第9話 晩惨会


   *


 霧の中を、僕は一人歩む。

 冬は朝早い内が良い。人々が静まり返り、夜の残党がまだ跋扈している間に散歩するのは、最高の贅沢だ。

 霞んだ視界の向こう側に、黒い影が見えた。

 それは扉だった。

 鍵は開いている──誘っているのか。

 扉の向こうは、見慣れた僕の図書館だった。違うのは、中央の椅子に座っているのが皇だということ。

「記憶とは、扉ですわ。無数に連続する現実を隔てる障壁。私はそのすべての鍵を握る者──〈解錠師/オブリビオン〉」

 名付けることは呪いだ。そのものの本質に形を与える行為。

 悪魔が自らの真名を教えるということは、相手に自分をすべて委ねるということ。もしくは、絶対に相手を殺すという誓い。さて、これはそのどちらだろうか……。

 皇は黒くシックな服装で、まるで喪に服しているようだった。きっと、これから死ぬ誰かのために。それはあるいは僕かもしれなかった。

 今なら、その触手の多い魂の本質も、人を突き放したような美貌も、正しく見ることが出来る。

 人の根っこに醜悪さがあっても、人は根っこだけで生きているわけではないのだ。美しさも醜さもすべて彼女を構成するものなのだ。それがわかる。

「さあ、最後の質問を受け付けましょう」

 するりと皇の対面に、影が浮かんだ。それは黒々とした格子状に絡み合い、複雑な工程をスピーディにこなし、最後に安楽椅子の像を結んだ。皇が座ってるものと同じ形。

 彼女にうながされるままに、僕も深く座る。

 さて。

「お前は、この事件を解決されちゃあ困ると言った。あれは助野と契約して悪魔に仕立て上げたのが、お前だからだな。助野一人の魂にそれほど価値があるとは思えないから、きっとこれから奴が手に入れる魂の何割かを上納するという条件付きだったのだろう。しかし、助野は手に入れた女共の魂が惜しくなって、お前に反逆した。資金源を潰されちゃ困るし、制裁するにしても自分でやらなきゃ示しがつかない。灰川が介入したところで殺されるだけ。だから、僕を締め出そうとした。そうだな?」

「それはもう質問ではありませんわね。知った風な口をきいて」

「僕にはわかる」

 そう言うと、皇は黙り込んだ。

「次の質問。の前に言っておくことがあったな。僕は記憶をいくらか取り戻した」

「──っ」

 変拍子/横っ面をひっぱたく。効果はバッチリ。

「僕を悪魔にしたのもお前だってことと、僕が子供の頃にいじめをするような最低野郎だったってこと。あの時にいじめられてたのは皇、お前だったんだな。僕の記憶を奪ったのは、その復讐だ」

 一回目が正しく機能すれば、二回目以降のハッタリも効くはずだ。

 僕はあえて上から目線でそう言ったが、正直憶測が多かった。皇の敵意をそう解釈するしかなかった。皇の行動性には微妙に一貫性がなかったけれど、そのブレを僕は感傷だと推理した。

 人は正しさのためだけに生きているのではない。感傷は、その謂いだ。

 皇はどこか挑発的な表情で、あごをしゃくった。肯定とも否定ともつかないので、とにかくそのまま最後の質問へと向かう。

「三つ目は、そうだな、お前に、謝らせてくれないか?」

「は?」

 この質問が最も予想外だったのか、皇は普段から想像もつかないようなビックリした表情になった。

「だから、謝りたいんだよ。僕の身勝手な言い分かもしれないけど、お前に償いがしたい。手付金として、助野のことは代わりに僕が片付けるし、これから僕が手に入れる魂は僕を維持する分以外はそっくり全部あげるよ。だから、」

「……あなたは、本当に、人の心なんて何もわかっていない!!」

 怒られるのは予想していた。

 僕の言ってることは、手前勝手な許されて楽になりたいという甘えそのものだったから。

 でも、皇は泣いていた。

「あなたは、あなたは、記憶の本質をはき違えている! 記憶は連続するもの、ただ劣化して失われるだけじゃない。記憶は変質するものですわ! あなたは私をいじめたことなんてなかった! 本当は、うえっ、あなたは私を、へぇっ、助けて……うう……」

 頭を棍棒で思い切りぶん殴られたような気分だった。

 自分の土台が崩れていくのを感じる。まさか、そんな。

「えっく、私、あの子が大嫌い。まーちゃんは、幼稚園の時から、何でも私の欲しい物を持って行っちゃうんですもの。嫌い、嫌い、大っ嫌い!」

 あー、えーと、まーちゃんってのは灰川のことか。真澄だもんな。マジかよ。僕じゃなくて、皇の記憶の方が間違ってるんじゃないか?

