十八 『海上の道』

 寝覚めは非常に悪い。今も頭が重いしどうもはっきりしない。しかしそう言われると霧が晴れていくように合点がいく。

 窓の外には夜間にも関わらず灯りを点けている建物が多く見えた。教授も自分も小洒落た柄の背広を着ているし、自分の吸うのを出すついでに一本分けてくれた紙巻煙草は英字が書いてあるアメリカ製だった。たしかに戦争は終わっている――そう、そうだった。

 ぼんやりしながら思い起こしていると、教授は煙草の煙をプカと吐きながらこう語りかけてきた。

「そういえば君は戦時中は沖縄だったな。地上戦が激化していると聞いて出征した君達がどれだけ居るのかと心配したものだがよく帰ってきた。……その頃の夢でも見ていたのかね」

 この教授は戦前からこういう人の良さが目立つ好々爺だった。どうにも挙動不審な自分を気にかけてくれているらしい。

「――ええ。どうにも戦争中の夢を見ていたようで、寝惚けておりました」

「そうかそうか。そういえば艦砲射撃の中で負傷したが奇跡的に帰還できたと聞いたな。忌まわしい思い出かも知れんが今や過去の事だ。国文学部の井上君などは満州だったというから、生きていたとしても今はシベリアだろう。彼らから見れば帰って来れただけ幸せな事だよ」

「なるほど、違いありません」

 気遣いに感謝を述べながらデスクの引き出しから新しい灰皿を差し出す。教授は煙草を灰皿の上に置き一息ついた。

「ところでな、少々言いにくい事なんだが」

 明らかに話の本題はこちらであろう。そういう教授の表情は本当に言い悪げに渋くなっていた。

「君の論文はやはり今は発表を見合わせた方が良いと思う。時期が悪かろう」

「……すみません、どういう事でしょうか」

 論文とはそもそも何の事を言っているのだろうか? どうにも曖昧だ。

 自分がうまく呑み込めてない様子を察したのだろう、教授は言葉を続ける。

「君が先日提出した論文だよ。ほら、黒潮海域の文化伝播に関する――」

 ああ。

「何故です? 戦争中のような検閲があるでもないでしょう」

「似たようなものだよ。一応まだ占領下の時分でこういう――戦時の侵略主義を少しでも想起させる説は、まあ色々とまずいんだ。やっと一応の講和条約が成立して全権回復というこの時期には特に……」

 教授ははっきりと侵略主義だといった。たしかに南洋幻想にはイデオロギーと結びつく危険性があった。その事は自分も……いや一億日本人全員が確かに身をもって体験した話ではある。

「それでなくてもウチの大学は戦時の戦争協力者という咎で何人も公職追放されているんだ。大学のためにも君自身の為にも、私は室長として許可を出すわけにはいかん。時期を待って欲しい」

 研究者としては地団太を踏み抗議するべきところなのかも知れないが、いかんせん心持が朦朧のままでどうにも現実感がない。まるで夢の続きでも見ているようだ。

「……分かりました」

 教授が二本目の煙草を取りだしたので今度は素早くマッチを取りだし火をつけた。その煙草を一服吸ってから、教授は複雑そうな表情を浮かべたまま書架から一冊の雑誌を取りだす。

「くれぐれも言っておくが、君の論文の内容が誤っているというわけではない。とにかく時勢に合わないのだ。――君も知っておるだろうが大衆雑誌ではこんな説が取りざたされている有様だ」

 そういうと教授は手元の雑誌を自分に渡してきた。アメリカのポルノ雑誌からそのまま引き写してきたと思わしきヌードの白人女性が表紙を飾っている安っぽい雑誌だ。その表紙の下の方に大きな文字でこういう見出しが書かれていた。


『今をときめく日本人騎馬民族説を解説する!』


「……日本人騎馬民族説? なんです、これは」

「呆れるだろう? 最近はカストリ誌までがその話題を取り上げるお陰で〝騎馬軍団〟が流行語になる有様だ」

 教授は本当にうんざりとした態度である。手渡されたカストリ誌の特集記事をパラパラとめくる。


『――我々日本人のルーツがこの新説により決定した!――日本列島土着の原住民族が勇猛果敢な大陸の騎馬軍団によつて討伐され――農耕民族を征服し新たな支配者となつたのは騎馬民族――神話に云ふ天孫とは即ち騎馬軍団の大酋長だつたといふことだ!――』


「提唱者の江上先生はもう少し慎重な物言いをなさってるんだがね……新聞雑誌と来たらもうそれが確定したかのような書きぶりだ。そしてそれに飛びつき持て囃す人々。騎馬軍団とやらの遺構のカケラ一つすらまだ見つかっていないのに。考古学者としてはそんな霞のような話を何故皆が信じるのか不思議でならん。学問の敗北だよこれは」

 教授はがっくりとした様子で窓の外に目をやる。自分も続けてそれを見る。歓楽街のイルミネイションがちかちかしているのが見え、耳をすませば歌謡曲が流れているのが聞こえた。その煌きを見ながら、教授がこう囁くように語る。

「――それが、敗戦を迎えた我々が望んだ新しい神話なのかも知れんが」

「と言いますと」

「騎馬民族説など私らから言わせれば怪説の類いだ。だが民衆はそれを選んだ。戦前の義経チンギスハン説も同じような神話かも知れん。だが今回の神話は二通りに解釈できるとは思わんかね?」

