~距離~

ファンタジー会当日、レッスン終了後に雑魚美がまた立ち上がりました。


「みんな~!今日はよろしくね~!それじゃあ着替えてすぐに移動しま~す!」


参加者をまとめましょう。


雑魚美:オタサーの姫気質マックス。ロリータ服を好むハム


無禄:八神庵みたいな格好が好き。カリアゲ


豚骨:チンシンザン激似


弱腰:自己紹介で過去の自殺未遂を曝け出した強いか弱いかわからないボーイ


桜丸:日本が誇る伝統工芸品、コケシのような女の子。ミーちゃんと呼ばれている


雛子:何だかホワホワしていて掴み所が無い。見た目はいわゆる地味子


笹本:私の高校時代からの友達。悪そうな奴大体友達みたいな見た目


後藤:後藤is俺


後は話しには出てきませんが、8人程居ました。


会は普通に始まりました。狭い店内だったので、皆の声や顔が良く見えて普段話したりしたい人と話しませました。特に弱腰とは自己紹介以来、独特のサイコな雰囲気に尻込みして話せないで居ましたので自分からガンガン話しかけました。


「今思うと弱腰の自己紹介すごかったよ」


「ヒッ!!いや…あの…その……後藤君…あの…ありがとう…」


「思ったんだけどさ、何でそんなに辛い思いとかしてまた学校に、声優専門学校に入ろうとしたの?嫌なら言わなくて良いけど…」


皆、思い思いに話していたのですが、会話を止めて弱腰に注目しました。弱腰は皆に見られていると思って少しアワアワしています。顔が真っ赤です。レッスンの時、こう言う風になる事が多く、彼はよく失敗をしました。その失敗のオーラが流れています。


「何でも言って大丈夫だよ。パンイチになった俺とも皆仲良くしてくれるんだしさ。」


「うん…実は…そうだな…えーっと…僕…小学校の時からずっといじめられていて…見た目もガリガリで出っ歯で…気持ち悪いし…自分の言葉で話したりするのが怖くていつもおどおどしていて…それでいじめられていて…」


彼が言うには、いじめられて帰宅した時、学校に行かず自宅に居た時ずっとアニメや漫画を見ていたとの事でした。どんな時も勇気付けてくれて、そして死のうと思った時も踏みとどまらせてくれたのもアニメや漫画だったと言いました。自分には人前に出る勇気が無い。でも…どうしても声優の門を叩きたい。本当に一度は自分で思った人生を進みたい。人前に出るのが怖いと言う気持ちで声優に成れるはずが無い。でも…この二年間で声優に成れるとかじゃなくて、自分を変えられたら。同じ目的の人達の中でなら変われるかもしれない。だから来た。僕は僕を変えたいんだ。


そのような事を言いました。全員黙りました。弱腰は「世捨て勢」の一員で、何となく学校に来たのでは?全員が正直そう思っていました。

緊張して文章が読めない、滑舌が悪い、漢字も読めない。そんな弱腰がガチだと言う風に思えませんでした。しかし、彼の気持ちは本物でした。本当に自分の人生を変えようと、今までの自分自身に戦いを挑む為にこの専門学校に来たのです。

何人かは泣いていました。決して上手くない説明ですが、上手さなんかどうでも良くなる「誠意」があったのです。そう、弱腰は自分の人生に対して誠意を持っている。その思いは何よりも正直に自分自身を写します。何か格好をつけたようにして学校に通っている私の胸に小さな刺が刺さりました。


「実は…俺も…」


「私も…」


「ウチも…」


「僕も…」


え!?皆、何か心に決めたエピソードあるの!?流れ的に一人ずつ「声優を目指したエピソード」を話していく形になりました。理由は様々です。「好きな声優が居るから」「人生で褒められたのが声だけだから懸けてみたい」「どうしても出たいシリーズがある」理由自体は単純かも知れないのですが、皆その気持ちは本気でした。

チャランポランな笹本ですら


「受験の時、ずっとラジオ聞いていてさ。それでラジオに励まされる感じで…本当に勉強を頑張れてラジオは凄いと思ったから話せる仕事をしたい。どんな方法でも励ます事ってできるけど、俺と同じ気持ちでへこんでいる人を励ましたいんだよね…」


なんて言いました。ちょっと待ってくれよ。入学してすぐにその話を聞いたけど、そんな良い話なの?話していない人間が私一人になりました。「後藤君は?」雑魚美、勘弁してくれ。無いんだ。何となくなんだよマジで。自分探し?


