~入学~

数ヵ月後、私はこの声優専門学校に入学し、声優への一歩を踏み出す事になった。その一歩は誰にでも踏み出せる一歩だと思う。目的地にさほど近づける一歩では無いと思う。しかし、私の人生に於いて掛け替えのない一歩となったのです。そして入学初日のオリエンテーションに参加しました。


「声優に成るなんて夢想してるアホ共!良く来たな!俺たちがお前たちを散々イジメ抜いて、泣いたり笑ったり出来なくしてやる!俺は心臓男 軍曹!お前たちの担任だ!わかったか!?じゃあ返事をしろ!」


え?入学したら態度が違う。いや、いや良いんですよ。でもこの豹変は何なのだ。周りがざわざわしながら「はい…」と散発的に返事をする。


「父親のヘソのゴマと母親の内股の垢から生まれたクソ共!返事はガンホー!だ!言え!その小さなおフェ○口で言え!!」


「ガンホー…」


「そんなメジロの囀りみたいな返事で立派な海兵隊になれると思ってるのか!?窓からぶら下げるぞアホダマ共!」


「ガンホー!!」


「お前等全員失格だ!!学費は徴収した!いつでも辞めて良いぞ!だが食らいつく人間は立派な海兵隊にしてやる!わかったか!?返事は!?」


「ガンホー!!!!」


「やれば出来るじゃ無いか!言われる前にやれ!!戦場のベトコン共はお前たちを待たないぞ!その為に仲間を作って仲良くなっとけ!明日は自己紹介を全員の前でやらせる!!以上!今日を生き抜いた人間は明日も来い!!」


「ガンホー!!!!!!!!」


若干の後悔とやるせなさを残したままその日のオリエンテーションは終了しました。

そう、学費は払い込んでしまった。もう一円も返ってこない。死ぬほどバイトをして、足りない分は両親に頭を下げた私のお銭は遥か彼方、あの男の給料に変換されてしまったのだ。この世界の不条理。しかし、しかし…ああ、これから始まるのか、クラクラする。人生はいつだって流れで始まり、その流れに乗ることができるかどうかで充実具合が決まって来ます。私は充実できるのか?ただ一つ言える事は、あの担任は多分軍人じゃないし、俺たちは海兵隊じゃなくて声優に成りたいって事だ。クラクラした気持ちを沈める為にトイレに向かいました。この熱を尿として世界に放出する為に。尿は世界を包む。誰だって尿をするんだ。君もだろ?


「よ、後藤。久々だな」


トイレで一息吐いていると聞き覚えのある声が聞こえてきました。仮にこの声の主を笹本イヌマと呼びましょう。


「おう笹本、マジでこの学校入ったんだ?高校の最後の進路指導の時、君も来ると聞いてちょっと嬉しかったよ」


「俺も嬉しかったよ。後藤、担任の心臓男先生ハンパ無いよねあれはビビった。あと、周りと仲良くしろと言われても…出来る?」


「俺は天地無用!とかスレイヤーズめっちゃ好きだから大丈夫だと思う。でも最近のは見てないし吹替えばっかり見てるしなあ。ちょっと不安。笹本はアニメ見てたの?」


「シティーハンターとかドラゴンボールは見てたな。俺はラジオのパーソナリティーに成りたくて入ったんだよ」


「そうだったのか。しかし本当にここから頑張って行かないとな。とりあえず教室戻ろうぜ」


教室のドアを開けた時、おや?と思いました。クラスメイト全員を改めて見回したら何か違和感があるのです。それは服装や髪型でした。私はバンドTシャツにダメージジーンズ、笹本は所謂Bボーイファッション、そして周りは…キングオブファイターズの八神庵のようなズボンを履いている刈上げの男、三年二組と言うロリータブランドを着飾ったハムみたいな女。そして「それお母さんが買ってきた服じゃねえの?」みたいな服を来た人、何と言うか


【別方向に頑張った人・ファッションに興味が無い人・何かもう色々アレな人】


と言う感じで少し異様だなと思ったのです。勿論私もファッションに強いと言う訳では無いです。本当に普通です。普通のパンクロッカーみたいな格好です。しかしその場の人達は多少ファッションに気を使っていても、髪型が坊ちゃん刈りみたいだったり、服装は可愛くしてもメイクが歌舞伎役者みたいになっていたりと結構壮絶なある意味でパリコレみたいな感じになっていました。