 謎をかけるような言い回しに、自分はほんの少し考えてからこう答えた。

「……我々日本人は、優れた武器を持った外来の騎馬軍団に征服された敗北の民族である。あるいは、勇猛な騎馬軍団の血を受け継いだ力強い民族である……といったところでしょうか」

「同じ見解だよ。さてどちらが正解かな。どちらにしろ戦後日本人の幻想だ」

 そう言うと教授は微笑みながら吸い終わった二本目の煙草を灰皿に押し込んだ。自分の方は貰った煙草を吸うタイミングをすっかり逃してしまったのでそのまま懐にしまう。

「同意ついでに言うが私は宮田君の見立てには賛成だよ。きっと近いうちにまた南方研究は日の目を見る。――ああ、そうだ。五月に九学会連合の会合があるのだが君も参加せんかね。考古学だけでなく言語学や民俗学の先生がたが集まって、テーマは海洋文化だそうだから、君には興味深いだろう」

 思っても見ない話を唐突に振られた。参加できるというならば願ってもいない話だが

「それは――ぜひ参加したく思います。しかし何故私のような若輩に?」

「九学会連合の当面の目標は俗流の騎馬民族説への対抗言論を形成する事だ。それに、民俗学の柳田先生などは戦後も相変わらず沖縄に関心を寄せていてねえ。従軍とはいえ沖縄の実地経験のある君なら何か喜ばせる話もできるかも知れない。――ここだけの話、柳田先生は今回の会合で南方研究の集大成を披露する気でいるらしい。ふふ、今まで喋りたくて堪らなかったのだろうなあ」


 柳田國男は戦前から沖縄研究に精力的に取り組んでいた民俗学者の一人である。(こういう言い方は一面であり物足りない。柳田國男こそが日本民俗学の創始者に他ならず、日本全土を渡り歩いた彼の足跡がそのまま民俗学の軌跡となっているのだから)

大正十四年に沖縄諸島を見聞した旅行記『海南小記』を書き、戦前の人文学界に沖縄研究の流行を巻き起こした。戦時の空襲警報の最中ですら著述を続け、日本人とは何者かを考察し続けた知の巨人である。

 今年の四月に講和条約と日米安保条約が施行され、日本本土の〝占領下〟は一応の終わりを迎える。当年七十七歳の大民俗学者がそれまで世情を憚って控えていた集大成を世に披露するというのだ――とてもわくわくする、胸が高鳴るような話であった。


「なるほど理由は分かりました。私の方でも持ち掛けたいテーマがありますので週明けにでも提出いたします。精査の方ををお願いします」

「頼もしいな。それじゃあ頼んだよ。――しかし今日は早く帰り給えよ。どうも疲れが見えるぞ。それじゃあお休み」

 青山教授はまた例の微笑みを浮かべ、コートを羽織って研究室を出ていった。自分の方はというと、相変わらずぼんやりとした調子でそれを見送った。

「んー……いかんな、たしかに体調が悪いのかも知れん。明日から取り組むとして今日は帰るとするか」

 独り言を言い、気を取り直せる気がして胸ポケットに入れていた紙巻煙草を口に咥えた。しかし何だか吸う気にならず、火をつける事なくまた懐にしまいこんでしまった。



 一九五二年(昭和二十七年)四月。

 対日講和条約と日米安保条約が施行され、日本本土の占領統治時代はここで一応の終止符を打たれた。しかし沖縄については依然アメリカ占領下のまま差し置かれ続けた。五月一日には東京で血のメーデー事件が勃発。〝戦後〟最大の混乱ムードに日本中が揺さぶられた。


 その混乱も未だ冷め遣らぬ五月十一日。上野博物館講堂で開かれた九学会連合大会にて民俗学者柳田國男は講演を行った。高齢ゆえに健康状態を心配されていたが、以前と変わらず矍鑠として話す柳田の姿を見た参加者達は安堵したという。

 この日の柳田の講演テーマは「海上生活の話」であり、日本全国のかぜの呼び名の違いから海岸に流れ着いてきた漂着物の話に展開し、果ては沖縄や南洋の島々を包括する日本民族の起源論へと拡がっていった。

 そこには戦後日本の民族規模の混乱への危機意識と、未だアメリカ占領下の沖縄に対する強い情念が込められていた。


 そしてこの講演の内容が柳田國男最後の著作『海上の道』へと繋がっていく事になる。

 柳田が同書の中で説いた民族起源論は後年の考古学者や人類学者の後継研究により現在はほぼ否定されていると言ってよいが、『海上の道』において柳田國男の思考は常世国やニライカナイを包括する民族固有の死生観を描き出す事に成功している。これはまさしく日本民俗学の集大成と言っても過言ではない軌跡であった。


 『海上の道』を刊行した翌年の一九六二年(昭和三十七年)に柳田國男は死去した。一生を民俗学の発展に捧げた老学者は、死の直前に常世国――あるいはニライカナイ――に通じる〝海上の道〟を確かに見出していたのである。



 宮田邦武は頭痛に悩まされながら東京の夜道を一人とぼとぼと歩いている。結果から言ってしまえば、彼は自分と同じかそれ以上に情熱を捧げる柳田國男に会う事も、彼の講演を聞く事もできなかった。

 

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