「だから私はあなたを、ふぅう、まーちゃんへの記憶を失くしてしまえば、私の方へ来るかと思った! でも失敗した!」

 僕にはわからない。自己否定が根深すぎて、好意を向けられることの意味も、価値も、ふわふわと宙に浮いたまま捕まえられそうにない。それでも、皇が(ちょっとどうかと思うやり口で)僕を手に入れようとしたことは、簡単に終わらせてはいけない気がした。

 急いで頭の中を整理する。


・皇と灰川と僕は、子供の頃からの知り合いで三角関係。

   ↓

・灰川は僕をかばって交通事故で意識不明に。それを回復させるために、僕は元々悪魔だった皇と契約をする。

   ↓

・(空白)

   ↓

・皇と助野が契約、助野は新しく得た力で殺人を繰り返す。

   ↓

・僕は無自覚に悪魔の力を使い、助野と接触を始める。

   ↓

・灰川、僕にドロップキックをキメる。


 時系列順に表すと、こんな所か。

 空白期間の皇の行動や動機は推測するしかないが、恐らく灰川への敵対心から僕の記憶を消したのだろう。そして、悪魔としての生活の一環で助野と契約、他にも僕が知らないだけでもっと契約している相手はいたのだと思う。そんな感じ。

「…………忘れなさい」

 しばらく泣いた後、皇は僕に向かって手をかざした。


 ──ガチャリ、と僕の頭の中で鍵がかかる音がした。


 目の前に皇が座っている。頬が濡れていた。さっきまで泣いていたのか?

 状況を確認するため、僕は右手を見た。掌にはこう書かれている。「044APD」。図書館のある座標から、本を一冊取り上げる。その間、僕は椅子から一歩も動かない。

「何……?」

 いぶかるようにこちらを見る皇。気付いたようだが、もう遅い。

 僕は記憶の参照を終えている。

 ──僕は思い出した。

 皇を泣かせてしまったことも、僕が馬鹿だったことも。

「ここの扉を開けた時点で、僕が世界をずらした。ここは本物の僕の『図書館』だ」

「まさか、妄想を亜空間に実体化させているですって!?」

 良いリアクションをしてくれるなあ。嬉しくなるよ。

「夢の国は僕の頭の中の妄想だけど、同時に外部記憶装置でもある。僕の頭の中から記憶を消しても、バックアップはしてあるんだよ」

 変化の術式は、僕の自己否定の表れだ。

 惨めで情けない僕を捨てて、夢に見るような立派で誰にも誇れる理想の僕になりたいという心の虚像。しかし、同時に省エネという側面もある。

 僕の『図書館』、ひいては『夢の国』を維持するのに魂のほとんどを注ぎ込む必要があるからだった。

「キーッ! もう! 殺しなさいよ! 私が憎いんでしょう!?」

 錯乱している皇をなだめるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 本当のことを言うと、一旦冷静になった皇が『図書館』を破壊しつくしてから僕の記憶を消してしまうという選択肢に気付いてしまうのが怖かった。

 それに、僕の記憶が間違っていたということは、『図書館』の記録の信憑性も怪しくなってくる。ここは誤魔化しの一手だった。

「皇さ、僕は下手したらお前のせいで死んでたけど、記憶を取り戻した今となっては、そんなにお前を憎む気にはなれないんだよ」

「え……?」

 お前のおかげで灰川も助かったわけだし、とは言わない。

「まあ、その、何だ、お友達になりませんか」

「……あなた、本当にスケベな人間ですわね。憐みで女をたらし込もうなんて、品性下劣、最低のゴミ人間のすることですわ」

 大正解。返す言葉もございません。

「覚えていらっしゃい。あなたは! この私! 皇四時がァ! 正々堂々真正面からド頭カチ割りはらわたブチ撒け、ぶっっっっっっっ殺してさしあげますわァアアアアア!!!」

 皇はその怒りを反映するようにドス黒い獄炎に包まれ、骨の一片まで焼き尽くすようにして姿を消した。

 ほんのわずかの間に、いよいよ自分がゲス野郎になった気がする。僕に女衒の真似事が出来るなんて、思いもしなかった。結果は惨敗だけど。

 この分も償いをしなきゃなあ、と思う。結局は、社会的な善悪の倫理観ではなく、僕自身の罪悪感が問題になるのだ。

 あるいはそれこそが、極端な自己投影と自己否定を繰り返し、見失われる僕自身を取り戻すための、楔なのかもしれない。

 ふと、ため息が漏れた。

 しばらく、ここにも用事はないだろう。

 立ち上がり、外へと向かうことにした。もう霧は晴れているだろう。

 扉を閉め、鍵をかける。


 ──ガチャリ。


   *


 鍵は灰川が持っている。最初に来た時に、合い鍵を作ったのだ。

 冷蔵庫は、使っていない部屋に透明にして置いてあった。

 助野は最後の被害者を解体しているから、もうしばらく帰ってこない。

 料理の下ごしらえも済んだ。

 玄関先にかけられた時計を見る。もうすぐ八時だ。

 あとは、迎え入れるだけ。

 ──呼び鈴が鳴る。

「どうぞ」

 僕は助野の家のドアを、内側から開けた。

 本来よりも一時間早く変更した集合時間を知らされたクラスメイトたちは、タキシード姿の僕を見て驚いている。

 集団の中には、皇もいた。あっ、眼を逸らされた。

 集まった彼らが、どういう基準で選抜されたのかはわからない。明らかにクラスメイト全員ではないし、彼らが特別仲良しグループなのかと言うと、違うような気がする。気がするとしたのは、僕がクラスメイトの顔も名前も全然覚えていないからだ(興味がないことを覚えなければならないのは、オタク気質の人間にとってはほとんど拷問だ)。

