それは、終わりの前の45分間

 あるマインドワイトは言う、『大地から天へと昇る、一条の黒い稲光を見た』と。『それは大気圏まで貫いたに違いない。磁気嵐を引き起こして、ほら、見たこともないオーロラで町を覆い尽くした。まるでステンドグラスみたいに』とも……。

 ラップランドの雪原で、トナカイたちが見上げるその先に、さながら薔薇窓か万華鏡の形を取った円形状のオーロラが広がっていく。霊識れいしきある者もなき者も、それを見ればこの世の終わりが来たと、そう信じるに足るほど美しい天の光が。

 その夜、インゴルヌカ中心地に住む人々は、街路の騒がしさにカーテンを開けて外を覗き込むと、すぐに固く門扉を閉ざして引きこもった。一部の裕福な家庭は、突如逃げ出したハウスワイトの対処に頭を抱えている。

 風がほの白くなる小雪模様の中、通りは何かを探して走りだした死者たちで埋め尽くされていた。工場のツナギ姿、工事現場の作業着姿、エプロン、エロティックな下着、チャイナドレス、白衣、聖歌隊の衣装、ボディペイント、背広、京劇衣装、あらゆる格好をした動く死体たちで。

 路面からは雪も氷も踏み荒らされて割れ消え、一晩中町を流しているワイト・タクシーが運転手を失くして、あちらこちらに打ち捨てられている。中には、壁や他の車に激突したまま止まっている物も多い。騒ぎに便乗した暴徒が現れ、そこかしこで火の手と悲鳴、怒号が上がり始めている。電子機器類は狂いっぱなしだ。

 かねてよりワイト反対の立場を取っていた、キリスト教冥福派教会が、ここぞとばかりに徒党を組んで、プラカードを手に突発的デモ行進を始める。

 空に警察と報道機関のヘリが飛び、事態の全容を把握しようとしていた。通信回線はパンクし、インゴルヌカ市始まって以来の大異変に誰もが戦慄していた。

 その喧騒を、鋭い排気音エグゾーストがつんざく。

 サイドカー仕様の霊柩バイク、ウラル・ハース750cc。棺桶席にありったけの武器を詰め込んだ一台が、死者の群れの合間を縫って走っていた。路面電車と衝突して停まったタクシー、軽々と宙を駆けるように跳び越える。

 着地から間を置かぬ滑らかな走行――ヘルメットの中の顔は、真っ直ぐに前を見据える〝鎮伏屋〟サイゴのものだ。小回りの利かない霊柩バンは置いてきた。

「ヨウ」

 バイクに並走したワイトが一言、サイゴにそう声をかけて去っていく。気のせいかと思いそうだったが、反対側に並走したワイトがまた言った。

「鎮伏屋」

 また左側から「ミリヤガ」

 左側にもう一体「ホテルカラ」

 右側から「サラワレ」

 後ろから「タ」

 何体ものワイトたちが口々に、ひと繋がりの言葉を分割してしゃべり、伝える。

「ニフリートさん!?」

 自分でも根拠不明の直感で、サイゴは正解に辿り着いた。

「……これ、あなたが?」

 後ろ「タブン」、前「ナ」

「早く止めて下さい、町が大変なことになっている」

 改めて見回すまでもなく、辺りは大惨事だ。交通事故、リンチ、ゲリラライブ、ゲリラ礼拝、店舗の襲撃。サイゴの頭上を飛行型ワイトと、なぜかそれの腰にしがみついた誰かがすっ飛んでいった。揃ってビルの壁に激突して、そのまま墜落する。

 落ちたワイトが「分カッテル」と答えて機能停止した。

 猫耳メイド青年ワイトが「ダガ後ダ」、上半身だけのワイトが「ミリヤヲ」、マンホールから現れたワイトが「探サネ」、オウムのワイトが「エト」声々こえごえに。

「さらった相手の心当たりは」

 警官制服のワイトが「知ラネエ女ダ!」、タコ足のワイトが「見失ッタ」、サンタクロース姿のワイトが「デモ見ツケル」、蛇のように地を這うワイトが「落トシ前」、ビルの窓から顔を出すワイトが「ツケサセテヤル」、「許サネエ」二つ頭のワイトが「必ズ」「必ズダ」