「ダバ!?ファー!?えー、皆さん…色々な気持ちをお持ちですね。結構結構…私ですか…いや…あの…まあ…あの、親父が映画好きでしてね。それで一緒に見る事とかが多くて…まあ…アレですよ。映画の吹替えしたいと思っていて…あの…声優に成ろう!って言うか…ちょっと成れるかの確認と言うか…あの…その…特に理由は…やってみたかったと言うだけと言うか…」


俺だけ、俺だけなんもねえじゃねえの。衝撃を受けました。皆大なり小なりの理由がある中で私だけが明確な理由が無かったのです。今まで自分自身はガチ勢の一人だと思っていたのですが、心持ちの部分で言えば世捨て勢に毛の生えたような人間でした。それを自分の持っている「バンドやってたし普通だしー」と言う一枚看板だけで周りより上!と思ってしまったのです。志の高さはそのまま気合と能力に直結すると思っています。全員が命を、人生を懸けて声優になると言う戦いに向かっています。いえ、もう既に戦い始めています。だが私はまだその準備もしていなかった。ただただ流れの中で何となく出陣し、ただ何となく進んでいただけでした。そう、確固たるもの、芯が無かったのです。私は心から何かを「やりたい」ではなくて、弱い弱い芯なる心に言葉で「やるための言い訳」をしていたのです。どれだけ強い鎧兜を、パワードアーマー言い訳マインドでこの身を守っても、中身は弱く芯が無いコンニャク野郎だったのです。絶望を感じてもう帰ってしまおうかと思っていた時に弱腰が口を開きました。


「後藤君…凄いよね…上手いとかじゃなく…熱い…後藤君がレッスンの時一番最初に無茶な発表をするから……僕も…やりたい!って思えて…出来るんだ…感謝してるんだ…」


「弱腰…」


私はそれ以上何も言えませんでした。この俺が、俺が、自分の事ばかりを考えて、周りを完全に舐めくさってる俺が感謝された。何だこの熱い気持ちは。なんだこの…湧き上がってくる力は。俺に何ができるのか?今まで何もしてこなかった。やってきたのは自分のためじゃなくて自分の言い訳のためだった。こいつらみたいな芯も無い。そんな俺が、彼が、俺をそんな風に思ってくれていたのか。


「ありがとうな」


それだけ言うので精一杯でした。でも、言葉で感謝を伝えても何の証明にもなりません。行動で、ただやる事で証明せねばならないのです。やるぞ。弱腰。俺はやるぞ。もしお前がまた臆病風に吹かれた俺が壁になるぞ。約束だ。


と、そうこうしている内に時間も過ぎ、家が遠い人間から帰って行きました。私は何だかもうアレな気持ちだったのでしたたかに酔っ払ってしまっています。雑魚美も無禄も酔っ払い、交尾途中のナメクジのようにベタベタし始めました。それに対して阪神ファンのおっさんがヤジを飛ばすが如く豚骨が「近い近い近い!」「俺にも俺にも!」と言う奇怪な連続運動を繰り出し、その度にみーちゃんや雛子がクスクス笑って笹本はフラフラになり便所から出てきませんでした。


「あ!もうこんな時間!皆…終電大丈夫!?」


「え!?キャー!後五分で終電だ!!ごめん!帰る!!」


みーちゃんがダッシュで帰りました。今思い出したのですが、みーちゃんの払いを私が立て替えたのですが、卒業して十年以上経っても返して貰っていない事を思い出しました。2500円だったと思います。