 勝手知ったる殺人鬼の家、有無を言わさずダイニングに案内する。机を配置しなおせば、十数人ほどは簡単に入るほど広い。

 灰川はそこで既に座って待っていた。長方形の机の短い方の一片、上座を堂々と占拠している。

「やあやあ、諸君。ようこそ来てくれたね。今日は少し趣向を凝らそうと思って、悪いとは知りつつもパーティを乗っ取らせてもらった。代わりと言っては何だが、美味しいお肉を振る舞うので許してくれたまえよ」

 上等の三つ揃いに身を包んだ灰川の雰囲気に、みんな呑まれてしまっている。

 僕はクラスメイトに座るようにうながしながら、一人ずつ水を注いでいく。途中、気になったことがあったので確認してみることにした。

 青リンゴのヘアワックスのにおいをぷんぷんさせている男の椅子を引きつつ、耳元に口を近づける。

「髪を弄りすぎだ。おたく、その内ハゲるよ」

 反応──舌打ち/肘打ち/侮蔑の視線。予想通りだ。

 肋骨に熱を感じながら、僕は考える。

 彼のしたことは、正しい反応だ。こんな風に嫌われ蔑まれるような人間なのに、灰川や皇はどうして僕なんかが欲しかったのだろう?

 タイムマシンがあったら、子供の頃の僕がどんなたらしだったのか見に行きたいくらいだ。

「さて、食事という行為は生きていくためには必要不可欠な行為だ。しかし、我々人間は社会的な動物であるため、肉体的な空白を埋めるという意味だけを食事に求めない。僕たちはただの栄養補給の手段としてではなく、精神の空白を埋めるために食事という儀式を為すのだ」

 灰川の演説が始まったので、僕は隣接した台所に移る。と言っても、ここからもお互いに目線を交わせるような、広く開けたいかにも洋風の台所だ。見ようと思えば、料理をしている様子も見られる。

 においが移らないように、上着を脱いで、エプロンをかける。

 あらかじめ一度60~70度のお湯につけて低温調理しておいた塊肉を取り出し、焼き始めた。

 その間も、灰川のお喋りは止まらない。

「儀式という言葉の響きを、大袈裟だと見る向きもあるだろう。しかし、考えてもみたまえ。特に意味はなくとも毎日やってしまう習慣、何となく縁起が悪いからと言って避けてしまう行為。それらには無意識に呪術的な意味が込められ、知らず知らずの内に周囲に影響を与えているのだ。これを儀式と呼ばずして何とするのかね?」

 肉の表面に焼き目を付けているが、正直あまり自信がない。なるべく頑張って調理してるつもりだけれど、本当に美味しいのかと。自分の技術以上に、素材の味の問題だった。

 僕たちが普段食べる家畜は草食動物ばかりで、肉食動物は美味しくないらしい。ならば、彼女たちは何を食べていたのか。

 調理が済むまでの間、前菜としてスープとサラダを先に出す。後のことも考えて、極々さっぱり系のものに留めておく。

 僕が出来るのは最低限の家庭料理であって、いわゆるごちそうは作り慣れていなかったのだけれど、みんなの反応を見るかぎりだと、結構上手くいってるようだ。

「これでわかったね。食事は儀式だ。何てことのない塩と酸味が、これほどまでに僕たちの心を楽しませてくれるのだから」

 みんなが笑った。僕もお愛想程度に笑いながら、調理を進める。

 既に塊肉はフライパンから上げられ、粗熱を冷ましている。せっかくなので、そこそこ分厚く切り分けて、醤油と酒ベースに玉ねぎのみじん切りやショウガを混ぜて煮込んだオリジナルのソースをかける。ローストビーフ風特製ステーキの出来上がり。中心部の赤みが、眼に美しい。

 さて、ここからが更に忙しい。前もって衣を付けておいた、ぶつ切りの肉を取り出す。から揚げにするには準備が大変だったので、フライパンのまま油を追加して揚げ焼きにする。低目の温度でじっくりやらないと、中まで火が通らない。