 リレーされるニフリートの言葉を聞きながら、サイゴはホテルに向かっていた。そこにミリヤはいないとしても、エヴァ49を回収しなくてはならない。

「ナア」

 ふと神妙な口調で受付嬢のワイトが言う。会話能力のないものを無理やりしゃべらせるのとは違い、元からそういうプラグインがあるからか、他より表現が豊かだ。

「アンタ……アリガトヨ」

「何がですか」

 ニフリートもしゃべらせ易いと気づいたのか、そのまま受付嬢に語らせる。

「ミリヤノ。タメニ。怒ッテクレテ」

 もどかしげに、受付嬢ワイトはサイドカーの棺桶席に乗り込んだ。普段は武器や捕獲ワイトを収納する他に、エヴァ49を乗せるスペースである。

「……アイツ。俺ノコト。会イタイッテ。思ッテクレルカ?」

「ええ」

 ゆっくりとサイゴはうなずいた。何が起こるかを知りながら、この惨状への困惑と懸念を、今だけは押し殺し、ただ父と娘の幸せを願って、答える。

「僕に、父と叔父を探して下さい、話しをさせて下さいって。そう言っていましたからね。きっと、お嬢さんは待ってくれています」

 ソウカ、と受付嬢の口を借りて、ニフリートは繰り返しつぶやいた。サイドカーを降りて、走り去っていく。混沌とした町の中で、朗々と賛美歌が鳴り響いていた。


                 ◆


 静かな、だが掴みどころのない闇の中で、淡い雪が楽しげに渦巻いている。

 雪に見えるものは一つ一つが星のような光で、それらはニフリートが強制的に支配下に置いたワイトたちから送られてくる五感の情報だ。誰に教えられるともなく、彼はそれを理解していた。

 自分がどうなったのかは、分からない。恐ろしい量の情報が一度に押し寄せているのに、全身のフィラメントがさも当然のように、それらを全て受け止めて処理しているのが分かる。解る。何もかもが、何百体というワイトたちの〝声〟が。

 自分に何が出来るのか。

 自分が何をしなくてはならないのか。

 ニフリートはもう、それが全てわかっていた。

 そして、それ以外のことはもはやどうでもいい。ミリヤを見つけて、迎えにいく――これが父親をやる、最後のチャンスだ。

(いや、待てよ)

 ふと思い出して、ニフリートは一点に意識を向けた。ホテルで損傷し、動きを封じられたまま今ももがいているエヴァ49に意識を向ける。

(なあ、エヴァ。一つだけ、俺から頼まれてくれねえか)

 雪の一粒が光る。ニフリートはそれを返事だと受け取った。


                 ◆


 時は少し遡り、サンタズホステル・アロラの地下駐車場。

「初めまして。やっと会えたわね、ミリヤ・ハーネラちゃん」

 ミリヤは寝巻き姿のまま、毛皮のコートを着込んだ女に引き合わされて、酷く惨めな思いをさせられていた。靴もなく寒さに苛まれ、軟体ワイトに拘束されている。

 女は、重油のように黒い髪を長く伸ばし、淡褐色ヘーゼルの目に丸眼鏡をかけていた。首筋に青い血管が浮くほど肌が白く、どことなく薬臭い印象を受ける。

「あなた誰?」

 冷たさで、足の裏がコンクリートに貼り付きそうだ。泣きたい気持ちを抑えて、きっと睨みつけながら問うと、女は毒々しいほど赤い口紅を歪めて答える。

「私はメザメ・ロトボア。スレノジィ・ロトボア、還死工学教授の一人娘よ」

「あなたが……!」

 かっと頭の底が燃え上がる感覚を覚え、ミリヤは反射的に詰め寄ろうとした。腕を捕まえている軟体ワイトが、多関節の手で少女を引き止める。だが怯まない。

「全部知ってるわ、あなたたちのしたこと。子供たちに人体実験をして、人を殺して、勝手にワイトに変えて!」

「あら。じゃあ、ますます貴女のこと、逃がすわけにはいかなくなっちゃったわね」

 メザメは停めていた赤い高級車の運転席に乗り込み、ミリヤを助手席に放り込ませた。軟体ワイトは少女の手首に結束バンドをかけると、シートベルトを締めさせ、自分は後部座席から、ミリヤの脇腹に拳銃を突きつける。氷点下の夜気よりも冷たい怖気を覚えて、少女は思わず身をすくませた。それでも、態度だけは毅然とさせる。

