生きられるとしたらどうします? 二度と、誰とも死に別れなくていいとしたら」

 ふと、そんな問いかけが口をついていた。

「永遠になんて生きたくないわ」

 ミリヤの答えは素早かった。

「私はただ、私を生き抜ければ、それで満足だもの」

 それには答えず、サイゴは黙ってうなずいた。不老不死は人類の夢と言うが、宇宙より長く生きてみたいなどと、本当に思うだろうか?

 二杯目のココアを飲み終えたミリヤは、紐綴ひもとじされた父の記憶を手に、事務所を後にする。玄関口でその背を見送りながら、サイゴは脳裏に響くピアノの音を聞いた。

 美しい音色。それは決してこの自分の手には届かないものだが、別のピアノなら、もう見つけている。世界がどう変わろうと、鎮伏屋の仕事は、当分尽きない。


                                   (終)

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