 そっちは一旦置いておいて、薄切りにした肉をキャベツと人参と一緒に炒める。こちらは早く出来るので、先に出しに行く。

 最初のステーキは一人ずつの皿で出したが、あとはどんどん大皿で出していく。灰川は雰囲気が壊れると怒るかもしれないけれど、仕方ないと諦めてもらうしかない。

 チラリと様子をうかがうと、みんなとても美味しそうに食べている。

 特に灰川は物凄い勢いでお代わりを繰り返している。最初から置いておいたバスケットのパンが空になりそうだ。

 皇はと言うと、下品にならない程度にガッついている、ように見えるが、実際には食べずに人間の動体視力では見えない速度で捨てている。どこに捨てているのかと言うと、多分異世界とか亜空間とか、よくわからない場所だと思う。スープは美味しそうに飲んでいたから、単に材料が気に食わないのだろう。


 ──玄関のドアに仕掛けた、極細の魔力で紡いだ糸が切れるのが感覚された。


 助野が帰ってきたのだ。

 僕は灰川に目配せをして、助野を迎えに行く。

 まず助野は、家に電気が点いていることに気付いて警戒する。そして、玄関に鍵がかかっていないことを確認し、いよいよ気を高ぶらせながら、玄関に複数の靴があるのを見つける。

 しかし、僕の細い魔力の糸には気付くことが出来ない。僕の魂のにおいにも。

 だから、玄関で僕に迎えられた時、一瞬思考が追いつかない。

 助野はゆったりとした体のラインを隠すような服を着ていた。常の彼女のスタイルではない。

「な、っ!」

 眼を赤く光らせ、魔力を励起するけれど、靴がたくさんあったことを思い出して、助野は動けない。その中にある皇の靴を助野は覚えているからだ。ここで僕を消すには、目撃者が多すぎる。

 僕には、全部わかる。全部伝わってくるんだ。

「おーい、由良君! お代わり!」

 灰川の声が聞こえてくる。打ち合わせ通り。

「はいよー。助野が追加のお肉を持ってきてくれたよー!」

 ダイニングにいるみんなの笑い声が、水をかけられたように引いていったのがわかった。これも予定通り。

 実際、助野はグループの外に友達がいない。

 クラスの連中も、ただそこにいるだけだ。グループの外の人は、彼女の心の中に一歩たりとも踏み込んではいない。誰も明文化してはいないし、自分たちで認めたりはしないだろうが、事実だ。

 みんな自分でついた嘘を壊される事態に、酷く臆病だ。だからこそ自分でついた嘘を自分で信じるようにして、虚構の強度を高める。

 しかし、本当のところは今回のパーティも、家が金持ちで広い場所があって、メインの肉を助野が用意して、面倒くさいことを言ってくる大人がいないから開けただけ。

 そのことをうっすら思い出させられて、みんな気まずくなったのだ。助野がいなくてもはしゃいでいたことへの罪悪感。

 もっとも、だからこそ灰川と僕とでパーティを乗っ取ることが可能だったのだけれど。

 助野の心が傷つけられて、魂が揺らぐのが視界の端に見えた。しかし、命の核までは見通せない。やはりどこか別の場所に隠しているのだろう。

「ほら、渡しなよ。僕が調理するからさ。美味しいよ」

 そう言いながら、僕は助野が持っている人ひとり入りそうなくらい大きなドラムバッグに手をかけた。その時、あえて助野の手の甲に触れる。

 ビチッ、と湿った柔らかい物に鞭を打つような音がして、僕の右手に激痛が走った。

 見ると、玄関に飾られた深い海が描かれた油絵に、小指が塗り込められていた。高速で千切り飛ばされた僕の肉が、貼りついてしまったのだ。

 僕の手を払う代わりに、助野はバッグを取り落していた。小指を再生させつつ、無傷の左手でバッグを奪う。

 バッグを落とした理由は、男性嫌悪の情を上回るほど本当は大事な物じゃなかったから。バッグの中には、ビニール袋が擦れる音。重さは血抜きした肉のぬめり。骨は解体した場所で砕くなり埋めるなりして処分したのだろう。

「このバッグは、陸上部で使うつもりで買ったんだな。でも、部活で大した成績も上げられなかったから、遠征や大会で使う機会もほとんどなかった。こんな風に汚れ仕事に使っても、遠くない内に捨てられて、問題ない。そうだよね?」

「私は、お前みたいな男が大嫌いだ。無遠慮で、いやらしく人の心をレイプする」

「おたくの攻撃性は小心さと、その被害者意識が生み出しているんだな。だから例え僕を完全に殺しきったとしても、ムカつきはなくならないだろうね。それと、一人称。ブレてるよ」

 怒りで助野の指が細かく痙攣しているのが見えた。これ以上は暴発する可能性があるので、急ぎ離れる。

 そろそろ、から揚げもどきに火が通ってるはずだ。


 味覚への心地よい刺激や満腹感は、人の攻撃性を程良く削いでくれる。

 話し合いの席に食事を挟むのにも、そういう意図があってのことだろう。助野はかなり殺気立っていたし、皆は気まずさを噛んでいたけれど、どんどん皿を重ねるたびに場の空気も丸くなっていった。もちろん、そう思っていたのはその他大勢の連中だけだろうけど。