「私をどうするつもり?」

「どうって、のよ」

 車を発進させながら、メザメはさも当然そうに話した。

「ニフリート・ハーネラ、貴女のお父さんは素晴らしい被験体だったわ。事実上、死後の出来栄えも最高だった。実際に動かしてみないと分からないけれど、数値は今までで一番高かったの。そして、その彼と、もうひとりの被験体の間に生まれたサラブレッドが貴女。実験体同士から出来た、唯一の純粋な第二世代。きっと、貴女、とても良いスコアが出るわ」

 言葉の何もかもがムカムカして、ミリヤの心臓が怒りに唸りを上げた。

「人を物みたいに言わないで! そんなことのために! 出来のいい死体なんかのために、たくさんの人生をめちゃくちゃにして! あなたを許さないわ!」

「だったらどうするの?」馬鹿にした薄笑い。

「許さないのよ!」決然と睨みつける。

 メザメは「話にならないわ」と鼻で笑った。

「〝死〟は人類に与えられた、克服されるべき試練なのよ? 神がそれをお望みになっている、私たちは誰も死ぬ必要がなくなる。これはそのための礎だったの。確かに今の時代では非難されるでしょうけれど、数十年か百年後には理解される、そういうたぐいの仕事なのよ。私は誇りを持ってやっているわ」

 その言葉には、欠片も罪悪感や恥じらいや疑念というものが無かった。なるほど、これではミリヤ一人に許されようが許されまいが、痛くも痒くもないだろう。

 だが、ミリヤの心にはいかりのように、この女を、その父を、自分たち家族を滅茶苦茶にしたロトボアを許さない、と固い固い決意が撃ち込まれた。

「あなたたちがやったこと、私は、決して忘れない」

 多色の輝きに満ちた緑の瞳に、ミリヤは怒りで火をくべた。

「あなたたちは、自分たちの誇りのために、他人の尊厳を踏みにじるただのクズよ」

 二人と一体を乗せた車は、ホテルを出てオウナス川へ向かっていく。川にかかった鉄橋はライトアップされて、名前通り火を灯したロウソクのように見えた。

「それにね、頭でっかちさん。もしかして、このことに気づいたのたのが、私一人だけだって思ってる? きっと霊安課が来るわ。アンダーテイカーも。鎮伏屋さんも」

 少しでも冷静に打撃を与えてやろうと、ミリヤは静かに言葉を続ける。

「うるさいわねえ」

 それさえも、メザメは虫の羽音を聞いたように眉をしかめただけだった。車が橋を渡り終える。なおも言い募ろうとして、ミリヤは息を呑んだ。

 ばきん、と体の中を無数の亀裂が走って、恐ろしい震動が自分の細胞を細かく砕いていく。それはただの錯覚などではなく、ミリヤの体内に宿る未活性フィラメントの共鳴現象だった。――そう、この瞬間だ。

「オレノ娘ハドコダ」

 ミリヤに銃を突き付けていた軟体ワイトが、ガスマスクの下からくぐもった声を出した。銃口の先をメザメへと変える。

「テメエカ。ミリヤニナニ、シヨウト、シテヤガル」

「ちょ、ちょっと!?」

 目を丸くし、一瞬車を蛇行させながら、メザメはダッシュボードに手を伸ばした。そこから小型の機械を取り出し、操作する。

「テメ……」

 軟体ワイトが電気ショックを受けたように痙攣し、首をうなだれて停止した。ガスマスクの隙間から、細く還死剤の蒸気がたなびく。緊急自殺装置だ。

「何よ、今の」

 色を失ったメザメの声を聞きながら、ミリヤは「お父さん」とつぶやいた。はっと金髪の少女を見て、メザメの顔がたちまち喜色に満たされる。

「……そうか! アンニヒラトル、カルペア09が自分の機能を解放したのね! こんなものは予定してなかったけど、フィラメント同士の共鳴現象があることからすれば、何の機械に頼らずともワイト同士の無線通信は理論上なんらおかしくない。それをカルペア09はアンニヒラトルのマシンパワーで一気に押して……」