「あらら~!帰れない人どうしよ~!」


「あ、だったら俺の家来る?歩いて二十分位だけど」


無禄がナイスな事を言ってくれました。学生の中には一人暮らしや寮に住んでいる人が居ます。無禄は出身が山陰地方らしく、一人暮らし勢でした。


「無禄君やさしい~!雑魚美も帰れないから助かった~!」


と言う事で無禄の家、無禄ハウスに向かう事になりました。

雑魚美が先頭で無禄ハウスに向かっています。ん?待て待ておかしくないか?「何で雑魚美が道を知っている?」はは~ん?拙者分かってしまいました。この女、既に無禄と恋仲になっておる。これはどう言う事か!さっきまで何故声優になりたいのかを話し合った神聖な空気が一掃された!と言うか早え、まだ入学して一ヶ月弱だぜ?それでもう男女の仲なのかよ。雑魚美は酔って気分が良いのか全員とハグを始めました。豚骨を除いた全員です。そして私の番が回ってきたのですが、何だかイラっとしてしまったので払い腰と言う技でぶん投げてみました。


「いたあああああああああい!!」


「おい!!後藤!雑魚美に何をするんだ!!!」


無禄が思い切り突っかかって来ました。あまりの剣幕にちょっとビビってしまった私は


「え…あっ…いや…払い腰…?」


と曖昧に答えました。するとその刹那、無禄に襟をグイっと掴まれました。しかしこれで負ける私ではありません。以前、合気道の神「塩田剛三」のドキュメンタリーを見た時に覚えた技を使い手首をクイっと決めてみました。ほんの出来心だったんです。


「いってえええええええええええええ!」


すげえ、合気道すげえ。流石に悪いと思った私は無禄に手を差し伸べましたが無禄はそれを払い除け雑魚美の方に向い抱き起こしました。


「後藤君ひどーい!女の子には優しくしないとダメだよー!雑魚美怖かったー!」


そう言って無禄に抱きつく雑魚美を見て、「次は高角度ジャーマンスープレックスだな」と思ったのです。

若干空気が悪くなりながらも無禄ハウスに向かう道すがら、雛子が不意に話しかけてきました。


「後藤君、雑魚美ちゃんと仲良いよね」


「うん?ああ、まあ雑魚美は乳がデカイしな」


「おっきいのが好きなの?そっか。雛子ちっちゃいもんね」


「いや、顔とかのトータルバランスは雛子ちゃんの方が可愛いと思うよ」


「ほんと!?」


雛子はニコニコして私の前をトコトコ歩いて行きました。酔っているのか、少し赤みが差した雛子の顔はあの時の非常階段の雛子のように可愛らしく見えました。

いかんいかん。俺は何を考えているのだ。俺はさっき雑魚美と無禄のラブパワーにちょっとイラっとしたばかりじゃないか。そんな俺がクラスメイトを可愛いとか思ってはいかんぞ。俺は声優になるために入学した。恋愛の為ではないのだ。自分をしっかり持て後藤。声優に成れるかどうかを試しに来たあの思いを忘れるな。お前は男だ。男の子なんだ。


「着いたよ」


無禄がそう言うと目の前にはそこそこ綺麗なマンションがありました。無禄ハウスです。


「みんな~!入って~!」


だから何で雑魚美が言うのだ。入る入らないと言う前に君はもう無禄に入れられているんじゃないのかね?正直に言いたまえよ?なんて思いながら無禄ハウスにイントゥージアリーナしました。

こざっぱりと片付けられた無禄ハウスは無禄、雑魚美、豚骨、雛子、笹本、私を収容しても余裕がある2DKで、壁に貼られた八神庵のポスターに失笑を禁じえませんでした。


「適当に座って~!余り物で何かおつまみ作るね~!」


だからお前は!何で!知ってるんだ!!まあ良いか、やんぬるかな。そう思った私はトイレに行き今日の出来事を思い返していました。弱腰は戦っている。だが、俺は戦っているのか?本当に弱腰で軟弱なのは俺じゃないのか?そんな事を考えていました。