キャーオットロシイワーと思った私と笹本は教室の隅で縮こまりながら少し様子を伺っていました。この世界は断絶している。緩やかに断絶している。ワタシタチハココニイルヨ!そう叫びたい気持ちです。そして誰かに話し掛けようとしたのですが、中々その一歩が踏み出せなかったのです。それはそこにいる全員がそんな雰囲気でした。


「あら、同じクラスに成れたのね?嬉しいわ~」


「よりによってあなたが来るか。いやなんでもないです。元気ですよ。どうも水堂さん。紹介するよ彼は高校の同級生の笹本。たまたま一緒に入学したんだよ。笹本、彼女が説明会で話しかけてきたちょっと変な人」


「あら!?貴方の服装とか雰囲気の方がよっぽど変よ!フフフ…でも良かった。私、あんまり友達作るの上手くないのよ。友達になって?」


「ああ、良いっすよ。うん。ねえ、笹本も良いよね」


「うぇ!?ああ…はい。笹本です」


「よろしくね~!私、水堂ゆり!そうだ、貴方たちは今まで何か演劇とかしてたの?」


「俺はここに入る前に少し週一のレッスンを受けてたよ。笹本は何もって感じだな。君は?」


「私?私は親が音楽家だから歌を少しと、ミュージカルを少しやっていたわ」


「成る程、だからそんな良い声なのか。そりゃ声優も目指すよね多分成れるんじゃない?」


「うん、私もそう思う。でも成り方が分からなかったからここに来たのよ。まあ二年間よろしくね?私は帰るわ。じゃあね~」


なんなんだあいつは。場を荒らす事にかけてはちょっと凄いと思う。しかし何だか嫌な気持ちには成らないな。多分水堂の中身はアホなんだろう。アホ素直だから邪気が無いのだろう。


「やっべえ女だったな後藤。乳はでかかったけど」


「でかかった。ちょっと興奮した。今日はアイテム要らずだな」


そして誰と仲良く成る訳でも無く、帰りに笹本とゲーセンに行ったり古着屋に行ったりしました。楽しい声優専門学校生活が始まる。それは凄く楽しみだ。しかし先ほどの水堂との会話がひっかかっていました。「声優の成り方がわからなかったからここに来た」その当時は本当に成り方が不明でした。劇団から始める人も多かったでしょう。東京なら養成所などに直接書類を送ることもできたでしょう。私が住んでいた地域には大手プロが二社程度展開していましたが、ズブすぎる人間が言って大丈夫なのかと考えていました。この方法、この学校を選んだと言う方法は正解だったのか?そして何よりあんなクラスでやっていけるのか?私と笹本はいつも以上に大きく騒ぎ、買い物などを楽しんでいました。いや、フリをしていました。「俺はお前たちオタクと一緒じゃない。普通なんだ」と証明するかのように。



次の日、教室のドアを開けると昨日とは少し変わって、仲良くしているグループがあったりで多少空気が軽くなっていました。私も早く人と仲良くならねばと思ってまごまごしていましたが、相変わらず笹本と二人で自己紹介の始まりを待っていました。すると教室のドアが開き、見知らぬ人が沢山入ってきました。すわ山賊か!?と身構えたのですが、そんなはずもなくただの上級生でした。二年生の学校だったので上級生が居ました。そして心臓男先生が入ってきました。


「昨日を生き延びたアホダマ共!また今日も会ったな!では昨日告知した通り自己紹介を全校生徒の前でやってもらう!お前等の前に立っている人間は二年生だ!一年間地獄の訓練に耐え、真の海兵隊員まであと少しと言う先輩たちである!わかったか!?わかったら返事をしろ!お子様ランチの旗無し定食共!」


「ガンホー!!」


「昨日行った事も忘れるドアホダマはお前たちか!?上級生見せてやれ!」


「ガンホー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


おお、普通に声が大きい。これが訓練を受けてきた人間達か。そして服装もそれなりに普通だ。先輩とは言えど、将来は声優と言う椅子を奪い合う人達だ。今日は一丁かましてやろうじゃねえか。


自己紹介が行われました。さあ、皆どう言う風にするのか?ちょっと不安だなあ…


「僕は…!ずっといじめられていました!!高校も…行ってません!」


「友達なんて出来た事ないから人付き合いとか苦手ですけど…よろしくお願いします…」


「学生時代狂って自殺未遂をしましたが今は元気です!」


ヒエ!こいつ等マジかよ。確かに自己をかなり紹介してPRしてるけど方向性が違うじゃないか。この場ではネット掲示板の面接自己PRテンプレではお目にかかることが出来ない自己紹介が大量に行われました。マジでこれは誰か隠し撮りしてyoutubeにアップするべきですよ。本当にこれは経験した人間しか分からないですから。本当にキテる。パワーを感じる。