 それ以上の言葉が、メザメの唇から吹き消えた。バックミラーに映ったものに、楽しい独り言をしている場合ではないと気づいたのだ。

 今しがた走り抜けたロウソク橋を、こぼれんばかりの群衆が埋め尽くしていた。その下では、オウナス川から次々とマーメイド・ワイトたちが上陸し、魚の下半身で不自由に這いながら、一心不乱にこちらを目指している。下半身をトナカイの体に置換したサンタクロースサンタウロスワイトが、一足早く群れの先頭に飛び出し、叫ぶ。

「止マレ! 逃サネエゾ!」

 迷わずメザメはアクセルを全力で踏んだ。川岸を離れて森側へ、丘の上へ。ひたすらに逃げていく。だがそちらからも、スカイホテルや映画スタジオから出てきたワイトの群れが降りてくるのだ。必死にそれを避けながら、徐々に追いつめられていく。

 メザメが運転席の窓を開け、マイナス二十度を超す冷気と雪が弾丸になって車内に飛び込んだ。片手運転になりながら、軟体ワイトの手に握られた銃をひったくろうとするが、硬直した指を剥がせず、もたつく。その様をミリヤは冷ややかに見ていた。

 どん! という音と揺れに前を見やると、ボンネットに大柄な男のワイトが乗っていた。撮影所で働いているスタント・ワイトなのだろう。

「お父さん?」

 ミリヤの問いかけに答える間ももどかしいとばかりに、二体、三体と追いついたワイトたちが車体にのしかかる。メザメは銃を諦めてひたすらアクセルを踏むが、フィラメントに強化された死者の腕力に阻まれ、ただタイヤが空回りする。

 その前輪のゴムが、銃に撃たれてはじけ飛んだ。

「――サイゴさん!」

 少女の瞳がロウソク橋の只中でドラグノフ狙撃銃を構える、喪服ドレスの女ワイトを見つけた。ホテルでチェーンに絡め取られ、動きを封じられていた所を回収されたエヴァ49だ。サイゴが駆るウラル・ハースの、サイド席からの立射は正確無比。

 ミリヤは不自由な手を駆使して、後ろ向きにロックとドアを開けると、車から逃げ出した。素足に突き刺さる寒さは、切り裂く硝子片の痛みだ。ひょい、とワイトの一体がミリヤを抱え上げ、別の一体が上着を脱いで羽織らせる。

 靴下と靴を死体たちの手で履かされながら、ミリヤは初めて空の様子に気がついて、ぽかんと口を開け、美しい極冠の万華鏡を眺めた。雪は降りやみつつある。

「ま、待ちなさい……きゃっ」

 二、三体のワイトたちは力づくでドアを外すと、メザメを車外へ引きずり出して取り囲んだ。手を、肩を押さえつけて、無理やり地面に這いつくばらされる。

「お父さん」

 マフラーや帽子ですっかり着膨れしたミリヤは、優しく地面に下ろされ、ロウソク橋の方を見た。彼女自身のフィラメントが、父が近づいていることを教えてくれる。

 がくりと、最初の一体が膝をついて、そのまま横倒しに倒れた。自分が死体だと思い出したように目を閉じ、動かなくなる。それを皮切りに、次々にワイトたちが一体、また一体と、ドミノ倒しで機能を停止していく。

 サイゴが橋を渡りきった時には、残っているのはメザメを押さえつけた一体と、エヴァ49。そして、橋の真ん中を歩いてくる大きな影だけだった。

 昨夜、ギギーコートで初めて見た時と同じように、再び長く伸びた白髪を風に遊ばせながら、悠然と。ミリヤが、ブティックで時間をかけて選んだ上下を着込んで。

「来るの、遅いんじゃない?」

 橋のたもとで父を迎え、いたずらっぽく、嫌味すぎないよう気をつけながら言ってみる。また怒られたりしないだろうかと、彼女は内心ドキドキしていた。

 近くで見ると、ニフリートの体は、表面のあちこちで小さな黒い雷がぱちぱちと弾けていた。それは生成されては爆ぜて消えていくベクターだったが、それは後に話を聞いたフィティアンが推測したことで、この時点では誰も知らない。

「悪ぃな、遅くなってよ」

 ばつが悪そうに頭を掻くニフリートの声は、別れた時とほとんど変わっていない。だが、その右目の下から頬には亀裂が走り、底なしの闇のような色を見せていた。娘と同じ、多色のきらめきを持つ緑の目は、瞳孔に赤い光を宿している。