 今はもうほとんど小康状態で、肉を食べているのは遅れて来た助野と、底なしの灰川だけ。あとはみんな飲み物で口を湿らせるばかりだ。

 僕はと言うと、大まかな片付けを終えて、灰川の隣に座ってスープの余りを飲んでいる。

「由良君は食べないのかい?」と灰川に聞かれるけれど、「食欲がないんだ」と誤魔化す。共犯者だけに通じる、暗号めいたやりとり。

 その後も、灰川の饒舌は止まらない。べらぼうな量の食事と、弁舌を上品に両立する、類稀な才能。

 皆がパーティの余熱に浮かれつつも灰川の一挙一動、一言一言から眼が逸らせないのは、灰川が探偵だから。そして、灰川の謎解きはもうとっくに始まっているからだった。

 少しずつ、少しずつ、場の空気が粘度を増している。灰川がそう仕向けているから。

 きっとここにいる誰もが、気付かぬ内に水槽の温度を上げて茹で殺される魚のように、無自覚に何らかの役割を与えられ、そして灰川の掌の上から逃れることは出来ないのだ。

「さて、前述の通り儀式というのは信じる心から生まれる。同時に、信じる心が儀式によって形作られることもあり、鶏と卵のような関係なのだ。人はただの行為に意味を見出し、意味から行為が発生するのだよ。君、何か信仰はあるかい?」

 唐突に、灰川は左隣に座った津田を指差した。

「俺? えと、婆ちゃんが真言宗で、親も一応そうかな」

「君自身は?」

「特に、何も信じてない。だって、興味ないし」

「隣の君は?」

「私も特にない。だって神様とかいないし」

「無神論者だと?」

「かもね」

「無神論自体が一種の信仰だと考えたことは? 自分で証明して原理をすべて把握しているわけでもない科学を無条件に信用することが、一種の宗教だと考えたことはないかい? 自分の何不自由ない生活が明日も続いていくはずだという考えが、何の根拠もなく、神とも言えるような根拠のない絶対性を、無自覚に信じることで生まれるものだと、本当に考えたことはないのかい?」

 僕はそっと周囲に視線を配る。

 皇は泰然と、助野は据わった眼で、その他は自分の無自覚なアイデンティティへの攻撃へ、落ち着かない反応をしている。

 まだ何も問題はない。今は、まだ。

 いざとなったら、僕が動く。その瞬間は、なるべく先延ばしにしたいというのが本音だけれど。

「例えば、ここに一人の殺人鬼がいたとしよう。彼女は彼女の倫理と必要に駆られて人を殺す。周囲から見れば理解出来ないかもしれないが、誰にだって自分のルールがあるし、他人が立ち入れない部分がある」

 以前、灰川の言ったことを思い出す。

 ――探偵は正しくある必要なんかない。

 全くその通り。

 この時点で、灰川は既に誘導を始めている。常識を揺らがせて、身近に殺人鬼が存在することを受け入れる下地を作る。そして、呼称をあえて「彼女」とすることで、偏見を煽動する。

 これを聞いている人たちは早くも、正確に騙されかけている。

「彼女は人を殺しながらも、社会に紛れ込む必要がある。何故なら人間は社会的な動物であり、この日本で生きていく上で関係の断絶は許されないからだ。彼女は社会で生活する。

 だからこそ、誰も彼女を殺人鬼だとは思わない。何故なら、多くの人間にとって『人は人を殺してはいけない』というルールは信仰となって、疑うことを忘れてしまっているからだ」

「そんなわけないじゃん!」

 尖ったあご、肘、肩。痩せていることにのみ美醜の判断を委ねてしまったような女が、不愉快を口角から飛ばしつつ異議を挟んだ。自分の常識の外にあるものを認識できないタイプにありがちな、甲高くせっかちな口調。自身の常識=幻想への執着には自覚がない。……こいつ、誰なんだろう? ここにいるからにはクラスメイトなんだろうけど、やっぱり覚えていないと不味いんだろうか。

「じゃあ、人は人を殺していいってわけ? 法律を無視するってわけ?」

「僕が人前で推理をするのは、君みたいな馬鹿がいるからだ。馬鹿を正しくコケにしてやれば、他の馬鹿が僕のことを賢い奴と思って、これから言うことをスムーズに信用してくれるようになる。

 まず、倫理に互換性はない。人殺しをすることを是とする人間と、否とする人間はただ分かり合えないだけ、それ以上でも以下でもない。そして、君の倫理観について僕は話していない。この世にはただ、人を殺す人間も存在する、という話をしているんだ」

 痩せた女はすっかり顔色を失ってしまった。年老いた雌鶏のように、へたりこむ。彼女はたった今の瞬間まで、自分にどれほどの価値を見ていたのだろうか。そのすべてが、灰川によって無に帰してしまったような憔悴具合だった。僕は場違いなのはわかっていても、不意に「この人は、肉が固くて不味そう」なんて考えが浮かぶのを止められなかった。