「おおおおお…」


「笹本、俺たちとんでもない所に来てしまったぞ。そしてもうすぐ俺だ。どうしよう。多少考えてきたが普通の自己紹介だ。こんなヤバイ空間だって思っていなかった」


「あれだよ、高校の時にクラスの奴が言っていた、困ったときはでっかい声と面白い動きをやれば良いらしいよ」


「そいつ天才だなやってみる」


「次!後藤健和!!お前の海兵隊魂を見せてやれ!」


人生で人前に立つと言う事は何度あるでしょうか?全員の目が私を見ます。全員の思考が私に集中します。

今まで特に目立ったことも無く、多少文化祭でバンド行為等をしましたがその程度でした。あの時は皆楽しむ為に私を見てくれたのでやりやすかった記憶があります。しかしこれは違う。皆が「こいつはどんな人間だ?」「こいつは俺より凄いのか?」「二年間付き合う上で仲良くなるか決めよう」といった、判断される側としての目線を人生で初めて受けたのです。正直足は震えていました。声も出るかどうかわかりませんでした。ただわかっているのはここに居る人間は100%純粋な味方では無いと言う事だけでした。しかしやるぞ。やらねばならぬ。俺は誰だ?後藤だ。何する為に来た?声優になる為だ。声優になったらもっともっともっともっと辛い事や緊張する事があるだろう。だったらここでビビってどないするんじゃ。やるぞ。俺は俺の生きてきた18年間をかますんだ。スイッチを入れろ。役者だ。俺は役者に成に来た。そのスイッチを入れろ。


「どうも!後藤健和です!!バンドやったりしてましたー!!!!!!!!いやー!!ねー!?皆、顔が暗いですよ!そりゃこれから声優の枠をめぐってぶつかり合いますよ!?でもね!!それ以前に、二年間一緒にやって行くんじゃないですか!!もっと!丸裸でぶつかり合いましょう!!な~にが丸裸!言葉じゃないか!こちとら体現してやるよ!!これが手本じゃ!!!」


完全に緊張で出来上がった私はとりあえず脱いでパンツ一丁になってみました。男性に慣れていないオタクガールからは悲鳴が上がり、上級生は爆笑し、男子生徒は露骨に嫌な顔をしたり爆笑したりしてくれました。


「以上!後藤でした!」


私はあえて服を着ないでパンイチで席に戻りました。


「あー、後藤。中々の海兵隊魂だ。この自己紹介イベントでパンイチになった人間はお前が初めてだ。良い海兵隊魂だったぞ。」


「ガンホーーーーーー!!!!!!!!」


「よし!お前等!パンイチ豚肉後藤野郎に負けるな!ガンガンいけ!!次!笹本!?おい!?どこだ!?逃げたのか!?海兵隊は逃げないぞ!!どこだ!?」


バアーーーーン!とデカイ音がしてドアが開けられました。全員がハッとしてその方向を向きました。そこにはパンイチの笹本が立っていました。


「笹本です!!後藤!!!被っとるやないか!!!!!!!」


ドカーンっと爆笑で埋まる教室。これはやったやりきった。良かった。笹本、お前は完璧だ。しかし俺たちは声優として何もPRしてないじゃないか。まあそりゃそうだ。今から勉強するんだからな。何の問題も無い。俺たちがツートップだぜ。それで良い。そう思わないと全身が塩の塊になって遠くの呼び声に連れされてしまう。

そして自己紹介は進んで行きました。我々の火照った体にはパンイチが丁度良かったです。「勝った」パンイチ二人組はそんな気持ちで自己紹介を見ていました。


「次!!水堂ゆり!」


「はあい!」


水堂でした。やはり水堂の声は何か魔法のような…本当に心にスっと染み入る声でした。先輩達も何か感じたのか、水堂の返事を聞いた時「後輩を見守るモードから」「敵を見るモード」に入ったのを感じました。


「水堂ゆりです。私は、小さい頃から歌をやってきたので、自己紹介の代わりに歌おうと思います」


歌?安易ですな。まあどれ程の物かね?と言う感じで全員が少し構えました。今までの自己紹介でも歌う人間は居たけど全員おっそろしい位滑っていました。そりゃ、一人でモーニング娘を歌ったりしたらもうちょっと心がどうかしてしまいますよ。見る側が。ブロークンハートだよ。