「本当に、悪かった。俺は……なんて言うか。父親、失格だ」

 先に言われて、ミリヤはあわあわと口を開閉させた。

「それは、その、私だって。お互い様で」

「そうか」

「そうよ」

「俺たち、結構ダメな親子だな」

「うん」

「世話が焼けますよね」

 肩をすくめて言ったサイゴを、父子は同時に見たが、何も言えず頬を掻いたり、うつむいたりすると、やがて同時にくすくす笑い出してしまう。

 けれど、ニフリートはすぐにその笑いを打ち切ると、メザメの方へ向き直った。彼女を押さえていたワイトが、今度は地面から立たせ、こちらへ連行する。

「何をされる気ですか」

 一応という調子でサイゴは訊ねた。

「ケジメをつけるんだよ」

 言って、ニフリートが掲げた片手には、ミリヤらにも見覚えのあるチョーカーが巻いてあった。それで何が起こったのか気づきながら、あえて少女は訊ねた。

「……お父さん、ベムリさんは、もしかして」

「あいつは、先に逝っちまった。全部分かったんだよ。俺は、お前とクオナの命を引き換えに、弟を殺せと言われて、そうしようとした。それを、ベムリは自分で死のうとしたから……俺は止めようとして、事故ってくたばったんだ」

 目を伏せ、口元を押さえ、ミリヤは涙を堪えた。あの人は本当に、最初から嘘を一つも言っていなかった……。

「終わりは安らかなもんだったぜ。それだけが救いだ」

 そして、悲しみを堪える娘とは反対に、父親の目には、涙が。黒い涙が。

「……ニフリートさん!」

 思わずサイゴは声を上げていた。眼窩はまるごと闇の深淵に変わり、中央に赤い光だけが灯る。それが意味する所を、鎮伏屋の彼が知らない訳がなかった。

 磁気嵐を引き起こし、五百平方キロ圏内のワイト全てを強制的に操るなどという離れ業は、たかだか身長二メートル一〇センチ、体重一三六キロという「小さな」物体には、エネルギーの消耗が大き過ぎたのだ。ベムリが二年近くかけて徐々に蓄積していたダメージを、ニフリートは僅か四十五分程度で、一度に受けていた。

「分かってる……俺はどうなるか、もう、分かってる」

 ニフリートはミリヤの横を通り過ぎると、メザメの前に立った。

「お別れ、なのね」

「ああ」

 背中を見せたまま娘に答えて、メザメの顎をつかむ。せめてもの虚勢、女研究者は震えながらも、悲鳴はもらさなかった。

「てめえは殺されたら、そこで終わりなんだよな。それでも、てめえは」

「やめて、お父さん」

 そっと、丸太のような腕を、黒い雷のようなものを絶えず火花のように発し続ける体を抱いて、一人娘は訴える。声は涙の予感を引きずりながら、気丈だった。

「生きてる間はたくさん殺したんでしょう? だったら、死んだ後にまで、人を殺すことないじゃない。向こうに連れて行かなくたって、いいじゃない」

 そうですよ、とサイゴがそれに同意した。

「娘さんの前で、やることでもないでしょうしね」

 後はこっちに任せてください、と言うように片手を振ると、サイゴは背後からメザメを羽交い締めにした。ワイトが手を離し、その場に倒れこむ。

 その後は一瞬だった。コキャコキャコカカッと軽快なほどテンポよく乾いた音が響き、ぐったりとしたメザメが地面に投げ出された。

「両手両足の関節を外したので、しばらく動けませんよ。まあ頑張れば這いずっていけなくもないでしょうけど、逃げようとしたら折ります。大人しくして下さい」

 事も無げにサイゴはそう言って、両手を軽く叩いた。メザメは真っ青な顔で、声も出せずに震えている。ミリヤの心は一瞬同情にうずいたが、即座に「でも許さない」という熱く焼けた鉄のような思いが浮かんで打ち消した。絶対に許さないのだ。

 だが、そこはそれとして、やるべきことがまだ残っている。ミリヤは、昼間クリニックでそうしたように、決意を込めた瞳で〝鎮伏屋〟サイゴを見た。

「サイゴさん、少し、私たちに時間をください」

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