トイレを出ると雑魚美がキャベツと畜肉を炒めを作っていました。何となくそれを眺めながら、雑魚美と無禄は付き合っているのか?と言うのを探るために話しかけてみました。


「雑魚美すげーなー。冷蔵庫の中の物でそう言う風に作れるなんて」


「ええ~!?お母さんのお手伝いとかしてたら身に付いたの!」


「いやあ、中々の物ですよ。良くできたお嬢さんだと思いますよ」


「えへへ~!雑魚美!褒められちゃった!」


気が付くと台所に無禄も居ました。これは僥倖。ちょっと意地悪しながら探りを入れよう。


「いや、雑魚美は良い奥さんになれるよ。雑魚美の彼氏とか最高に幸せだろうな」


無禄の顔がニヤニヤし始めたのを感じました。


「雑魚美、今まで彼氏居たの?」


無禄の顔がビシィ!と固まりました。


「ウェ!?あ~…ふにゅ~…にゃ~」


「後藤!雑魚美困ってるだろ!変な事聞くなよ!」


もちろん無視です。


「お、はっきり言わない。するってえと答えは一つですな。前カレどんな人だったの?」


「はわわわわ~!え~と…にゃああ~ん!」


「後藤!いい加減にしろ!俺は雑魚美の過去なんて気にしない!今の雑魚美を愛してるんだ」


言っちゃったよ。そして壁ドンと言うか私がもたれかかっている壁をドン!と叩き、ハアハアと彼岸島のキャラみたいな吐息を出し始めました。丸太に近い体系の雑魚美は畜肉を炒めて見ないフリをしていました。でかした!でかした!これだ!さあどうする!?


「後藤!俺は…本気で…雑魚美を…愛してるんだ…お前も雑魚美が好きだったら…男らしく態度で示せよ…」


「え!?!?!?」


どないなっとんじゃ。どんな脳をしていたらそう感じるのか。しかし本当に彼ら、彼女は何か作り物みたいな言葉を使う。本当にアニメや漫画から飛び出してきたような…そんな人間…やはり彼らは「成りたかった自分」を現世に投影し、生きながらにそれを「追体験」しているのでしょう。二次元のバリバリのキャラが言うならサマになる言葉も刈上げの男が言うと全く説得力を失ってしまいます。


「やめて!」


雑魚美が大きな声を出しました。そして無禄を後ろからハグしながら


「雑魚美…今は…無禄君が大事だもん…」


うつむいて何か言いたげなキャラの雰囲気を出す無禄、抱きしめてヒロインになったような雑魚美、きっついなあと思っている私、焦げる肉。この空間の全てが何か歪で壊れているような気がしました。


「そうだな…誰にどう思われても…俺は…俺だから…」


わかった。俺は確信したぞ。確実にこれはドラマだ。本心っぽいけど本心じゃねえしどっかから借りた来た言葉だな?前に蛸村、ポム巻達と教室で話していたアレはガチだったのか。こう言う臭いセリフは違うカーストや違う居場所の人間になら言っても大丈夫だと思うのです。でもさすがに同じ場所の人間に言うと感づかれたり、元ネタを言い当てられたりします。上記の事をもっと分かりやすく言うと「朝のニュースでやっていたネタをすぐに自分の言葉として使った人間を見たあの居心地の悪さ」です。

そう思った瞬間、途端にどうでも良くなって私は約六畳の洋間に帰りました。豚骨は無禄の部屋にあった漫画の良さを半分意識が飛んでいる笹本に語り、雛子は慣れない空気で疲れたのか若干ウトウトしていました。

二次会と言うには小規模な会が終りを迎える時、若干ハードに酒が入った無禄が「眠かったら毛布を出して寝てくれ。俺はもうだめだ~!」と言いながら隣の部屋のベッドに横になりました。豚骨も部屋の隅で丸くなり、その近くで笹本も眠り始めました。私は無禄と同じ部屋に移動して毛布を被り横になりました。