「じゃあ…そうね…この学校で知り合えた皆様の為に。アメージンググレイスを歌います」


Amazing grace

That saved a wretch like me…

I once was lost but now I am found

Was blind, but now I see…


何だこれは。何なのだこれは。これが、これが歌なのか。これが本当の歌なのか?クラシック独特の頭声発声、そしてアカペラでここまで、景色が見えるまで歌えるのか?何だコイツは…

歌が終わり、水堂がペコリと頭を下げました。拍手もなければ声も上がらないのです。全員が思っていたのです「こいつ、レベルが違う」と。


「あ…えっと…終わります!水堂ゆりでした!」


その瞬間魔法が切れたように全員がこの世界に帰ってきました。万雷の拍手、止まない歓声、パンイチの俺、上着をはおり始めた笹本。

負けた。完全に打ちのめされたのです。本物によって、声の力によって。完全に負けてしまった。そりゃ水堂にはバックボーンがあった。俺達には無かった。だから負けるのはしょうがない。でも、それで良いのか?「僕チン達はハジメテチェリーボーイズでちゅー!甘えん坊将軍だよ~ん!」と世間に甘えてしまって良いのでしょうか?この世界の事は全くわからないけど、上手い人間からチョイスされて世の中に出て、スポットライト、オンザマイク、メイキンマネーな生活を送ることができるのは何となくわかっています。同じ立場なのです。俺は声優に成るために何をやってきた?週一のレッスンには少し通った。それだけじゃないか。俺は何を作り出せる?俺は何を叩きつけられる?パンイチ?そんなもんは誰だってできる。できる上で選択されなかった答えなだけかもしれない。これは敗北だ。完全な敗北なんだ。


全員の自己紹介が終わり、皆それをネタに盛り上がったりしていました。しかし私と笹本に近づいてくる人間はいませんでした。そりゃそうでしょう。所謂ウェイな人間の行動をあまり人と関わる事に慣れていない人間が多い場所でやったのです。この結果は火を見るより明らかでした。しかし捨てる神あれば拾う神あり、私達に話しかけてきた人がいました。


「二人ともすごかったね。久しぶりに笑ったよ。」


そこには痩身で高身長、知的な空気が光る私達より年上っぽい男が立っていました。借りに彼を ポム巻仁 と呼びましょう。


「おや、ポム巻さん。俺たちはこのまま誰とも仲良くなれず、脱いで出落ちで受けを取った人間として過ごすかと思いました。ポム巻さんの会社のプレゼンみたいな自己紹介面白かったですよ」


「ありがとう。僕は大学卒業して社会人経験してからここに入ったからね。若さを武器にできないだけだよ」


「でもそれが武器じゃないですか。自己紹介で言ってましたけど、最年長なんですってね。よろしくお願いします」


「いやいや、こう言う所は能力とかで判断されるべき所だから年齢関係無いよ。全然タメ口で良いしさ。でも中々変わった所だねここは」


「後藤とも話していたんですけど、死のうとした!とか言う人が居てドン引きですよ。弱腰ヘボ正君でしたっけ?どうやって同じクラスで仲良くなったら良いかわからんですよ」


「いやあ、あれは強烈だった。今回は水堂さんと弱腰君が目立ったよね。良い意味とちょっとアレな意味で。でも教室の空気少し変わったよね。皆の距離が近づいてきてる」


言われてみるとそうでした。今までは誰もが「近づきたいけど近づけない」と言う気持ちで興味だけを飛ばして受身で居たのですが、自己紹介が終わってからは自分から話しかけていく人間が多かったのです。教室の中にいくつかのグループが出来ている感じでした。