 議論の基本として意見と人格は関係ないのだが、灰川はわざとそれらを絡めて否定した。

 これから先、彼女に発言権はないだろう。また、みんな二の舞を恐れて不用意な合いの手を入れることもなくなった。彼女は生け贄だ。今後の推理を披露するにあたって、灰川が有利になるための仕込み。それが上手く機能していることを確認して、満足げに灰川は続ける。

「人は人を殺す。誰しもが忘れがちだが、これは事実だ。ニュースを見れば、すぐにでも思い出すだろう。しかし、皆がこれを無視して生きているのは、心のどこかで『これは自分とは関係のないことだ』と考えているからに過ぎない。別に悪いことではない、立派な防衛反応だ。自分もいつ誰かに殺されるかもわからない』と思うならまだしも、『自分だって何かの拍子に人を殺してしまうかもしれない』と思うことは多大なストレスだからだ。

 だが、今この場においては念頭に置いてほしい。人は人を殺す」

 一部、つまり灰川・僕・皇・助野の四人を除いて、この場にいる人たちの眼が急激に恐怖と猜疑心で曇っていくのがわかった。

 特に、殺人鬼を『彼女』と呼称したせいで、女性陣への視線が刺々しいものに変わった。

 彼らの中でも想像力たくましい者は、口元についた肉の油のべたつきを、不吉に感じているだろう。

 誘導された結果だとも知らずに。

 犯人が最初からわかりきった、出来レースだなんて考えもせずに。

「それでは基礎が済んだので実践へと行こうか。ここしばらくこの街を騒がせていた連続失踪事件、あれが殺人事件であると僕たちは突き止めた」

 場の静寂が、いよいよ張りつめた。皆、身じろぎ一つ出来ずにいる。

 知っていることとは言え、緊張感に口の中が渇く。

 誰かの唾を飲む音が、やけに大きく響いた。

「事件の被害者は、足立玲美、高木詩歩、平田瑠華。そして、まだ公になってはいないが新城真由。いずれも僕たちの通う学校の同級生だ」

 周知の事実を目新しい風にチラつかせることで、自分で考えた意見のように思い込む。実際は興味を誘導されているのに。

 みんな、本当はわかっているのだ。今挙げられた人が、みんな同じグループにいたことも、最後に残った助野が最後の被害者になるにしても犯人だったとしても、自分たちがそれを見たいからこのパーティに来たということを。

 恐怖/猜疑心/期待/タブーへの欲情──嘘つきばっかりだ。みんなこの感情を認めたりはしないだろう。でも、だからこそ、嘘つきだ。

 人は人を殺す。肉体に限ったことじゃない。人は他人の精神を殺すし、自分を殺す。

 そして、実はそれ自体は善でもなければ、まして悪でもないのだ。人を卑しめる心も嘘も殺人も、恐ろしいほどのそっけなさで、ただそこにあるだけ。それに色をつけるのは僕たち自身に他ならないのだ。

 悲しみも醜さも愚かさも、僕たちの価値観というフィルターを通さなければ、それだけのことなのだ。

 そっけなく、ただそこに存在することの恐ろしさ。僕は耐えられずに、一人身震いした。

 それを視界の隅に捉えた灰川は、より一層笑みを深めた。

 僕は、この世の誰より何より、灰川が恐ろしい。みんなも本当はわかっていて、それを言葉に出来ないだけなのだ。灰川は、ただそこにあるだけの恐ろしさを真っ向から見据えて、一歩も譲ることがない。僕にはそれが信じられない。人は自分の虚構を世界に押し付けることでしか、生きられないからだ。世界をただ一人観測する彼女の真っ黒な瞳はきっと、広大無辺な表出した虚無の一角で、覗き込んだものは光の欠片すらも二度と出ることが出来ないのだ。

「この事件が失踪だと思われていたのは、殺人として判断するには証拠が足りなかったからだ。あまりにもスムーズに人が消えたため、誘拐と考えることも難しかった。被害者の家族への要求なども皆無、被害者が自分から消えたようにしか見えなかった。消えて行った女子生徒たちは皆同じグループのメンバー、おまけに彼女らは一種のカルト宗教めいた結束と思想の持ち主だ。実際、親しい人間は家出だと考えていた。

 どうやって殺したのか? そう考えるからおかしなことになる。被害者と加害者を分けて考えていては正解に近づけない。被害者は同時に加害者だったのではないか? これなら辻褄が合うじゃないか!」