ああ、まあ色々はあったが良い会だった。多少周りとも近づいたしな。結果オーライだ。そう思っていると私の腹をツンツンと突く人間が居ました。雛子です。


「どうした?」


「お布団が無くなっちゃったの。雛子入っても良い?」


うおおおおお、同衾、同衾ですよ同衾。いや、待て、ついさっき恋愛とかそう言うのはとりあえず置いておこうと言う気持ちになったばかりです。ここでいきなり翻すのか?いや、まて後藤、後藤健和。お前はこう言う事に憧れていただろう。正直になれ。誰ですかあなたは!?警察を呼びますよ!?私はお前の本心じゃよ。え!?本心さん!私はただただ声優になりたいのです!こんな状態望んでいません。後藤よ、良い言葉を教えてやる。「それはそれ」じゃよ。やっていく気持ちを大切にしなさい。あ!ソッカー!ソーデスネー!ワタシ!アメリカジンデース!ヤッテイクキモチ!ゴーイングミーイング!オールオッケー!アイラブハンバーガー!


「良いよ」


言ってしまった。雛子は照れ笑いを浮かべて毛布に入ってきました。


「さっきも雑魚美ちゃんと話してたね。お台所で」


「ああ、雑魚美は乳でかいしな」


「またそれ言うんだね。やっぱりおっきいのが好き?」


「いえ、雛子ちゃんみたいなのも好きですよ。触っても良いですか?」


俺は何を言っているんだ。これは飲まれている。同衾と言う状況に飲まれてしまった。


「えー…良いよ」


パードン?えっと、はい。あー、そうなんですね。なるほどなるほど。これからお乳のあまからアベニューがはじまると。そう言う事でしょうか?違いますね。違うんだよ。


「こら、自分を大切にしなさい。自分を大切に出来無いと他人も大切に出来無いよ?」


自分が原因なのに説教臭い事を言った私は状況をリセットする為にトイレに行きました。通り道にある台所では雑魚美が後片付けをしているはずです。

皆を起こさないように忍び足で台所方面に向い、引き戸をスッと開けました。


台所では笹本と雑魚美が思いっきりディープキスをしていました。


笹本おおおおおおおおお!

これは一体どんな禍事か!?え!?と言う私の声に気がつき、雑魚美はもう手遅れと言うのに誤魔化すように洗い物を始め、笹本は苦笑いをしながら部屋に戻りました。

トイレで状況を整理しようとしたのですが、若干脳がスパークしているので3WAYな尿はトイレを大変な状態にしてしまい、トイレットペーパーで拭きながら「かなわんなー。こりゃ二重の意味でかなわんわー」と呟きながら、もう何も見なかった事にして所定の布団の位置に戻りました。見なかったら無いんです。見たからある。じゃああるじゃねえか。うるさい!見てないんだ僕は!!

笹本は多少女癖が悪いとは知っていましたがまさか人の彼女にも平気で…あわわ、げに恐ろしい。げに恐ろしき笹本。わしゃ知らん。寝るずら。横を見ると寝息を立てている雛子が居ました。ああ、今日のこれは全部夢ずら。もうどうにでもなれずら。そう思い雛子を抱きしめ私も眠りについたのです。温もりだけは真実を告げていました。

会から二ヶ月程経ち、この会がキッカケとなったのかクラスの皆は打ち解け、グループと言う空気が消え始めていました。

そしてそう言う空気が消えて行くと同時に、また新しい空気が生まれ始めてきました。恋愛です。

雑魚美と無禄はもはやクラス公然の付き合いと成り、そのラブな瘴気に当てられて妙に男女が意識しだしたりするのです。担任もオリエンテーションで


「恋愛ってのも芸の肥やしだ!!学業がおろそかにならない程度にやれ!おろそかに成る奴は海兵隊では無い!」


と言っていました。皆、その言葉を真に受け、そしてカップル一号の二人を見て羨ましがったのです。今までのカーストだったら恋愛は遥か彼方にあったのでしょうけど、この場、この状況、お互いが同じカーストで同じ目標を持つ人間なら…恋愛をして良い!そう思ったのか妙な空気がクラスを支配していました。