そしてその中でも妙に盛り上がっているグループがあります。

八神庵の出来損ないみたいな無禄真司。いわゆるロリータむき出しの権現雑魚美。そしてその周りには説明会で出会った豚骨と、あと数人で何か盛り上がっていました。


「私ね~!絶対に声優になるの!!もう小さい頃から夢だったんだよね~!!本当にこれからよろしく!私、天然だから迷惑かけちゃうかも知れないけどよろしく~!」


「雑魚美ちゃん、凄い可愛いし声も良いし今でもプロって感じがするね?」


「もー!無禄君~!はずかし~!」


「でもちょっと身長が低すぎるかな?」


「も~!ちっちゃいってゆーな!」


うわあ、ブっ殺してえなあ。これか、これが例のアレのソレか。どの時代にも居るのか。姫だ。完成系だ。


「ブヒ!おい無禄君!!ちょっと初対面なのに近付き過ぎだよ!!みんなの雑魚美ちゃんだよ!」


「も~!豚骨君も恥ずかしいよ~!」


多分ですが、いや、多少失礼な物言いだとは思いますが、彼らはアホなんでしょう。でもそう言う物なのでしょう。正直私と笹本は高校の時も中学の時もそれなりに普通でした。スポーツやバンドに明け暮れたりして、お互いに童貞と言えど普通に女性と遊んだりなどもしていました。しかし、声優専門学校に来る人間は、ネットも無かった十年以上前の声優専門学校はそれは恐ろしい所でした。今なら診断書をもらえるレベルの人間もガンガンに居ますし、本当に人と全く話せない人間も居ました。

こう言う事を言うのはイカン事ですが、人間には宗教とは別のカーストがあると思います。考えてみてください。貴方が学生の時、言葉には出さなくても身分の違いなどありませんでしたか?あったと思います。リア充はリア充とつるみ、普通は普通とつるむ。そしてスクールカースト底辺の人間は…つるまないで孤独に生きる。そう言う景色を見た事あると思います。なぜそんなカーストが生まれるのか?それは「見ている世界が違う」と言う事に尽きると思います。

見ている世界が違うから会話も通じないですし、お互いの心や欲求を感じ合えないのです。そこでコミュニケーションブレイクダウンを引き起こし、結果としてカーストが形成されるのです。元々、この分類はカーストと言われる物では無かったと思います。しかし人間は区別や差別をする生き物です。自然と「自分より充実していない人間は下」と感じる事で自分自身の優位性を立ち上げて行くのです。


彼らは今まであまり人と話してこなかったんだろう。あの妙に作った話し方、妙に近い距離感、妙に気を遣って褒め合う空気、その全てがそう感じさせます。だからこそ彼らは仲良くするのでしょう。だからこそ孤立を避けようと頑張るのでしょう。そしてカースト底辺に居た人間には特殊能力があります。「嗅覚」が優れているのです。これは敵味方を判断する嗅覚では無いです。「近い境遇」の人間を嗅ぎつける嗅覚です。

多分彼らは私達に話しかけないのは「こいつらは違う」と言う匂いを嗅ぎとったからなのでしょう。そして同じ匂いの人間と話す。多分彼らからしたら人と話すと言う事は人生でもかなり勇気が必要な事だったのかもしれないです。

高校デビューと言う言葉がありますが、高校は実際問題同じ中学校の人間も居るので中々デビューは難しいじゃないですか。だからこそ声優専門学校で、ここに居るのは同じ「声優になる」と言う夢と目線と目的を持った人間が殆どで、そして昔の知り合いなんて一人もいません。彼らはここからが人生のスタートなのでしょう。専門学校デビューです。

あの八神庵みたいな服も、あのロリータ服も買ってきたばかりなのでしょう。服が綺麗過ぎます。しかしそれらを突っ込んではいけない。彼らは挑戦をしたのです。自分を変えると言う挑戦を。その勇気は買うが瘴気が濃い。むせ返るような瘴気。一体彼らはどんな人間なのか?


ここで少しどう言う人間が声優専門学校に入学するのかをざっくりと説明したいと思います。いろんな分類は出来ますが、最初の心持ちとしては下記のタイプがあります。


①ガチ勢:マジで声優&役者になりたくて来た人間。老獪にして狡猾。でも辞める率は何故か高い。


②夢見勢:昔からの夢だったから!で来るあまり現実見てない人。何故かここから突然変異のようにうまくなってプロになる人間も居るが大抵は現実に殺される。


③世捨て勢:就職も進学も何か嫌だし、取りあえずアニメとか好きだから来る百鬼夜行。入学式二日後に辞める猛者も居る。


そして全員に共通する事は「とりあえず一人は嫌だし仲間を作りたい」と言う事になります。そしてそこには勿論「できれば異性の」と言う言葉が付いてきます。


「ポム巻さん、彼ら距離感近いっすね」


「後藤君もそう思う?でも大学のサークルでもあんな感じだったな」


「成る程、でもそれで何か問題は起きたりしました?」


「起きた。一人の女の子がサークルの人間とヤリまくって潰れた」


やっぱりかよ。世間をにぎわせているオタサーの姫と言う存在は十年以上前から存在したのです。しかし姫はどう言う風に作られるのか?

