8月1日 - 長くない

ミーンミンミンミンミーン……

ジジジジジジジジジジジジジジ……

気付いたら蝉の声が聞こえていた。突かれる鐘のように頭にぐわんぐわんと響くこの音は、永遠に止まない。

開いた窓から匂う夏草の香り。

どこまでも続く果てなき蒼穹。

どれもこれも、忘れたくても忘れられない。五感で呆れるほど体感し、体に痛いほど刻み込まれた夏という季節。

僕はベッドの上に横たわっていた。

いつからこうしていたのか、横たわる前に何をしていたのか、どうしても思い出せない。思い出そうとすると頭痛に阻まれる。

ただ一つだけ言える事がある。

この先は長くない。何もない──?

根拠も何もないが直感でそう感じとっていた。心臓の鼓動がやけに激しい。早くしなくちゃ、早く。早く。取り返しのつかない事になる前に、またやり直すことのないように。

「っはぁ、はぁ……は……」

実態のない何かに迫られているような恐怖と、無理矢理に思い出そうとする行為で呼吸が乱れ、涙が滲んでくる。

吐き気を感じたので勢いよく、バッとベッドから跳ね起きる。

しばらく何も考えずにボーッとしていたら少し楽になってきた。

窓の方に目をやる。夏らしい青さの青空を背景に白い雲が浮かんでいる。今日は快晴に近い晴れで、雲はごく僅かだ。

少し下を見ると水平線が見える。海は煌きながらゆらゆらと風にあおられている。

いつも見ている風景だが、どこか飽きたような感じがする。

本当に僕は何をしていたんだっけ?

記憶に支障がある訳ではない。自分の事や周りの事はちゃんと覚えている。

僕は神崎浬。東雲高校に通う三年生で、陸上部に所属している。担当種目は短距離走。陸上部はこの夏に大会があって今日まで休みだった。

何か重要な事が抜けている気がする。

何だっけ。思い出さなくては……あぁ、思い出そうとすると頭痛と吐き気がする。

それでも思い出そうと考えているうちに意識がなくなってしまった。



地に足が着かないところにいる。人は地に足が着かないと不安を感じるものだが、ここは妙に安定感や安心感がある。

前に、ここに来たことがあるような?

しばらく不思議に感じていると突如、目の前にぽっ、と魔法のように、黒いフードで顔は見えないが、男性だろうと思われる人が現れた。

いきなり現れたが特に驚きもしなかった。今なら何でも受け入れられる気分。

「よう、神崎浬。始めましてかな」

黒いフードの男性は、見た目とは裏腹に元気な少年のような明るめのトーンの声で話しかけてきた。

僕はこの人を知らない。明らかに怪しむべき人だがどこか懐かしさや安堵感を覚え、疑問ばかりでもやもやとしてくる。

「お前、誰だよ。何で僕の事を知っている」

ようやく問いを口にする。ここはどこなんだとか聞きたいことはあるが、まずはこれから。

「俺は死神。何でお前を知ってるかって?ここがお前の夢の中だからさ」

死神?夢の中?

「死ぬの?僕」

何も分からないまま、さらに疑問は追加される。あと二つ三つ疑問ができたら頭は活火山になりそう。

「そ。お前はもうすぐ死ぬんだよ」

もうすぐ死ぬって、何でだろう。

「だが正確にいうとお前だけじゃない。世界中みーんな、もうすぐ死ぬかもしれない」

そのもの言いから、あくまでも推測という事が分かる。

「なんで死んじゃうかもしれないの?」

「世界が終わってしまうからさ」

……なんとなく、そうだろうと思っていた。ベッドで目覚めた時から。

「終わっちゃうんだ」

ぽつりと言葉を零す。世界が終わるって、滅びるって、なんだろう。それはきっとほんの一瞬の事で、最早終わったなんて気付かないんじゃないかと思う。全て無になって、なかった事になるんだきっと。

「救いたいか?」

「は?」

疑問を疑問で返す。

「世界を救いたいか?」

頭の中で声が何回も響く。僕自身、正直もう死んでもいいと思っているしどうでもいいやと投げ出してしまいたいが、心の奥底の自分には救わなければという使命感が存在しているようで、はっきりとした答えが出せない。

世界が終わったっていい。いつか死んでしまうのなら、今だっていいじゃないか。

ダメだ。世界を救えるのは僕しかいないんだ。限りある儚い生命、繋げないと。

鬩ぎ合う二つの僕。白と黒のように相反する意見なのに両方とも一人の人間の心の中にいる。

……あれ?何で僕は世界を救えるのは自分しかいないって言えるんだ?

それに死神もこの空間も、自分の家で自分の家族と接しているような感覚に陥る。

「世界を救えるのはお前しかいない。さぁ、どうする?」

思考を止めるかのように死神が声をかけてくる。

「そもそも僕しか救えないってどういう事」

「そのままさ。世界はお前にしか救えない。救うなら世界中の人々を護った英雄様、反対に終わらせたら世界中の人々を殺した殺人者。お前はどっちだ」

「勝手に僕に世界の人達の命を押し付けて、一体なんなんだよ。第一、お前が本当に死神ならどうにかできるんじゃないの?」

死神だって神様だ。それも人の命や魂を取り扱っているはずだから、救ったりするのは人間である僕よりも得意分野なんじゃないのか。

「あのなぁ。死神っつっても俺はそんな偉くないの!派遣みたいなもんだよ」

「派遣が世界を救えって、こういう事はもっと偉い人が言うべきじゃないのか」

「あーもう、そんな事はどーでもいいのっ!とにかくお前には世界を救ってもらうからな!じゃまた明日!」

半ばキレながら指を僕につきつけて勝手にまた明日と言われた。また明日って事は明日も来るのかな。



「上等だよ。世界、救ってやろうじゃん……あれ」

何か言い返そうと思って言った言葉は暗がりな部屋に吸い込まれる。さっきまで夢の中だったはずなのに、気付いたら自分の部屋だった。

きっと、夢から覚めたのだろう。

ドゥドゥドゥン♪

携帯が鳴った。ロック画面を覗き込み何の知らせだろうかと確かめる。親友であり幼馴染でもある桧山優太からだった。

『明日の部活は六時半から。遅れんなよ!』

との事。大抵陸上部は七時から練習を行っている。これだけでも充分に眠いのだが、三十分早く始まるとなるとかなり眠気が襲ってきそう。

これからの辛さがもう来たような感じに陥りそれをなくすように軽く頭を振ると同時に、溜まっていた息を一気に吐き出す。

「世界を救う、か」

僕は夢の中で夢を見ていたのかと思うほど、非現実的な出来事が僕の身に起きている。

あの死神はまた明日、と言っていた。明日また会えるのならその時に色々聞けばいい。焦る必要はない、その時を待てばいい。

……こうして自分に言い聞かせていないとよく分からない焦りに僕が支配されそうだった。

この焦りはなんだろうか?

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