私は雛子とはそこから特に何も無く、たまに一緒に駅まで帰る感じの付き合いしかしませんでした。意図的にです。この恋愛の空気が嫌だったのです。我々は声優になりにここに来た。それなのに何か心にひっかかる軟弱な空気を感じるのが嫌だったのです。


「どいつもこいつも浮かれやがって…俺は、俺だけ頑張って声優に成るぞ」


「後藤~?私、また別のクラスの人間に告白されちゃったよ~!」


「これで三人目かよ。水堂、俺たちは変に浮かれないでやって行こう。レベルが違うって所見せようぜ」


「そんな気張らなくても良いと思うけどなあ。私は好みじゃなかったから付き合わないだけだし~」


そうなのだ。レベルが違う。意識のレベルが違うのだ。俺はしっかりと声優への階段を登るのだ。芯を作る。こいつらとは違うんだ。そう思いながら過ごしていると、二度目の服装&写真撮影のレッスンがありました。この時は前回から学んだのか、皆比較的まともな服装でした。無禄は若干ホストみたいな格好になって色々と悪化したように感じましたが八神庵よりマシだと言う事でそれで撮影していました。髪型はカリアゲのままでした。

今回も早めに撮影を終わらせた私はジャージに着替え、非常階段を往復しながら肉体訓練をしていました。この訓練はただ鍛えるだけでなく、「俺はこれからどうなるのか?」と言う気持ちを鎮める為に行っていました。数往復して最上階、夕日に照らされた街が見える場所でぼんやりとしていました。

不意にあの時と同じ足音がしました。そしてそこにはあの時と同じ感じで雛子が来ました。そしてあの頃よりも可愛い服を着て、美しいメイクをした別人のような雛子がそこにいました。


「後藤君頑張ってるね」


「俺は声優に成りたいんだ。その為にやってるだけだよ」


「そっか」


「どうかしたの?」


「雛子ね。後藤君みたいに思いっきり前に出たいって思ってるんだ。後藤君は雛子の憧れだよ」


雛子はそう言って私の隣に来ました。前の時は感じなかった香りが鼻腔をくすぐります。香水か何かを付けているのでしょう。その雛子の存在が、日に日に大きくなる「俺は本当に声優になれるのか?」と言う気持ちを少し癒してくれました。お互いに無言で街を見つめる。雛子の肩が私の腕に触れました。いつの間にか私に寄り添ってきてました。そしてそのまま頭も肩に預けて来ました。これが!これが青春か!青春なのか!?中学高校と彼女が居なくて、自分が憧れていた状況に巡りあった私は異常に興奮してもう辛抱たまらん状態になっていました。しかし男はクールが一番。早鐘を打つ心臓を感じながらもクールに振舞おうと思っていました。多分雛子は俺の事が好きだ。俺も雛子の事を好いている。しかし…だからこそ…今は何も言わないで置こう。本当に好きになったら自然と口から言葉が出る。だったら今はこのままで良い。そう思い私は階段を降りようとしました。


「あ…今は階段…ちょっと…無禄君と雑魚美ちゃんが…」


「何言ってんだよ。階段は昇降する為にあるんだ。気にしないで降りようよ」


私はスタスタと下りていきました。その時何かジュル…とかそんな音が聞こえました。一体なんじゃ?そう思い首だけ出すと


そこでは無禄と雑魚美が思い切りディープキスをしながら…お互いを熱く求め合って居ました。若干雑魚美の服もはだけています。


こいつら神聖な学び舎で何をさらしとる!