 助野の眼は危険な光を湛えたままだ。僕は徹頭徹尾灰川の味方をする。その他大勢は雰囲気に呑まれて口を挿めない。消去法的に、皇が発言することになった。

「……自殺、というわけですの?」

 不本意ながらも、共犯者にされた皇のスムーズな質疑。

 それは馬鹿げた冗談、しかし、それが徐々に練り上げられて儀式へと変容していく、その過渡期だった。

 犯人も、裏で糸を引く黒幕も、共犯者も、傍観者気取りでいた者たちも、誰も彼もが灰川と言う渦に巻き込まれていく。

 それが推理という一種の儀式であり、探偵の在り様なのだ。

「その通り。SMにおけるSとはサービスの頭文字という冗談があるが、今回のケースはまさにそれだ。

 グループの力関係は一見助野透という教祖を頂点に据えたピラミッドのようだが、実際には彼女の立場は周囲から押し付けられたものに過ぎない。実際のトップは最初の被害者、足立玲美だ。彼女は自殺願望があり、またマゾヒストだ。しかし彼女一人ではその欲求は満たされないため、グループを作り上げた。その過程で作りだされた教祖、それが君だよ助野透」

 そう言って、灰川は助野を指さした。その薬指には、銀色の指輪がはまっている。六本指だ。とうとう、ずれが誰も無視できないほどに大きくなった。当たり前が当たり前でなくなる瞬間。

 何も知らない周囲の人間が、息を呑んだ。

 予定調和の演出、丹念に鋳造されたクライマックス。馬鹿げた儀式の最高潮がここにあった。わかっていたはずの僕ですら、心臓が跳ねた。

 それを受けて、助野の手が細かく痙攣し出した。

 噴出する怒りとも焦りともつかない、負の感情のマーブル模様。

「『食人は究極の愛だ』、誰かがそう言ったな。君たちの教義は自分を捨てること、そしてその最終段階として教祖への同一化が目的となる。具体的な方法としては、足立たち信者は、自分から助野こと教祖に殺されに行く。そして、教祖にさせられた彼女は、信者を殺させられ、食べさせられた。

 被害者が自分から証拠を消すように動いていたのだから、事件の発覚は難しくなる」

 マゾヒスティックな欲望をサディスティックに強要する、最悪の両刀使い。

 会ったことがないから、僕は足立のことを資料で読んだ分しか知らない。でも、これだけはわかる。彼女は自分の欲望を完全に飼い慣らし、そしてそれを達成して死んだ。自分の欲望に殉教したのだ。きっと、とても狡猾で賢い人だったのだろう。死ぬことで、完成した人間だったのだ。

 その証拠に、僕はグループの残り二人のデータを読んだはずなのに、もうほとんど覚えていない。特別な人間になりたかったはずなのに、文字通り、既に死んでいるはずの足立に喰われてしまったのだ。特別になりたいということは、これ以上なく特別ではないということで、彼女らは本当の意味で、誰の何にもなれなかった。

 死んでしまえば、すべての生き物はそこでお終い。受け継がれるものがあるだとか、生きてきたこと自体に意味があったとかはまだ生きている(これから死んでいく)奴らがそう思いたいってだけのことで、死んだ生き物の主観がこれ以上更新されないという、厳然たる事実の前には無意味なのだ。その点においてすべての死は犬死にであり、殉教に疑いを持たなかった二人は想像力が足りなかったのだが、足立はそれを逆手にとって自分自身を完成させた。

 更新されないということは、永久に留まり続けるということ。結局は誰も彼もが足立の暴力的な自己完結に巻き込まれただけなのだ。

「うっ、ぇっ……」

 湿った音が聞こえる。女が一人吐いたのだ。他の人間も胸のむかつきが抑え付けられないようだ。誘爆するように、うめき声が連鎖していく。

 それらすべての反応を超然と無視して、語り続ける灰川。

「しかし、助野もただ操られるばかりではない。与えられた枠組みの中で自分の欲望を満たすように動き始めた。もっとも、それすら足立の掌の上だったのだろうがね。君たちは『同物同治』という考え方を知っているかね?」

「中国の薬膳にある言葉ですわね。体内の不調である部分を治すには、同じものを食べるべきという考え方。つまり、肝臓が悪い場合は牛や豚や鶏のレバーを食べることで快方に向かう、といったものです」

 皇はさすがに動じた様子もない、というより既知の事実を確認しているに過ぎない。ついに諦めたのか、灰川の割り振った役目の中で踊ることに決めたようだった。

「その通り。助野はコンプレックスの塊だ。だからこそ似合わない男言葉を使ったり、周囲に攻撃的に接するわけだ。そんな彼女が常に一緒にいた同性に嫉妬を感じないわけがない。

 賢い足立からはその叡智宿る脳髄を、歌手になりたい高木からは白い喉を、絵の上手い平田からは繊細な指を奪い、食べることで自分のものにした。

 僕が質問した時に、彼女らが死んでいないと即答したのは、『親友たちは自分の中で生きている』と信じていたからだ」

 彼女が人肉を喰らうのは、それが彼女にとっての儀式だからだ。

 愛する者を自分の中に取り込み一体化すると同時に、遥か高みへ自分を押し上げるための供物。

 実際にはそれが、何の意味もない雨乞いの祈祷のようなものであることを僕は知っている。ただの気分の問題だが、同時に僕は気分が人を大きく変えることも知っている。人は自分の信じるもののために殉教することが出来るのだ。