それは「褒められ慣れていない人間が褒められて図に乗る」

と言う事がスタートだと思います。そして姫だけとは限りません。同じ要素が存在すれば性別を超えて「王子」が生まれるのです。


「無禄君かっこいいー!コスプレとかしてた???」


「無禄君ほそーい!」


「無禄君もてそー!」


おいおい、刈上げの八神庵の出来損ないがそんなはず無いだろう。しかし専門学校に入学する時「自分はこう有りたい」と思う存在を作って入学してきたのでしょう。彼ら、彼女らは演じるのです。「こう有りたかった自分」を。「そうありたい」それは欲求であり願望であり自分を高みにジャンピングジェットフラッシュさせてくれる試金石でもあります。しかし、多くの人間が大変なことになります。理想と現実は違うのです。その違いのギャップがでかいほど何故か気がつきにくくなり、もうなんか色々アレな状態になるのです。


「なんだか恋愛で揉めそうっすね」


だろうな。とは言いませんでした。言う必要も無さそうです。甘くうっとりとするような恋愛は最高です。人の事をしっかりと考えられるようになる。しかし、ファンタジーなラブ概念を心に持ったまま、あまり人と、異性とかじゃなくて人と付き合ってこなかった人間はどんなラブファンタジーで現実ラブにギャロップするのか。これはおもろい事になるでえ!と思っていました。するとその時、


「こんにちは!自己紹介面白かったよ!!ちょっとびっくりしちゃったけど」


声の方を向くと伝統工芸品みたいな顔をした女が目に入りました。


「おや、どうもどうも。改めまして後藤です」


「笹本です。えーっと、桜丸ミロさんだっけ?中高演劇部だったって言っていた」


「あ!覚えててくれたんだー!うれしー!何だか自己紹介で目立ってた男三人が固まってると思ってお喋りしにきちゃった!」


「僕は脱いで無いから一緒にしないでくれるかな」


「ポム巻さん、心は丸裸で一緒じゃないですか」


のんびりとお喋りをしていると、工芸品の後ろで人見知りオーラを放っている女性に気がつきました。確かに数時間前自己紹介をしていた人間です。しかし全く印象に無い。もしかしたら彼女は世の中の影を集めた何かの集合体なのか?それとも春の日が見せた幻だったのでしょうか?


「えっと…彼女は…」


「あ!私ばっかり喋っちゃってごめんね!彼女は雛子ちゃん!何だか自己紹介が上手く出来なかったから、目立った人と話してみたいって言っていたから連れてきちゃった!」


雛子は顔を真っ赤にして、目線をこちらに合わせないで子犬のようにプルプルしていました。多分この子も人と話す事に慣れていないのでしょう。そして、そんな自分を変えたいと願っている一人なのでしょう。


「どうも。後藤です。大八さん…大八雛子さんだっけ?セクシーな自己紹介してごめんなさい」


「ううん…良いよ。よろしくね」


それだけ言って雛子はスススと移動し、教室のドアを開けて何処かに行きました。


「これは嫌われてしまいましたなあ」


「そんな事無いと思うよ~?私、入学前の説明会で何度か会ってお茶してるけど、普段結構喋ってるし照れてるんじゃない?」


誰もが戦っています。照れと。過去の自分と。今の状況と。

それは本当に素晴らしい事です。戦う事で結果は問わず人は強くなる事が出来ると思います。現に勇気を出して全員が声優学科全員の前で自己紹介をしました。自己紹介前は本当にただただ静かだった教室が、今では笑顔や言葉で溢れています。全員がわかったのです。「ここには私を否定する人間が居ない」と。それは本当に誰もが待ち望んだ世界だったでしょう。人は多かれ少なかれ否定されます。そしてその否定は本当に辛い物です。だけど、ここに居る人間は全員が同じ方向を向いている。合う合わないは有ったとしても全員が「仲間」なのです。

その仲間達と、強烈な日常、炸裂する思い、交差する欲求。今まで18年生きてきた人生の濃度よりも遥かに濃い、今までを低脂肪乳のような人生とするなら、これからは練乳と言える程の濃厚な二年間が始まるのです。私は期待に胸をふくらませながらも、そのふくらみを容赦無く割る針に恐れながら扉を開いたのです。

人生と言う劇場の扉を。まるで喜劇のような。全て丸裸の世界。正にそこはバーレスクでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る