「おい!!!」


実際にはその声は出ませんでした。私は気が付いたのです。気が付いてしまったのです。クラスメイトをオタクと嘲り、俺は一段上のレベルに居ると思っていました。そう思わないと何も無い自分に負けそうだったからです。

そして何よりも私は彼らよりも若干マイルドとは言え、雛子と階段でイチャついて居たのは同じでした。そう、結局は…同じだったのです…「なりたい自分」があり、それが「届かない自分」であるなら「演ずるべき自分」になるしかなったのです。


「こいつは俺だ…」


七人の侍で赤子を抱いた菊千代が喉から絞り出すように発したあの言葉。それを発していました。


私はそこそこ充実した中学校高校時代を過ごして来たと吹聴してきました。しかし、実際は数人の友達しかおらず、男女関係も作れず、学校内カースト最底辺に位置し、悶々とした気持ちで学生生活を送っていました。彼らもそうなのでしょう。そして、私がバンド活動等をしていた事を鼻にかけて「俺はお前等よりマシ」と思っているこの瞬間、彼ら同じ目線の人間、同じ夢を持った人間と出会う事が出来たので勇気をもってその流れに飛び込んだのです。

その流れを眺めているだけの私と飛び込んだ彼ら。一体どっちに勇気があるのでしょうか。答えは彼らです。私は彼らより「多少マシ」と思って蔑み、馬鹿にして居たのです。さながらそれは「彼らを馬鹿にしていた学生時代の上位カーストの人間」のように。


これはダメだ。こんな気持ちはダメだ。学校に入って数ヶ月。俺は結局何も成し遂げてはいない。演技とかで感情を表に出す事を覚えた。そしてそれをレッスンで使っている。だが、彼らはレッスンで学んだ事を使って日常生活まで変えている。結局俺は見た目だけを気にして、評価だけを気にして、この流れに飛び込む事をびびったままだ。そんな俺があいつらを怒れるのか?そしてこのままではあいつらに負けるだろう。いや、勝ち負けじゃない。男としての問題だ!あの時、弱腰はなんて言ってくれた?俺を凄いと、俺に勇気付けられると言ってくれた。そうだ。あいつは俺を、俺を認めてくれた。こんな俺でも認めてくれた。

俺は上から見下す人間に成りたかったか?違うだろ。見下されいてた人間として「そんな事をしたくない」と思っていたはずだ。なのに油断をするとこうだ。人間はすぐに簡単で楽な方に進もうとする。これじゃダメだ。俺は変わらないと。いや、変わる。今から変わる。そうだ。声が優れると書いて声優。その「優れる」の意味を間違えていた。声よりも先に「人として優れる」事が大切なんだ。今の段階で気が付く事が出来てよかった。目の前でやはり交尾中のナメクジみたいになっている無禄と雑魚美だが、これはありがとうと言うべきだ。いや、何か結構雑魚美が脱がされて色んな部分が出てきた。こりゃいかん。うお、いつの間にか雛子も俺の横に来てガッチョリ見とるじゃないか。

私はジェスチャーで雛子に「最上階からエレベーターで降りよう」と合図しました。そして無事にそこから逃げ出しました。

何だか凄い物を見てしまったが、そのおかげで俺は変われそうだ。そうだ、このエレベーターを降りたら変わろう。どんなキッカケでも良い。変わろうと思った時がその瞬間なのだ。


ドアが空いたその瞬間、目の前にはカップ焼きそばを食べながら歩いている豚骨が居ました。


ふざけんじゃねえよ。俺の決意が………


「豚骨、飯食ってる所悪いけど、皆で飯でも食いに行かない?」


「お!!珍しい!後藤が誘ってくれるなんて!良いよ!飯食おう!飯食ったら用意するわ!」


「なにそれ!」


雛子がケタケタ笑い、豚骨もブホホと笑い、私もガハハと笑いました。

誰だって変われる。だったら俺だって変われる。間に合ったと思う。今この気持ちを持てて良かった…夏休み後には発表会らしき物もある。皆で何かを作るのです。この勢いのまま乗り切ろう。深く考えるな、どうせ俺はアホだ。勢いに任せてやっちまおう。正解か間違いじゃない。正しいとか間違ってるじゃない。やるかやらないかだ。

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