「し、信じられない……そんなことをする人がいるなんて……」

 津田がえづきながら言った。言葉の通り、事実を受け入れられないといった表情。

「君が信じる必要はない。ただ、彼女たちはそう信じていたというだけだ。そして信じるということは、自分の中では事実として扱うという意味だ」

 灰川自身、その言葉を信じていないようだったが、僕にはわかる。

 思い出すのは、ニュースや新聞を見る人たちの表情。

 凶悪犯罪の犯人が異常者だとわかると、彼らは皆納得する。殺人鬼が自分と同じ人間だと認めたくないからだ。そうやって、自分とは違う人間だと思うことで安心しようとするのだ。侮蔑による切り捨て、他人と自分を区別するための防衛反応。

「殺した順番は心の距離だ。つまり、どれだけ殉教する覚悟があったか。足立が真っ先に殉教したことで、踏ん切りがつき、残り二人も助野に殺されに行った。最後に残った新城は、グループにこそ所属していたが、そこまで心酔してはいなかった。そのため、殺すのに手間がかかったんだ。見逃すわけにはいかない、何故ならこれは儀式なのだから」

「どうかしら、本当にそこまで徹底出来るか疑わしいのですけれど」

「助野は極めて外部からの影響を受けやすい。主体性がないからだ。価値観を他人に委ねる癖を見抜かれたからこそ、教祖の役に据えられたのだ。しかし、徹底出来ない部分もあるのも確かだ。それがこのパーティだ」

 邪悪そのものの表情で、灰川は周囲を睥睨した。ある種の凄惨はどうしようもなく人を惹き付ける。そのため、ここにいる誰もが逃げられなかった。

「本来ならすべて食べ切ることで、彼女たちは完璧な存在になる予定だったのだが、人間四人分はさすがに多すぎる。助野は食べ切るほどの根性もなく、ただ捨てることも出来ない程度に小心者だった。だから、焼き肉パーティを開くことで、余った肉を処分しようとしたんだ。腐らせてはもったいないからね。もっとも、ただの焼き肉なんかじゃあつまらないから、由良君に調理をしてもらった。どうだい、美味しかっただろう?」

 ついに灰川の邪悪さが臨界点に達し、笑みとなってあふれ出た。

 耐えられなくなった人が席を立ち、トイレへと向かった。つられて一人、また一人と席を立っていく。それを冷ややかに見送る灰川。

「僕の助手をいじめていいのは、僕だけだ。彼らは無自覚と想像力の欠如がもたらすツケを払わなくてはならない」

 今日この場に呼び出されたクラスメイトたちが、どういう基準で選抜されたのか、少しわかった気がした。ダシにされた僕としては複雑な気分だけれど、これから彼らは灰川に逆らおうとは思わないだろうし、灰川の息のかかった人や物に余計な手出しをすることはないだろう。灰川が奴隷を増やす過程を垣間見た気がした。

 圧倒的な悪意は、狡猾さに直結している。

 敵として見たクラスメイトへの復讐と同時に、そのようなどうでもいい奴らに大切な儀式のための血と肉を振る舞うことで、助野の価値観の否定、痛烈な皮肉としたのだった。

 冷え切った空気に、ぬるい酸味が混ざる。間延びした、一瞬のような、シャッフルされた時間の感覚。混沌として取り留めのない思考。

 残ったのは灰川と僕、そして皇と助野だけ。

「さっきも言ったけど、せっかくの機会なんだから由良君も食べればよかったのに。結構美味しかったよ」

「最初の方は慣れてなかったせいか血抜きが下手で、生臭かったからあんまり食べる気になれなくてね」

 半分嘘で、半分本当だ。

 あの肉は何だかすっぱいにおいがして、調理していた僕自身が萎えてしまったのは事実だ。保存のし方が悪かったのか、それとも人肉に特有のものなのか。はっきりしたことを言えるほど、具体例を知らないのでコメントは控えよう。

 しかし、人を調理するのは問題なくて、食べるのは駄目なんて、僕はどこで線引きをしているのだろう? 自分でもわからないから、きっとこれもただの感傷なのだろう。

「これで僕の推理は終わりだ。まあ、謎自体は味気ないにも程があったがね。トイレに行った彼らは信じてくれただろうし、あとは自首するなり通報されてやってきた警察に逮捕されるなり、好きにしたまえ」

「出来ると思ってるのか。警察ごときがオレをどうにかするなどと」

 助野がようやく口を開いた。粘つき、重い声。

 瞳が赤い。助野の体を覆う陽炎のように、魔力が揺らめいた。


 ──殺意のにおい。


「ふふん、怖いな。由良君、犯人が自首したくなるよう、相手をしてやりたまえ」

 そう言うと、灰川は席を立った。追うようにして皇も。二人とも、もうどうするか示し合わせていたようだった。出番を終えた、優れた役者がそうするように、極々自然な立ち去り方だった。


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